第五話 商人の娘
2・トリデ城前
トリデ城はこの国の中心であり、最も人口の多い都市である。
追いついた馬車に再び乗った俺たちは、次の目的地をそこに定めた。
「いやあ、悪かったね、運賃は半額で良いから乗って行きなよ」
半額ですかとしぶった勇者だが、御者の親父の気持ちも分かる、俺は戻ってきてくれた親父に礼を言った。
次の目的地に定めたとは言っても、最初から馬車はトリデ城に向かっていたのであり、そこに行くしかなかったのである。
俺も最初からそこに行く目的だった、何せ魔王を倒す可能性のある強い戦士はそこに集められ、ある者は魔王討伐の軍隊に入り、それより強いとみなされたある者は勇者と呼ばれ、パーティを連れ魔王城へ向かう多額の資金をくれるからだ。
俺は勇者になる気はなかったが、勇者を守るパーティメンバーか、軍に入ろうと思っていた。
が、ユーシャはどうだろう、この飛び抜けた魔法の才を持った少年(少女?)は、はたしてこの城の軍に入るつもりだったのだろうか、それとも勇者のパーティに加わるつもりだったのだろうか、それとも……。
「なに考え込んでるんですか?似合わないなあ戦士さんには」
腕を組んで考え込んでいた俺の前に、ユーシャの顔がひょいと現れた。
「ユーシャよ、もしかしてお前は勇者になりにトリデ城に行くはずだったのではないか?」
直球に聞いてみると、ユーシャは肩をすくめる。
「いえ、そんなものなりに行くわけではなかったですよ、ただあわよくば戦士さんのような人をスカウトして僕の道具に……いえ僕の仲間になってもらおうかと思っただけなのです」
道具に、と言いかけた言葉が少し気になるが、俺はそれより気になることを問いかける。
「しかし、その力があれば勇者になることなどたやすいと……」
言い終わるか言い終わらないかのとき、ユーシャは口に一本指を当てた。
「しー」
俺は口をつぐむ。
「この力はなるべく秘密にしていてください、やっかいなことになるでしょう、魔王を倒した後捕まって戦争の兵器にされるとか僕はごめんですよ」
「そ……そうか、すまん」
それもそうだ、考えが及ばなかった、俺だったら魔王を討伐した後戦争へ向かう戦士にしてくれたら光栄なのだが、この少年はきっと普通の生活を大切にしている普通の少年なのだろう。
俺は顔を馬車の外に向ける。
場所は再び馬車の上、俺たちは揺られながら、トリデ城城下町より外に位置する村を通り抜けていた。
目に入る位置にあるトリデ城は壮大で、俺の屋敷など一万件個立てても追いつかないほどのものだった。
まだ牛や畑が多い景色だが、そのうち建物も人の姿も多くなり、きらびやかな格好をした者たちや商人、活気にあふれた店が並ぶことだろう。
トリデ城の向こうには海も見える。
幼いころから数えて三回ほどトリデ城には行ったことがあるが、ずっと海で泳いで筋肉を鍛えていたな。
行ったらまた海で泳ぐのも良いかもしれん。
少し興奮してきた俺は、早く着かぬかとそわそわしていたが、馬車はトリデ城が着く前に、まだ牛がモウモウと草を食べているしか見えない景色の中止まった。
「おや?」
「ぬ?」
ユーシャと俺は不思議に思って馬車の前に目をやる。
そこには、御者の親父が誰かと会話する光景が見えた。
「いやだなあ、僕はまた嫌な予感がしますよ」
ユーシャは嫌そうな顔をしていたが、俺にはそんな予感など全然分からん。
馬車の中から御者の親父の元に行くと、外に顔を出した。
かくしてそこにいたのは、どこかデジャヴを感じる儚くも美しい水色の薄いドレスを着た女性だった。
「ああっ、助けて下さい戦士さん」
すがりつくように、俺に話しかける。
髪の色も瞳の色も薄い青色をしていた、まるで宝石のような女性だ。
これはユーシャにも言えることだが、もう少し筋肉をつけなければ走っただけで簡単にぽきりと折れてしまうのではないだろうか、と心配になってしまうほどの儚さだった。
「どうした」
助けて下さいと言われて放っておくなど男がすたる。
「お客さん、聞かない方がいいよ」
親父は心底嫌そうな顔をして俺と女を交互に見た。
「私はトリトナという商人の娘です、父が……父が崖から落ちてしまったんです……!お願いします、助けて下さい!御礼は必ず!1万ウィルでどうでしょうか?」
