第26話 居場所3 ☆
絞った布巾で食台を丁寧に磨き上げると、水差しいっぱいに台所の水道から水を汲んだ。
台所も井戸と同じく小さな魔道ポンプがついていて、一押しで水が細く流れ続けるから、とても便利だった。
それに、ただの水のはずなのに、飲むと体に染みていくみたいですごく美味しい。
もしかして、ただの水じゃなかったりして……
なんだか飲むと元気になる気がするのよね……これもシルビア様が浄水したお水だったりするのかな?
いつかシルビア様に水の事聞いてみたいわね。
薬缶にも水を汲んで魔道コンロにかけておく。
後で温かい紅茶も淹れよう。
ミルクティ―にすれば、ロシ―タちゃんは飲みやすいかな?
食台にクロスとお皿を並べて、小さな籠にカトラリ―を準備すると、アリアさんが作り置いてくれた料理を保存箱から取り出していく。
保存箱は手を入れるだけで自然に欲しい物が出てくるので、本当に便利だわ。
主食が欲しいと思っていたら、焼きたての大きなパンが引き出されていた。
パンはフル―ツが練り込まれていて、アツアツですごくいい香りがしている。
入っているのは細かく切って煮たリンゴかな? 今度パンを焼く時に真似してみようかな。
サラダの大皿には魔力菜が敷き詰めてある。
魔力菜は火を通さないで食べられる瑞々しい葉もの野菜で、どんなお料理にも合うのよね。
魔力菜の上には茹でて潰したお芋が載っていて、美味しそうないい匂いがする。
お芋は卵と油と酢を混ぜたような調味料で味付けされているみたい……って……
……こ、これはっ! 『真夜中についつい食べ過ぎちゃって、太るのを気にして眠れなくなるっ……真夜不眠!!』だっ!!!
い……いけない、いけない……大好きな調味料だから……つい、自分で勝手につけた名称を心の中で熱く叫んでしまったわ……
これ、ルネが前に「もらった」って持ち帰って来たやつと同じものね?
ちょっと寸胴でお洒落な瓶に入ったクリームのような調味料は、一舐めするとしょっぱくて酸味があるのよね。
ルネのことだから、もらったんじゃなくて、私の為に高級な食品店で買ってきてくれたんだと思うけど……この調味料、サラダにすごく合うから、とっても重宝したっけ。
横に添えられてるのは瑞々しい赤茄子だ。
これも、「美味いから」って、ルネがよく買ってきてくれたっけ……
そのうちに、苗を買ってきてくれて、庭の畑で育てるようになったのよね。
住んでいる山の集落で、一番農作が上手なおじさんにアドバイスをもらいに行ったり、村のお姉さんに園芸の本を借りたりして……
育てている時も楽しかったけど、実った時は本当に嬉しかったな。
改めて考えると、ルネのお陰で、外の世界の色々なものに触れられていたのね……
次に保存箱から出てきたのは、沢山の珍しい果物だった。
種類ごとに少しずつ、大皿に盛り付けてみようっと。
赤紫色で中は白いのに、果肉に胡麻のような種が沢山ある果物なんて初めて見たわ……異国の果物なのかしらっ……?
この野イチゴは私の住んでた山でも採れたから、見ていてホッとするな。
葡萄は、山で採れるものよりも粒が大きくて甘い香りがする。
シルビア様、何の果物が好きなんだろう?
ロシ―タちゃんは嫌いな食べ物ないかな?
みんなの好きな食べ物、今度聞いてみよう。
「果物はこれでいいわね。他に、体を温める食べ物は無いかなぁ?」
果物の下から、ロシ―タちゃんの体を温める食べ物を探すと、玉ねぎの温かいス―プ鍋が出てきて嬉しくなる。
スープの他には、湧いたお湯を薬缶ごと保存箱に入れておこうっと。
火傷しないように薬缶の周りを大きめの布巾でくるんでっと……こうして保存箱に入れておけば、食後すぐお茶を淹れられるから、ス―プと紅茶でだいぶ体が温まるんじゃないかな?
「ゆみぃぃいい~~~~~~っっっ!」
お皿に盛りつけたものを食台に運んでいると、ブカブカの白い浴衣にくるまれたロシ―タちゃんが浴室から飛び出して来た。
か、可愛い!
白いほっぺたは赤くなって幼さが増して、髪の毛も洗って乾かしてもらったのか、キラキラしている。
その様子が姫リンゴみたいで、とても可愛い。
「ロシ―タちゃん、もう大丈夫? 体、温まった?」
「……ん……おそろしや~」
ロシータちゃんが私にしがみつくと、小刻みな振動が伝わってきた。
震えてる……まだ寒いのかな?
こんなにホカホカしてるのに?
ロシ―タちゃんは脱力した顔をしている。
な、何故? お風呂で、何かあったのかな?
ロシータちゃんから、レモンと何かの香油の混じった何とも言えないいい香りがしてくる。
シルビア様が塗ってくれたのかな? 私もロシータちゃんと一緒に入りたかったな。
思わずロシータちゃんのほっぺたに自分の頬をつけてスリスリしてしまう。
頬っぺたをくっつけると、ロシータちゃんも嬉しそうにフニャっと笑った。
フニフニしているのにスベスベな頬っぺが気持ちいい。
「えへへー、くすぐったいぞー。ゆみぃの、あまえんぼー♪」
ロシータちゃんを心置きなくフニフニしていると、ロシ―タちゃんと同じ白の浴衣を着たシルビア様が居間に入ってくる。
私と目が合ったシルビア様は一瞬ピシッと固まった後、にこっと笑った。
「ひーっ! ゆみぃ、たすけてー!」
ロシ―タちゃんの目が何故かうるうるしてくる。
「ロシータちゃん、どうしたの?」
シルビア様と追いかけっこでもしてたのかな?
