残念な人と言われると
「センパイ、寝不足っスか? さっきからあくびばっか」
瀬尾愛華にそう指摘され、私はあきらめてマウスから手を離した。
大きく伸びをして「ごめんごめん」と謝ったついでに引き出しからスプレー缶を取り出す。
「使う?」
「なんスかそれ」
ぽってりとした唇と色っぽいたれ目、明るい色のくせ毛に豊満な体のせいか、ぞんざいな敬語もなぜか魅力に変える後輩その1にむかって、私がつきだしていたのは酸素のスプレー缶である。
「あんたが空気吸いまくるから酸素が薄いのよ、という督促かと思って」
「むしろ自分で使ったらどっスか」
もっともである。
私はスプレー缶に付属のマスクを着けてシュコッとしてみた。
少し目が覚めた気がする。
「うわ、大石先輩具合でも悪いんですか」
と気遣うような声をかけてきたのは後輩その2の清田だった。背は高いが肩幅が狭く顎の細い兄ちゃんで、短い頭髪のおかげでなんとなく活発に見える。
でっかいファイルを片手にこちらを覗き込んできた清田に酸素スプレーを見せてやる。
「コレ?」
「いつか山で使おうと思って買ったんだけど、なかなか登る機会がないから日用品として使っちゃおうと思って。まあ、今初めて吸ったけど」
「大石先輩、登山好きなんですか?」
キラキラした目で清田が聞いてきた。
「好きっていうか、ほら、山で食べるカレーは格別っていう噂があるじゃない?」
昨日もこの話したよな、と思いつつそう答える。
「こないだそれ、キャンプって言ってませんっした?」
と瀬尾も会話に加わった。
「うん。キャンプでもいい。車出してくれて、テント張りから調理、片付けまで全部やってくれるすてきな人と行きたい」
「あ、俺、いいテント持ってますよ! 片付けもします。週末一緒にどうですか?」
「ああ、週末はちょっと野暮用が」
「じゃ、じゃあ来週は」
「来週……? は、どうだろう。いつまでかかるか分かんないんだよね~」
「そ、そうですか……」
清田は心なし肩を落として自分の席へ戻っていった。
あまり長い雑談をしない、まじめないい子なのである。
「センパイって黙ってりゃ美人で通るのに、言動が残念っスよね」
彼女はしょっちゅう私のことを残念と称するが、いったい私に何を期待しているのか。常ならば口癖みたいなものだと受け流すが、今日は引っかかった。
残念という言葉でササダ君を連想したからだ。
スープカレー屋のフロアで働く彼は、「そこそこイケメン」などと女性客にクスクス笑われる存在だ。
それなのに、ゴーグル、マスク、ニット帽の完全装備で異世界に行ってしまうのだ。残念という言葉はむしろ彼にこそふさわしい。
私はもう一度酸素を吸った。
◆◇ ◆
今日僕は朝からソワソワしていた。
あの人と約束しているからだ。
現実世界の女の子たちは遠巻きにクスクスニヤニヤ笑ってこっちを指さしたりしてなんだか怖いと思っていた。
けれどあの人は違った。
化粧は控えめで、後ろで一つに結ぶだけの地味な髪形だけれどそれがカッコいい。スーツ姿も相まってできる女って感じで。
スープカレーは、ルーカレーと違って注文の仕方が少し複雑だ。
スープの種類、辛さ、ご飯の量、トッピングなど決めなければいけないことが色々あり、まごつく人も多いのだが、彼女はすっとメニューを手に取って、少しだけ悩んだあと流れるように注文する。
彼女のキリリとした雰囲気は、スープカレーを一口食べたとたんふんわりほどける。それがとても可愛らしいのでついつい視線をやってしまう。
実際に話をしてみて、キレイなお姉さんではなく実はちょっと変なお姉さんだと知ったが、本性を知って幻滅するかと思いきや、逆にすごく話しやすい。
行き先は異世界だし、板野さんを探しに行くという目的のためではあるが、二人で出かけることを何となく楽しみにしている自分がいる。
――なのに、スープカレーがマズい。
これはマズい。さすがに僕でも味が違うと分かる。
これは、シェフを探すだけではだめだ。何とか手を打たなくてはならない。
年に数回道を聞かれるんですが、まともに答えられたためしがありません。
いったいどうすればいいのでしょう。