8.下山
それからしばしばヒスクライヴは獲物を見つけることができた。
狼などの獣に襲われることはなく、ウサギや鹿、キツネなどの動物にありつくことができる。
ヒスクライヴも25歳、まだまだ男盛りで肉が食べたいと思うような年齢だったため、狩りの成功は何よりも喜ばしいことだった。
「キツネや鹿の皮は町に降りたときに売ろう」
「うん」
しばらく肉を食べることができたためか、ヒスクライヴの消耗もやや回復している。
リーシャは髭が生えたままのヒスクライヴを不思議そうに見つめると、ぽつりとつぶやいた。
「髭、似合わないね」
「だろうな」
こめかみがぴくぴくとなるが構わない。今は肉鍋にありつけているのだから。
山に入って一番の変化は、ヒスクライヴの相貌もそうだが、何より、二人の言葉使いだろう。町に入った時に怪しまれないようにと馴らしている。
「リィ、もっとしっかり食べろ」
「うん。でもヒズのほうが体も大きいからいっぱい食べてね」
「わかっている」
山では不思議なことが起きることもある。
山頂近くのそれは吹雪が酷かった夜にも、奇跡のようなことが起きた。
「リィ!どこにいるんだ!!」
ロープを手繰り寄せようとしても吹雪で前が見えない。
「こっち!!」
リーシャの姿を垣間見ようとして、ヒスクライヴは硬直する。
山羊の群れがそこにいた。
いや、この山に山羊がいることは知っているが、その群れの中でリーシャが暖かそうにその毛皮にくるまっていたのだ。
「あ、ぶないぞ…野生の山羊は…!!」
「大丈夫、寒くてみんな固まってる。ヒズも中に入って」
押し合いへし合いしている山羊の中にヒスクライヴも入っていく。
「ね、暖かいでしょ」
「確かに、暖かいが…」
うちの子、勇気ありすぎるんじゃないか?そう言いたげなヒスクライヴ。
だが、そのもこもこにだんだんと瞼が重くなっていく。
…これだけの山羊だ。狼たちも襲ってはこまい。
そう、意識したかどうかわからないほどのなかで、ヒスクライヴはぐっすり熟睡してしまったのだ。
翌朝、本当に久しぶりに熟睡したヒスクライヴはぺろぺろと頬を舐める舌の不快さによって目を覚ました。
「ねえ、ヒズ、山羊が山頂を降りるよ。追っていけば隣国のほうに抜けられるかもしれない」
吹雪が止んできらきらと光る雪の中で、リーシャは嬉しそうに笑う。
山での生活は意外とリーシャに馴染んでいた。
故郷や兄姉を思いヒスクライヴの毛布を濡らすこともあったが、こうやって笑顔も増えた。
三人で旅をしていた頃よりよほど生き生きとしていた。
一瞬また、路銀を盗んだ女のことを思い出して憤怒に駆られそうになるが、意志の力で抑えつける。
「そうだな」
ヒスクライヴは荷物を背負い込むとリーシャと共に山を下って行った。
山脈に入ってからはや10日が過ぎようとしていた。
「ヒズ!ヒズ!やったね!!ふもとが見えるよ!!」
「さわぐな、リィ。見えている」
冷静そうにしているが、ヒスクライヴの瞳にも安堵の色が広がっていた。
「まずは……」
ヒスクライヴは自身の腕の匂いを嗅ぐ。
「風呂だな」
「風呂だね」
お風呂に入ってさっぱりしたい。それが二人の共通項であった。
町に入るとき、ヒスクライヴが抜け目なくまわりを見た渡す。兵士の姿は見かけなかった。
一番の安宿に泊めてもらおうと思ったが、その相貌から断られる。
「奥の手、です」
外に出てヒスクライヴの顔を剃刀で整えさせる。
効果は抜群だ。まさかの銅貨25枚で一部屋借りることができた。
「リィ、先に風呂に入れ」
「いいの?」
「見張っておくから大丈夫だ。替えの服を用意しておけよ。タオルで外に出たら容赦しないからな」
機嫌がいいのか、るんるんらららぁと風呂の中から鼻歌まで聞こえてくる。
その後交代でヒスクライヴが入ると、さっぱりとして出てきた。
「山賊が令嬢になったみたい」
「言うな」
もともと着やせするタイプの筋肉の付き方であるヒスクライヴは、山での過酷な日々によって体をやせ細らせた。
また、筋肉をつけねば…鏡の前で唸る美青年の姿は、見方によってはナルシストにも見えた。
身なりが良くなると、今度は山で得た毛皮を売るために市場に出た。
「これを全部で銀貨5枚で」
「なーにいってるんだ……いい男だねぇ……」
こんなとき、ヒスクライヴの洗練された美しさは役に立った。
「兄さんががんばって山でとってきた毛皮なの。お姉さんお願い」
小さい子のうるうるアイパワーも相まって、相場の1.4倍の値で売れた。
「肉を食べよう。リィ」
「あ、甘いものも食べたい」
「よし、買ってやる」
今日だけは特別だ。なにせ、山を降りることができたのだから。
それから安い居酒屋のような食堂で食事をとる。
「おいひぃ…携帯調味料で同じ味ばっかだったから特に嬉しい……」
「そうだな……こっちの肉も食べてみろ、上手いから」
いつもの癖で一番いいところをリーシャに分けようとするヒスクライヴ。
それから宿屋に戻ると鍵をしっかりとしめ、ヒスクライヴは壁にもたれかかるように寝ようとした。
「ヒズ、大丈夫だからベッドで寝て」
「しかし」
「久しぶりのベッドでしょ。しっかり寝なきゃ」
ヒスクライヴはそれでも靴だけは履いて、剣を握りしめて、一瞬にして眠りの世界に旅立っていった。
「ヒズ、おつかれさま、守ってくれてありがとう」
いつも、火の番をして、リーシャが起きてから数刻しか眠らなかったヒスクライヴ。
むろん眠ったとしても浅く、いつでも起きられるようにしか眠らなかった。
彼の体は非常に疲弊していた。
それこそ、普段の彼からは考えられないくらい一瞬にして眠りについてしまうほどには。
リーシャはその様子を見守ると、自分のベッドにもぐりこんだのだった。
だいぶ二人の仲が打ち解けてきました。