マレマレ
一瞬、シェフの存在を忘れかけたがそんなことはおくびにも出さずに、私は「なぜ」と問いかけた。
とはいえシェフが次に何を言うか私にはわかる気がした。
「彼女を置いていけねえ」
「シェ――」
説得しかけた私を止めたのは、ササダ君だった。片手をすっと上げて、発言者を遮るポーズをとっている。その表情はいつになくまじめでハッとしてしまった。
「板野さん、背中に虫刺されのような跡がありませんか。それも、複数」
「な、なんだべ急に」
ササダ君が何を言い出したのか分からない。けれど板野さんは確かに動揺したように見えたし、なんでか側で見物を決め込んでるおっさんたちまで気まずそうに目をそらした。
「本当は分かってるんでしょう。自分の身に何が起きているのか。彼女、あるいは彼女たちが何をしているのか」
「な、なんのことだかさっぱり分かんね」
「まくろうか?」
シェフの背後を取って、着ていた黒いシャツに手をかけると、なぜかあちこちから止める声が入った。
「だって、これはあれでしょう? 夜な夜なあの人形ちゃんたちがシェフの血を吸ってるとかそ
ういう話なんでしょう。早いとこ確認した方がいいわよ」
あ、シェフって言っちゃった。まあいいや今更だし。
男どもはむしろ「人形ちゃん」に引っかかってるみたいだし。
「俺のマレマレはそんなことしねえべ!」
「マレマレ……?」
ササダ君が小さく呟いたのを私は聞き逃さなかった。マスクとゴーグルをささっと付け直してるし。
「今マレマレって言ったか?」
「聞き捨てならんな!」
「え? なになに?」
おっさんたちまで集ってきた。
マレマレちゃんは、食欲旺盛なのか。それとも異世界人がみんなマレマレという名前というオチか。
やいのやいの騒いでいるシェフとおっさんたちはほっとくことにしてササダ君に尋ねた。
「さっきの、背中云々は?」
「だいたいオーイシさんの推測通りだと思いますよ。迷子になってる人間に部屋を貸したりファミレスや足型登録の仕方を教えたりして、十分に信用されてからその……」
「寝てる間に血を吸うと」
言いづらそうにしていたので、はっきりさせる。ササダ君は気まずそうにうなずいた。
「で、でたらめ言うんでねえ! マレマレがそんなことするわけないべや! いいかげんなこと言うなやササダ!」
「ちょ、止めてください! 大声で呼ばないで!」
「なして名前呼ぶなって! 有名人かい!」
「国民的アイドルクラス」
「ササダがか! なしてササダが」
「だから、あんまりササダササダ言わないでくださいよ!」
ササダ君がとうとう自分で大声を出している。私は周りが見えていない彼の肩をポンポンと叩いた。
あまりに騒ぎすぎたのだ。異世界人たちがぽつぽつと集まり始めていた。
もう、興味の方が先に立つのだろう私と目があっても逃げない。
そのうちの一人が他の異世界人たちを押しのけるようにして駆け寄ってきた。
「マレマレ!」
シェフとその他が叫んだ。
ササダ君だけは「ヒッ」と悲鳴を上げて私の後ろに隠れた。
おっさんたちと私に阻まれ、彼女は五メートルくらい離れた場所から声を上げた。
「ササダ! ササダでショ」
「ヒトチガイでぇす」
ササダ君は私の後ろに隠れたまま作り声で何とかごまかそうとしている。
「邪魔しないでイタノ! カワノ……えっと、ダレだたけ?」
「がーん!」
「ごーん!」
約二名がショックを受けているうちに、シェフが速足に近づいてきた。
「おいササダ! こりゃ一体どういうことだ。きちんと説明しろや! そんなケッタイな格好してねえで!」
「わ! やめて! 取らないで!」
さすがにシェフからはかばいきれなくて、ササダ君はニット帽、ゴーグル、マスクの三種の神器をはぎとられてしまった。
そのとたん、遠巻きに見ていた異世界人が「ひよー!」と黄色い悲鳴じみた声を上げて輪を縮めてきた。
ササダ君は「ひっ」と悲鳴を上げて私の背中に引っ付いた。
シェフが呆れたようにその様子を見ている。
「ササダは私のよ!」
と遠巻きに見ている異世界人たちに向けてマレマレが叫んだ。
「みんなで分け合いましょう」
というようなことを異世界人たちは言いあっている。フィーリング翻訳だけど。
青ざめて震えるササダ君を見ていたら、あながち間違いでもない気がする。
「ササダにさわらナイデ」
と、本当に日本語でそう言ったので私は内心驚きながら後ろを指さした。
「見てお分かりの通り、引っ付いてるのはササダ君の方だから」
「ヤメテ! ササダがヨゴレル!」
……汚れる?
さすがにその発言はカチンときた。
「ササダ君、ちょっとごめんね」
一応断りを入れてからぎゅっと抱きしめてやった。
ひよーとかきゃーとか悲鳴が上がったが、きゃーは明らかにおっさんだ。
「どうよ! これであんたたちの大好きなササダ君は汚染されたわけだけど」
ササダ君を抱きしめたまま異世界人たちに宣言する。
私の虫よけスプレー効果で、半分くらい嫌がって帰ってくれないかなーと期待したのだが、仮面を取ったササダ君の人気はそれくらいじゃ揺るがなかった。
仕方ないのでササダ君を引きはがす。
なんかおとなしいと思ったら、彼は耳まで真っ赤にしてうろたえていた。目が潤んでるし。
「あれ、ごめんね。ササダ君もしかして――」
「何を言おうとしているのか皆目見当もつきませんけどそれ以上は言わないでください!」
と怒り交じりにそういうので、まあ口は閉じてあげることにする。
青ざめてプルプル震えているよりはこっちの方が扱いやすいだろう。
ササダ君の肩をポンポン叩いて、いったん彼から離れると、文句を言うため近寄っていていたマレマレを抱きしめた。マレマレは「ぴゃーっ」と悲鳴を上げてその場に崩れ落ちた。
「あああ、あんた! いったいなにした!」
とシェフがマレマレに駆け寄りながら言った。
周囲もざわついたので今度は効果があるかもしれない。
私はにっこりと笑って異世界人たちを見回した。
「さあいらっしゃい。お姉さんが優しく抱きしめてあげるから」
そんな風に言ったら大騒ぎになった。異世界人たちはパニックを起こして逃げ出した。
おっさん方はあっけにとられてぼんやりしている。
相変わらず失礼だが、まあこれで帰れそうだ。私はササダ君にスープカレーの入った鍋を渡しコンロをリュックにしまう。他に忘れ物がないかざっと見回して一つ頷いた。
「ここじゃなんだから、いったん戻りましょうか」
「ダメ、ササダマレマレにカエス!」
マレマレはシェフの手を振り払いふらふらと立ち上がった。




