人さんこちら、声なき方へ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
おお、こーらくん、今度は世界各国の遊びの研究かい? 以前も同じことをやっていたような覚えがあるんだけど、また新しいネタでも見つけたのかな?
……ふむ、「鬼さんこちら」でおなじみの目隠し鬼かい。めんない千鳥の名前でも知られているな。この手の遊び、どうやら日本どころか、世界規模で行われていたらしいんだよ。
しかし、考えてみると少し妙だと思わなかったかい? 遊びとして成り立たせるためとはいえ、目隠しをした鬼に対し「鬼さんこちら、手の鳴る方へ」と、自分のいる方へ誘導させようとしている。わざわざ災厄の象徴たる鬼を、自らのうちへ招き寄せようとするなんて、ちょっと理解に苦しまないかい?
先生も昔、少し疑問に思って、目隠し鬼関連のウワサを集めたことがあるのさ。その中でも、先生の親父から聞いた話がちょっと珍しいと思ってね。
こーらくんも取材の最中だろう? ちょっとはその足しになるといいのだけど。
先生の親父が小さい頃に住んでいた町では、何百年も昔から神隠しの伝説があったんだ。親父は母親たる祖母から聞いたらしい。
神隠しが現れる前には予兆がある。季節と昼夜を問うことなく、人肌のぬくもりを思わせる生暖かい風が吹き、それに乗って、自分の名前を呼ぶ声がする時があるのだとか。
この時、声がする方に向かってはならない。必ず声と反対側に向かって歩かなければいけないんだ。声のする方へ釣られていったり、その場でじっとしたりしていると、恐ろしい何かに出くわしてしまうらしい。
恐ろしい何かの詳細については、よくわかっていないらしい。強制力を持たせるための、「尾ひれ」だという声もあった。
あとは言いつけを守って逃げおおせるか、もしくは逃げ出せずに神隠しに遭うかのいずれか……。
祖母の語りは、噺家のごとき迫真さがあったものの、親父に怖がる気持ちはほとんどなかった。
すでに怪奇現象を取り扱うテレビ番組を観た影響で、自分の身にも起こりはしないか、期待の感が大きかったらしい。
けれども、ハプニングというのは気を張っている時には訪れず、気を抜いた時を狙ってやってくるもんだ。
中学二年の秋。先輩たちが完全に部活を引退し、新一年生を引っ張るようになった頃の話。
「真面目そう」という評判と、同級生たちのなすりつけあいの末に、就任してしまった部長。自分の上達にしか興味がなかった当時の親父にとって、非常にストレスだったらしい。何かあったら顧問と一緒に尻拭いをしなきゃいけない立場。
「自分が直接関わってないのに、どうして責任を取らされるんだ。しでかした奴にケツをもたせりゃいいじゃねえか」
はじめて体験する疑似管理職に、親父の胸はむかむかしっぱなし。その日も肩をいからせながら、家路をずんずん進んでいった。
やがてひと気のない公園の前に差し掛かる。広々としている割には、遊具は鉄棒とブランコ、滑り台と砂場くらいしかなく、いずれも隅に追いやられている。木が一本生えているだけの中央部分は、子供たちの野球やサッカーから、お年寄りのゲートボールまで幅広く使われていた。
けれども親父にとっては、家までの大幅な近道コースというのが何よりも大きく、通学路から外れて、毎日のように使っていた。もはや習慣と化した帰宅ルートに、抵抗なく公園を横断していく親父。
ところが中央に着いた時。今まで吹いていた秋風がぴたりと止んだ。同時に足元から暖房をつけたように、むわっとした生暖かい空気が自分を包んでくる。
「タケル」。背後から親父の名前が呼ばれた。振り返ってみたが、そこには夕闇に覆われそうになっている、公園の入り口が見えているばかり。
「タケル」。右手から。
「タケル」。左手から。
「タケル」。真後ろから。
「タケル」。正面から。
全く同じ声たちが、親父を取り囲んでいる。
ついに来たんだ。普段から心待ちにしていたはずなのに、いざ向き合ってみると、わくわくするよりもどきどきしたらしい。親父は神隠しへの対処を思い出す。
親父は右の人差し指をしゃぶった後、四方へアンテナのように回しだした。風向きを知る時に使う方法と同じだ。
声がする方へ向けると、指が冷える感覚。風がかすかに吹いているんだ。もしも神隠しに遭いそうになったら、指が冷えない方に歩いていくんだ。
けれども、ずっと同じ向きではいけない。声は回り込んでくる。今まで大丈夫だった方角から声がすることもあって、何度も確かめなくてはいけないのだとか。親父は何度も何度も、指を濡らし直しながら、声なき道を辿っていったらしい。
時には、すぐ隣にいるんじゃないか、と思うくらいの耳元で呼ばれて縮み上がりそうになったが、惑わされずに指の冷えない道を確かめながら進む親父。蛇行を繰り返しながら、公園の外側を出ると、ようやく涼しげな風が戻ってきた。
ふう、とため息をついた親父に、駆け寄ってくる人影がひとつ。部活の後輩だった。
「部長。戻らなくていいんですか? あんなにたくさんの女の子から逃げるなんて、もてもてっすね!」
何をいってるんだ、と親父が返すと、後輩は誰もいない公園の中を指差して答えた。
「さっきまで部長に迫っていたじゃないですか。おかっぱ頭の女の子たち。部長はなんかおかしな動きしながら、するりと輪を抜けちゃいましたけど……今もほら、中央に集まって、手招きしてますよ。多分、部長に向かって」
親父は飛ぶように逃げ帰って、母たる祖母に話をする。おかっぱ頭の女の子のことを出すと祖母は、信じられない、とつぶやいた。
祖母は語る。かつて自分には、目の前で神隠しにあった友達がいるのだと。
まだこの辺りに、空き地がたくさんあった、祖母の少女時代。親に頼まれたお使いで、ある空き地のそばを通った祖母は、かすかに肌をなでる、生暖かい風に足を止めた。
ひょいと、目を空き地の中へ向けると、数人の大人の女性に囲まれそうになっている友達がいる。女たちはゆっくりと、囲むように友達に近づくけど、友達は囲まれる前に、彼女たちの間をジグザグに抜けていく。時々、指をしゃぶりながら。
うかつにもこの時、祖母は神隠しのことを失念していたんだ。友達が大人と一緒に遊んでいるだけに見えたのだとか。
その場で友達を呼んでしまう祖母。友達の気がそれて、こちらにわずかに足を踏み出した時。
友達の前に、女性がすっと立ちふさがった。祖母に背中を見せながら、誰かを抱きとめるような動きをしたかと思うと、煙のようにぱっと消えてしまったんだ。友達の姿も一緒に。
驚いた祖母が空き地を見て回ったけど、友達はついに見つからず、行方がずっと分かっていなかった。
それが今、親父の話によって明らかにされたんだ。
「お前も良かったな。もし後輩がも少し早く気づいて、公園の外から声を掛けてきていたら、ここにおらんかったかも知れんぞ」
鬼さんこちら、手の鳴る方へ。この言葉、先の話を親父から聞いた先生は、こう思っている。
鬼は私たちとは、違う世界に生きる物のこと。そいつを呼びこんで、自分たちの仲間にしていく。その在り方を端的に示した遊びではないか、とね。