第103話 約束
紫の雷は光の渦を起こし、眩しさに私は目を閉じる。
再び目を開けた時には周囲はもとの森に戻っていて、亜空間を脱したことがわかった。
「シルビア様っ……!」
魔鬼と対峙していた場所で、シルビア様が地面に横たわっていた。
もしかして、シルビア様を巻き込んでしまったの……⁉
その可能性にゾッとしながら、横たわるシルビア様に駆け寄る。
攻撃を受けたはずの魔鬼は姿が見えなくて、あの雷撃を受けて無事だったとは考えたくないけど、まだどこかに潜んでいるのかもしれない……
周囲を警戒しながらも、シルビア様に恐る恐る触れた。
「シルビア様っ……大丈夫ですかっ⁉」
抱き起こしたシルビア様の顔は、血の気を失って青白かった。
「怪我はない。余波を受けただけだよ……」
焦る私を落ち着かせるように答えてくれた。
「……魔鬼はもういない。あの雷を受けて、存在そのものが消えてしまったんだ。……君が、倒したんだよ……」
「私が……魔鬼を……?」
そう言われても、私は信じることができなかった。
戸惑う私の手の上に、シルビア様の手がそっと置かれる。
「ユミィ……取り戻したんだね……白狼の力を……」
白狼の力――
先程の力がそうなのかよくわからなかったけど、身体の中に力の残滓がまだ残っている。
確かに魔鬼はいなくなったみたいだし……私が倒したというのは本当なのかもしれない。
強大な力を一瞬で手にしてしまったことが怖ろしくて背中がゾクリと震える。
だけど、その余波で傷ついているのはシルビア様のほうだから、私が怯えていてはいけないわ。
シルビア様を安心させるように頷くと、額に汗を滲ませながらも力無く微笑んでくれた。
強制的に引き起こされた真闇と魔鬼との戦いで、シルビア様はだいぶ消耗したように見えた。
早くシルビア様を屋敷に連れ帰って休ませなくちゃいけない。
頭ではそうわかっているのに、心は今告げるべきだと言っていた……
「シルビア様……私、……わたしっ――」
気付けば私は訴えるように語り掛けていた。
気持ちばかりが先走ってしまって、上手く言葉を出すことができない。
震える手の振動がシルビア様に伝わって、シルビア様は不思議そうに私を見つめていた。
「……わたし、思い出したんです……」
シルビア様はびっくりするかしら……喜んでくれるかな……
やっと告げることができた一言で、シルビア様は全てを悟ったようだった。
閉じかけられていたシルビア様の瞳が大きく見開かれる。
「!…… まさかっ……。本……当、に……?」
声を震わせたシルビア様が恐る恐る手を伸ばす。
頬に触れた手は温かくて私の目に涙が滲んだ。
「はい……。本当です」
私は頷いてあの頃の記憶を蘇らせていく。
二人で花を摘んで日が暮れるまで遊んだこと。
大きな木のうろを隠れ家にして、寒い日は身を寄せて温め合ったこと。
毎日毎日会うのが楽しみで、明日は一緒に何をして遊ぼうかばかり考えていたこと。
お互いに作った花冠を交換して、約束したこと――
過ぎてしまった時が楽しかったほど、思い返すのはあまりにも切なくて。
噛み締めるように紡いだ私の言葉を聞いて、シルビア様が驚きの表情を浮かべる。
夜空のような瞳はまるで今初めて出会ったかのようにじっと私を見つめていた。
細い肩を抱いていると、シルビア様の目から大粒の涙が零れ落ちた。
「……ユミィ……ユミィ……ずっと……会いたかったよ……」
その声は、シルビア様のものと思えないほど上擦っていて。
「……ずっと……君を……探していたんだ……。君に……謝らなければと……」
絞り出た声は痛ましいほどに震えていた。
美しい顔が苦渋に歪んでいく。
「あの時……君を……助けられなくて…………ごめんなさい……」
零れ落ちていく涙は雨粒のように透き通っていて、真っ白な頬を美しく濡らしていく。
……シルビア様はずっと私に謝ろうとしてくれていたのね……
過去を思い起こさせることで、私の記憶は消えてしまうかもしれない。
だから、誰にも言えなくて……たった一人で、苦しんで……
やっとそのことに思い至って、初めてシルビア様の気持ちがわかった気がした。
横たわるシルビア様は、いつもより小さく見えて。
その肩を強く抱き締めながら、よく道に迷っては私に謝っていた幼い彼女を思い出していた。
あなたは……あの頃と全く変わっていないのね……
いつの間にか私の目からも涙が流れ落ちていた。
「……シルビア様! 私の方こそ……ずっと忘れていてごめんなさい」
抱き締めた身体の華奢さに改めて驚く。
こんな細腕で、私を守ろうとしてくれていたなんて……
「あなたはっ……、私を……見つけて……くれたのに……傍に居て……くれたのに、私……私……っ!」
あの小さかった女の子は、再び出会うまでのこの十年間どんな気持ちでいたのだろう。
ちょっとした暗闇に怯えて泣いてしまう怖がりで可愛い子。
花冠をぎこちなく編むのがやっとだった不器用で優しい子。
あの子が、どんなに努力して今のシルビア様になったのか計り知れなかった。
きっと、傷ついて、悲しんで、打ちのめされることもあったかもしれない。
沢山の命を救う為に寝る間も惜しんで研究をして、敵対する者には死神のように感情を押し殺して……
その過程で得られたものより、失ってしまったものの方が多かったのではないかと思う。
くるくると変わる無邪気な表情を見られなくなってしまったことが寂しくて。
シルビア様は……心に鎧を纏ってきたのね……
そうやって必死に大人になろうとした女の子がひどく痛ましかった。
シルビア様は、何も言わずに私を包み込むように見守ってくれた。
今度は私が、シルビア様が豊かな感情を取り戻すことを助けたい……心に纏ったその鎧を脱がしてしまいたい……
涙声になった途切れ途切れの言葉にシルビア様が頷いてくれる。
離れてしまった手は再び繋ぐことができて。今度は彼女を守る力を持っている。
そのことがとても嬉しくて誇らしかった。
遠くの方から私達を探す皆の声が聞こえる。
無事を知らせようと声を出しかけると、シルビア様が私の手を強く掴んだ。
「……ユミィ……もう、私達は……離れない……?」
「はい……勿論です」
「……どこにも……行ったり……しない……?」
「ええ」
「ずっと……ずっとだよ? どんなことがあっても……傍に、いてくれる……?」
シルビア様の焦る気持ちが伝わってきて、思わず笑みが零れる。
もう、これからは、どこへ行こうと、どんなことがあろうと、シルビア様と離れるつもりなんて私には無かった。
「はい……約束しましたから……!」
『ずっと、一緒にいようね』
あの約束が果たされるまで、なんて時間がかかってしまったのだろう。
悪い夢はようやく終わりを迎えた。もう誰も苦しまなくたっていい。
「これからは……ずっと一緒ですよ、シルビア様」
私の声を聞いたシルビア様から嗚咽が漏れる。
再び結んだ約束はあまりにも性急で拙くて。
だけど、だからこそ、私はその言葉に誓いを込めた。
もう、あなただけに我慢をさせたりしません。
一人で、何もかも抱え込まないで下さい。
あなたの苦しみも喜びも、一緒に分かち合っていきましょう。
赤子のように泣くシルビア様を優しく胸に抱きしめ言葉を紡いでいく。
シルビア様の瞳から止めどなく涙が零れ落ちていて。
その宝石のような涙を一粒一粒丁寧に舐めとっていくと、シルビア様はやっと安心したように意識を手放した。