―月光―
――数時間前。
ザックは地球の衛星軌道上にあるコロニーで、ダリアの祖父であるウォルト博士と出会っていた。
「俺がいることが手立て? 準備? ちょっと待って下さい、なんのことか意味が……」
「そうだ。君が地球に降下して、人類を救うのだよ」
「救う? 救うも何も、既に月の人達は、あなたが目にしたように……」
その言葉と共に、死んだウォーリーや、メカニックのアル、自らが関わった様々な人間の顔が脳裏に思い浮かぶ。そしてダリアの美しい横顔が過り、胸に鈍い痛みが走った。
「思い悩むことはない。我々は寄生虫で、淘汰されたまでだ」
「寄生虫? 淘汰?」
不可解な語彙を次々と口にするウォルト博士に、ザックは戸惑いの表情を隠せない。
「ガイア理論を知っているかね?」
「――はい。確か、地球の生物全てと、地球そのものが一つの生命体だとする説ですよね?」
「そうだ。人が作りしナノテクノロジーにより人類が滅んだのは、ガイアの意思だと考えるとどうかね?」
「……人が、地球の意思が、人類を滅ぼしたと?」
「そうだ。では、月は?」
「まさか……」
「そう、ローンバスは月そのものなのだよ。そして、害虫である我々人類を駆除するために、月の地質から姿を形作ったローンバスが産み出されたのだ。月、自らの意思でな」
「そんな……」
「星は、自らを生かすために、時として天変地異を起こしてみせたり、知性のある生き物を自らの使徒として遣わせたりするのさ」
ウォルト博士は瞼を落とすと、僅かに口許を緩めた。
「地球上で繁殖したナノマシンを浄化するためのシステムが完成し、ミサイルの弾頭に搭載して衛星軌道上から投下したのが数年前。恐らく、地球は人間の住める世界へと回帰しているだろう」
「えっ!? そんな……」
「ローンバスの出現が無ければ、既に地球への移住は開始されている筈だった。知っているだろう、数週間前に、政府高官のみが搭乗したシャトルがローンバスによって護衛のファイターもろとも落とされた事件を。ローンバスの出現を境に、月の制空権は失われた。奴等を殲滅しない限り、人類が地球に還る術はなかったのだよ」
言葉を失うザックを横目に、博士は続けた。
「弾頭の開発は私が秘密裏に行っていたが、政府の一部の高官達はそれに気付き、このコロニーをひとまずの安住の地として逃れ、準備が整い次第地球へ降下する予定だった」
ウォルト博士は、白衣のポケットから端末を取り出すと、何やら操作を始めた。すると、幾つかのゲートが解放し、中から大型の輸送用リフトが姿を現す。
「これをスタリオン改に積むといい」
ゆっくりと近づくリフトには、コンテナが積載されていた。
「これは一体?」
困惑するザックに、老人は微笑む。
「当面の食料や医薬品など、生活に必要な物が全て入っている。そして、近親交配による遺伝子劣化を抑制した受精卵も、数千人分冷凍保存してある。月面開拓時代からの優秀な人材のみから選定された受精卵だ」
「食料や医薬品はともかく、受精卵? 人間のですか? 一体何故? これを持って地球へ降りろと?」
「そうだ」
「ウォルト博士、あなたはどうするんです? このコロニーに一人で?」
今までどうしていたのか、そしてこの先どうするかを問う言葉だった。
「かつては若いスタッフや同僚がいた。だが、皆、地球へ旅立った」
「では、地球は浄化されていたんですね?」
「……分からんのだ」
「分からない?」
「通信を試みたが、返ってくることはなかった。恐らく“ドローン”に墜とされたのだろう」
「そんな……」
「だから言っただろう? 手立ては君のパイロットとしての卓越した操縦技術。そして準備はこの“スタリオン改”と“H.L system”だと」
ザックは首を巡らすとスタリオン改を見つめ、そして再びウォルト博士へと視線を戻した。
