第17話 新しい生活2
部屋を出て、身支度を整えようと洗面所へ向かう。
クンクンと匂いを嗅げば水場の位置がわかるので、説明されなくても屋敷の大体の間取りを把握できた。
この木造の屋敷は2階建てで、吹き抜けになってるのね。
昨夜見た屋敷の外観よりも、中身はすごく広い気がする。
洗面所とお手洗いが1階と2階それぞれにあって、お風呂と炊事場は1階。
私のいたところは1階奥の部屋だった。
その隣の部屋も人が使っていた匂いがしなかったから、客間だったのかな? と思うけれど、シルビア様は昨夜何故かそこで寝ていたのよね。
2階の一室から薬草と薬品と、彼女の匂いを濃く感じるから、きっと、いつも2階の端の部屋で彼女は寝起きしているはずだけど……
どうして、昨日は隣の部屋で眠っていたのかな……?
もしかして……私が客間にいたから……? なんて、そんなわけないか……
こういうの自意識過剰っていうのよね……
自分で否定して、少しがっかりする。
がっかりしていることに戸惑いながら、考えを振り払うように洗面所で顔を洗った。
洗面台にあったタオルで顔を拭いて身支度を整えると、炊事場の隣の食事室兼居間へと向かう。
朝の光が暖かく居室に射していた。
大きな食台には籠いっぱいのパンやサラダ、スープの入った鍋、刻まれた野菜が入ったオムレツや果物が、木のお皿と一緒にところ狭しと並べてあった。
「わぁっ、おいしそう!」
嬉しくなって思わず声を上げてしまう。
(アリアさんが用意してくれたのね。ありがたいなぁ)
嬉しくなって尻尾をフリフリしていると、窓辺で何かが身動きする。
食台のそばの大きな出窓の窓枠に、昨日一緒に助けられた赤毛の女の子が座っていた。
女の子は先に身支度を終えたようで、緑のワンピースがよく似合っていた。
檻の中では10歳って言っていたけど、女の子はとても小柄で5歳くらいに見えた。
赤い髪はふくらはぎにつくくらい長く、後ろ側がはねていて、朝日に照らされてキラキラと輝いている。
瞳も髪と同じ美しい紅玉色で、白い肌によく映えていた。
昨日はシルビア様の印象が強烈すぎて気づかなかったけど、この娘もとても綺麗な顔をしている。
「おはよう。よく眠れた? 体の調子はどう?」
私は尻尾をフリフリするのをやめて女の子に近づく。
「……ん!」
小柄な女の子は短く返事をすると、こくりと頷いた。
その様子が小さな火の妖精みたいで可愛らしい。
「あの……私、ユミィっていうの。あなたのお名前は?」
問いかけると、女の子は窓枠からピョンと飛び降りる。
思いがけず元気な声が返って来た。
「ろしーた、だぞ! あのなぁ、ゆみぃ、きのうは、なんで、みんな、おうたうたうところにいたんだー? ろしーたは、うたわなくて、よかったのかー?」
「お歌……? ……あ、そっか、歌劇場だったから……かな? ……う~ん……そうだね……なんて言えばいいのかな……」
ロシータちゃんは自分が闇オークションにかけられたという事を、よく理解していなかったのかな。
(それも仕方ないよね……)
捕まってすぐに隷属の首輪をされて、檻に入れられて……こんな小さな子が混乱していない方がおかしいもの。
ロシータちゃんは怖がるかもしれないけれど、自分がいた状況を少し知っておいた方がいいかもしれないわね……
「……あのね、ロシータちゃん、私達は、その……悪い人に捕まって、売られそうになったんだよ……」
自分で言って少し落ち込んでくる。
獣人に生まれた事で、こんなひどい目に遭っているのが悲しかった。
捕まってからのことを思い出すと、今ここにいられるのが不思議でならない。
「わるいひとー? どんなひとが、わるいんだー?」
ロシータちゃんは不思議そうに首を傾げて私を見つめる。
「うーん……何て言ったらいいのかな……」
ロシータちゃんは奴隷商人に捕まってから、闇オークションにかけられたまでの事を、そんなに怖い事だと思ってなかったのかな……?
