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第15話 隠者の住処(すみか)2

 シンとした真夜中の空気が、急に冷たくなった様に感じる。

 彼女の言った言葉の意味がわからなくなる。


 聞き間違い……?


「殺す……? え……?」

「ユミィを意図的に傷つけた者は、生かしてはおけないよ?」


 一瞬、シルビア様の瞳が金色に光った気がして見入ってしまう。

 何となく冗談を言っているようには聞こえなかった。


「は? え? そ、そんな! 私のためにシルビア様が手を汚す事なんてありません!」


 シルビア様は何を言ってるの?

 私を守ってくれてるのはわかるけど、冗談にしても過剰じゃないかな?


 私の言葉にシルビア様はふと動きを止め、微笑む。


「ユミィは優しいね」


 シルビア様が薬を塗ってない手で頭を撫でてくれる。

 何となくその手触りに懐かしさを感じた。


「い、いえ……」


(冗談……よね?)


 たかが獣人を傷つけただけの人間を、同じ人間であるシルビア様が殺すなんて普通ならあり得ない。

 獣人を下等な生き物だと思っている人間は多いから、人間と獣人との間には深い溝がある。

 こうして助けられて手当てしてもらってる事だけでも獣人(わたし)にとっては奇跡なのに。


「ここ、罠にかかったの? それで捕まった?」


 シルビア様の細い指が、私の右足をなぞる。


「あ、はい。で、でも、この子が舐めて癒してくれたので、もう痛くはないです」


 隣の寝台で寝ている赤髪の女の子を見る。

 すやすやと眠る顔はあどけなくて、見ていると気持ちが和んだ。


「ふ―ん……」

「シルビア様?」


 ふいにシルビア様から冷気が漂ってきた気がする。


 え? え? どうしたの……? 何か、怒らせた?


 彼女の指先が急に冷たくなり、驚いて声を上げてしまう。


「あっ……!」


 自分でも驚くほど大きな声が出てしまい、顔が火照る。


「……」


 いつの間にかシルビア様から漂う冷気は無くなり、暖かな春のような空気に包まれる。


「ご……ごめんなさい……」


 なんだかとても恥ずかしくて、声を上げてしまったことを謝罪する。


「ん? どうしたの?」


 素知らぬふりをしてくれているシルビア様の指を、心地よく感じているなんて言えない……


「い……いえ……」


 シルビア様に問いかけられて、私は目を逸らしながら俯いた。

 シルビア様は薬を塗ってくれてるだけなのに、彼女の指の感触を敏感に感じる。

 シルビア様の白魚のような優美な手指が、私の茶金の毛を丁寧に撫でる。

 薬と一緒に魔力も体内に入ってくる気がする。


 ……魔力を入れた方が治りが早いのかな?


 ペットリと薬をつけられて新しい傷から古い傷までシルビア様は治してくれる。

 女の子が舐めてくれた右足も、上書きされる様に治療された。

 全身の傷がじんわりと温かくなったと思ったら、跡も残らず綺麗に消えていく。


「すごい……薬ですね……」


 こんなに素晴らしい効能の薬なんて、今まで見た事もない。


 どれだけ価値のあるものなのだろう……

 流石にこんな高価なものを塗ってくださったんだもの、治療費を払わないわけには……

 私、お金払えるかな?


「ありがとう」

「え?」

「この薬、私が作ったんだ」


 嬉しそうにシルビア様が笑う。


「ユミィに褒められると、誰に褒められるよりも嬉しいな」


 少し照れているシルビア様は、あどけなくてとても可愛い。


「シルビア様が?」

「うん。私は趣味で薬師もしているんだ。ユミィに飲ませた薬も私が作ったんだよ」


 言われて、歌劇場で口づけされた事を思い出す。

 シルビア様の魔力が混じった甘い薬の味が(よみがえ)ってくる。

 途端に心臓がバクバクして体がカッと熱くなる。

 シルビア様の魔力が全身を包んだ快感が戻ってきてしまう。


(だ、だめ!)


 気が抜けない歌劇場(オペラハウス)では大丈夫だったけど、このままシルビア様のそばにいるとっ……!


 私の人間の鼻は犬の鼻に近くなり、白い肌は指先から徐々に茶金の毛に覆われる。

 獣人は人間と獣の混ざった姿をしていて、私の見た目は普通にしていれば耳と尻尾があるくらいで人間に近い方だ。

 けれど興奮すると獣に近くなり、発情すると獣そのものになってしまう。


 シルビア様の前でこんな姿になってしまうなんて……!