「スタリオン改とH.L systemを開発したのは私だよ。設計図をアルテミスの工廠へ送り、ローンバス殲滅作戦に耐えうる、または劣勢の場合に離脱出来る性能を与えた機体を早急に作らせたのさ。駆逐艦1隻分のコストをかけてね。……結果的に作戦は失敗したが、君は生きてここへたどり着いた。残念ながら、このコロニーから地球へ降下した者達には、スタリオン改のような機体を与えてやることは出来なかった。それを作り出す資源がここにはなく、仮に出来たとしても、操る技術を持つものなどいなかったがな」
ザックは絶句した。自分が生き残ったのは偶然ではなく、はなから想定の元で行われた計画の中にあったことに。
「月が喪われた今、君は残された希望だ。私は老いている。とても君とは行けない。だが、君は行かなければならない」
「しかし、もし無事に地球へたどり着けたとしても……」
――永遠の孤独。その言葉が脳裏を過った。
「くくっ……ははっ」
突如笑い始めた老人に、ザックは更に表情を強張らす。
その姿に、老人は更に笑い声を上げた。
「ザックよ。孫娘の恋人よ」
穏やかな老人の声に、再びザックは耳を傾けた。
◆
ドローン撃墜後、ザックは一時的に意識を失い、その後、覚醒していた。そしてウォルト博士の最後の言葉通りに、H.L systemを解放していた。
「……ダリア……」
筐体の中で両手を胸の位置に組み、安らかに眠っているダリアの白い顔を見つめ、ザックは穏やかに微笑む。
「Hurt Locker system……棺桶なんて縁起でもないな」
複座に備え付けられた黒い長方形のボックスは、ともすれば棺桶に見えた。
――空間認知能力を飛躍的に高めるために、人間一人を触媒とし、パイロットの意識を空間へ伝播させる。それがハートロッカーシステムの正体に他ならない。
それはウォルト博士が提唱していた理論であるが、触媒となる人間に余りにも負荷がかかることと、人道的理由から実用化は避けられていたのだ。
「君の父さんとお祖父さんは、君と俺に全てを賭けたんだ。君はそれを進んで受け入れたと聞いた」
ハートロッカーシステムの内部は羊水に似た液体で満たされており、それが次第に排出されていく。その液体は、浸かった者を如何なる衝撃からも守る特殊な分子構造から成り、加速度に対して絶対の防壁となりつつ、パイロットの意識を拡大させる役目も担っていた。
だが、ハートロッカーシステムの触媒となるには、その液体の中で仮死状態になる必要があり、そしてパイロットの能力次第では、システムの一部となった被験者の脳に、なんらかの障害を負わせる可能性も示唆されていた。
液体が全て排出され、浸かっていたダリアの顔が全て露になる。だが、目を覚ます気配はない。
「ダリア……」
ザックは瞳を潤ませながら、黒い筐体に額をぶつけた。
「……ここは」
「ダリア!?」
弱々しく掠れた声を聞き、ザックは閉じかけていた瞼を開いた。
覗きこんだダリアの白い顔には、戸惑いの色が浮かぶ。
「あたし……一体……。――あなたは?」
その言葉に、ザックの呼吸は止まった。
「……俺はザック。ザック・エフロン」
精一杯の笑顔を作ると、ダリアの額に張り付いた髪を、親指で静かに整えた。
「ザック? 初めまして。ここはどこ? お父さんやみんなは?」
「何から話そうか……ダリア……」
ザックはうつむくと、一言呟いた。
「子供は好きかい?」
何故突然、そんな言葉が口をついたのか分からない。だが、ザックの言葉にダリアは微笑む。
「ええ……大好き。あたし、保母さんになりたいの」
「そうか。君ならきっとなれるよ」
「……どうして泣いているの?」
ザックは瞳に溢れる涙を拭うと、白い歯を見せた。その顔を見て、ダリアはどこか幼い笑顔を浮かべた。
「私、夢を見たの。沢山の子供達に囲まれる夢を」
その言葉と表情は、輝きに満ちていた。
(――また最初から始めるのも悪くないさ……。君と、地球で繋ぐよ、宇宙を……俺達の未来を)
互いに見上げた空の彼方には、白い月が浮かんでいた。
青空の中に浮かぶ、美しい月が。
―完―