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英雄の目覚め

 コルネーリス王子、戦死。ゼーマン王、遭難。

 その報せは瞬く間に国中を駆け抜け、商人たちの口伝いに北のプリテン=コンテス帝国、南のグラント連邦、さらには東の乾いた大地の辺境まで、知られ得る限りの世界の果てまで行き着いた。最も動揺したのは西の海洋国マドロス王国の民であり、またその影響下にある海を行き交う商人たちであった。しかしそれらの動揺は、それぞれ異なる経過を見せた。王国の民が次第に絶望の崖へ追い立てられていくのに対して、商人たちは新たなる動乱に乗じて一儲けができるやもしれぬと半ば小躍りしながら風向きを見守った。

 世界が最も注目している王宮は、しかしいつまで経ってもその内情を示すことをせず、それが南北の大国の野望を掻き立てることになるのであった……。






「父上!」


 長女コルネリアを除いて王の寝室に最も早く現れたのは、次男のロドルフであった。コルネリアはみだりに大声を上げるのを窘めようとしたが、病弱なせいもあって普段は物静かな次男がこのように取り乱す姿は珍しく、思わず手をこまねいてしまった。すると続いてロドルフの妻と子が室内に入ってきて、王の枕元に近付こうとしたので、コルネリアはようやく彼らを制止した。


「静かに。王は眠っておられます」

「いつお目覚めになりますか」

「医者も難しい顔をしておりましたが、後は王のご意志の強さ次第だと……」


 ロドルフの妻のすすり泣く声が聞こえてきて、気丈に振る舞っていたコルネリアの瞳にも涙が募った。ロドルフも王の顔を撫で、その命の続くことを祈った。老いた王を前にして彼らはあまりにも無力であったので、ある側近の者は涙を見せまいと退室したほどだった。


「姉上よ、この先は誰がこの国を導くのです」

「それもまた、王のご意志次第です」

「しかし、すぐにでも手を打たねば手遅れになります。聡明なる王を欠いたとなれば、南北の大国がどのように動くか――」


 ロドルフは自分の口から飛び出た不吉な言葉に気付くと、その悲しみと苦しみのあまり、思わず咳き込んだ。その咳はあまりにも激しく、コルネリアは彼を王の枕元から遠ざけた。それが落ち着くと、ロドルフは憑き物が落ちたかのようになって、再び自説を披瀝し始めた。


「聡明なる王の唯一の手落ちは、世継ぎをはっきりと言明しなかったことです。あの武運に恵まれた兄上がいてさえ継承者を示そうとはしませんでした。その兄上も亡き今、今こそがその問題を解決すべき時であると思いますが」

「王のご意志も伺わずにそのようなことを決めるのですか」

「ええ。今、ここで決めるべきです」


 コルネリアは僅かに逡巡した様子だったが、ロドルフの言うことも決して間違いではなかった。


「では貴方の意見を聞きましょう。この国を統べるに相応しい者が果たして誰なのか」

「私の思うところでは、この国を継ぐに相応しいのは――」

「待った、早まるんじゃない」


 突然響いた声に、その場にいた全員が王の方へ視線を注いだ。

 しかし、王は依然として暗黒の世界の中を彷徨っていた。その代わりに室内に現れたのは、三男のフィンセントの姿だった。


「二人とも、俺を忘れているんじゃないか」


 コルネリアはフィンセントの突然の登場に驚いたようだったが、すぐに事態の変わらないことを悟った。ロドルフは僅かに咳き込んだ以外には、何の仕草も示さなかった。


「貴方でしたか」

「二人で談合を決め込むつもりだったかもしれないが、俺も一応は王子なんでね」

「無礼を言うな。このようなときに、王の御前で冗談を言うんじゃない」

「冗談を言っているのは兄上でしょう。何を考えておいでか知らないが、兄上らしくない乱暴な事の運び方ですな」


 フィンセントはそれだけ言うと王の枕元に近付き、その肩に手を添えた。しかしながら、彼は信頼されていなかった。商人たちを操って多くの富を得ながらも財産を湯水のように使う放蕩者として知られ、またよく女を試したりしていたが妻帯はしておらず、子もなかった。しかも男子としては末の子であるということもあって、彼の発言力は無きに等しかった。


「よろしい。では、お前を含めてこの場で決することとしよう、誰が次なる王に相応しいのかを」

「兄上、焦りが過ぎますぞ。まだ一人、この場に足りない者がおります」

「フィンセント、それは誰のことですか」

「アレクサンドラです」


 コルネリアは突拍子のない発言に冗談を言ったのかと思い、ロドルフと顔を見合わせたが、彼の方は苦笑していた。アレクサンドラとは、王の末娘のことだ。


「たしかにアレクサンドラは王によく愛されていた。しかし、このような重大事を決するのに彼女の発言が必要と思うのか」

「それが、この国の行方を決める上で必要不可欠なことだと思いますが」

「冗談ではないのですか、フィンセントよ。私もロドルフの意見に賛成します。あの心根の優しいアレクサンドラを政の道に引きずり込むのは気が引けます」

「これは姉上らしくもない。アレクサンドラはたしかに優しく繊細な娘ではありますが、あれとて王の子です、その存在自体が政と交わらずにいられない生まれです。しかももう立派に意見を述べられるだけの年齢でもあります。どうか、そのようにお指図を」