 恥ずかしい……


 私の垂れた耳元にシルビア様の息がかかる。


「ユミィは、可愛いね……食べてしまいたいくらいだ……」


 おでこにチュッと口づけされる。


「!!!」


 彼女の甘い匂いが頭の中いっぱいに広がって、私は限界を超えてしまう。

 シルビア様にとどめを刺され、私は狼の姿に変身した。


「いやぁ。見ないで!」


 私は丸まって頭を抱えた。


 や、やだよぅ……

 興奮して獣化してしまうなんて……


 自分から獣化したんじゃなくて、本能に抗えなくて獣化してしまったことがすごく恥ずかしい。

 穴があったら入りたい気持ちになって伏せていると、シルビア様から震えが伝わってくる。

 チラッと見ると、肩を震わせて笑いを堪える彼女がいた。


「わ、わざとですね? わざとやったんですね⁉」


 恨みがましく抗議する。


(私の恥じらいを返してほしいよ……)


 グルルと唸りたいのに、キュンキュンという気の抜けた声しか出ない。

 それがまたシルビア様の笑いを誘っているみたいだった。


「ごめんね……」


 クスクスと微笑ましそうに笑うシルビア様が、私の左足を不思議そうに見つめる。


 左足が歪んでる事、シルビア様に気づかれちゃったかな……


「……ここは、どうしたの?」

「こ、これは……昔、崖から落ちた時に怪我して……街の診療所で診てもらっても治す事ができなくて……」

「痛くないの? すぐに治すよ」

「あ! 待って! 大丈夫です! 私、気に入ってるんで!」


 怪訝(けげん)な顔をしたシルビア様に慌てて説明する。


「怪我を治さないなんて、変……ですよね? でも……なんとなく治したくないんです」

「……そう……」


 この怪我のせいで、私は上手く走れない。

 だけどそんなことどうでもいいくらい、この怪我が気に入っていた。

 自分でもなんでかよくわからないけど、この足を治してしまったら、大事な何かを忘れてしまいそうな気がする……


「ひ……っ⁉」


 そんなことを考えていると、シルビア様の指が左足の古傷をなぞった。

 その途端、シルビア様がはっとした表情になる。

 何かに気づいたように歪んだ左足をじっと見ていた。


「シルビア様……?」

「何でもない……着替えようか」


 シルビア様が指を鳴らすと、私と赤髪の女の子の奴隷服が、一瞬で真新しい寝着(ナイトドレス)に変わる。


「……続きは、また明日ね……」

「は……はい……」


 ドキドキする治療が終わってホッとする。

 緊張が解けると、私の体は徐々に元の人化した姿に戻っていく。


 よ……よかった……緊張しっぱなしだったな……

 でも……『また明日?』


 体の表面からじんわりとシルビア様の魔力が染み込む感覚。

 傷を撫でる柔らかくて真っ白な細い指。

 耳もとで囁かれる蠱惑的な声と、彼女の匂いと交じり合った薬の香り。


 思い出す度に私の耳はこれ以上ないほど垂れていく。


 うう……もう充分だわ……

 こんな刺激には耐えられません。


 精神力を使い果たした私に、シルビア様が異空間収納から出した薬湯をゴブレットに注いで渡してくれた。


「あ、ありがとうございます……」


 ガラスのゴブレットに入った薬湯は、不思議な琥珀色をして煌めいている。

 蜂蜜と柑橘の味がする薬湯はとても美味しくて、一口飲む度に全身の疲れが消えていった。


 光魔法が入ってるみたい……


 薬湯を飲み干すと空腹だったはずなのに、お腹もいっぱいになった。

 お風呂上りのように暖かくて、満たされていて、瞼が重くなってくる。


「横になるといいよ」


 シルビア様が私から空になったゴブレットを受け取って、横になるように促してくれる。


「あ、ありが――」


 横になってウトウトする私のお腹をシルビア様の美しい手が一撫でした。


「!」


 クスッと笑いながら、驚く私に上掛けを優しくかけてくれる。


「おやすみ、ユミィ」


 その声が眠りにつく子をあやす母親のようで、体の力が自然と抜けていく。


「お……おやすみなさい……シルビア様」


 シルビア様がそっと部屋を出ると、魔道ランプの灯りもゆっくりとひとりでに消えていく。


(そういえば、シルビア様……奴隷商人の事「殺さないよ」って言ってない……)


 その事実に気づいた。


 まさかね……私たちに、あんなに優しくしてくれたんだもの……

 彼女がそんな事するはずないよね……


(シルビア様の香り……懐かしい……)


 夢の中のあの子と、同じ匂いがする――


 薬湯は私を夢の中に押し入れた。


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