第14話 隠者の住処(すみか)
彼女に連れられて来たのは、深い森にある木造の可愛らしい屋敷の入り口だった。
月明りが森と屋敷全体を照らしていて、夜だというのにとても見晴らしがいい。
満天の星空が、逃げられた私たちを祝福するかのように瞬いている。
「ここが、私の住んでいる屋敷だよ。どうぞ、入って」
「あ、は、はい……お邪魔します」
初めて転移魔法を体感した私は、少し頭がぼうっとしていた。
遠い空間と空間をあっという間に行き来できる魔法……
転移魔法というものの存在を聞いた事はあるけれども、使える人に出会った事は無かった。
だから、物語の中だけの魔法だと思っていたのに――
街の喧騒は消え去って、風に揺れる木々の音が聞こえる。
足を踏み入れた屋敷の中は、魔道ランプが暖かく部屋中を照らしていて、外から見るよりだいぶ広いのだとわかった。
暖炉には魔法の火が暖かに揺らめいて、春の夜の寒さを感じさせない。
簡素な木の家具は私の実家を思い出させ、部屋に広がる木の匂いが安心感を与えてくれる。
(彼女と同じ香りだ……)
奥の部屋に入って行くと、中は寝台とクローゼット、壁の鏡と時計だけがあるシンプルな部屋だった。
彼女は二つある寝台の片方に赤い髪の女の子をそっと横たえる。
彼女が女の子の体に手をかざすと、女の子の全身が水色の清らかな光に包まれる。
女の子の手足についた汚れが消え、全身が一瞬で清められたことがわかった。
水色の光は金の光に変わり、女の子を温める。
温かな光が私まで癒してくれるように感じる。
これ……浄化魔法と回復魔法だ……
それも強い光魔法――
光魔法を使える人は上位貴族や王族、神官といった人たちだって聞いたことがあるけど……
この人は、とても身分の高い人なのかな……?
ううん、そんな事よりも――
(なんて清澄な魔力なんだろう……)
彼女の魔力は闇オークションにいた鑑定士たちとは全く異なるものだった。
清らかで澄み切っているのに、優しく包んでくれるような――
(まるで、暁の光みたい……)
私もこの光に包まれたい――
光に癒された女の子の顔は血の気が戻っていた。
疲れからか女の子はかなり弱ってたみたいだった。
私もそれに気づいてたけど、何もできなくて歯痒かった。
彼女が女の子も保護してくれたことがすごく嬉しい。
「怪我はないみたいだよ。体力が落ちていたから、少し回復もしておいた」
「あ……ありがとうございます」
お礼を言いながらも、頭の中で治療費を計算してしまう。
私が昔大怪我をして街の治療院で治療してもらった時は、すごくお金がかかったらしい。
父さんも母さんもルネも何も言わなかったけど、食べるパンは小さくなって生活はカツカツだった。
治療費って、いくらくらいなんだろう……?
治療費の他……助けてもらったお礼は?
獣人の間で有名な魔法師さんだって言ってたから、信じられない程高いんじゃあ……
(そもそも、何で私を……私たちを助けてくれるの?)
私の知り合いの可能性はあるのかな……?
……ないない、こんな綺麗な人、会ったら絶対覚えてるもん……
色んな事に考えを巡らせていると、彼女が私に向き直る。
「さあ、次はユミィの番だよ」
「は? い、いや……わ、私は結構です!」
部屋の隅まで逃げる私を、彼女がじりじりと追い詰める。
「シ……シルビアさん……シルビア様。私はもう治療されてますし、本当に結構ですから……」
「シルビアでいいよ。“様”はいらない。ユミィは怪我してるよね? きちんと治療しなくちゃ、駄目だよ?」
思わず後ずさると、背中が木の壁に押し付けられる。
シルビア様の左手首から肘が、私の顔の右側の壁にそっと触れた。
美しい顔がびっくりするほど近くにあって、心臓がバクバクとうるさくなる。
「さ……“様”をつけた方が、私の気持ち的に楽なんです……貴女は命の恩人だし、年上? ですよね?」
彼女のどこか優雅な立ち振る舞いは、平民のものとは明らかに違うから、自然と丁寧な言葉で話しかけたくなる。
「私は17歳だよ。ユミィは15歳くらい?」
「ええ……あってます。そのっ……私、治療費を払う余裕がないんです……!」
恥ずかしながら私は貧しい。
だけど、今はそれを正直に言うしかない。
赤髪の女の子の治療費だけで、多分私が貯金しているお金全部かかると思う。
もしかしたら足りないかもしれない。
私も体の節々が痛いけど、これ以上治療にお金をかけられない。
じっと見つめるシルビア様に手首を掴まれる。
「ユミィから治療費なんて取ると思う? 傷、手当てしようね?」
治療費、取らないの……?
というか何でそんなに嬉しそうな顔してるんだろう……?
シルビア様にニッコリ笑われて、治療に応じる事にする。
彼女の頬はほんのり桜色をしていて、闇の精霊のような冷酷な雰囲気はもう微塵も無かった。
シルビア様がどこからか塗り薬の入った瓶を取り出して私に呼びかける。
「横になって」
私はおずおずと寝台に横になった。
シルビア様の手が体に触れるか触れないかの所に近づく。
彼女の手が私の体の上を撫でるように移動する。
赤髪の女の子を浄化した時より、ゆっくりと時間をかけてくれてるみたいだった。
水色の清浄な光が体の表面の毛の一本一本の汚れから、体内の悪いものまで取り去ってくれるように感じる。
(あ……)
望んでいた浄化魔法だったので、とても嬉しくなる。
彼女の清らかな魔力が私の全身を包んで、ゾクゾクとした快感が背中を走る。
(気持ちいい……)
森の中で霧のシャワ―を浴びているみたい。
光が消えると、お風呂に入ってもここまで綺麗にならないというほど清潔になっていた。
疲れまで消えてしまった様で、さっぱりしてすごく気持ちがいい。
「君の傷、全部消してしまっても、いい?」
「え……あ、はい。お願いします」
シルビア様は瓶から塗り薬を指にすくうと、私の顔の傷に塗っていく。
塗り薬は爽やかな柑橘系のいい香りがした。
顔を撫でる指が、柔らかくてくすぐったい。
「ここ、殴られたの? 酷い事をする……」
「はい……でも、もう痛みはありませんから」
「誰に殴られたの?」
「奴隷商人のゴルズです……」
薬を塗られた場所から、殴られて腫れた頬の痛みが引いていく。
切れた口の端もあっという間に元の綺麗な皮膚に戻ったのに驚く。
「もう大丈夫だよ。後で殺しておくからね」
「え……?」
シルビア様の不穏な言葉が部屋に響いた。