番外編 君を捜して3
迷いの森を作り上げた私は薬師として活動しながらユミィの捜索を続けていた。
怪我した獣人の子がこの世界でどうなるか……
もしもユミィが保護されていなかった時の可能性を考え、定期的に奴隷競売、奴隷商人の住処を見て回る。
私の住むルビスティア王国では奴隷の売買は法律で禁じられているが、裏ではまだしきりに行われていた。
周辺国では奴隷売買は禁止しておらず、ルビスティアで捕らえられた獣人が他国で売買されることはざらにあった。
闇競売が行われている会場を突き止め、居合わせた人間達を魔法で眠らせ獣人を解放する。
怪我をしている獣人は治療して、捕縛した人間達は街の衛兵へと突き出した。
獣人達は感謝してくれるが、再び罠に陥り捕まる者も多い。
捕らえた人間達も権力を笠に着て牢を抜け出し、こちらを逆恨みして凝りもせずにまた奴隷売買に手を染める。
奴隷の引き渡しリストを探っても、ユミィと特徴の被る獣人を見つけることはできなかった。
ユミィは死んではいない。
であるならば、家族かそれ以外の者に保護され今は穏やかに暮らしている可能性がある。
だとしても、私とユミィの間に目に見えない認識を阻害する強力な呪いがあれば、それがユミィを見つける妨げになる。
私のしていることは何の意味もないのかもしれない……
「あれが私の家よ! お母さん! ただいま!」
助けた獣人の子の治療を終え家へと送り届ける。
中から出てきた母親は泣きながら子供の名前を呼び抱き締めていた。
「お母さん、痛いよ。……あのね、あの人が助けてくれたんだよ! シルビアって言うの!」
「……シルビアって、あの……!」
母親は子が指差した私に目を向けると驚いたように目を見開いた。
私は一礼して姿を消すと、離れた場所に出現させておいた移動式家屋に入り、そのベッドに沈み込んだ。
ユミィを捜す為に作った移動式家屋はもはや傷ついた奴隷達の診療所になっているが、役立っているのならそれでいい。
堂々巡りに嫌気が差しながらも、私の名は獣人達の間で高まっていった。
だが同時に、私は限界を感じていた。
「ユミィ……ユミィ……どこにいるの……。君のいない世界は、なんて冷たいんだろう」
先程助けた獣人の少女がユミィなら、私は今頃その毛皮に顔を埋めていたかもしれない。
茶金色の髪は光に当たると黄金に輝き、慈愛に満ちた紫の瞳は見ているだけで心を癒してくれる。
「……私もユミィに抱き締めてほしいよぅ……」
ユミィに似た縫いぐるみを抱き締めるとボロボロと情けなく涙が零れ落ちる。
薬師や魔法師なんて肩書きだけが立派になっても、本当の私は泣き虫なままで、強くなんてなれない。
ユミィを求める気持ちが、私の頭を狂わせようとしている。
足元から迫ってくる闇の魔力を振り払うと、本棚にある禁書を手に取った。
魔法学園の書庫に厳重に保管されていた禁書――
時魔法――
数多の魔法使いが研究し、使用しては失敗してきた魔法。
禁書には時魔法が載っている。
私もまた禁忌の魔法へ手を出したのだ。
闇競売で奴隷達を救出する際、一定時間時を止め獣人達と主催者、購入者側の人間と魂を入れ替える。
人間と体を入れ替えられた獣人を複製したもとの身体に戻すと涙を流して喜ばれた。
私が直接手を下すことなく、闇競売で益を得る者達は身を滅ぼしてくれる。
一瞬のうちに身体が入れ替わることを獣人達は時間が止まったようだったと気づいていた。
その話は瞬く間に広まり、彼らの間で私は時魔法師と呼ばれるようになっていた。
確かに、短い間時を止めることは成功している。
しかし、自分自身が過去に戻ることはできるのか――
過去に戻った多くの魔法使いは、過去の自身に関わる運命を壊してしまい、生まれてくることすらできなくなったとも聞く。
魔法使いが過去に戻る事自体が、大きな事象の揺らめきをその空間にもたらすのだ。
