第12話 時魔法師
彼女の今にも泣きそうな、微笑んでいるような表情がなんだかとても痛ましくて目が離せない。
泣いているのは私なのに。
彼女を見ていると信じられないほど胸が締め付けられて苦しい。
客席から舞台上への見えない空気の階段を魔法で作り出した彼女は、ゆっくりとそれを登って私の前に立つ。
長いまつ毛に縁どられた星月夜の瞳は、とても優しいものに変わっていた。
「やっとみつけた……」
(なんて切ない声なんだろう……)
彼女の声に鼓動が高まる。
彼女が私の首にそっと左手を伸ばす。
触れもしないのに隷属の首輪は外れて落下し、鈍い音を響かせる。
鍵がないと外れないはずなのに……
今、何の魔法を使ったの?
魔道具の力から急に解放された私は、考える間もなくその場に崩れ落ちた。
気力だけで立っていたから、足が震えて立つことができない。
倒れる私を彼女の腕が支える。
緊張の糸が切れて何もできない私を、彼女が優しく抱きしめてくれる。
彼女から深い森の香りがする。
ずっと包まれていたい、心を癒してくれる香り……
「大丈夫?」
応えたいけど、喉を焼かれていて声が出ない。
「もしかして、声が出せないの?」
私の様子から察したのか、彼女に優しく聞かれる。
頷く私の瞳から涙が一粒零れ落ちた。
やだな。恥ずかしい。
こんな子どもみたいな顔、見せたくないのに……
彼女が腰ベルトに付けていた小瓶を取り出す。
小瓶には水薬のようなものが入っていた。
「飲める? 声を出す薬だよ」
小瓶を口に運んでもらうけど、焼かれた喉の痛みでむせてしまって水薬が上手く飲み込めない。
私は力無く首を振った。
一瞬、彼女が無表情になる。
「そう……少し、我慢して……ね?」
彼女を不快にさせてしまったのだろうか――と思っていると、自ら薬を口に含んだ彼女に口づけされる。
「んっ……」
薬と一緒に彼女の魔力が口内に入ってきて目を瞠る。
口の端から水薬が零れ落ちた。
「……ふっ!」
やっと引き離されたと思ったら、また再び口移しされる。
口内にじんわりと薬と魔力が広がっていく。
彼女は何度も薬を口に含んでは私に飲ませる。
お陰で、最後の一滴まで飲み干すことができた。
「……あっ……」
やっと戻った声は少し上ずっていた。
恥ずかしさで自分の顔が真っ赤になってるのがわかる。
彼女の魔力は甘い蜜のようで頭がクラクラしてくる。
彼女の瞳も潤んで、頬が桜色に染まっている。
恐怖で出たのではない涙が、彼女に拭われる。
どうして……? ……慰めてくれるの?
体に力が入らない。
獣化しそうになるのを必死に堪える。
どうすればいいの……?
涙目になる私を、細い腕が不自然なほど簡単に抱き上げる。
(身体強化……?)
使う者の力を何倍にもしてくれる、優れた魔法……
様々な魔法を使いこなす彼女は魔術師……?
「さ、帰ろう?」
当然のようにそう言うと、私を抱き上げて歩き出す。
お姫様抱っこにとてもびっくりするけど、今はそんなことに驚いている場合じゃない。
「あ、あの……他の獣人たちは?」
やっと出せた普通の声も少し裏返っている。
「他の獣人…… ああ、彼らね……彼らがどうかした?」
「た……助けてあげてください!」
「……君には何の関係もないのに?」
彼女は興味深そうに私を見ている。
ここにいる獣人皆を助けたのが彼女だってわかったら、恨まれるのは私ではなく彼女だ。
とても迷惑をかけてしまうかもしれない……だけどっ……!
(他の獣人を見捨てる事はできないわ……)
「そっ……それでも……お願いします!」
今ここで、私だけ助かってみんなを置いていくわけにはいかない。
そんなの、卑怯だわ……
私の真剣な様子に、彼女の表情が不意をつかれたようなものになった。
「……いいよ……」
彼女は私を抱いたまま目を閉じ、小声で何か複雑な長い呪文を呟いている。
彼女の伏せられた睫毛がとても長くて、意外に童顔で驚く。
綺麗なのに、すごく可愛らしい顔をしていて不思議な魅力があるな……
呪文の詠唱が終わったことにハッとして、目を逸らす。
(私、何を考えているの……?)
胸の鼓動が激しくなる。
皆を助けてもらっているのに、彼女の美しさにみとれるなんて私は馬鹿だ。
「終わったよ……さあ、帰ろう」
「え、終わったって、一体?」
「会場中を見てごらん」
(え? 会場?)
獣人を買い付けに来た人たちの横には、よく似た顔の子どもがいる。
自分の子と一緒に競売に来ているようだった。
そのどの子も、子どもとは思えないほど残忍な笑みを浮かべていた。
「ここに来ているほとんどの人間が、自身の子を連れて来ている。何の為だと思う?」
「な……何のためって……それは……」
(自分の子にも、闇オ―クションを体験させる為……?)
「そう……彼らは、自分達の子に獣人の買い付け方を覚えさせに来た。取引の仕方も。競りを覚えた闇オ―クション常連の子たちは、おもちゃ屋に来る感覚で、自分に合う獣人を買いに来ているんだよ」
「そんな……ひどいっ……」
言われてみれば、どの子もこちらを侮蔑するような嫌な目をしている。
まだ10歳にも満たないような子たちが、獣人を物のように扱うんだ……
背筋がゾッとして、悲しくて涙が止まらない。
彼女は私をおろし、なだめるように背中を撫でてくれる。
「大丈夫だよ。もう、終わったから」
「え……?」
「競り落とされた獣人と、競り落とした人間の子供の、魂を交換した。時を動かせば、彼らは入れ替わっているだろう」
歌劇場に彼女の静かな声が響いた。