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闇夜の獣と逃走劇  作者: 弥生
23/25

23.お嬢様

2か月がたつころには、ヒスクライヴはヴェブスターからお墨付きがもらえるようになっていた。


「ここまでやるとは思いもしませんでした」

「ありがとうございます」

テーブルのセッティングも申し分ない。


「メイド長~シーツもってきましたぁ…はぅ!!」

バターンと倒れるリーシャ。シーツが広がる。

「…あそこまでできないとは思いもしませんでした」

「…申し訳ありません」

適材適所でいうならば、リーシャはメイドに向いてはいなかった。

そう考えると、とろくさいリーシャには、奇跡的にあの酒場でのウエイトレスは適所だったのだと思う。


だが、置いてもらうのなら働かなくてはならない。


リーシャは物覚えは悪くないが全体的にとろい。

どんくさすぎて、所作が身についていないのだ。

数ヶ月前までは、ヒスクライヴはリーシャのすべてにハラハラしていただろう。

しかし、彼女はめげずに頑張る人間だ。

酒場での給仕も頑張っていた。きっとここでもがんばるのだろう。


それに、とヒスクライヴは思う。

環境も非常に良い。

いつもリーシャには他のメイドが付いている。攫われる心配は少ない。そのことだけでも、ヒスクライヴは安心できる。


あと問題なのは、リーシャと接する時間が少なすぎることだ。

それだけが、ヒスクライヴにとって不満の種であった。




「都会にいる娘さんをお呼びになるのですか?」

「ええ、そうなの。とても可憐なお嬢様なのよ」

メイド長は今日も今日とてどんくさいリーシャに頑張って仕事を教えていく。

「だから、ばたばたしているのですね」

「そうなの。ヴェブスター様も張り切ってしまって」

領主の16歳になる娘が屋敷に戻ってくる。そのために屋敷は上へ下への大騒ぎだった。

それからお嬢様の馬車が到着した。

ヴェブスターは実践投入として、ヒスクライヴにお嬢様を迎えさせようとした。


「お帰りなさいませお嬢様」


都会で綺麗な男を見慣れていたはずのアリステリアは、その美しい執事にぼうっと見ほれる。

「前に来た時にはいなかったわ」

「お嬢様、最近入りました若い衆です。お嬢様付きの執事となりますゆえ、どうぞお使いください」

ヴェブスターは簡単にヒスクライヴを紹介する。



ヒスクライヴはアリステリアの荷物を持つと、丁寧に部屋まで案内する。

部屋にはメイドが三人控えていた。

「お嬢様のお世話をするメイドでございますわ。この二人はお嬢様と年も近いですし、話し相手になるかと」

熟練の先輩メイドと一緒に控えていたのは15歳になるメイドのセレスとリーシャであった。


セレスはまだ可愛らしい。けれどもリーシャは見るからにとろくさそうな平凡な少女であった。

「まぁ、この屋敷のメイドの質も落ちたものね。見た目からすれば右の子はいいけれど、左の子なんて駄目じゃない」

「申し訳ございません」

「あら、ヒスクライヴが謝る必要はなくってよ」

「いえ、左のメイドは私の妹ですので。お嬢様のお目に適わなくて申し訳ございません。すぐに下がらせましょう」

「あら」

この綺麗な青年と兄妹?全然似ていないじゃない。

アリステリアは二人を見比べる。


セレスはどきどきとしていた。

ヒスクライヴが妹を溺愛しているのは有名なことであった。

けれども、表面上からは怒っているようには見えない。


だが、もちろんヒスクライヴの内面は怒り狂っていた。

冗談じゃない。俺のリィをこんなくだらない女に傅かせてたまるものか。

そう悪態をついていた。

だが、ここ2カ月で覚えたポーカーフェイスで表面上はなんでもないように思わせる。


それでは妹をさがらせますので、とリーシャを連れて部屋を出る。


「ヒズ」

「なんだ」

「ごめんなさい…メイド…失格で」

「リィが謝ることではない」

リーシャもリーシャでもやもやとしていた。

美しいお嬢さまに傅くヒスクライヴ。

仕事なのだ。仕方がない。

仕方がないことなのに、本当は嫌で嫌で仕方がなかった。

ああやって大切そうにするのは、自分だけにしてほしかった。

そう思う感情に戸惑う。