『過去に戻った魔法使いが一輪の花を摘んで未来へと戻った時、魔法使いがいた国は滅んでしまいました……』
ベッドの中で目をこする小さなアリアを見ながら、読み聞かせていた絵本を閉じる。
『どうして、そのくにはほろんでしまったの?』
『それはね、魔法使いが摘んでしまった花は、ある病気の特効薬だったからなんだ』
魔法使いが戯れに一輪の花を摘んだことで、国の薬師はその花を見つけることができなくなってしまった。
結果として国に疫病が蔓延することになり、国は滅び、その国の未来に生まれてくるはずだった魔法使い自身の存在も消えた。
たった一輪の花を摘んだだけで、そのようなことが起こるはずはない。偶然だろう。
そう言って何人もの魔法使いが時魔法を使って過去へ未来へと旅立ち、何故か最後には自身の存在を消してしまっていた。
人々の記憶からも忘れ去られている彼らが、禁書にだけ記録されていたのは、この禁書に“記された真実は消えない”魔術がかかっているからだ。
幼い頃に親しんだお伽話の原話が禁書に載っているのを見つけた時、あまりの怖ろしさに背筋が寒くなった。
『姉さんは……そんなことしないわよね……?』
私が落ち込んでいると、アリアは確認するように聞いてくる。
問いかけられても曖昧に笑って返すことしかできなかった。
その時には、私は既に時の矛盾への葛藤に捕らわれていたから……
時魔法を使って、過去のユミィを助けに行く――
成功するのかわからないが、私にはもうこれしか方法がない。
日々強くなる思いを実現する為、私はユミィと別れた森へ来ていた。
二人で未来を誓い合った場所まで来ると、私は強い時魔法を発動させる。
森のざわめきは消えて、無音の空間が広がっていく。
周囲に時計花の花弁が舞っていた。
『人の子よ。どうして時を遡ろうとする?』
どこからともなく聞こえてきた声が、頭の中に不思議に響いた。
気付けば異国の衣をまとった貴人が私を見つめている。
老獪な話口調のあどけない少女は自身の異質さを隠しもしなかった。
『それは人ならざる者の領域であるぞ』
人ならざる者――
その言葉こそ発した物の存在を示している。
「あなたは、時の神か……?」
ふいに頭にその言葉が浮かんだ。
貴人はゆっくりと頷いた。
時の神に促されるままに、私は自分の気持ちを言葉にしていた。
「……私自身はどうなってもいい……」
時魔法が成功すれば、私自身は化け物になってしまっても構わない。
「私はただ、ユミィに会いたいだけだ……」
私の言葉を聞いて時の神は少し呆れ、だが玩具を見つけた子供のように楽しそうに笑った。
「なんと純粋で愚かな心の持ち主か。……しかし、嫌いじゃありんせん、な」
時の神が美しい衣の袖を振り上げると、周囲に時計花の花弁が舞っていく。
「人の子よ。そなたの後ろに薬神が見えるぞ。優しい者にしか憑かぬという薬神がな。そなたにはわっちの試練を受ける資格がある」
「試練……? 試練とは何だい?」
「何があっても声を出さぬことでありんすぇ。そなたの姿はどなたにも見ることはできんせん。魔法も使えぬぞ。わっちの試練を乗り越えれば、そなたに時を操る力を与えよう』
気付けば時の神は姿を消し、風景が高速で巻き戻っていく。
目まぐるしく動く時空の中で、私は一人佇んでいた。
やがて、お互いに花冠を載せた二人の少女たちが目の前に現れる。
『ずっと一緒にいようね』
二人の誓いに手を伸ばせば、時計花の花弁が空から舞い落ちてくる。
当時は不思議に思っていたこの花弁は、時の女神からの祝福だったのか。
二人には私の姿は見えないようで、何も知らず幸せそうに笑っていた。
今助けることはできるが、襲われる因果を消してしまうと、今この場にいる私自身が消えてしまう――
これが時の神が言っていた試練――?