……だとしたら、色々説明してしまうのは、小さな子にいたずらに恐怖を植え付けてしまう事になるのかもしれない……
思い直して戸惑っている私の耳に、可愛い音が聞こえてくる。
クゥッ
神妙な顔をして私を見つめるロシ―タちゃんのお腹が鳴った。
ロシ―タちゃんのほっぺたが徐々に赤くなっていき、恥ずかしそうな顔になっていく。
「お腹、空いたよね? ロシータちゃんだけ先に食べてようか?」
「いいっ! ろしーた、おねえさんだから!」
「そっか……私達が起きてくるのを待ってくれていたのね。ロシータちゃんは偉いね」
私が言うと、ロシータちゃんはちょっと誇らしそうに胸を張り、満足げに笑った。
その様子が、大人の真似をして背伸びしたがる子供そのもので微笑ましくなってくる。
(可愛いなぁ……)
妹がいたら、こんな感じなのかな?
「あの、昨日は、怪我を治してくれてありがとう。お陰で痛みが取れたの」
「!」
私がお礼を言うと、ロシ―タちゃんはとてもびっくりした顔をする。
「ろしーた、ゆみぃの、ち、ぺろぺろしたんだぞ! いやじゃ、ないのかー?」
「ん? 別に嫌ではなかったよ。私は獣人だから、舐め合いはそんなに気にならないかな」
獣人は親しい相手と挨拶代わりに匂いを嗅ぎ合ったり、お互いを舐めたりということをたまにすることもあるのよね。
ロシ―タちゃんも獣人なのかもしれないけれど、特徴がほとんどないから人間に見えるな。
でも、よく見ると手足の先に少しだけ滑らかな鱗のようなものが見えた。
傷を舐めてくれた長い舌や、口の端から見える牙からすると、トカゲの獣人なのかもしれないわね。
(仲良くなれたら色々聞けるかな?)
その想像にわくわくする。
私は他の人と関わることがとても好きだ。
特に、子供が好きなのかもしれない。
(ロシータちゃんを見ていると、とても気持ちが和むのよね)
私がそんなことを考えていると、ドアの開く音がして、目が半分閉じたシルビア様が寝着のまま姿を現した。
「ユミィ、おはよう……あれ……? アリア……アリアは?」
おもむろに声を出したシルビア様は、まだ半分眠っているような気がする。
ちょっと隙があるような感じが、また魅力的に見えるのは何故だろう。
「おはようございます、シルビア様。アリアさんなら、もう行っちゃいましたよ?」
ぼんやりとしてふらふら歩くシルビア様は、昨日の闇の精霊のような人と同じ人物だとは到底思えなかった。
「……久しぶりに会えたのに……」
シルビア様は脱力して食台の椅子に腰かける。
突っ伏してまた寝ようとするのを、私は慌てて止めた。
「シルビア様、今寝たら、もう朝ごはんじゃなくなっちゃいますよ!」
「……」
シルビア様の肩に手をかけて、優しくゆすってみる。
「シルビア様、お疲れなのはわかりますが、身支度して朝ごはんいただきませんか? アリアさんがせっかく作ってくれたス―プが冷めちゃいますよ」
「うう……眠いよ……眠いよ……」
シルビア様が駄々っ子のような声を上げるのに驚いてしまう。
「シルビア様、顔を洗って着替えてきましょうね」
「いやだよぅ……眠い……」
シルビア様が左手を振り上げると、彼女の体がキラキラした光に包まれていく。
シルビア様がサッパリした表情になったので、浄化魔法を使ったのだと理解する。
シルビア様、顔を洗いに行くのが面倒で、魔法を?
魔法って、そんなに気軽に使うものなのかな?
「シルビア様、服も着替えないと」
「ん――」
再び手を振り上げると、寝着が一瞬で黒い詰襟のソプラヴェステに変わった。
す、すごいっ……なんて便利なんだろう……
だけど、いつも魔法を使っていたら、私だったら怠け者になってしまいそうだ。
身支度を終えても、シルビア様の目は半分閉じていた。
私はス―プ鍋から木の皿にス―プをよそり、シルビア様とロシ―タちゃんの前に並べていく。
熱い湯気が立った魚介類の入ったクリームスープからは、食欲をそそられる匂いがしてくる。
「ゆみぃ、ゆみぃ、たべても、いい?」
ロシータちゃんが目を爛々とさせて、涎を垂らしながら聞いてくる。
私たちが来るまで我慢させてしまったのね。
沢山食べてほしいわ。
「うん、いただこうか。いただきます!」
「いっただきー!」
ロシータちゃんが満面の笑みでオムレツを食べ始める。
オムレツを食べる合間に、長い舌が伸びてパンを絡め取り、次々と口に運んでいった。
私とロシータちゃんが揃っていただきますをしたのに、シルビア様は動く様子がなかった。
シルビア様、まだ半分夢の中にいるのかな?
