第十八話 温泉で
温泉とは魅力的なものだった。
岩に囲まれた暖かい湯に浸りながら、俺は極楽というものを感じていた。
湯加減は少し熱いくらいだったが、トレーニングを終えた後の体にはそれが心底染みた。
思わず歌まで歌いたくなってくるから仕方ない。
「俺の力は~岩をも砕く~だけど女の心は砕けない~ああ~♪」
よく爺さんが風呂で歌っていた歌を口ずさむと、遮るもののない俺のへたくそな歌は見上げる空へと吸い込まれて行くようだった。
急いで来たとはいえ夕日は急いで地に帰ろうとしている、まあ待て、もう少しゆっくりしようではないか、そう思う空には一番星が輝いていた。
歌い終わると、背にしていた大きな岩の向こうから、
「へたくそね~」
と綺麗な女の声で苦情が上がった。
リルマである。
「歌ってのはこうやって歌うのよ」
リルマはそう言うと、鈴が鳴るような美しい声で歌を歌い始めた。
どこか他の国の音楽だろうか、聞きなれないその音楽と他国の言葉で綴られる歌詞は不思議な節で、美しく温泉と空、そして囲いの向こうの森の中まで響き渡って行った。
なんとも贅沢なひとときではないか。
俺は無くなった胸を確かめると、大きく息を吸って、吐いた。
良かった、男に戻れた、いや、この村にいる限り今だけだろうが。
あれから離れの温泉に着いた後、ミミノスがいきなり現れ、
『温泉、いいですなあ、私も入れてくんなましに』
と言ってきて、ついでに変装の魔法も解いてくれたのだ。
と言う訳で、今は俺は男であり、大きな岩の向こうでは女であるリルマとミミノスが仲良く肩を並べて、リルマは歌いながら、ミミノスは目を細めながら温泉に浸っているのだろう。
そう、ここは混浴、男と女が分け隔てなく入る一つの大きな温泉であったのだ。
まあ、女であるリルマとミミノスは岩の向こうに行き声しか分からんが。
ユーシャはと言うと……。
「ユーシャよ、こっちに来たらどうだ?」
俺の所でもない、リルマたちの所でもない、俺の位置から左斜め後ろ、大きな岩の横に背を預けて肩まで湯に浸かっている。
「いいですよ、僕はここが落ち着くんです」
どうもユーシャの行動はイマイチ良く分からないが、恥ずかしがっているのだろうか。
恥ずかしがると言う表現にも、しかし相手は男か女か分からない。
いっそのこと、ここでバレてしまえば疑問だった答えにも終止符が打つのだが、無理やり確かめるのもはばかられる。
女だったら責任を取らなくてはいけない状態になってしまうしな。
と、同じ疑問を抱き、そんなことを考えた俺とは別の答えを出した者がこの場所にいた。
そう、いつの間にか歌は止まっていたのだ。
「わー!」
突如リルマの叫び声とともに、水飛沫の上がる音が湯気の向こうユーシャが湯に浸かっていた所から聞こえた。
「ど、どうした!」
何ごとか分からず、しかし向こうに行くの気が引けて俺は叫び返すと、
「うわー!リルマさん何するんですか!」
ユーシャの声と共に、水飛沫の音は大きな岩の向こうへと遠ざかって行ってしまった。
「おーい!どうしたユーシャ!」
俺は再び叫ぶ。
しかし返ってきたのは、はつらつとしたリルマの声だった。
「ふふふ、私あんたの性別気になってたのよね!観念して見せなさい!」
「うひゃあ、やめてください!リルマさんのスケベ!」
それに対し、ユーシャの抵抗の声も聞こえてくる、ユーシャが暴れているのだろう水飛沫の音はまだ止まない。
何が起こっているかは流石に俺も理解できた、リルマがユーシャの性別を確認するため連れて行ったのだ。
暴れるユーシャの声に、俺は焦りを感じたが、リルマ達の所に行くこともできずその場で、
「おい!大丈夫かユーシャよ!」
とまごまごとユーシャの名を呼ぶことしかできなかった。
「うひゃあ、助けて下さい戦士さん!」
ユーシャの助けを呼ぶ声にも、俺は何もできなかった。
「ははは、ユーシャよ、助けを呼んでも無駄だ!諦めろ!なぜならわれわれはすっぽんぽんだからな!」
暴れるユーシャを押さえているのだろうリルマがまるで魔王のようにユーシャを言い伏せる。
魔王にしては理由がまぬけだが、実際それのせいで俺は動けないでいる。
くっ、すまないユーシャよ!男としてリルマやミミノスの裸を見るわけにはいかんのだ!
「すまないユーシャよ!俺は無力だ!」
岩の反対側に向かって叫ぶと、ユーシャの叫びも聞こえてきた。
「戦士さんの役立たず!」
そしてその声は、リルマの驚愕の声によってかき消された。
「うわ!どうなってんのこれ!」
どうなってんのこれ?
良く分からない言葉に俺が混乱していると、続いてミミノスの声も聞こえてきた。
「初めて見ましたなあ、こんな人間もいるのですなあ」
どこか関心もしていうように聞こえるその言葉は、ユーシャの性別を指しているのだろうが、何がどうこんな人間もいるのかなのかさっぱり分からない。
そして今ユーシャはどんな状態なのだ!
「ユーシャよ!大丈夫か!」
いつの間にか水飛沫の音の止んだ大きな岩の向こうで、
「大丈夫じゃないですよ~、しくしくしく」
とユーシャのか弱い声が聞こえてくる。
哀れなユーシャよ、無力だった俺を許してくれ、後で暖かな食べ物でも食べさせてやろう。
しかし、新たな謎に俺は首を捻った。
どうなってんのこれ?
なにがどうなってるというのだ??
俺がリルマから飛んできた謎の言葉に悩んでいると、温泉の入口が勢いよく開いた。
何だ?夕日が出ている時間は貸し切りではないのか?
不思議に思ったが、気がつくと夕日は山の奥へと姿を消していた。
いつの間にやら夜の到来となっていたのだ。
気がつかなかった、早く出なくては。
「おい、誰かいるのか?」
しかし、温泉の入口から聞こえてきた変声期を終えていない少年の声に、俺は硬直した。




