番外編 君を捜して1
『こわい……こわいよぉ……』
『ここは、どこなの……?』
まどろんでいると、いつの間にか子供の頃の夢を見ていた。
記憶の中の幼い私は、暗闇に怯えて泣いている。
ああ……はっきりと覚えている……
私はこの森で、あの子と出会ったから――
深い森の中、道に迷ったと気づいたのは陽が陰ってからだった。
不安でいっぱいになった七歳の私は座り込んで泣いていた。
早くもと来た道に戻らなければいけないのに、どちらに行けばいいのか全くわからない。
それもその筈だ。私は昔も今も、極端な方向音痴なのだから。
ひとりで出かけないと、兄さまと約束していたのに……
どうしてこんなことになってしまったんだろう……
魔法で自分の無能さを誤魔化している今ならともかく、この頃の私はまだ魔法を上手く使うことができなかった。
魔法の研究を生業にする私の家には魔道具や魔法薬が数えきれない程あって。
その一つの転移の魔法陣を使って、幼い私は兄様と一緒に色々な場所へと遊びに行っていた。
乗るだけで遠く離れた場所へと移動できる転移陣はとても便利で、私の大のお気に入りだった。
その日も兄様とどこかに行くつもりだったけど、忙しそうな兄様の手を煩わせたくなくて、気付けば私は一人、転移陣を踏んでいた。
辿り着いたどこかの山の麓には、森がどこまでも広がっていて。
めずらしいお花が、いっぱいある……!
植物に惹かれた私は、知らず知らずのうちにその中へと足を踏み入れていた。
魔道具を好む父や兄とは違い、私は植物の方が好きだった。これは今でも変わらないけど。
植物を好きになったのは、家の書庫で調合の本を読んだことがきっかけだった。
摘み取った薬草の草根や木の皮を薬研で粉にして、魔力を加えた水で練っていくと薬ができると本には書いてあって。
薬草の種類や混ぜる魔法水の質や量、その時の環境で出来上がる薬は全く別のものになるらしい。
お薬つくるのって、おもしろいなぁ……
家にある植物の本を全て読んでしまうと、実際に父様や兄様が薬を調合する様子を見学し、自分でも調合をした。
実際に作る魔法薬は本には書かれていない複雑な工程が沢山あって大変だったけれど。
練り上げられた薬草の粉末の緑の匂い。魔力を注ぐと青から琥珀へと色を変える水薬。
作る事そのものが本当に楽しくて。ちょっとした調合の違いで毒にも薬にも姿を変える植物全てを、私はいつの間にか好きになっていた。
時々、調合中に魔力制御を誤って爆発させていたけど……
そのうち、家の薬草園だけでは飽き足らなくなって、野の草花を捜しに出かけたんだっけ……
しばらく歩いていると疲れを感じてしゃがみ込む。
『……ここ、どこ……?』
子供の頃の自分のひ弱さに、驚き呆れる。
私は魔法を使うのが極端に下手な子供だった。
魔力自体は多いのだけど、臆病すぎて魔力を放出すること……つまり使うことができなかった。
初めて水魔法を使って自分の手から水が出るのを見ては泣き、火魔法で暖炉が灯るのを見て叫んだ。
土魔法で柔らかくなった地面で転び、風魔法で舞い上がった木の上から降りられなくなって震えた。
魔法を使うことに必要な強い気持ちが圧倒的に足りなかったのだ。
臆病で怖がりで常に何かに怯えている私は、およそ魔法使いの子らしくなかった。
『こわいよぉ……』
森がザワザワとざわめく音が不吉に思えて、恐怖がこみ上げてくる。
元来た道を戻ることさえできない不甲斐ない自分が嫌になる。
どうして、しるびーは、何もできないの……?
悲しくてボロボロと涙が零れた。
母さまは“気にしなくていい”って言ってくれるけど、魔法が使えないと悲しいの。
だって、しるびーには何もいい所が無いんだもの。
母さまと、まだ小さい妹は明るくて、しっかり者でとても可愛い。
父さまと兄さまは頭が良くて何でもできてカッコいいのに、しるびーは不器用で何もできないよ……
うずくまって泣いていると、どこからか足音が聞こえてきた。
だれ……もしかして……魔物……?
怖くて怖くて足音の方を見ることができずにただ震えてしまう。
こわい魔物……こっちに、来ないで……
おいかけっこ……しるびー、おそいんだよ……すぐにつかまっちゃうよぅ……
なんでこんなに森の奥まで来ちゃったんだろう……
『うえっ……ひっく……』
涙が止めどなく溢れてきて押しつぶされそうなくらいに胸が苦しい。
『どうしたの?』
急に、光が射した気がした。
近づいてきた足音は止まって、聞こえてきた声は想像と全く違って驚いて顔を上げる。
陽だまりの中に居たのは、一人の獣人の女の子だった。
黄金色の髪の毛が光に輝いて、大きな紫水晶の瞳はこの世の物じゃないみたいに美しい。
ピクピク動く垂れ耳に、フサフサの尻尾は別の生き物のように楽しそうに動き続けている。
目の前に突然現れた女の子は可愛く小首を傾げ心配そうに私を見つめていた。
その姿はまるで天使のようで。
一目見た時から、私の心はこの小さな獣人の女の子にとらわれていた。
気づけば不安なんて嘘みたいに吹き飛んでいて。
『み、みちに、まよったの……』
『帰れないんですか?』
『おうち……わから……ないんだもの……』
しゃくりあげながら応えると、優しく頭を撫でられた。
金色の髪を揺らして、獣人の女の子はにこやかに微笑んでくれる。
『大丈夫です! お姫様! 私がお家を探してあげますから!』
お姫さま? それって……しるびーのこと……!??
女の子は何故か私をお姫様だと思っていて、丁寧な言葉で話しかけてくれた。
否定するととても驚くのが可愛くて、思わず笑ってしまう。
道に迷った私を女の子は獣化して背中に乗せてくれた。
胸いっぱいに吸い込んだ茶金色の毛皮は太陽の匂いがして。
いつまでもくっついていたい程に心地いい。
女の子は私を山の麓まで迎えに来てくれていた兄様のもとに、正確に送り届けてくれた。
『私は、ユミィです!』
別れ際、その子の名前を知る事ができたことが信じられないほど嬉しくて。
ユミィ
ユミィ
ユミィ
なんて可愛い名前なのっ……!
心の中で何度も名前を呼んだ。
兄様にはもう会ってはいけないと言われたけど、目を盗んでは会いに行った。
ユミィは出会った森近くの山に住んでいる獣人の女の子だった。
二人で過ごす時間はどうしてかわからないけど、いつもあっという間に過ぎてしまってもどかしくて。
ユミィがいないと、まるで水から出た魚のように私は息苦しくなってしまう。
ユミィの傍にいると、やっと息が吸えるように感じた。
ユミィは私にとっての水なんだ。
ユミィから離れると苦しくて切なくなって。
次の日に会えると満たされて、また別れ際には苦しくなる。
常に枯渇しているようなこの気持ち……
ユミィとずっと一緒にいるには、どうすればいいの……?
真っ先に思い出したのは、母さまに読んでもらった絵物語で。
家に帰ると手あたり次第に本を広げていく。
沢山の物語を読んでいくうちに、私は一つの答えに辿り着いていた。
そうだ! けっこん、すればいいんだ!
一生懸命に考えた結婚式は、出会った森の中で挙げられた。
それはとても拙い真似事だったかもしれないけれど。
お互いに交換した白詰草の冠は光輝いていて。
自分の中のどうしようもない気持ちが恋だと気づいたのは、ユミィを失ってからだった。