 一瞬、時間が停滞したかのような重苦しい沈黙が訪れた。

 その静寂を破ったのは、どこか遠くから聞こえてくる鎧の擦れ合う音だった。三人がそれに気付いたときにはもうその音はすぐ近くまで来ていて、閉じていた寝室の扉を叩く音がした。立ち上がったコルネリアがそれに返事をすると、青ざめた顔をした従者が僅かに開いた扉の隙間から入り込んできた。


「どうしました」


 その従者が普段から血の気の薄い顔をしていたので、コルネリアはすぐには喫緊の課題が迫っていることには気付かなかった。それは残りの二人も同じことであったが、しかし従者の表情と普段は明朗な声音が滞るのを聞いて、ロドルフは妻と息子を退室させ、コルネリアは女官たちを退がらせた。

 従者はそれを待って、王を含めた四人への報告を始めた。


「き、北の帝国において動員がかけられた模様です」

「何ですって? それはどういう意味です」


 政の第一線から遠ざかっているロドルフも、また政に長じているはずのコルネリアですらも、それが意味することを即座に理解しかねた。ただ一人、フィンセントだけがその意味を把握し、従者に尋ねた。


「その行先はどちらだ? 南のグラント連邦か、東の乾いた大地か、それとも……」

「軍港ドゥーマスに艦隊が集結しつつあるとのことです」

「ドゥーマス……となると、舳先をこちらを向いているな」

「ははっ!」


 従者は恐れおののくようにして頭を下げた。彼がそれ以上の情報を持っていないことを知ると、フィンセントは直ちに将軍を呼び寄せるように伝えた。従者が退室すると、矢継ぎ早に質問が飛んできた。


「何が起こっているのです」

「姉上、戦が近付いているのです。兄上も狼狽なされるな、これはまだ始まりに過ぎません」

「……そう、まだ始まったばかりだ。戦が、始まってしまったのだ……」


 三人の視線が王に注がれた。今度こそ、目覚めた王の姿がそこにあった。


「父上!」


 王はゆっくりと身を起こして、三人の顔を見た。


「いつからお目覚めに?」

「さあ、忘れた。お前たちの声がうるさいので、夢の中で海を駆けておったのにこちらへ呼び寄せられてしまった。くだらぬ話で私の邪魔をするでない」


 王は少し前に目覚めてからというもの、腹に鈍い痛みを抱え続けていたが、今はそんなことを言っていられる状況ではなかった。


「良いか、人の上に立つ者とあらば狼狽する姿を見せてはならぬし、それを言の葉に上せることもしてはならぬ。お前たちの育て方を、少し誤ったかもしれんな……」


 言ってしまってから、最後は余計な言葉であったかもしれないと思ったが、しかし口に出してしまった以上は後戻りはできなかった。むしろ自分の心こそが最も揺れ動いているのだということを確認できただけでも良かった。

 ややあって姿を現した将軍は、さすがに先程の従者ほどの動揺は見せていなかったが、敵が姿を現わす前から重苦しい鎧を着込んでいたので、王の心に暗いものが兆した。


「これは……。ようやく、お目覚めになられましたか」

「将軍よ、戦はまだ始まっておらぬ。今からそんなに重たいものを身に付けていると、いざというときに身体が使い物にならぬぞ」

「はっ、しかしですな、事は急を要しております。北の帝国の艦隊が軍港に集結しつつあります」

「それは聞いた」

「さらに南の連邦でも動員がかけられたとの報せが入っております」

「何だと」


 今度ばかりは王の言葉も上ずった。コルネリアと将軍は視線を交錯させ、王が言葉を発するのを待った。

 王は少しの間押し黙って、その頭の中で複雑な軌道を描いた。この二十五年間の平和が、自らが作り上げた平和が破られようとしている今、王の心に浮かんだ感情は歓喜であった。王は、生粋の英雄であった。

 しかしその歓喜もすぐに深淵への坂道を転がり落ちていった。目の前に緊張した面持ちで跪いている将軍を見れば、そこにある不安が杞憂でないことが分かった。

 長きに渡る平和のうちに、兵を統べるに足る力量のある者は去ってしまっていたのだ。王は普段の将軍の歯切れの良い口調を好ましく思っていたが、しかし戦は口でするものではないし、その威勢の良さの裏に隠れていたものが臆病な心であったことに気付き、自らの不明を恥じた。


