少し訛ってる
「あれシェフじゃない?」
「まさかそんな、って、板野さん!」
気づいたササダ君が、駆け出した。主を見つけた子犬のように。
そして思い切り避けられている。
そりゃそうだろう。ササダ君、自分の格好忘れているな。
「わ! なんだ!」
と逃げかけたシェフだが、「板野さん!」と声をかけられてとさすがに気づいたらしい。
「……ササダか?」
「そ、そうですけど今はその名で呼ばないでください」
「なして。いや、それよりなしたんだそのカッコ」
いいながらシェフはササダ君のゴーグルを首まで下ろした。その拍子にマスクも外れる。
ササダ君は慌ててあたりを見回した。異世界人たちがいないことを確認するとどうやらゴーグルをかけ直すことをあきらめたようだ。
「とにかく、ちょっとこちらに」
と、板野さんを連れて来てくれる。
初めて役に立ったかも。
「こんにちは、板野さん。こちらへどうぞ」
椅子もテーブルもないが、私はとりあえず歓迎の意を見せる。ササダ君が私の隣に立ち、シェフはその隣で立ち止まる。
「これ、うちのカレーか」
シェフは鍋を睨んだ。
そして、私の顔をまじまじと見る。そして困ったようにササダ君を振り返った。
「えっと、こちらさんは?」
「うちの常連さんです。板野さんを迎えに来てくださったんですよ」
「そっか、ササダ。女子高生がはっちゃきこいてアタックしてんのにしらーっとしてるからなんでだべと思ってたけどそういうことか」
「何を納得したのかは知りませんが、今は板野さんの話ですよ」
「そうよ。女子高生の話はあとで聞くとして」
「なんもないです」
律儀に口を挟むササダ君も置いておく。ていうかちょっと今訛ったな。
うっかり可愛いなとか思ってしまった。それを振り払うべく、私は板野さんに声をかけた。
なるべく優しく聞こえるように。
「板野さん、そろそろ店に戻りませんか?」
シェフは最初、驚いたように目を見開き、すぐに気まずそうに眼をそらした。
「今さら戻ったってダメだべさ」
私はそれに応えずにスープカレーの鍋を手渡した。プラ製のスプーンを添えて。
「これ、食べてみて」
シェフは顔をしかめ、それでも一口スープを掬った。
「マズ……」
「そうでしょ。マズいのよ」
「そうでなくて。これ作ったの、イノスケだべ」
「そ、そうですけど! でも板野さん、イノスケさんは板野さんがいない間ものすごく頑張ったんです。休日だって返上して」
「なんぼけっぱったって、どうもならんこともあるべや」
シェフは言い切った。
「そんだ栗谷はどした?」
「まかないがないと仕事しません」
私の手料理で時々店に出ているが、今それを言う必要はないだろう。
シェフは「あ~」と天を仰いだ。
「なんでいっつもイノスケなんだべ。誰が辞めても、巣立ってもあいつだけは残んだ。なんでだべ!」
「板野さんにあこがれてるそうですよ」
「ならもう少しまていに働けって話だべや。そもそもあいつは名前がわやだべや」
「名前?」
シェフに問いかけてもむっすりして答えてくれなかったのでササダ君を見やる。
「えっと、板野さんは名前にちょっとこだわりのある人で、例えば僕は佑夏人というんですが」
とササダ君は指で文字を書いて見せる。
「名前にユカとつくのでフロアに回されました」
それ、パワハラじゃないのか。
シェフ訛ってんな。聞き取れねー。
そんな声が、おっさんたちの方から聞こえてきた。ちらりと見やると彼らは一斉に見ざる言わざる聞かざるのポーズをとる。
幸いササダ君の耳には入らなかったようだ。
「イノスケさんは例外中の例外ですね。熱意に押し負けたというか」
「やる気あったの、あの人。それより、イノスケって名前のどこに問題が?」
「名字が間津っていうんです」
「マズ?」
そして名前がイノスケか。ああ、それは。
納得したくないが納得していると、シェフが私を指さした。
「そちらさんは? 名前なんて言うんだ?」
「私? オーイシミミコ。おいしいの美味をミミと読ませて美味子よ」
「おいしい美味子? 良し、キッチンに立つことを許可する」
「許可されても困るけど。板野さんは板さんってこと?」
「いや俺は……」
とシェフは言葉を濁した。
「板野さんは板に夫と書いてシェフと読みます」
「え? シェフっていう名前だったの?」
なるほど「お知合いですか?」って聞かれるわけだ。シェフが名前にこだわる訳もなんとなーくわかった。
「だったら余計、戻りましょう。シェ――板野さん。自分の店に」
「一か月も店ほったらかしたんだ。当然クビだべさ」
「いえ、オーナーには言ってないんで。まだセーフかと」
ササダ君はきっぱりと首を振った。シェフが胡乱な目でそれをみやる。
「それにオーナーは異世界に理解のある口なので正直に話しても許してもらえる可能性が高いです」
「何それ、オーナーも見える人なの」
気になって私は思わず口を挟んだ。
「まあそうですね」
「まさか仕掛け人?」
「いえ、さすがにゲートを仕掛けたりはできないと思いますよ。あれは自然発生的なものですよ」
オーナーとゲートの関連性は気になるが、シェフがこぼした言葉に、私はハッとしてシェフを見つめた。
「悪りいけど、俺は戻らね」
今更だけど登場人物紹介
◆大石美味子→私
・スープカレー屋の常連客。カレーのために異世界に行く。
◆笹田佑夏人→ササダ君またはフロア君
・フロア担当。異世界人に異常にモテる。異世界ではゴーグル必須。
◆板野板夫→板野さんまたはシェフ
・スープカレー屋のシェフ。異世界行っちゃいました。
◆栗谷
・キッチン担当。
◆イノスケ
・キッチン担当。




