4.町へ
ヒスクライヴが馬を引いて戻ってくると、リーシャはほっとしたように駆け寄ってきた。
「食事です。手早く済ましましょう」
マリアとリーシャに肉の入ったサンドを渡すと、自身もかぶりつく。
リーシャはもっしゅもっしゅとほお袋をぱんぱんにして食べていた。
「……せめてもう少し人間らしい食べ方をしてくれませんか。姫以前に女性でしょう」
「ひず、おいひいです、こんなパンたべたことないれふ」
「堅いパンですこと」
女性二人の反応はバラバラだった。
「食べたらイスタールまで馬で駆けましょう。あそこは平原からも遠いですし、うまく行けば船に乗ってカザールまで行くことができる」
「もっしゅもっしゅ」
「はい、わかりましたわ。ヒスクライヴ様」
「もっしゅもっしゅ」
「……リーシャ様、口の中の水分がなくなったのですね、水を差し上げますから飲み込んでください」
コクコクと頷き、簡易水筒を受け取ると飲み込むリーシャだった。
手早く潜んでいた痕跡を消すと、馬に跨るヒスクライヴ。
どんくさいリーシャを軽々と自身の前に載せると馬を走らせる。
マリアは乗馬はそこそこできるのか、うまくついてきていた。
馬を走らせながら、これからのことに思いを馳せる。
うまく、隣国のカザールまで抜けられればいい。
あそこは砂漠とオアシスの国だが、貿易が盛んだ。すぐに他国からの人間は紛れ込めるだろう。
ルートを単一に絞らず、他の方法も考えるヒスクライヴ。
イスタールには険しいヤンヴァ山脈が隣接していて、あそこを超えて隣のインス国に入る方法もあるが……。
ちらりとマリアを振り返る。
女子どもにはあの山脈を越えるのは難しいだろう。
以前、軍事演習でヤンヴァ山脈の半ばまで行ったことがあるヒスクライヴには、どれだけ過酷なことかわかっていた。
海路をたどるほうが安全だと行き先を決める。
「ヒズ、馬、気持ちいいね」
「そう言っていられるのは今のうちでしょうね。すぐに尻が痛いと泣きわめくことになりますよ」
その通りになり、小休憩で生まれたての小鹿のようにぷるぷるとヒスクライヴにしがみつくリーシャは、あまりの痛みにお尻を地面につけることができずに、変な体勢のまま休むことになった。
朝夕と走り続け、イスタールにたどり着いた三人は、馬を宿場に泊らせ、久しぶりのベッドに座ることができた。
「ここまでは帝国の軍は来ていないようだな」
「そのようですね」
「う……」
「リーシャ様、ベッドにダイビングしていないで先に湯あみを済ましてきてください」
「はいです」
嫌そうな顔のヒスクライヴに風呂場に追い払われるリーシャ。
質素ながら良い雰囲気の宿屋を見つけることができた一向は、部屋を二つとり、広めの部屋にリーシャとマリア、その隣をヒスクライヴが使うことにした。
食事は皆揃ってリーシャの部屋で取る。下で買った食材を部屋に持ってきたのだ。
「すぐにでも船に乗りたいところですが、あいにく次の船は3日後とのこと。今は情報収集をしつつ、旅支度を整えましょう」
「もっちもっちもっち、これ、おいしいです」
「聞いてないですね」
「あの、わたくしがリーシャ様を見ておりますわ。その間にどうかヒスクライヴ様は」
「ああ、情報収集をしてくることにしよう。必ず鍵は掛けて、ノックは、3回、1回、3回としたら開けるように。3回、2回、2回の場合は私が敵につかまった場合だ。すぐに窓から逃げろ」
「かしこまりましたわ」
「ヒズ、気をつけて」
「すぐに戻りますので騒ぎは起こさないで下さいよ、リーシャ様」
こくこくと頷く少女を置いて、ヒスクライヴは情報収集に出かける。
「本当にヒスクライヴ様は頼りになりますこと」
うっとりとヒスクライヴが出て行った先を見つめるマリア。
「それに比べて……」
ひどく冷たい眼差しで未だ食事をとっているリーシャを見つめる。
「マリア、あの、その、ついてきてくれて、ありがとう」
「………」
「えと」
「……………リステイン様だったらどれだけよかったか」
「…………ごめんなさい」
リーシャは悲しそうな表情で目を伏せたのだった。
ヒスクライヴは市場を歩く。
いまだこの町には王宮の話が伝わっていなかったようだ。
3日後に乗る船のあたりをつけて、市場で情報を集める。
「買い物のついで」に話を聞くのだから、その手には少なくない量の食糧を持つはめになった。
「まったく、女性というのは話はじめたら終わらんな」
しかも買い求めるのは絶世の、がつきそうなぐらい顔立ちの良い男だ。話も花が咲きまくる。
8割がたが無駄な話を聞き流しつつ、市場を歩く。
ふと、甘い焼き菓子を売っている店の匂いが鼻孔をくすぐる。
情報調達には関係ないが……姫が好きそうだ。
逃亡の旅に、無駄な出費は厳禁。
しかし、これぐらいはいいだろうと、焼き菓子を人数分買っていったヒスクライヴであった。
マリアはここまでのところで食べた食事がまずそうだった。
当然だろう。宮仕えということは一流の食事をとっているからだ。
しかし、リーシャは見る物食べるもの物珍しげに、おいしそうに食べる。
彼女の宮廷での食事は毒見が済み、冷え切った、老婆の侍女が作る野菜中心のあまり旨くもない料理だった。
普段は宮廷の兵士が詰める食堂で食べているヒスクライヴにとって、あの食事は衝撃的だった。
冷たい、堅い、美味しくないのコンボだ。
「あのね、ばあやがね、作ってくれるの。私のためにつくってくれるの。だからうれしいんだよ?」
そういって、もぐもぐと彼女は食べていた。
……ヒスクライヴはたまに、街で買ったお菓子を彼女に食べさせた。
本当は毒見もされていないような食事を食べさせるなんて処罰ものだ。
けれども、彼女は本当においしそうに食べる。
「おい、ひい。こんなに、しあわせな味ってあるんだね」
両親から見捨てられ、兄姉には見放され、隅で隠されるように生きる少女。
だけど、本当にうれしそうに笑うから。
足を止める。
いけない、感傷に浸っている場合ではない。
もう、あの場所には二度と戻ることはない。
彼女も、もう冷え切った食事だけをとらなくてもいいのだ。
市勢に生きる。
そう、彼女の兄が望んだのだから。
あとは幸せの定義とはいったいなんなのだろう、と出ない問いを考えながら、彼の小さな主が待つ宿屋までの道のりを再び歩き始めた。
やっと序章が終わりそうです。
リーシャの存在感が少しだけ出てきました。