「南北の両国は連携しておるのか」

「現時点では何とも……。しかしその可能性は高いであろうと、然るべき筋からの情報を得ています」

「然るべき筋、な。両国の意図が分からなければ、如何なる情報も意味を成さぬ。……まあ、ここは最悪を覚悟して思考を進めるべきだ。連邦は艦隊を動かそうとしているのか?」

「艦隊と呼ぶほどの戦力はありませんが、恐らくは」

「その然るべき筋とやらに尋ねよ。連邦が艦隊を動かすならば、勝機はあるやもしれん」


 王の心中はこのようなものであった。即ち、強大なる陸軍を要する南のグラント連邦の海軍は、このマドロス王国や北のプリテン=コンテス帝国に比べると遥かに劣る。そうなると海戦は王国と帝国とを中心として行われることになるだろうが、仮に南北が対等な同盟を組んでいるとなると、連邦も艦隊を派遣しなければならないはずだし、そうでなくとも功を焦って艦隊を派遣しようとするだろう。もし別々の指揮系統を持つ南北の艦隊が合流したとするなら、たとえ大軍を擁していたとしてもそこには必ず間隙が生じるはずである。その隙を突けば、あるいは兵力で勝る敵を押し返せるかもしれない。

 そのように考えていけば、たしかに勝機はある。しかし、そうした予測は条理に適ったものであればある分だけ、現実に生起する出来事とは乖離してしまうものであった。何故なら、人は甚だしく不条理なものであるから。

 将軍に然るべき指示を与えた後、王は老いさらばえてしまった我が身を憎く思った。


「コルネリアよ、箝口令を敷け。私はまだ目覚めておらぬし、その気配すらない」

「何を言っておられるのです、こうしてお父様はーー」

「いえ、姉上、ここは父上のお言葉に従うべきです」


 口を挟んだのはフィンセントだった。ロドルフは押し黙って、事の成り行きを見守っていた。

 王の視線は二人の息子を射抜き、その瞳の色には異なるものが浮かび上がった。


「フィンセントよ、何故そう思う」

「畏れながら、事が起こってしまった以上、父上は死んで下さった方が何かと都合が良いかと思われます、もちろん、建前としてですが――。今ここで箝口令を敷けば、敵は父が逝ってしまったものだと油断します」

「しかし、各地の領主たちには何と説明します。お父様を欠いたとなれば、後継者が必要となります。明確な方針を打ち出さなければ、離反する者が出るかもしれません」

「ロドルフよ、どう思う」


王はロドルフに問いかけた。口を噤んでいたロドルフも意見を述べないわけにはいかなかった。


「私を王座に――とはいきますまい。ここは暫定的な措置として、姉上に全てを委ねるべきかと」

「……フィンセント、お前はどう思う」

「異存はありません」

「決定だな。この国を統べる者は男子に限るとする慣例を続けてきたが、それを規定する法もない以上、慣例は慣例でしかない。それに暫定的な措置であるし、こうして二人の弟が支える以上、お前も断るわけにはいかぬぞ」

「……分かりました。謹んで拝命致します」

「それで良い、私は殺しておけ」


 王はそう呟くと、二人の王子を退がらせた。残った長女は泣き言を言うわけではなかったが、その顔には不安の色が鮮やかに浮かび上がっていた。


「良いか、これは一種の定めだ。大きな国難ではあるが、この戦を通じて然るべき後継者が現れることだろう。私の代わりとなって、しばらくこの国を頼む」

「分かっております、お父様」

「コルネリアよ、最後に一つだけ私に小言を言わせてくれ。私を殺そうとした男はどうなった? 誰の差し金だ?」

「男は自らの手で命を絶ちました。その背景については、目下調査中です」

「急げよ。事によっては、この国は地獄と化すぞ」


 王は自らの饒舌ぶりを聞きながら、久しぶりに血肉の沸き立つ思いを感じた。

 それは、老いたる英雄の目覚めを意味していた。


「お父様はこれからどうなさるのです」

「ここに留まるわけにもいかぬからな、アレクサンドラのところへでも行くつもりだ」

「お父様は本当にあの子のことが可愛いのですね」

「ふん、私も老いたと思うか」

「お父様はいくつになっても、私の大事なお父様です。必ずや、この国を守り通してみせます」


 王はコルネリアの頬を撫で、従者を呼びに行かせた。

 寝台の上に身体を委ね、己の命の灯火が未だ消えてはいないこと、しかしそれも決して長続きはしないことを悟った。そして何よりも、戦を指揮する者の不在を嘆いた。ロドルフの顔が、続いてフィンセントの顔が浮かんだが、それぞれが異なる意味でたち消えていった。

 王は浅い眠りに落ち、草原を駆ける白馬に跨った若者の姿を夢に見た。草原はやがて海原へと変化し、白馬も帆船に化した。刻々変化する世界の中で、帆船を指揮する若者の姿は、紛れもなく若き頃の王の姿だった。それは、何らかの啓示であるように思われた。

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