第三十三話 夢から覚めて
波の音が聞こえる。
目を開くと、そこは青い空と青い海の広がる海岸であった。
潮の匂いから足元の砂浜の感覚まで、まるで本物のようである。
横切るカニが見えたので、試しにつま先でつっついてみるとそのカニは慌てて横歩きに逃げて行ってしまった。
平和だな。
現実とは真逆の感想を抱きながら、俺は彼女の姿を探す。
ふと、カニの逃げた先に、一人の女性が立っているのが見えた。
薄い青い色の髪を風になびかせ、真っ白なドレスを着た女性。
波の音を聞きながら近づくと、青い髪の女性……リルマは、振り向かずに俺たちに言った。
「遅かったじゃない」
そう言って振り返ったリルマは、どこか晴々とした笑顔をしていた。
「俺たちのことが分かるのか?」
俺やユーシャのパターンがある、ここのリルマも俺たちのことを忘れているものだとばかり思っていたが。
「当たり前じゃない、とっとと思い出して待っていたわよ」
リルマの青い髪が風に揺れる。
ドレスの裾も、それに乗ってふわりと揺れた。
これは……もしかすると結婚式衣装なのだろうか?
「気が付いていたけど戻れないとは、何か心残りがあるにゃーて」
いつの間にか、右隣でミミノスが顔を掻いていた。
左隣では、ユーシャが興味深げに辺りを見渡している。
「……心残り?」
リルマは驚いたように目を見開くと、次には何か遠くを見るように視線を地平線に向けた。
「心残り……か」
潮風を受けながら遠くを見るリルマの横顔はどこか頼りなく、いつもとは違った、どこか可愛いらしさを感じる表情をしていた。
どこか遠くで、呼び声が聞こえた。
「おーい」
それの姿は見えなかったが、若い男のものだと分かる。
「分かった、分かったから、もういい、もういいや……」
空の光が眩しくなるー。
気付くと、青い空は白い光に包まれ、俺たちへと降りてきていた。
目が覚めるのか……。
「おーい」
若い男の声は、どんどん遠ざかって行く。
9・夢から覚めて
荒れた玄関ホールの真ん中で、俺たちは目を覚ました。
すぐ近くで、ルアー王子が両手を突き出してラドゥの周りから放たれる黒い靄と戦っている。
禍々しい黒い靄は、さっきより随分濃くなり、俺たちに手を伸ばそうともがいているようだった。
しかし、俺たちに触れる前に、それらは何かの力に拒まれたようにひっこまれる。
ルアー王子は何も言わない、汗を浮かべながらただただ真剣にラドゥの魔法を食い止めようとしている。
「よっしゃあよく頑張った!んじゃ、やっちゃって戦士さん」
ミミノスの呼び掛けに、俺は頷く。
全員目を覚ました、今ラドゥの唱えている魔法を解く一番の方法は、術者の死なのだろう。
ラドゥに情があるだろうルアー王子には悪いが、選択肢はもうないのだ。
近づいても、黒い靄は俺には触れられなかった。
俺はルアー王子を見ずに剣を手に取ると、ラドゥの真上に振りかざしー。
「やめろ!」
突如としてルアー王子の声が響いた。
目をつぶったままのラドゥを睨みつけながらルアー王子は言う。
「爺、教えてくれ、どういうことだよ、何で俺の爺になったんだよ」
黒い靄はまだ晴れることはない、術と戦いながらルアー王子は必死に言葉を紡いでいる。
「……」
ラドゥは何も言わない。
「爺!」
再び叫びがこだまする。
しかし、その叫びで気が緩んでか、黒い靄は一気に拡大した。
一瞬、また気を失いそうになるのを耐える。
話す暇はないようだ、仕方がない……!
俺は、意を決すると剣をラドゥに振り下す。
「やめろー!」
再び発せられたその声で、俺は剣を止めてしまった。
その位置ラドゥの首より数センチ。
しかし、攻撃を止めたのは俺だけではなかった。
「負けましたよ、王子……」
ラドゥもまた、黒い靄を出すのを止めていたのだ。
禍々しい気配に覆われていた辺りは静まりかえった。
その空気に、やっとで現実に帰って来た、そんな実感まで湧いてくるようだった。
「王子って、呼ぶなよ!」
ルアー王子は、泣きそうな声で言った。
上から見ると、俯いてるその表情まで分からないが、実際泣いているのかもしれない。
そんな彼を下から見るラドゥは、優しい表情をしていた。
「王子、誇って良いですよ、私と魔法合戦をして勝ったのです、さあ、胸を張って、あなたは魔王軍一の術師と張り合って勝ったのですよ」
王子は何も言わない、俯いて、鼻をすすっている。
「王子、わしは、王子の国を乗っ取りに来たのですよ、本当は手っ取り早く王子たち全員を殺して、仲間と共に王子たちに化けて国を乗っ取る気でしたが、どうも貴方だけは殺せななかった。貴方を含めた皆の記憶を変えて数カ月だけお傍に居させてもらいました、いやあ、楽しかった……」
王子は、もう一回鼻をすすると、腕で顔をこすった。
「王子、わしには、孫がいるんです、今でもこの城にとらわれている、どうか助け出して、見逃してくれはしないかね……」
その言葉に、ミミノスがピクリと反応したが、気のせいだろうか。
「その子は……その子はわしらの唯一の……」
ラドゥの言葉は、そこまでしか続かなかった。
震える手を天上へと伸ばしたかと思ったら、黒い靄となって消えてしまっのだ。
頭のあった場所に、黒い、美しいグルースを残して。
「うわあああ!」
とうとうルアー王子は泣き出してしまった。
そんな彼を見てリルマは静かに移動すると、ルアー王子の側に寄って彼の肩を抱いた。
ルアー王子は泣きながらリルマを見上げると、安心したのか目をつぶって崩れ落ちてしまった。
「ルアー王子!」
俺は慌てたが、リルマは「シッ!」と口の前に指を当てた。
「大丈夫、寝てるだけじゃけん」
ミミノスが言う。
リルマは、規則正しく息をする王子を膝の上に寝かすと、優しくポンポンとその肩を叩いた。