これは、このもやもやはなんだろう。とても醜い感情。嫌な感情だ。


それは、リーシャが初めて覚えた嫉妬という感情であった。


だが、リーシャはその感情の名前を知らない。

名前のつけられない感情にもやもやとする。



「では戻るが、大丈夫か?」

「うん……」

「元気がないな」

「大丈夫」

ここでの生活も頑張っているヒスクライヴに心配はかけられない。にこりと笑顔を作るリーシャ。

ヒスクライヴはしゃがみ込むとリーシャを抱きしめる。

「もう少し慣れれば、俺も時間が取れるだろう。そうしたら、もう少し話ができる。それまでの辛抱だ」

「うん」

ヒスクライヴは離れると、一度だけくしゃりとリーシャのやわらかな髪をかき交ぜ、去って行った。


リーシャは、ヒスクライヴが残していった感覚を忘れまいとするように髪に手を当てる。


その時だった。

カツンカツンと窓を叩く音がする。

窓の外をみると、カラスが一羽留まっていた。

リーシャは窓を開け放つ。

その嘴には、光る指輪が咥えられていた。


「まさか、これは…」

カラスの咥える指輪に手を伸ばすリーシャ。

カラスは漆黒の瞳でリーシャを見つめるだけだ。


「ありがとう。取り戻してくれたのね」

カラスは、リーシャが指輪を手にしたのを見届けると、カアっと一声鳴いて、飛び去って行った。


琥珀の指輪。

それは、王家の紋章が入った指輪であった。


――縁あるものなら、いずれまた巡り合うはずだから。



リーシャはぎゅっと指輪を握りしめると、大切なうさぎの財布の中に入れた。





「ヒスクライヴ、お茶」

「はい、お嬢様」


ヒスクライヴがお嬢様付きの執事になり、数日がたった。

お嬢様の喜ぶ紅茶の茶葉も抽出時間もすべて完璧に覚えていた。


「ねぇ、ヒスクライヴ。今度都会の社交界に出てみない?あなたなら私をエスコートしてもよろしくてよ」

「お嬢様、私はこちらにご滞在の間のみと言いつけられておりますので」

「まぁ、連れて帰りたいわ。お母様も喜ぶもの」


アリステリアはこの美しい執事に夢中になっていた。

それもそうだ。背が高く、鋭い月夜のような美貌の青年。

それが、自分に傅くのだ。

自分だけの執事に酔いしれていた。



「ああ、いやだわ。ヒースの詩なんて暗唱して何になるのかしら」

都会での家庭教師に言われた宿題をつまらなそうに片づけるアリステリア。


「月の草、草の蔦、蔦のひび、ひびの滴。あふるるままに降る降らせ、降らせて積り、雪とならん」

可愛らしい声がヒースの詩を暗唱する。

「あら、あなたはヒスクライヴの妹の」

その時ちょうど部屋に仕えていたリーシャが詩を諳んじていた。


「ヒースの詩は古い時代の詩よ。教養でも教えていないのに。あなた、クラストの詩は暗唱できて?」

「暗澹たる秩序にその身を沈めれば、時、説きとその身を焼かせたもうなかれ」

「まぁ。驚いた。あなた、本を読めるのね」

「少しですが」

アリステリアは次々と質問を投げかける。それにつっかえることなく答えていくリーシャ。

花瓶の水を替えていたセレスはぽかんと口を開けた。

これがあのどんくさいリーシャなの?

水が溢れだすように教養が流れ出してくる。


リーシャは自分の身でありながらも不思議に思っていた。

本はずっと友達だった。

否、本しか許されていなかった。

古臭い宮廷の図書館のほぼすべての本を読み終えた。

それが、今血肉となっているだなんて。


隅に控えていたヒスクライヴも内心では舌を巻いていた。

アリステリアの質問は、決して簡単なものではなかった。否、意地悪であろう問題も出されていた。

それに閊えることなく答えていくリーシャ。

普段のとろくささとは別人である。


「まぁ、あなた。容姿は平凡なのに、教養はあるのね。いいわ。明日からメイドの仕事はいいわ。私の勉強の相手をしなさい」

「はい、かしこまりました」


こうして、お嬢様の勉強係の任を拝命することになったリーシャであった。


リーシャ、隠れた特技の発揮の回でした。

そして、リーシャも自分の気持ちがわからずもやもやとしています。

次回、ヒスクライヴはやっぱりシスコンです。

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