「あのっ……シルビア様、召しあがってください」
「う~ん……むりぃ……」
シルビア様が私の方に身を寄せる。
私の肩にシルビア様の頭がコテンと載り、花の香りがしてドキッとする。
「だ……だめですよ、朝ごはんは一日の糧ですから!」
私が言うと、シルビア様は一瞬大きな目を開けて、甘えるような声をだした。
「じゃあ、……食べさせて?」
「…………はいっ⁇」
「……あ~ん、して?」
(……な、何を言っているの……?)
シルビア様は眠そうに目を閉じたまま口を開ける。
ロシ―タちゃんがパンでいっぱいの口をモグモグ動かしながら、不思議そうにこちらを見ていた。
「ロ、ロシ―タちゃんも呆れてますよ!」
そうよね……子供だって自分で食べるんだから、シルビア様だって……
と思うのに、シルビア様は桜色の唇を開いたまま動かない。
固まる私に、シルビア様はそっとスプ―ンを押し付ける。
「……」
仕方なく受け取ってしまったけど……
「……今日だけ……ですからね?」
「うん……」
スプ―ンでス―プを掬って飲ませると、シルビア様の形の良い唇が濡れて、白くて細いのどが嚥下する。
「……美味しいよ、ユミィ」
シルビア様が嬉しそうに微笑む。
赤らめた頬に半分開いた目と口は妙に蠱惑的で、心臓に悪い。
「あのっ……シルビア様、じ、自分で食べませんか?」
「や―だ。ユミィに食べさせてもらうのがいいの」
おねだりするように言われて、私も強く断れなくなってしまう。
うーむ……どうやら自分で食べてもらうのは難しい……のかしら……
アリアさんなら、どうしてたんだろう……?
「……あの……そういえば、アリアさんから、『しばらく来れないからちゃんと自分の事は自分でしなさい!』と伝言をたのまれました」
「そうだったんだ……あ―ん」
シルビア様はアリアさんの伝言を無視して二口目をせがむ。
私は仕方なくシルビア様の口にス―プを流し込んだ。
あ、そういえば私、まだ自分のぶん食べてなかった……
「アリアには……しっかり者の妹には、私にできない事をしてもらってるんだ」
「できない事って?」
「家事全般、主に炊事かな。掃除、洗濯は自分でなんとかできるけど、料理……料理は……」
「……料理、2回言いましたね? それだけ苦手なんですか?」
悲しそうな顔をして頷くシルビア様にス―プを流し込む。
(あれだけの魔法が使える人が?)
シルビア様は何でもできるように見えるから、にわかには信じられなかった。
「ふふっ……こういうの、いいね」
シルビア様が嬉しそうに微笑む。
「こうやってユミィに食べさせてもらうのは、なんて幸せなんだろう!」
「は、はぁ……?」
にこにことはしゃぐシルビア様は子供の様で、昨日盛大な魔法を使ったとは思えない。
シルビア様に朝食を与える間に、私もやっとス―プを口にする。
「お……美味しい! アリアさんて、料理上手なんですね!」
「うん。アリアのお陰で美味しい物が食べられるんだ」
シルビア様がしみじみと言う。
……本当にお料理が苦手なのね。
ロシータちゃんに目を向けると、頬っぺたを赤くして、とても幸せそうに食事をしていた。
「ロシ―タちゃん、美味しいね!」
「うん! おいしーぞー!」
ロシ―タちゃんの空になったスープ皿に鍋からお代わりを注ぐと、口いっぱいにパンを頬張ったままニッコリと笑ってくれる。
よし、私も食べるぞー! と思っていると、隣から視線を感じた。
「あ―ん」
見ると、シルビア様が口を開けて待機していた。
その姿は鳥の雛が餌をねだる様子にあまりにもそっくりだった。
ま、また……?
……もぅ……仕方ないなぁ。
シルビア様にご飯を与え続ける私を、ロシ―タちゃんが目を丸くして見ている。
なんだかとてもいたたまれなくて恥ずかしかった。
自分で食べてもらわなきゃ……と思うのに、シルビア様が甘えてくるのが可愛くて、心のどこかで嬉しく思っている自分がいた。