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思いつきの短編

ハロー、そしてグッドバイ

作者: 福音

徒然なるままに綴った結果

 「一期一会」どうしてこんな言葉を作れるのだろうか。

 昔の人はまぁ、よく言ったものだ。

 一つ一つの出会いを大切にしろという事なのか?

 この一度の機会は一度きりしかないのだから、誠心誠意をもっておもてなしをするとか、そんな事をちゃんと考えられている奴らはほとんどいないと思う。


 かくいう私もそんな言葉は合コンの挨拶程度にしか考えていなかった。

「今日はお集まりいただきありがとうございます。ここでみなさんに会えた出会いは一期一会です。今日の出会いに乾杯しましょう~。カンパーイ」

なんてさ、正直どうでも良い人が集まって、どうでもいい話をして、あぁ、今日のメンツはとか話をしたりするのはいかがなものかと思う。

 そんな事を考えている俺も腐ってるな。我ながら感じるところはあった。 


 ある日、道端を歩いていると急に倒れた人を見た。

 ほんと「すっ」と膝から崩れ落ちるようにして倒れた。

 見ていてどうしたのか一瞬分からなかったが、慌てて駆け寄って声をかけた。

 倒れた人は夫婦で歩いていたのか、連れの女の人が名前を呼んでおろおろしている。

「救急車呼びますね」

 俺は携帯で救急車を呼んだ。周りの電柱を見ながら住所を伝える。

「容態は?」

「嗚咽して舌が前に出ています。目は白目をむいて痙攣しています。」

 周りに人が集まってきて、舌を噛むといけないからと言ってハンカチを軽く口に当てていた。

 ほどなくして救急隊員が来て倒れた人を運んで行った。

 付き添っていた女の人はおろおろしながら、

「ありがとうございました。」

 と軽く挨拶をして去っていった。


 果たして初期対応は合っていたのだろうか?

 病名は何なのだろうか?

 痙攣なら口の中にものをあまり突っ込無いという記事もある。場合によっては…と書いてあるところもあるが、ハンカチなどで口をふさいで嘔吐物の逆流や呼吸困難といった弊害の方を懸念している。


 しばらく時間は過ぎて、そんな経験はほとんど気にすることなく生活していた。

電車に乗って通勤している時に目の前に立っていた人が急に倒れた。

満員電車の中で自分の身動きは全く取れない。

自分の靴の上に倒れた人の頭が乗っていた。

「えっ?」と思いとっさの行動は何もできなかった。

少しの間、沈黙があった後、隣にいた人がしゃがんで「大丈夫ですか?」と言って声をかけた。

倒れた人は、うつらうつら「すいません」と言って立ち上がった。

大丈夫なのか??判断はつかなかったが彼はそのまま満員電車の中で立っていた。

発作だったのだろうか?疲れていたのだろうか?

考えていたが、普通に起き上がったのを見ると特に問題はなさそうに思えた。


 ガタンッ!

 電車が揺れる。

 揺れと満員電車のおしくらまんじゅうに耐えながら次の駅に着くまで数分間、それがやたら長く感じる。いつも見ている景色なのに何回も見ているような錯覚を覚える。


 その時、また目の前の人が倒れた。

次は自分が声をかけようと思ったが、自分の足の上に頭が乗っているのでしゃがむにしゃがめない。

どうしようと思っていると、さっきの人がまた「大丈夫ですか?」といって声をかけた。

倒れた人は再び、「すいません」といって立ち上がった。

再び何事もなかったかのように立ち上がるので、周りの人も騒ぐことなく普通にしている。

都会の冷たさなのか、満員電車の中で何かしようにも何もできないので何もしないのか

2度倒れたので3回目倒れるのでは?とひやひやしていた。

この人、目の前で死んでしまうのではないのだろうか?

そんな現場に立ち会いたくは無い。


 ほどなくして電車は次の駅へ到着した。

倒れた人は声をかけていた人に連れられて駅員さんの所へ行っていた。

自分はその姿を横目に見ながら電車を乗り換えるためにスタスタと歩いていく。

周りの人たちもその姿を見てるのか見てないのか、何事もなかったかのように歩いて去っていった。


 あの時どうすればよかったのだろうか?

 特にニュースというニュースも見なかったので、あの後も何事もなかったかのように去っていたのかもしれない。今思い返しても謎で、自分の目の前の人が倒れて足の上に人の頭が乗っかっていたという記憶が強烈に残っている。



 人はいつか倒れる。

 今日なのか明日なのか分からない。

 死は刻々と目の前にある。

 倒れて助かる人、そのまま亡くなる人。

 それは運が良い、悪いという話なのだろうか?


 とある面接で、「運についてどう思うか?」という質問がある。

「私は運がいいと思います。」と答えるか

「私は運が悪い方です。」と答えるか

「運なんてものは統計的な偶然と大いなる勘違いです」とか科学寄りに答えるのか

「運は神が与えてくれた奇跡です」とか宗教じみた事を言うのか

 人それぞれではあると思うが、とある事象で人生が左右されているのだから

 そういう「概念」の呼称としてはあっても良いと思う。というのが私の答えだ。


 先日だが、父が倒れた。

 仕事中に急に腰が痛くなったといって動けなくなったらしい。

 そのまま救急車を呼んで病院へ運ばれていった。

 大動脈解離という血管がもろくなって起きる内出血のようなものらしい。

 動脈なので破裂すれば死ぬ危険性がとても高い。

 一昔前ならば大きな外科手術が必要になったが、今では血管内にカテーテルを挿入して対応する方法があるようだ。それだと大きな手術は不要で、回復も早い。

 

 腰が痛くなった時に周りに人がいて救急車で運んでもらった。

 運ばれた病院がたまたまその治療を行ったことのある先生がいた。

 医療が進歩して治療法が確立された。手術が成功した。

 様々な要因が重なって今、存命している。


 たまたまなのか、運が良いというのだろうか?

 それが神の御業というのであれば、救われない人と何が違うのだろうか?

 それでも生きている事には変わりはない。

 その現実に、医療に、医者に、救急車に、家族に感謝をしている。

 


 一期一会という言葉。これは一度きりの関係というわけではなく、普段会う人に対しても使える言葉のはずだ。その人と会う一瞬一瞬はその時にしかない。それを毎日を大切にしようという話だと思う。


 ある人がこう言っていたと思う。

 死を目の前にしたときに、そばにあると感じてから自分に問いかけるようになったと。

 「今している事が人生最後の事だとしても、自分がやりたいことか?」と

 鏡を前にして自分に問いかける。

 それがNoと続くのであれば何かを変える必要がある。

 そんな事だったと思う。聞いた事がある人もいるだろう。

 

 今こうして話をしているわけだが、あなたはパソコンの前に座って何をしているだろうか?

 そして私もパソコンの前に座ってネットをしている。

 これを誰かが読んでくれることも一期一会だと思う。 

 人生最後にこれを書いていたとしても、この一瞬は大切にしたいと思う。

思うところがあれば


スティーブンジョブス氏の言葉は引用になるのだろうか?

運についての質問は松下幸之助氏が言っていた事だったと思います。

答えは自前ですが。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 特に難しい言葉を使うこともなく、平易な文章で分かりやすく、誰にでも頭にすっと入ってくる、いい文体だと思いました。 たまに詩的?な表現も見受けられ、ただ平坦に書くのではなくて工夫してらっしゃ…
[良い点] グダグダもせず、丁寧にまとめられていると感じました。 [気になる点] 特にありません。 [一言] 誰もが一度は考える、死。 とても深く考えさせられる内容だと感じました。 僕にはまだまだ…
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