宮廷舞踏会
宮廷音楽隊のよく磨かれた管楽器から豊饒なる音色が迸ったのを合図に舞踏会は始まった。老いたる者は熟練の足さばきを見せ、若き者は拙いながらも力強い踊りを見せた。年に一回の舞踏会のためだけに設えられたこの広間の内装は、金色の煌めきに覆われており、若者たちを恍惚の境地へと導くのであった。
舞踏会に招かれたのは一般に名を知られている名士に限られていたが、王の意向で別の一室が開放されていて、名もなき民たちが普段は味わえないような料理の数々を味わった。皆が年に一度の舞踏会を楽しみにしていたが、皆がこの一日に浪費される国費の額を知らなかった。
そんな舞踏会の喧騒の中、弦楽器の響きに耳を傾けている老人の姿があった。表情に刻まれた皺の数は重ねてきた年輪を如実に示していたが、そのその直立した姿勢からは内に秘めたる炎の未だに衰えていないことが見てとれた。この老人こそが今夜の舞踏会を主催した、ゼーマン王であった。
その道を知る者が見れば、その姿勢に数々の戦を乗り越えてきた者の力強さを見抜いたことだろう。若かりし頃の王は帆を張った軍艦に乗り込み、海を縦横無尽に駆け巡って幾多の敵と対峙してきたのである。そして未だかつてない平和をこの島国にもたらしたのであった。
舞踏会もたけなわになった頃、ある一人の女性が椅子に腰掛けていた王に近付いてきた。それは、王の長女のコルネリア姫であった。コルネリアは身を屈めて王の顔を覗き込み、微かに寝息を立てているのに気が付いた。
「お父様、お父様」
コルネリアが小さく身体を揺らすと、王は浅い眠りにあったためか素早く目を見開いた。
「そろそろかね」
「ええ、夜も更けてまいりましたわ」
コルネリアの差し出した手を取らずに自力で立ち上がった王は、このときを待って鳴りを潜めていた管楽器を吹かせた。ざわめいていた空気が穏やかになると、王は一つの咳払いをして一歩前へ出た。
「諸君、今夜はどうもありがとう。今年も豪華なる舞踏会を無事に開くことができた。これからも我が王国の発展を願って――」
王の挨拶が行われていたまさにその瞬間、人混みの中から飛び出してきた男の姿があった。場にそぐわぬ鎧姿の小男であった。王はその男が伝令であることを悟ったが、その表情に張り付いた蒼白さにまでは気付かなかった。男がすぐに顔を伏せためだった。
「どうした」
「恐れながら申し上げます。コルネーリス王子、西のナタリア群島にて叛徒の鎮圧の最中、無念の戦死を果たされました!」
「何だと」
それは、長男コルネーリスの戦死の報であった。
大地を揺るがす鳴動が起こったが、しかしそれは王の錯覚だった。全ては王の身の内で起こったことだった。
だが、すぐに本物の衝撃が訪れた。
「続けて、申し上げます! マドロス王国のゼーマン王、遭難!」
「……?」
一度は起こったざわめきが、すぐに冷んやりとした空気へと変化した。誰しもが伝令の発した言葉の意味を理解できず、一瞬の沈黙が訪れた。
王が伝令の手に握られている短刀を目にするのと、その短刀が自らを貫いたのを認識したのとは、ほぼ同時のことであった。
悲鳴が上がり、すぐさま屈強なる側近たちが駆け寄ってきた。しかし、伝令は引き抜いたばかりで血の滴る短刀を今度は自らの喉笛に突き刺し、すぐに果てた。
静かに崩れ落ちた王は、もうここで死んでも良いと思った。実際に死の息吹を間近から吹き付けられたかのように感じた。意識の残る最後に見たものは、不必要なほどに煌びやかなシャンデリアの輝きであった。