第20話 お掃除 ☆
「ゆみぃ――! いっしょに、あそぼー!」
屋敷の中に入ると、ロシータちゃんが遊ぶのをせがんでくる。
「ろしーた、ひまだぞー。あそぼ、あそぼー!」
そうしてあげたいけれど……これからお世話になるのに、朝から何もせずにいるわけにはいかないわ。
「ロシータちゃん、その前に、お掃除がしたいんだ。一緒にお手伝いしてくれるかな?」
「いいぞ! ろしーた、おねえさんだから、おそうじできるぞ!」
今日はお天気もいいし、朝のうちにお掃除を終わらせたかった。
手持無沙汰なロシ―タちゃんも協力的なのが嬉しい。
「掃除をしてくれるのかい? じゃあ、窓と床以外の……手すりや棚なんかの、細かい場所の拭き掃除を頼もうかな」
「はい。わかりました」
「おうっ!」
私達を見ていたシルビア様が、掃除用具の入った戸棚に案内してくれる。
シルビア様から使わない布をもらって、雑巾代わりにする。
掃除用具入れに入っていた優美な両手持ちの陶器のバケツは、使うのが勿体ないほど高価そうで、諸所に美しい細工が施されていた。
シルビア様に『使っていいよ』と言われたので有難く使わせていただく。
ロシータちゃんが水を汲む為に、外の井戸へと駆け出す。
ロシ―タちゃんは外の井戸の魔道ポンプを漕ぐのが好きみたいで、1回漕げば水がずっと出るのに、何回も何度も楽しそうに漕いでいた。
子どもって可愛いな。
無邪気な様子を見ていると、私も楽しい気持ちになってくる。
井戸のポンプの持ち手は実用的なのに、すごく丈夫で軽い。
よく見ると、繊細な工芸品みたいに細かな彫り物がされていた。
何か珍しい金属なのかな?
後で時間のある時に聞いてみたいな。
二人で何度もバケツの水を替えに外に出る。
ロシ―タちゃんが外のポンプで水を入れ、私が中に運ぶ。
檻の中に閉じ込められていたから、掃除しながら身体をのびのびと動かせることがとても嬉しかった。
ロシータちゃんも同じだったみたいで、ポンプを動かす度に楽しそうに飛び跳ねている。
掃除をやりながら、どこも隙なく綺麗なことに気づいた。
「どこも綺麗ですね、シルビア様」
私達を見守っていたシルビア様に聞くと、優しく微笑みながら答えてくれた。
「ああ、それはね、私が定期的に浄化魔法をかけているからだよ」
禊ぎを終えたシルビア様は朝食前よりシャッキリしているように見えた。
朝起きるのが苦手だけど、禊ぎで切り替わる感じなのかな?
「そうだったんですか、なんだか余計なことしちゃいましたね」
綺麗にされているなら、私が掃除する必要なんてなかったわね……
シルビア様は動きたい私達の気持ちを汲んで、黙って見ていてくれたんだ。
私の頭の上にシルビア様の手がふわりと載った。
優しく髪を撫でる手がくすぐったい。
「ううん。ユミィは偉いよ。ロシ―タも。忙しい時は、掃除が行き届かない部分もあったから、これからはユミィが代わりにやってくれると助かるな」
「シルビア様……ありがとうございます」
シルビア様の魔法があれば、大抵の事は不自由なくこなせてしまうんだと思う。
だけど、シルビア様はわざわざそう言って、私たちに役割を与えてくれたんだろうな……
役割を与えてもらったうえに、褒めてもらってとても嬉しくなる。
人から褒めてもらうのなんて久しぶりだから、じんわりと胸があたたかくなった。
「ねぇ、ユミィ?」
シルビア様が首を傾げる。
豊かな髪がサラリと流れて、眼差しが私に向けられている事が不思議に感じる。
「は、はいっ……」
「私も……偉い?」
シルビア様の口調が急に幼くなる。
「へ?」
「屋敷を綺麗にしてて、偉い?」
シルビア様の様子が、誉め言葉を待っている幼児のものに聞こえた。
……んだけども、私の勘違いかもしれない。
だって私ごときがそんなこと、シルビア様に言うのはお門違いじゃないかしら?
どのように返答していいものか悩んでいると、シルビア様の表情がすこしずつ曇っていくことに気づいた。
「……私、偉くない……?」
「えっ⁉ 偉いですよ、すっごく! ご立派ですよ!!」
悲しい顔をしてほしくなくて、自分の中のありったけの言葉を外に出した。
「……本当っ……⁉」
「……は、はい……」
私の言葉を聞いたシルビア様の唇が我慢できないようにうずうずと動き、シルビア様は身をかがめて私に頭を突き出す。
(これは……こういう事なのかしら?)