試練というのなら、時の矛盾を無くしてくれているのか……? だが確信が無い今、手を出すことは不得手か――?
それとも、ここにこうして何もできぬままいること自体が試練なのか……?
魔鬼が子供達に襲い掛かる。
最も変えたい過去を繰り返し、目の前で見たくない光景が繰り広げられていく。
この苦痛を繰り返すことが試練なのか――
姿を隠しながら、幼いユミィと幼い自分を見守る。魔法が使えないことがもどかしい。
身体強化魔法を使ったユミィが、凄まじい力で魔鬼を投げ飛ばす。
この瞬間を見るのは身を切られるように辛くて、声が漏れそうになる口元を押さえた。
だけど、この瞬間を乗り越えれば、私は時魔法を――
「ユミィ!!!」
ユミィの足が魔鬼に掴まれた瞬間、私は駆け出していた。
崖から落ちるユミィを抱き締めると、その身を守りながら崖腹に打ち付けられる。
浮遊魔法が使えるなら、落ちる事はないのに。
光魔法が使えるなら、怪我などすぐに治せるのに。
そう思いながらも、腕の中の小さな温もりに励まされていた。
魔物の手はユミィの足からほどかれ、私とユミィは一緒に谷川へと落ちていく。
『あなたは、誰?』
私の姿はユミィには見えないはずなのに。落ちる瞬間、聞かれた気がした。
流れついた河の中州に、気を失ったユミィと一緒に流れ着く。幸いユミィの怪我は魔鬼に掴まれた左足だけで済んだ。
満身創痍の私は全身が痛み、もう手の施しようがない程傷ついていた。生きているのが不思議だ。
『よくぞ試練を乗り越えた』
どこからともなく現れた時の神が、私の傷を癒していく。
正確には癒すのではなく、傷を負う前の状態に体を修復しているのだ。
逆方向に折れた手足は元に戻り、頭から流れる血も止まって全身から痛みが引いていく。
「……試練……失敗してしまったよ……」
ふらつきながら起き上がった私に時の神は微笑む。
『何を言う。合格でありんすぇ。わっちはそなたの純粋な気持ちを知りたかったのでありんすぇ。あの場でなもせずにいる者は、時を操る資格など無い』
「……こんな試練……悪趣味じゃないかな……?」
『そうか? だがな、魔法使いは魔法に頼りすぎる。大切なのは、心よのぅ』
口の端を片方押し上げて笑う時の神が、私の両頬を包み込む。
額に口づけられ、祝福を与えられたことがわかった。
『そなたに時を自由に操る力を与えよう。その代わりに、数限りない命を救えよ』
時の神はそう言うと一匹の黒猫に姿を変える。
私の胸に向かってピョンと跳び跳ねた黒猫が溶け去るように消えていくと、周囲の風景が変わり始めた。
時の神が私に融合した。
体の中にこれまでなかった力を感じた。
時がゆるやかに巻き戻っていく。
横たわるユミィに駆け寄って、私はそっと呼びかけた。
「私はシルビア。しるびーだよ……ユミィ」
ユミィの耳についている青いリボンを手に取ると、その魔力の残滓を確認する。
これがあれば、未来で認識阻害の呪いがあっても、持ち主の元に辿り着くことができる。
「未来で待っていて。きっと、君に会いに行く」
あどけない顔を覗き込み、そっと口づけする。
目を開けると元いた時代へと時は戻り、誰もいない中州に私は一人取り残されていた。
私の手は青いリボンをしっかりと握り締めていて。そこからユミィの魔力を感じる。
満月が私を祝福するように導いていた。
この魔力を辿っていけば、ユミィに会える。
見つけることのできなかった星を、ようやく私は探し当てることができた。
ご精読ありがとうございました(*ᴗˬᴗ)⁾⁾




