16.友人
「でね、そんとき思ったんすよ。そりゃお前の頭が光ってるからだろう!って」
「ふふ」
「ハインツ、五月蠅いぞ」
しばしばハインツは仕事帰りにヒスクライヴが夕食をとる酒場に食事を取りに来ていた。
ヒスクライヴは悪態をつきながらも、それを許している。
「でな、ヒスクライヴさん」
「………クライヴでいい」
ヒスクライヴは肉を刻みながら、なんでもないように言葉を乗せる。
「でれたーーーー!!!クライヴがめっちゃでれたーーーーーーー」
「追い出すぞ」
ヒスクライヴの友人は、だいたい愛称としてクライヴと呼んでいた。
そう呼ばせるのは本当に親しい間柄になってからだった。
「リィちゃん出番よ~」
「はーい!ちょっと歌ってくるね」
ぱたぱたとリーシャがステージに駆け寄る。
「わぁ、やっぱリィちゃんの歌声、可愛いなぁ」
「食事が終わったら帰れ」
「帰らない!」
「死ね」
「生きる!」
ハインツはにやにやしている。この壮絶な美貌の、少し年上の友人が自分に愛称で呼ぶことを許してくれたのだ。にやにやが止まらない。
エールを飲みながら雑談をしていると、ステージでちょっとしたことが起きていた。
「わぁ、本当にリィ、歌うまいね!」
13歳ほどの少年がリィに話しかけていたのだ。
「ボルツ、ありがとう。今日は家族と?」
「そう、ここの夕飯おいしいからたまに食べに来るんだ」
親しげな様子の二人に、ヒスクライヴのこめかみがひくつく。
「……あのクソ餓鬼はなんだ?」
「お兄ちゃん、声が怖いっすよ」
どうやら知り合いらしい少年にリィが笑いかけている。
何曲か歌い終わり、ヒスクライヴの元に戻るリーシャ。
「ただいま~」
「さっきの少年は?」
「あのね、ボルツっていうの。牛乳の配達手伝ってるの。おしゃべりするようになったのよ」
えへへ、と照れたように笑うリーシャ。
あ、ボルツにばいばいってくるね、そう立ち去るリーシャ。
ヒスクライヴの笑顔が引きつる。
「あーあ、男ができると兄離れは早いぞー」
「リィにはまだ早い」
「うちの妹が彼氏できたの10歳なんですけど」
「…………………まさか」
ヒスクライヴの眉間にしわが寄る。
「俺を倒せない人間に、リィは渡せない」
「滅茶苦茶高いハードル課すなよ」
まぁ、一時のことだろう。そう高をくくっていたヒスクライヴの算段は、思いっきりはずれるのだった。
「リィ、今日は休みだな」
「うれしいね」
買い物でも行こうと言おうとしたヒスクライヴの声が止まる。
「リィー、遊びに行こう!」
「はぁーい!」
この前来ていたクソ餓鬼、じゃないボルツがリーシャを誘いに来たのだった。
まさか、俺との時間を削るはずがないよな?
そう思っていたヒスクライヴの予想ははずれる。
「ボルツたち町の子どもがね、遊びに誘ってくれたの!行ってくるね!ヒズも、おやすみ、満喫してね!」
満面の笑みのリーシャを絶望の顔で見返すヒスクライヴ。
「リィ、行きましょう!」
14歳ぐらいの女の子も誘いに来た。
「はーい!クラリスっていうの。たまに雑貨を降ろしにきてくれるのよ」
町の子どもが、といっていた。ボルツと二人っきりではないらしい。それにほっとしながらも、とても複雑そうな顔をするヒスクライヴ。
だが、二人きりよりマシ。
ヒスクライヴはクラリスを呼び寄せるとその手に銅貨を握らせる。
「妹をよろしく頼む。これでお菓子でも買うといい」
「きゃー!リィのお兄さん超綺麗!ありがとう!お兄さん!」
リィは迎えに来たボルツとクラリスの手を取って行ってしまった。
白金の髪のように白くなるヒスクライヴ。
「クーライーヴくん、遊びーましょ」
今度はいつでも暇なのか、ハインツがやってきた。
「ちょっと付き合え」
「お、珍しい。乗るなんて」
ハインツをずるずる引きずっていくヒスクライヴの目は、すわっていた。
「まず鬼ごっこしようぜー」
「いいねぇ」
「リィ、いいの?」
「………うん」
「あれ」
「気にしないで」
町の子どもたちが遊んでいる路地裏。
その近くの角から隠しきれない美貌が覗き込んでいた。
「なぁ、クライヴ、休日にやることないの?」
「子どもだけで遊ぶなんて危険だろう」