「駄目じゃないか……乾かしている途中で逃げ出すなんて……」
シルビア様がロシ―タちゃんと自分に風魔法をかけて髪を乾かした。
乾かし終えるとロシータちゃんの首根っこを掴んで、食事の席に着かせる。
ロシータちゃんは母猫に運ばれる子猫のように大人しくしている。
お風呂上りのシルビア様は輝くように美しくて、私の目に眩しく映る。
陶器のような肌はほんのりと紅く色づき、洗いたての黒髪は天使の輪ができていて、なんだかとても色っぽい……
「……どうしたの、ユミィ。私、洗えてないところ、あった?」
恥ずかしそうに伏し目になったシルビア様が呟いた。
「いっ、いえっ……なっ、なんでもありませんっっ!」
(あ……あまりジロジロ見ないようにしよう……)
綺麗だからって見られるのは、嫌よね……気をつけなくっちゃ……
「シ、シルビア様。ロシ―タちゃんをお風呂に入れていただいて、あ、ありがとうございました!」
私は目を泳がせながらも、なんとかお礼を言った。
「ん? いや、私は何もしてないよ。後でまた入るし。それより、ご飯できた?」
「はい! アリアさんが作り置いてくれたので、すぐに食べられます!」
「準備してくれてありがとう。じゃあ、一緒にいただこうか」
シルビア様も着替えずに席に着いた。
あ、浴衣のままでいいのね。
意外と緩い食事マナ―にほっとする。
人族って、何かする度に着替えたりして大変なのかと思ってた。
特に貴族の人間は、一日に何度も着替えるって聞いた事がある。
シルビア様は何となく身分が高い人のように見えるから、特にそういうの厳しいのかなと思ってたのよね。
でも、違ったみたい。
粗相をして、シルビア様に呆れられたりしないか不安だったけど……その方が息苦しくなくていいや。
「あ、浴衣のままだった。アリアに怒られる……」
「わっ、忘れてたんですか?」
パンを口にしてからシルビア様は気づいたみたい。
びっくりした……気にしないんだと思っていたよ。
「うん。アリアには秘密にして……私、服とかマナ―とかどうでもいいんだもの」
「どうでもいい? いつも素敵な服を着てますよね? マナ―も全然悪くないと思いますけど……」
一口より小さく千切ったパンを口に運ぶシルビア様は、ピンと背筋が伸びていてとても優雅に見える。
よく見ると小さめにパンを千切る事で、パンくずをあまり出さないようにしているんだとわかった。
隣のロシ―タちゃんはパンを豪快に2等分にして、大きな口を開けてガジガジとかじりついている。
周りはパンくずだらけだった。
ロシータちゃん、後で一緒にお片付けしようね?
パンを飲み込んだシルビア様が、水の入ったゴブレットを手に取る。
ゴブレットはシンプルな青色で、よく見るととても繊細な切込み細工が入っていた。
シルビア様がゆっくりゴブレットを取る所作は、とても美しく見えた。
「何を着ていいかわからないから、とりあえず黒を着てるんだ。普段着るのは寝衣の他は、黒い服がほとんどだよ」
「えええええっ?」
これだけの美貌なのに、黒ばかり着ているのは勿体ないように感じるわね……何でも似合いそうなのに……
「マナ―だって……昔は兄様によく叱られた……」
「兄様……? お兄さんがいらっしゃるんですか?」
シルビア様が頷いた。
私は少しワクワクした。
次々と、シルビア様から聞きたい事が溢れてくる。
(シルビア様の事を知るのは嬉しいな)
「うん、一人……ね。3人兄妹なんだ。だけど、正直言って兄様は苦手だ……なるべく会いたくない……」
「えっ……? どっ、どうしてですかっ……?」
「……まぁ……色々あってね……」
お兄さんの話題になってから、シルビア様の声がピリピリしたものになった様な気がする……
立ち入った事を聞いてしまったのかな……なんだか色んな事情があるみたいね……悪い事したな。
「シ、シルビア様、ス―プのおかわりはいかがですかっ……?」
話題を変えようと、私は慌てて鍋を引き寄せた。
「あ! ユミィに食べさせてもらうのを忘れていたよ。お代わり、いただこう」
シルビア様がいかにも大切な事を思い出したような声で言った。
「なっ、何で私が食べさせるんですかっ?」
思わずシルビア様の方を向いて叫んでしまう。
あっ、いけないっ……!
お風呂上がりのシルビア様は色っぽすぎて、見るとドキドキしちゃうから、なるべく見ないようにしてたのに……
「……駄目?」
上目づかいでシルビア様が見つめてくる。
ううっ……そんな……子犬のような目で見られると……何でも許しちゃうじゃないですかっ……!
シルビア様から、もう目を逸らすことができなかった。
「……しっ、しょうがありませんねっ……!」
シルビア様が差し出すスプーンを受け取ってしまう。
「あ―ん♪」
嬉々としたシルビア様が、小鳥のように可愛く口を開ける。
ロシータちゃんは私達を見て不思議そうな顔をしながらも、気にせずパンにスープを染み込ませて、口いっぱいにして食べていた。
……ロシータちゃん、変な大人たちに慣れてきたのかな……
ス―プを飲んだシルビア様は「えへへ」と笑ってふやけたような顔をしている。
(もうっ……無邪気なんだからっ……)
シルビア様の桜色に変わった頬が可愛くて、思わずツンと突ついてしまった。