おかえりなさい
「お。なんだ?」
のんきなな呟きが上から降ってきた。
「栗谷さん遅いですよ!」
ササダ君は私を乗せたまま栗谷に文句を言う。とりあえず降りよう。と思ったら腕を引かれた。
「怪我は」
「あ、ありません」
ササダ君の敬語が崩れたことに動揺して、私が敬語になってしまった。
ササダ君をつぶしてしまったおかげで、私は無事だ。
「あ、シェフ」
言いながら栗谷が外に出てきた。ゲートにぶつかる!
とその場の誰もがヒヤリとしたのだが、そういえば栗谷は見えない人だった。そして、見えない人にはゲートは反応しないのだ。
「と……誰だ? またずいぶん引き連れてきたな、ミミコ」
え? と思ったが、確かに三人のおっさんたちがついてきてしまっている。というか私が連れてきた扱いか。まあ、そうか。
栗谷はおっさんたちのことをとりあえずスルーすることにしたらしい。
「おかえりなさい板野さん。明日の仕込みできてますよ」
実に自然な言い方だった。訳も聞かず、ただシェフの帰りを歓迎していることが伝わった。
何良い感じに『出来る男感』を出しているのだろう。手料理がないと動けないとか言って定期的に引きこもっていたくせに。
突っ込みたいのはやまやまだが、ここは口をつぐんでおく。
それに、確かに私もシェフにおかえりなさいを言いたい。
だが、シェフは栗谷が差し出した手を取ろうとしなかった。
「栗谷、俺は……」
「うそ、マレマレちゃんのとこ帰りたいの?」
シェフの口から否定の言葉が出る前に私は口を挟んだ。しゃがみこんでシェフの顔を覗き込む。ここまで苦労したのだから、シェフに辞められたり異世界に戻られたりしたら困るのだ。
「え?」
問い返したシェフはその言葉の意味を理解するとさっと顔色を変えた。そしてぶんぶか首を振った。
よかった。相手は耳からイモムシ出す吸血異世界人だ。それでもやっぱり離れられないとか言われたらちょっと困るところだった。
「おっさんたちは?」
「おっさんて」
「ひどいよオーイシちゃん」
「まあおっさんだけど」
などと口々に文句を言うので私は眉を寄せた。
「オーイシちゃんはやめて。で? 戻りたい?」
おっさんたちもぶんぶか首を振った。
「ササダ君は?」
一応聞いてみると、彼だけは言語で答えてくれた。
「お断りです」
ああ、敬語に戻っちゃった。少し残念だ。いや、何を残念がってるんだ。
私はササダ君から目をそらし、ゲートを睨みつける。
「栗谷、ほうきある?」
「あるけど、なんに使う気だ?」
言いつつも、栗谷はほうきを持ってきてくれる。
「これが元凶なわけよね」
「え? いやまさか! 蜘蛛の巣じゃないんだから無理ですよ」
「試したことあるの?」
「い、いえ……」
ササダ君は小さく首を振る。
私は栗谷からほうきを受け取って、「大丈夫」と請け負った。
「蜘蛛の巣は、横糸しかねぱつかない!」
そう、狙うは縦糸!
いや、ほうきでそんな細かい狙いはつけられないんだけど。それでもゲートは、けっこうあっさり取れた。蜘蛛の巣との違いは、光りながら空中に溶けて消えたこと。
掃除の手間が省けたし、ほらできたじゃないと得意満面だったのだが、
「えええええええええええええ!」
と大合唱がまき起こった。
「うるさい。夜中だぞ」
見えないくせに、見えないからか、栗谷だけが冷静だった。
◆ ◇ ◆
ドアベルの音が聞こえて反射的に振り返ると、オーイシさんが入ってくるところだった。
僕を見て、にこりと笑ってくれる。
少し早足気味に近寄って入店のあいさつをしたときにぎくりとなった。
背の高い男が一緒だったのだ。
「へえ、ここが大石先輩の行きつけですか」
などと親しげに話している。
けれどオーイシさんがすぐに、三人と指を立てたのでギリギリ笑顔を保った。
よく見れば確かに、どこかけだるげな雰囲気の女性も一緒だった。
四人掛けのテーブルに案内して、それとなく会話に耳を傾ける。
「けど、本当によかったの清田君。方向全然違うじゃない」
「全っ然平気です。先輩とご飯食べれる方が嬉しいです」
持っていた水を危うくこぼすところだった。
なんとか営業スマイルを浮かべてオーイシさんに声をかける。
「珍しいですね。お連れ様がいらっしゃるのは。職場の方ですか?」
「うん。そう。後輩」
と軽めの紹介してくれる。
職場の人間関係。それだけだろう。ただこの男、なんとなーく嫌な感じがする。
ちろりと視線をやるとあっちも僕を睨んでいた。
男がしきりにオーイシさんに話しかけるのが気になってしょうがない。
けれどなんだかタイミングが合わなくて、オーイシさんのいるテーブルに近づけない。注文も別のフロア担当が取りに行った。
新規の客を案内したり他のテーブルに料理を届けたりしていてどうにも手が空かないのだ。
今も、どうやら料理ができたようなのにすぐ近くで飲み物をこぼした人がいたので拭くものを持ってきたところだった。
会話だけが耳に入る。
「大石先輩、前キャンプ行きたいって言ってたじゃないですか。グランピングに興味ないですか、一緒に行きませんか」
思わず振り返ると「グランピングかー」とオーイシさんが何か考え込むそぶりを見せた。
と、そこへなぜか栗谷さんが料理を持って割り込んだ。他のフロア担当の手が空いているのにわざわざ出てきたようだ。
「ミミコは俺の嫁だ。手を出すな」
「え? 嫁!?」
オーイシさんの連れの男が声をひっくり返らせた。
「ああ、気にしない気にしない。妄想だから」
オーイシさんは栗谷さんの発言よりも自分の分がいつ届くかを気にしている。
僕はさっと料理を取りに行き栗谷さんを押しのけて配膳した。早く持ち場に戻ってもらわないとシェフが困ってる。イノスケさんが不機嫌なのは……どうでもいいか。
オーイシさんが頼んだのは定番のチキンカレーだった。
横から失礼しますと声をかけて彼女の前にカレーを置きつつ、耳元にそっと声をかける。
「あとで連絡します」
「うん」
と返事をくれたがたぶん聞いてない。
「え? センパイ、モテ期っすか?」
という女性の突っ込みも、
「え? 今のなんですか? どういうことですか!?」
と慌てふためく男性の声も耳に入ってない。
彼女の意識は完全にスープカレーに持っていかれてる。
けどまあ、牽制くらいにはなるだろう。
僕は鼻歌でも歌いたい気分で栗谷さんをキッチンに押し込んだ。
「美味しーい!」
と、華やいだ声に振りむくと、オーイシさんがとろけるような笑顔を浮かべていた。
周りがつられて幸せになるような、すてきな笑顔だった。
おしまい
ここまでお付き合いくださった皆様に、最大限の感謝を。
読了ありがとうございます!