「1万ウィル……」
御者の親父がゴクリと息を飲む。
1万ウィルと言ったら、城下町に家が買えるレベルだ。
それほど娘とその父親は切羽詰まっているのだろう、急がなければ、命にかかわるかもしれない。
俺は馬車から飛び降りると、娘に聞いた。
「分かった、急ごう、娘よ、父親はどこに」
「ここから西に行った所です、お願いします、父を……父を助けて下さい!」
俺は娘の涙に潤んだ目をじっとみると、頷いた。
大丈夫だ、泣くな、俺がなんとかしてやろう。
「任せろ!」
俺は娘の指さす方向へと走った、牛たちの群れを抜け、軽い林を抜けた後、すぐに険しい崖があるのに気がついた。
上から覗くと、下に人が倒れている姿が見えた。
「あちゃあ、もうだめじゃないかいあれ」
後ろから声がして振り返る、ユーシャかと思ったが、そこに居たのは御者の親父だった。
「親父!馬車はいいのか?」
「馬車はお讓ちゃんたちに任せたよ!さあ一万ウィル……じゃない商人を助けよう!」
親父……大切な馬車を置いてまで赤の他人を助けに来るなど、なんと情に厚い親父なのだ。
胸が熱くなるのを感じながら、親父に握手するため手を差し伸べる。
親父はなぜか少し焦ったようにすると、へらりと笑ってぎこちなく手を握った。
「さあ急ごう」
ぎこちなく笑いながら、親父はそう言うと親指を立てる。
「まずはロープを木に結びましょうかね」
親父が持ってきたらしいロープを木にかけてる間に、俺は準備運動をする。
「ならば俺はそのうちに崖の下に行き父親を救い出そう!」
「ええ?戦士さんワシの話を聞いてたのですか?ロープを巻いて下に降りるんですよ危ないでしょう戦士さーん?」
ロープを木に掛けようとする親父を目の端に、俺は崖を降り始めた。
岩の出っ張りに手を掛け、足を掛け、全身の筋肉で崖に這い下へと向かう。
「ウソじゃろ……」
その声が聞こえてきたのは、俺が崖を半分くらい降りた所だった。
しかしこれは想像より危ない、ロープを持って……いや巻いて降りれば命綱になっただろうに……。
そこまで考えて、俺はハッとして上に親父に向かって声を張り上げた。
「親父!そのロープを俺の体にくくりつけて降りれば安全だったのではないか!」
「だから最初からそうしようとしたんでしょう私はー!あ!危ない戦士さん!」
親父の最後の台詞と同時に、足元の岩が外れ俺はバランスを崩してそのまま崖の下へと落下してしまった。
派手な衝撃と一緒に下に到着する。
痛い。
仰向けに落ちた視線の先には、親父が絶望に満ちた顔で何かを呟いていた。
地獄耳がそれを拾い上げる。
「……あちゃあ、もうだめだこりゃ……」
ダメではない。
痛みにきしむ体を起こす、頭上で親父が驚嘆の声を上げるが、それにかまっている場合ではない。
俺は辺りを見渡すと、あの青色の女性の父親の姿を探した。
辺りは灰色の岩ばかりの光景だった、そのすぐ向こうに水しぶきを上げながら岩に波をぶつける海の広大な姿が見える。
いた!
眼前に水しぶきを上げる海の間際、今にも海に飲み込まれそうな位置に、素朴な格好の仰々しい帽子を被った男が倒れていたのだ。
「おい、大丈夫か?」
俺は男に近づくと、屈んで肩に手をやる。
男はピクリとも動かなかった、まるで死んでいるかのように……それどころか生き物ではない感触のようだった。
ん?生き物でない?
俺は男の軽すぎる体をひっくり返す、そこには、べろべろばあをした顔の布でできた人形がごろんと転がるばかりだった。
俺は訳がわからず、その父親人形を抱えると崖を登り親父の元へと戻った。
救出した人形を見ると、親父は青い顔をして飛ぶように馬車への位置へと走って行ってしまった。
俺はまだ事情が飲めないまま、親父の後をついて歩いて戻ると、そこにはあるはずのものがなかった。
「やられた……」
呆然と立ち尽くし呟く親父、そして、間抜けにも父親人形を後生大事に持ってきた俺は、やっとで何が起こったのか理解した。
そこにあるはずの馬車は無く、乗っていたはずのユーシャの姿もなかったのだ。
「ユーシャ?」
馬車が盗まれた、ユーシャごと、あの女が?
俺と親父は、モウモウと牛の鳴く平和な空の下、二人でぽつんと途方に暮れていた。