ポンとシルビア様の頭に手を載せる。
おっかなびっくり頭を撫でると、シルビア様の顔がふやけた。
お互いに頭を撫で合う恰好になり、すごく妙な気分になる。
「えへへ~。ユミィが撫でてくれた~」
「……」
シルビア様が幼い子どものように笑っている。
邪気の無い可憐な微笑みは花が咲いたようで、魔法を使ってないのに時間が止まったみたいに感じる。
その笑顔に驚きながら見入っていると、シルビア様は照れ笑いをしながら「ちょっと用事があるから、またね……」と言って2階の自室に入っていった。
シルビア様の姿が見られなくなると、急に寂しさがこみ上げてきた。
何かやる事があるのかな……?
何だろう?
(同じ屋敷の中にいて、寂しいっていうのもどうかしてるよね……)
絞り直した雑巾で窓枠を拭く。
窓は硝子が嵌っているわけでもないのに不思議な色をしていて、心地よい風を外から入れてくれた。
人の家を掃除してるのって、何だか不思議だなぁ。
それも、魔法使いさんのお家だから、興味深い物が沢山ある。
私は体を動かすのが好きだから、運動がてら掃除をして、見慣れない物の用途を考えるのは楽しかった。
それに、彼女自身の事もとても気になる。
シルビア様は、普段どんな生活をしてるんだろう?
アリアさんはたまにしか来ないって言ってたから、一人でいる事が多いのよね……
一人でご飯を食べて、お仕事して?
魔法師として有名で……薬師もやってるのよね?
(今、もしかしてお薬作ってるのかな?)
社会から必要とされて、活躍するシルビア様を眩しく思う。
シルビア様は私が想像する自立した女性像そのものだから、私の中で憧れが募るのかな……?
そ……そうよね……
だから、シルビア様を見ていると嬉しかったり、ドキドキしたりするのかもしれない……
私は到底シルビア様の様にはなれないけど、何かお手伝いできたらいいな……
シルビア様の事が気になって、気づけば2階の吹き抜けの手すりばかり拭いていた。
私たちが掃除してる間、シルビア様は自室から出てくる事はなかった。
(私、シルビア様のことばかり考えてる……)
そのことに気づいて、なんだか恥ずかしくなり、そして嬉しかった。
今までの平凡な無色の生活が、シルビア様と出会った事で鮮やかに色づいていくように感じる。
(シルビア様と出会った事で、私の世界がどんどん広がっていく気がするわ……)
それはまるで、真っ暗闇の中を歩いている時に突然射した月影のようで――
胸がトクンと打って、温かい何かで満たされていく。
この気持ちが、何て言うものなのかは、私にはまだわからない。
だけど、今はまだ小さなこの気持ちを大切に……大事に大事にして、育んでいきたいな……
***
ロシータちゃんと一心に掃除に入れ込むうちに、居間の天体を象った時計が不思議な音で正午になった事を告げた。
「あ、お昼だわ。食事の支度しなきゃ」
「なにつくるんだー? ろしーた、にくがすきだぞー」
「お肉かー。保存箱にあるといいね」
ロシータちゃんと掃除用具を片付けて、手を洗ってから台所の保存箱を確認する。
時間停止機能がついてる保存箱は、シルビア様からその機能を説明されても不思議で仕方なかった。
箱の中は時間が止まっているから、入ってるものは基本的に痛まない。
冷たいものは冷たいまま、熱いものは熱いままで、おまけにものすごい量を入れることができるらしい。
ロシ―タちゃんも保存箱に興味津々で、保存箱に手を突っ込む。
「ゆ、ゆみぃ、おっ、おばけのさかなだぞっ!」
ロシータちゃんは保存箱の中から、自分の身長ほどの大きさがある魚を取り出して尻もちをついていた。
「ふふっ、大きな魚だねぇ」
ロシータちゃんは驚き興奮して、保存箱の中身を出したりしまったりを繰り返す。
「ゆみぃ、ゆみぃ、これ、たのしいなぁ! ろしーたな、このはこ、にくで、いっぱいにしたいぞ!」
「うんうん、それはとても素敵な考えだねぇ!」
涎を垂らしながら、保存箱をお肉でいっぱいにすると語るロシータちゃんに私は共感する。
私は狼の獣人だから、ロシータちゃんのお肉に対する熱い想いが理解できた。
ロシータちゃんと保存箱をお肉でいっぱいにする野望が生まれてしまったわ……
なんて素敵な夢なのかしらっ……
ロシ―タちゃんは保存箱からお魚の他にも、アリアさん作と見られる焼きたての特大ケ―キを出して、キラキラした目で眺めていた。
甘い匂いが漂ってきて、私も思わず尻尾を振りながらフンフンと鼻を動かしてしまう。
「保存箱の中って、夢が詰まってるのね……いいなぁ……」
これさえあればルネが取ってきてくれたものを長い期間保存できるし、夜遅く帰って来たルネに、温かいままのシチュ―をすぐに出すこともできるよね。
魔法が使えない私には、保存箱は喉から手が出るほど欲しいものだ。
「何が?」
「わっ! いたんですか?」
いきなり後ろから声が聞こえて、私は飛び跳ねる。
いつの間にかシルビア様が背後に立っていた。
「いっ、いえっ、あのっ……保存箱が、羨ましいなぁと思って」
「なんで?」
「……家にないからです」
保存箱お肉充満計画の事は、なんとなく恥ずかしくて黙っておく。
それなのにシルビア様は、まるで私がおどけた冗談を言ったみたいに不思議な顔をした。
「自分の所有物を羨望するなんて……、面白い子だね」
「え? それはどういう……?」
シルビア様は中指で保存箱をコツコツと叩いた。
「ユミィの家はここだよ? ここにある物は全てユミィのものだよ?」
「んぅ???」
なんだか話が通じない。
ロシ―タちゃんも「ん?」と首を傾げて私たちを見ている。
「ユミィの家は、ここだって思ってほしい……これからもずっと、ここが帰る家だって、思って……」
シルビア様に真剣な目で言われて、ドキドキしてしまう。
私の家……? 私、助けられてお邪魔しているだけよね?