「それを覗き込む俺たちのほうが危険そうなんだけど。通報レベルよこれ」
「もしリィに万が一のことがあったら……」
「俺、帰っていい?」
「駄目だ」
「なんでだよ!」
「俺一人で見張るなんて…………惨めだろう」
あ、この状況が異常であることは認識していたのね。
クライヴが半眼で行き過ぎたシスコンを睨みつける。
「というかお兄ちゃん、休日どうやって過ごしてたんだよ」
「昔は、剣の手入れだとか娼館だとか友人と酒を飲みに行ったりしていたな」
「健全だな!その遊びしようぜ!」
「リィが来てからは……そういえば遊びという遊びをした覚えがないな」
「不健全だな!」
第二王女に仕えるようになってからは、そういえば休日を持て余していたような気がする。
剣を調整したり、肉体疲労の回復につとめることはあった。けれども、遊びという遊びはした覚えがなかった。
「リィが来てからは、って本当の兄妹じゃないのか?」
「…………リィは連れ子だ」
どうりで似てないわけだ。ハインツが納得したようにうなずく。
「そういや、お前って不思議だよな。その剣技の腕、生半可なもんじゃなくてちゃんと訓練されたような人間のものだと思うし、所作も綺麗だし」
ハインツは、食事の所作も洗練されていて、動作も美しいヒスクライヴがどこかで訓練された人間だと思っていた。
そう、こんな町で護衛として腕をふるうのではなく、どこかで務めるのに適しているような。
「それほどでもない。習ったことはあるが、それも昔だ」
「たまに俺思うんだけど、お前のリィちゃんへの態度、兄としてというよりも仕えてるに近いと思うことがあるんだよな。まるでお姫様とその騎士みたいなさ」
ヒスクライヴがぴしりと固まる。
「お前、ここに来るまで何してたんだ?」
ハインツが意識する間もなく、その首筋に剣が充てられる。
抜く動作が見えなかった。ハインツの血の気が引く。
「詮索するな」
「……っ」
「友人を切らせるな」
「……おーけい、何も聞かない」
ハインツは両手を上げる。
カチリと今度は剣を納める音がする。
まぁ、さ。
この町に流れ込む人間は、何かと過去を持っているもんだ。
過去の詮索はしないに限る。
ハインツは浮かび上がっていた疑問を握りつぶす。
「お前がリィちゃんを大切に大切に、それこそ目に入れても惜しくないほどまで可愛がっているのはわかっているよ」
「そうだな」
「否定はしないんだな」
「認識はしている」
「このシスコンめ」
ところで、とハインツは遠くを見つめる。
「子どもたち、いなくなっちゃったけどいいの?」
「なっ!?」
ハインツとの会話に夢中になっていて、うっかりとリィを見失ってしまうヒスクライヴたちであった。
「お兄ちゃんたちおいてきちゃったけど大丈夫?」
「うん、いいの」
リィたちはお腹がすいたということで町の駄菓子屋に来ていた。
「リィのお兄ちゃんがくれたお小遣いで買おうぜ!」
「わーい!」
もらった銅貨は15枚。
みんなで好きなお菓子を買ってもあまりあるほどだった。
「美味しい!」
「美味いねぇ」
外の階段に座って思い思いに食べる子どもたち。
「リィはいつまでここにいられるの?」
「わからない…」
「そっか、お兄ちゃん次第だよね」
「でも、長くいることになるかも」
ヒスクライヴはマリアの裏切りによって少々人間不信になってしまったこともあったが、基本は友達づきあいを大切にする方だ。
ヒスクライヴに友達ができてよかった、そう、リーシャは思う。
そして、自分にも友達と呼べる存在ができたことが信じられない気持でいた。
あの、満たされていたが何もなかった王宮での生活を思う。
人との関わりは最小限にされていた。
最初、ヒスクライヴの護衛すら、許可されなかったのだ。
でも、生まれて初めて我儘を言った。
『ヒスクライヴが自分から別の場所で働きたいというまで、私の護衛にさせてください』
あまり話すことのない父に言うには、すごく緊張した。
父は、私が他の人間と関わり合いになるのを酷く避けていた。
家庭教師もなにもなく、ただ許されていたのは口数の少ない老婆のみ。
