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貴婦人の鉢 ※おきなわ文学賞 随筆部門一席



 春の初めに義理のお母さんになる人から、蘭の鉢をもらった。

 彼の実家にご挨拶に行った折に、たくさん育てているから一鉢あげると持たされたのだ。

 私はまだ慣れない彼のお母さんに「サボテンも枯らしてしまうような女だから、蘭なんて絶対無理」とは言えず、ありがたく頂戴することにした。

 お母さんが蘭の鉢を持って帰りやすいように紙袋に包んでくれている間、必死に注意事項を訊ねた。

 その一、直射日光に当ててはならない。

 その二、水を与えすぎてはならない。

 その三、しかしながら、蘭が植わっているミズゴケが乾いたらたっぷり水を与えなければならない。

 たった三点のこの注意事項を私は心して聞いた。

 帰りは彼の車まで注意深く鉢の入った紙袋を運び、花に障るといけないからとすぐに二人で住むアパートへ帰った。

 部屋に帰って一息ついて、はじめて蘭の花をまじまじと観察した。ミズゴケからすっと伸びた花茎に、鮮やかな紫色の花が四つついている。丸みを帯びた可憐な花びらと、存在感のある気品が、貴婦人を思わせる。

マンガ雑誌や細かな生活用品の散らかった私達の部屋に不釣り合いな貴婦人が気の毒に思えた。

雑然と置いていた会社用のカバンや書類を片付け、空いたスペースに貴婦人の鉢を置いた。どうか枯れませんようにと手を合わせる。

その日から、私のミズゴケチェックが始まった。蘭の前を通ったら、ミズゴケを触って水けを感じるか確認する。もし、ミズゴケが乾いていたら、恐る恐る水を与える。もちろん、水道水ではなく濾過した水を。

花は一カ月程咲き続けた後、根元に近いものから一つづつしなびていった。

慌てた私は、彼のお母さんに彼からメールを送ってもらった。

「しぼんだ花は取り除いて、花が全部終わったら花茎をちょんぎるって」彼が読み上げた文面通りに、花茎をハサミで切り落とし、ミズゴケも新しいものに交換した。

すっかり緑の葉っぱだけになり、こざっぱりした貴婦人はようやくアパートの一室に馴染んだように見えた。

 しかし、沖縄の梅雨が来て、蒸し暑い湿気に耐えかねエアコンを使うようになると、残った緑の葉がへたりはじめた。水を与えても、ミズゴケを替えても効果はなく、日に日に元気をなくしていく。

 彼に再びお母さんにメールしてもらうと、そろそろベランダに出した方がいいとの指示があった。

 メールが届いた夜、さっそくベランダに貴婦人を出してやった。これで一安心と胸をなでおろした。

 次の日、仕事から帰ってきてベランダに出た私は大変な間違いを犯したことに気付いた。

 アパートのベランダは西向きで、日中の日差しが直接差し込むことはない。しかし、沖縄の太陽は夕暮れ時に、その猛威をふるっていた。強い西日が蘭の鉢を直撃していたのだ。

 もともと弱っていた葉は、茶色く日に焼け生気を失くし、鉢にぶらんと垂れ、再生が不可能であることを物語っていた。

 彼のお母さんが大切に育ててきた花を枯らしてしまった。

どうしよう。とてもじゃないけれど、お母さんには言えない。花屋さんで似ている鉢を探して植え替えようか。そんな子供のようなことまで本気で考えた。

うろたえる私に、彼がお母さんからのメールを見せてくれた。鉢の世話の仕方が書かれた文章の最後に、こんな一文が書かれていた。

「それでも枯れてしまったのなら、寿命と思って、綺麗に咲いてくれてありがとうって言ってあげたらいいよ」

 彼のお母さんは花を一つの命として大切に扱っていたことに気付いた。

 だからお母さんの家にはたくさんの蘭が嬉しそうに咲いているのだ。

私はただ枯らさないことだけを考えて花を育てていた自分を恥じた。花として美しく咲き誇っている姿をもっと楽しめばよかった。たくさん見てあげて、褒めてあげればよかった。

 次の日、私は枯れてしまった蘭の葉を片付けた。少し悩んでから、蘭の植わっていた鉢をそのままベランダの隅に置いておくことに決めた。

 今はまだ空っぽの鉢だけれど、沖縄の強い日差しがやわらいだら、何か初心者向きの植物を植えてみようと思う。


2014年 おきなわ文学賞 随筆部門 一席

****読んでいただきありがとうございます****

「姑」とは書きたくない、実の母と同じくらい尊敬している「お母さん」とのエピソードです。

エッセイ好きなんですが、題材にされる家族には申し訳ない……でも、その時の気持ちを書いて残しておきたくなるんです……。

ご感想いただけると嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「随筆」とあったのですが、読後感はよくできた短編小説を読んだ後に近い物でした。運命というか物語が感じられたからでしょうか。 とてもよかったです。 [気になる点] 私の父は植物好きで蘭も大…
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