第33話 お風呂の時間
私は夜になって気もそぞろになってしまう。
シルビア様は「また明日」って言っていたけど、昨夜のように、診察とか……するのかな……?
お茶会でみんなお腹がいっぱいになってしまったので、夕飯は無しにして早めに休もうとシルビア様が提案してくれた。
ケーキで満腹になったまま眠り続けているロシ―タちゃんを、シルビア様が抱き上げて母屋まで戻る。
自室で寝台に寝かされるロシータちゃんを見て、微笑ましくなった。
(大人に運んでもらうのって、子供の特権だよね……ふふ、ロシータちゃんが羨ましい)
「ユミィ、浴場はここだよ」
シルビア様がお風呂場まで連れて行ってくれて、使い方を説明してくれる。
中は子供が泳げそうなほど広く、そして爽やかな香りが立ち込めていた。
シルビア様に聞くと、このお風呂は異世界人が伝えたものらしく、浴室の床も壁も浴槽も、全て檜という木でできているらしい。
(檜ってこんな香りがするんだ……いい香りだなぁ)
浴槽の中は兎形の蛇口から常にお湯が流れ込み、溢れたお湯は排水されるかけ流しの造りになっていた。
浴室全てに浄化の魔法陣が展開されているので、お掃除の必要も無いらしい。
(毎日こんなに素敵なお風呂に入れるなんて、夢のようだわ……)
本来、お湯を沸かしてお風呂に入るということは、このルビスティア国ではとても贅沢なことなのよね……
まるで王侯貴族の屋敷に迷い込んだみたいで、私は圧倒されてしまう。
「洗面所と浴室の蛇口は魔道具になっているんだ。洗面所では顔を洗う時に水が出たでしょう? 浴室では、この兎形の栓に手を置くと、適温のお湯が出るよ」
「えええっ! そんな便利なものがっ……すごすぎませんか……⁉」
「石鹸はこの棚に……あっ! ユミィ、洗髪剤は知ってる? これも異世界人が伝えてくれた便利なものだから、髪を洗う時に使うといいよ」
シルビア様は洗髪剤と刻まれた瓶の場所も合わせて教えてくれた。
「は……はぁ……ありがとうございます」
(洗う道具なのに、石鹸じゃなくて液体なんだ……)
もの珍しくて辺りを見回してしまう……異世界人って、すごいんだなぁ……
「私は少しやる事があるから、ユミィが先にお風呂を使ってね」
「は、はい、ありがとうございます……」
「……部屋には、後で行くからね?」
「え……あ、は、はい……」
どぎまぎする私の様子を見たシルビア様が、クスっと笑って自室に向かう。
お風呂の脱衣所で身に着けていたものを全て脱ぎ、籐でできた洗濯箱の中へ入れる。
実は、この何の変哲もない洗濯箱も魔道具らしい。
この中に入れた洗濯物は、自動的に浄化されて、クローゼットの中に戻るとシルビア様に説明されたのよね……
ちょっと画期的すぎて現実感がないけど……入れた洗濯物、もう無くなってるわ……すごい……!
浴室の扉を開けると、檜のいい香りがした。
スンスンと鼻を動かすと、シルビア様からする木の香りだとわかった。
シルビア様からは色んな香りがするのよね。
研究に使っているのか、薬草や香草の匂いが強い時もある。
シルビア様に説明された通りに、まずは浴槽の外で体を洗い始める。
(うーん……こんな大きなお風呂場を一人で使えるなんて……。落ち着かないわ……)
私の生まれたルビスティア王国では、一般庶民は公衆浴場に行ってるから、お風呂が家にある事の方が珍しかった。
私の住んでいた山の集落の実家にも当然無くて、沸かしたお湯を盥に溜めて、それをお風呂代わりにしていた。
(冬場は寒くて寒くて、大変だったなぁ……)
お湯は水道管についてる魔道具でいくらでも沸かせるらしいから、躊躇なく使えて嬉しいなぁ。
柑橘のいい香りのする石鹸で全身を洗うと、シルビア様と同じ匂いになっていることに気づいてドキっとした。
シルビア様と同じお風呂に入ってるって、なんだか変な感じだなぁ。
うう……お風呂に入ったばかりなのに、もうのぼせてしまったのかしら……?
