7.山越え
馬を売った金は銀貨9枚にしかならなかった。
船に乗るには一人銀貨10枚。圧倒的に足りなかった。
「ヒズ、お馬さん、売れてよかったね」
「そうですね」
これ以上ここに留まるのは危険だ。ヒスクライヴは考える。
剣は、さすがに持ち出せなかったのか残っていた。自分にあるのはこの腕のみ。
短期の護衛の仕事で金銭を得るか?
いや、その間リーシャ様はどうなる。
「ねぇ、ヒズ。山を越えるとインス国だよね。そっちから行くのはどう?」
上目づかいにリーシャは提案する。
「しかし、ヤンヴァ山脈を越えるのは危険です」
「大丈夫。頑張るから。まだ夏だし、きっと越えれる」
「しかし」
だが、どう考えても、短時間にこの国を脱出するにはその方法しかなかった。
ヒスクライヴは馬を売って得た金で旅支度をする。
最悪、リーシャを抱えてでも山を越えなければならない。
携帯食料にカンテラ、ロープに携帯ナイフ、火打石など山を越えるための装備を整えた。
「辛くなったら必ず言うように」
「わかってる」
山ではぐれないようにとロープでリーシャの体を結ぶ。これは、完璧に迷子避けだな。
この時期は獣も多い。剣をすぐに抜けるように準備をし、山へ入って行った。
「ヒズ、この実なに?」
「ヤマモモゼです。食用にもなりますが……拾って食うな!!」
リーシャは好奇心旺盛にうろうろと山を登っていく。
まだなだらかな山間はよかった。だが、だんだんとその鋭さを見せつけてくる。
「おかしい」
「どうしたの?」
リーシャはバテはじめてきたのか、ヒスクライヴが彼女を引っ張る。
「ここは獣のすみかでもあります。以前軍訓練で来た時には何度も狼に襲われました」
「……きっと、偶然だよ」
リーシャは登り疲れてきたのか、自分を鼓舞するように歌を歌い始めた。
「月のーしらべにー聖霊はー」
音を出すと周りに気づかれる。そう思ったがヒスクライヴはリーシャを注意しなかった。
それほどまでに彼女の声は伸びやかで美しかった。
山に入って5日がたった。
夏とはいえ、ヤンヴァ山脈は旅人に非情だった。
まずはじめにつき始めたのは食糧だった。
「ヒズ、ごはん、食べてない」
「私は大丈夫です。リーシャ様がお食べください」
ヒスクライヴは水も食料もリーシャに譲った。
山の上の方になればなるほど動物もいなくなってくる。
ヒスクライヴは食べられるものを探しながら、自分の考えが甘かったことを悟った。
「く、足りぬな、色々と」
食料だけではない。自身の見通しも足りていない。
髭は何日かに一度剃刀を当てているが、空腹は人の形相を変えてしまう。
ここに狼でもいれば…。そう思ってしまう。
「ヒズ、大丈夫?」
「大丈夫です。あなたは呑気に歌でも歌っていてください」
「うん」
宮廷で育ったリーシャにとって山は初めての経験のはずだった。
だが、ヒスクライヴに助けられているとはいえ、一度も泣くこともなく、気丈に登っている。
昼はいけるところまで登り、夜になると野営をして固まって眠る。
ヒスクライヴはリーシャの小さな体を抱きしめながら火の番をする。
そうでなければ寒いのだ。
最初は毛布に入り込んできたリーシャを叱咤した。
しかし、この寒さにがたがたと震える主を見てしまうと、嘆息をついて毛布の前を開けてしまうのだ。
姫様をこのように抱きしめるとは、不敬にあたるな。
空腹と眠気にまともな思考すらできなくなりつつあるヒスクライヴはぼんやりと考える。
「ヒズ」
「起きていましたか」
「隣の国についたら、どうしよう」
「まずは情報収集ですね。それからそこが住むに値する町か調べましょう」
「うん、ヒズ、そしたら、敬語使うの変だね」
「大人が子どもであるあなたに敬語を使うのは、確かに奇妙ではありますね」
「関係性も不自然だね」
「なら、兄妹ということにしておきましょうか」
「ヒズがお兄ちゃん?」
「ものすごく似てはいませんが…異母兄妹ということにしておきましょう」
「ヒズお兄ちゃん」
「はいはい、リーシャ様…リィも慣れてくださいね。どこに貴方の名前を知っている人がいるかわからないのですから」
「リィ、わかった。……ヒズおにいちゃん、暖かいね」
「子ども体温ですね、リィ」
ぽんぽんと、毛布の上からリーシャをやわらかくなでるヒスクライヴ。
「お兄様にも、こういうことしたかったな……」
「……そうですね」
胸元が少し濡れる。
もう永久にすることのできないことを噛みしめるように、リーシャはぎゅっとヒスクライヴにすがりついた。
いくら鍛えているとはいえ、寝不足の上に空腹はヒスクライヴを追い詰めていくようだった。
「肉…肉が喰いたい……」
「ヒズ、目が据わってる…ちょっと眠ったほうがいいよ」
「いえ、大丈夫です」
6日目には山頂の近くに近付いていた。
そのあたりには雪が積もっている。
これだけ寒いと動物の姿も見えない。
そんな時、ウサギの姿が見えたのは幸運以外のなにものでもなかった。
「肉だ!!」
「ウサギ……まさか……」
ヒスクライヴは最後の力を振り絞って風下から近寄る。
ウサギは妙に遅かった。ヒスクライヴの刀がウサギに突き刺さる。
「幸運だ…ここで仕留められるなんて……」
リーシャはぎゅっと目をつぶっている。
「リーシャ様、ウサギ鍋にしましょう。肉だ…」
「……うん」
その夜は、久方ぶりのごちそうとなった。
ヒスクライヴはウサギを手早く解体すると、鍋に入れ、携帯調味料で味をつけ、その辺に生えていた食べられる草を入れてウサギ鍋を作った。
自身も空腹ながらもウサギの一番油ののった肉をリーシャの器に入れる。
「さぁ、温まりますよ」
「……うん……」
「……生きていたものを食べるのは抵抗がありますか?」
宮廷ではリーシャは野菜中心の生活をしていた。町に出ても加工した肉しか口にしていない。
「命を、いただくのです。無駄にしてはなりません。命を失ったウサギに対して失礼にあたります。このものは死んで、我々の血肉となる。そのことを忘れてはなりません」
「たべ…ぅ…。たべるよ……ヒズ」
「「いただきます」」
ヒスクライヴはもちろんリーシャも残さず食べきった。
ウサギの皮を簡単になめすとヒスクライヴはリーシャのための簡素な手袋を作った。
だんだん野生化しつつある二人…。