その中で、唯一許されていたのは図書館への出入りだけだった。
父は、知識をつけることは見逃してくれていた。
ヒスクライヴに出会うまでは、リーシャの世界は古めかしい本の世界だけだった。
本には載っていない、川が本当に冷たいということも、山が厳しいということも、すべて実際に語り聞かせてくれたのはヒスクライヴだった。
唯一、リーシャに人として与えられたのが彼だった。
その存在は、リーシャにとって掛け替えのないものとなった。
そして、今でもずっとそのまま守っていてくれる。
ここでの暮らしが、ヒスクライヴにとって、楽しいものであるといいな。
大切な人が幸せであるといいな、切にそう願う。
子どもたちと市場を冷やかしていると、露天商が綺麗な装飾品を売っているのが目に入った。
「これ、綺麗…」
「お嬢さん、お目が高いね。黒水晶の中に、四つ葉のクローバーが入っているのさ。珍しいものだよ」
男性でもつけることのできる首飾りだった。黒光りのする水晶の中に四葉が封じ込まれている。
「これ、銀2枚…」
少し、足りない。
歌うようになっておひねりももらったから、だいぶたまっている。けれども、首飾りを買うには少々足りなかった。
「おじさん、客引きする。から、まけて、銀貨1枚と銅貨60枚」
「お譲ちゃん、値切るね。まぁ、子どもにやってもらったほうがいいかな」
リーシャは即興で歌を紡ぐ。
「綺麗な指輪は彼女の元に~勇敢なお守りは彼の元に~大切な人への大切なプレゼント、いかがですか~いかがですか~」
澄んだ歌声が響きわたる。
その声につられて、お客が露天商の商品を見に来る。
「お譲ちゃんのおかげでだいぶにぎわったよ。はい、これ黒水晶な」
「ありがとう!!あ、これ四葉のストラップ……」
「おまけだよ」
「わぁい!」
すっかり空になってしまったウサギの財布にストラップをつける。
父から貰った四葉の紋章。
幸運を意味する紋章の中に、きっと父は自分の存在を疎んじてはいなかったと、そうすがるような想いを感じるようになっていた。
それからはずっと四つ葉のクローバーが好きだった。
失ってしまったものを取り戻せたような気がして、すごく嬉しい。
リーシャは市場を探索し終えた子どもたちと一緒に、帰路につくのだった。
宿屋の前の広場で子どもたちと別れる。
宿屋につくと、すでにヒスクライヴがハインツとともに一杯ひっかけていた。
不貞腐れて先に戻ったらしい。
「リィ、お帰り」
「ただいま!」
いつもはリーシャがおかえりというばかりだった。自分がいわれるのが、こしょばゆくて嬉しい。
「楽しかったか?」
「とっても!」
ヒスクライヴは、その笑顔に複雑そうに笑った。
そうだ、とリーシャはどきどきしながら包みを差し出す。
受け取ってもらえるかな。喜んでもらえるかな。
大雑把そうにみえて、実は着こなしも常に凛としている彼が気に入ってくれるか心配だった。
「これを…俺に?」
「黒水晶は魔よけの石でもあるんだって。ヒズに不幸や不安が訪れることのありませんように」
そこに埋め込まれた四葉のクローバーを見ると、堪らなくなったように胸に寄せる。
「一生、大切にします」
「へぇ、よかったね。お兄ちゃん。ちょっと見せてよ」
「厭だ」
「減るわけでもないのに!」
「減る」
ハインツとまたいつもの言い合いをするヒスクライヴ。
ちょっと目元が潤んでいたのは、リーシャもハインツも知っていたが知らないふりをした。
世の中には知らないふりをしたほうがいいことだってあるのだ。
ヒスクライヴは護衛用の制服を着込む。
洒落たコートのようになっていた護衛服は、見栄っ張りのワーデルが特注させた、非常にかっこいいものだった。
インナーの黒いシャツの下、胸元には黒水晶がひっそりと掛けられていた。
ヒスクライヴはそっと握りしめる。
何も怖いものはない気がしていた。
追手の噂も聞かない。
生活も大方順調だ。
何より、友と過ごすリーシャは輝いていた。
王宮にいるときよりも満たされている。
そう、感じた矢先のことだった。
シスコンすぎて痛いです。
昔は色々と大人の遊びをしていたのにね。
次回はちょこっとヒスクライヴが憔悴しています。