「あー、もう! シルビア様のこと考えるのやめやめ!」
無理矢理頭の中を整理すると、シルビア様が教えてくれた洗髪剤のことを思い出した。
瓶を開けた瞬間、様々な花の香りが鼻孔をくすぐる。
お母さんが大事な用がある時につけていた香水の香りを思い出した。
(わぁ……なんだか、大人の仲間入りをしちゃったような気分だわ……! これは塗り薬みたいなものかしら? 洗い流さなくてもいいのかな⁇)
「――えっ……ええええっ⁉」
濡らした髪に液体をつけていくと、驚くほどよく泡立っていく。
「わぁ……あはははっ、お洗濯物になったみたい。アワアワだぁ~!」
泡立ちが一向に消えていかないので、これは頭全体を一通りほぐしたら、洗い流すものなのだと理解した。
シャワーから出る熱いお湯で髪をすすぎ終えると、とても綺麗で艶やかになった気がする。
異世界から伝わってきたものって、何でこんなにいいものが多いのかしらっ……?
……お値段もいいはずだから、私のような庶民には普通、手が出ないものなんだけど……
足を伸ばしても余裕がかなりある広い湯舟に浸かると、とても気持ちよくて天国に居るみたいに感じた。
浴室の壁は大きな魔力硝子の窓になっていて、暗闇の中に月が見える。
頬を撫でる柔らかな夜風に、夢心地になる。
(そういえば、さっきシルビア様は「後で」って言っていたわね。……それって――)
「今日も、治療をされるのかしらっ……?」
シルビア様のほっそりとした白い指が、私の傷口をそっと撫でる感触――
真っ白な月を見て昨夜の事を思い出すと、胸がカッと熱くなって、ブクブクと浴槽に顔を沈めた。
***
脱衣室の異空間収納魔法が使われているクローゼットから、新品の下着と寝着を出して身につける。
色々なサイズの下着まで入っているのにはとても驚いたけれど、どれも自由に使ってと言われているので有難く使わせてもらう。
魔法使いさんのお家って、とっても立派で本当に便利だなぁ……
過ごしやすいけど、便利さに慣れないようにしなくっちゃいけないわね。
洗面所のクロ―ゼットには、その他にもタオルや石鹸、上質な魔猪歯ブラシ、歯磨き粉、香油などが沢山入っていたので、オタオタしながらも身綺麗にすることができた。
香油が気になって見ると、瓶には髪用と刻まれていた。
「これをつけたら、シルビア様と同じ髪質になれるのかしら……?」
香油を指先に取って、毛先に少しつけてみると、シルビア様と同じ香りがして嬉しくなった。
「ふー……いいお湯だった~!」
お風呂上がりは自室でゆっくりと羽を伸ばす。
上質な亜麻布で整えられた寝台は、座るとほどよく沈んで椅子代わりとしても使い心地がいい。
シルビア様が私とロシ―タちゃんに一人部屋をくれたから、こんなにゆったりできるのよね。
ロシータちゃんと一緒の部屋でいいと言ったら、「狭いからね」とシルビア様が気をつかってくれたから……
……優しいな、シルビア様……
ロシ―タちゃん、ちゃんと眠れてるかな。
お腹まで、お布団かけてるかなぁ?
いつの間にかロシ―タちゃんを妹みたいに思ってしまってるなぁ。
清潔な寝台の上で寛いでいると、シルビア様の匂いが近づいてくるのを感じた。
コンコンとノックする音がして、お風呂を終えたシルビア様が部屋に入ってくる。
「こんばんは、ユミィ。……いい香りがするね」
「こ、こんばんは……あ、あの、香油を使わせていただいたのですが……」
「うん。私と同じ匂いだね。嬉しいよ」
シルビア様が嬉しそうに微笑んで、洗いたてで乾かしたばかりの髪が艶やかに煌めいた。
昼間も思ったけど、お風呂上りのシルビア様の色気はすさまじいわ……
上気した頬に潤んだ漆黒の瞳。
白い寝着から見える肌は、ほんのりと桜色に色づいている。
滑らかな肌は絞りたてのクリ―ムみたいで、飛びついて舐めてしまいたいような衝動に駆られてハッとする……
(私、本当に何考えてるんだろ……落ち着かなくっちゃ)
慌ててシルビア様から目を逸らすけど、シルビア様と出会ってから、私の頭の中は大忙しだわ……
それが嫌じゃなくて、むしろ――……
(……フワフワして、ドキドキして……こんな不思議な気持ち、初めてだわ……)
深呼吸をして、シルビア様を見ない様にしていると、寝台に座る私の隣にシルビア様がそっと腰掛けた。