私が戸惑っていると、漆黒の瞳が悲しそうな色を帯びた。
なんでだろう?
「ろしーたは?」
ロシ―タちゃんがシルビア様のソプラヴェステの袖を引っ張る。
「ロシ―タは……まぁ、いてもいいよ」
「んーっ! ろしーたも、かまってー!」
ロシ―タちゃんがムッとしてシルビア様の背中に飛び乗る。
シルビア様の喉に腕が回り、首が絞まったシルビア様が「グェッ!」とうめき声を上げた。
ロシータちゃんとシルビア様がじゃれ合っている。
いつの間に仲良くなったんだろう?
た、たのしそう……! いいな~。
私も飛びついちゃ駄目かしらっ……?
そんなことを考えていると、木の壁に取り付けられたステンドグラスのベルが、緑色に光ってリンリンと鳴った。
「……お客がいらしたみたいだね。もうじき森の入り口に現れると思う」
「え……?」
「ユミィたちも会ってみるかい?」
「は、はい」
「……ん!」
私とロシ―タちゃんは慌てて返事をする。
あのベルは、来客を告げるものだったのね。
シルビア様にちゃっかりおぶさったロシ―タちゃんと外に出ると、私たちのいる屋敷の右隣に、もう一つ木造の建物が出現していた。
「……こんな建物、ありましたっけ?」
「なかったよ。さっき出した。ここは診療所だよ」
出した……? どこから……?
診療所って……?
「これは知ってる?」
シルビア様の手のひらの中に、昨夜私に塗布してくれた塗り薬の瓶がどこからか現れて、また消えた。
もしかして……
「異空間収納、ですか……?」
私の答えに、シルビア様は笑顔で頷いてくれた。
何も無い空間から物を出し入れできる異空間収納の存在は、冒険者をやっているルネから教えてもらっていた。
だから、それ自体には驚きはないんだけれども……
「けど、こんな……建物ごと、入るんですか?」
「入るよ。保存箱はこの魔法を応用して、魔道具にしたものなんだ。同じ魔法だから、容量に制限はないよ」
さも何事も無いような口ぶりで放たれるシルビア様の言葉が、次々と私に衝撃を与える。
ルネの話によると、異空間収納魔法が使える人は本当に珍しいし、普通の冒険者さんはマジックバッグという、異空間収納魔法をかけた袋を手に入れることが夢なんだそうだ。
ただ、マジックバッグの容量にだって、制限はあるらしいよね……
ルネ……世界は私の思った以上に広かったよ……!
ふと、少し前のことを思い出した。
冒険から戻ったルネが、すごい量の岩クラゲを持って帰ってきた時の事だ。
反抗期で冒険者事情はあまり教えてくれなかったけど、マジックバッグは見当たらなかったから……多分、ルネも、異空間収納……持ってるんだろうな……
いつの間にか台所に山のように岩クラゲが出現して焦ったのよね。
あの時はどこから出したのか不思議だったけど、ルネめ……早く教えてよね。
教えてくれたら、ルネが長期クエストを受ける時、温かいス―プ鍋ごと持たせる事ができたのにと思って、ちょっと悔しくなる。
それにしたって、こんなに容量がある異空間収納を持ってるって、すごい事なんじゃないのかしら?
(シルビア様も、ルネも、謎が多いなぁ……)
不思議に思いながら、シルビア様が言っていた森の入り口を確認すると、獣人のお婆さんが杖をつきながら歩いて来るのが見えた。