―追憶―
二つのミサイルが命中し、スタリオン改は撃墜された……かに見えた。
――しかし。
「ふっ」
口をすぼめ、ザックは短い吐息を漏らす。
爆散して見えた機体は、まったくの無傷。ミサイルが肉薄した瞬間、プロペラントタンクをパージして囮にしたのだ。その瞬間、スラスターの向きを後方から上方へ変えて、ベクタード・スラストをしてみせた。
機体は水平のまま下方へ加速し、落ちていく。万が一、ミサイルがプロペラントタンクを直撃せずに機体を追従しても、紙一重で躱すための荒業だった。瞬間的にかかった加速度は30G。常人ならば昏倒するだろう。
(景色が……赤い)
人間の耐えうる限界の加速度。繰り返される苦痛に、ザックの体は悲鳴を上げていた。鼻血が口角を伝い、圧迫された眼球の毛細血管は傷付き、紅く滲む。
ふと、ぼんやりとした意識の中、ダリアの姿が脳裏に思い浮かぶ。
「匂い。血の匂いか。同じだ」
戦闘の高揚感と、女を抱く感覚はどこか似ていた。脳幹から後頭部にかけての目眩を伴う痺れに、膝が笑う。
「まだ俺は、生きてる」
不明瞭になってきた意識を覚醒させようと、瞬きを繰り返す。
『ザック! ドローンが急速接近!』
ナビゲーターの声で反射的にスラスターを後方へ戻すと、機首を翻し垂直に降下を開始した。
震える指先でヘルメットに備え付けられたスイッチを押して、酸素の供給量を増大させる。
「残りの武装は?」
『機銃だけです。残弾数は800発』
「数秒で撃ち尽くすか」
迫るドローンは5機。幾らスタリオン改が圧倒的性能を誇り、一方のドローンが遥か旧世代のモデルとはいえ、宇宙空間での運用を前提としたスペースファイターであるスタリオン改に、大気圏内での戦闘は想定されていない。各種の兵装は空気抵抗など考慮された形状をしておらず、揚力なども無視されていた。月面上に於いての、対ローンバス戦のみに特化した機体なのだ。
そして何よりドローンには、現在では禁忌とされたナノテクノロジーが多用されており、ソーラーシステムのエネルギーを数百倍にまで増幅する『ナノマシンエンジン』が搭載されている。
一気に降下していくスタリオン改。その後方にドローンが追従していく。
「くそ! 引き離せない!」
エンジン出力は全開。プロペラントタンクを失った今、スクランブルブーストは使えない。
ドローンの機影を背中越しに感じながら、向かう先を見定め、操縦桿を左に押し倒した。
眼下には市街地が広がっていた。そびえ立つビルの群れに太陽光が反射し、目映く輝いている。爆音を大気に轟かせながら、空気の壁を撃ち破り、更に機体は加速していく。
「これ以上、更に感覚領域を広げることは出来るか?」
『ザック、あなたの残された体力では、その負荷に耐えられません』
「やってくれ、どのみちやらなきゃ死ぬんだ」
『……了解しました』
パイロットスーツの背面に内蔵された電極が放電した。ザックの背骨から脳細胞へ向け、H.L systemにより更なる負荷がかけられていく。
「うぐっ!」
脳幹が激しく脈動する感覚に、強烈な目眩と吐き気に襲われた。だが、まるで市街地のアスファルトを手のひらでなぞっていると錯覚するほどの情報量が、ザックの意識を飲み込む。
機体は背後にドローンを引き連れたまま、市街地上空へ。かつて繁栄を誇った大都市も、“終末の日”から100年に渡り静寂に包まれていた。だが、突如として現れた訪問者逹により、無限に続くと思われた沈黙の時は打ち破られた。
林立する高層ビルの群れが、かつての栄華を物語り、その全てを意識の中に捉えたザックは言葉を失う。
(みんなここで生きていたのか……喜びも悲しみも……全て感じる)
数えきれない程の人々が経験した人生を、ザックの研ぎ澄まされた神経は感じとり、無限に近い情報量が脳内に流れ込む。
かつてここで生きた人々のゴーストが、早送りの速度でザックの心を突き抜けた。
そして、時間が瞬く間に遡る。
ビルを覆う植物が全て地面へ還っていく。
埃を被って朽ちた車の群れが、元の輝きを取り戻す。
路地裏で人知れず死んだホームレス。
幸せに満ちた恋人達。
高価なスーツを身に纏い、高級車に乗り込む役員の中年男。
病床から窓の外を眺める青年。
産まれたばかりの赤ん坊。
殺人を犯した少年。
誰も看取ることなく、息絶えようとする老人。
喧騒と静寂。
笑顔。
泣き顔。
愛した記憶。
想い出。
(――命が消えては産まれていく。その繰り返しが見える。全ては繰り返され、繋がれていくのか……)
時の流れと人の想いすら感じ、ザックの脳神経は許容の限界に達しようとしていた。
――光が、見えた。それはやがて一本の線になり、二股に裂け、捩れ始める。
そして螺旋を描きながら、どこまでも伸びていく。
ザックの呼吸は乱れ、ふと、微かな記憶が脳裏を過る。
(バトン? ……バトンを渡すのか)
乱れた呼吸はそのままに、マッハを越える速度の中で、景色が緩やかに感じた。
白昼夢。少年が駆けている姿が浮かぶ。
すぐにそれが、ジュニアスクールのリレー競技で駆けている自分だと気付いた。
全力で足を上げ、遥か前方で左右に振れている誰かの背中を見つめていた。
その背中からバトンを受け取ろうと手が差し伸べられる。
――光が弾けた。
(そうか……ダリア)
『ザック! このままでは地上に激突します!』
ビルの壁面に掲げられた巨大な電光掲示板を目視できる距離。既に機体は市街地の中へ、その姿を落としかけていた。
閉じていた瞼を開き、ザックは操縦桿を引き込む。
「おおっ!!」
吠えながらスラスターを真下へ向け、地面へ数メートルの距離から機体が跳ね上がる。
爆風により、路上で朽ち果てた車が数台吹き飛ぶ。
追従していた一機のドローンが、その異様とも思えるスタリオン改の動きをなぞりきれず、アスファルトに激突した。
ザックは迷うことなく、市街地のメインストリートを全開で突き進む。両翼のそれぞれ左右、ビルとの距離は10メートル程しかない。
ジェットの爆風に窓ガラスが次々に破壊され、後続のドローンに降り注ぐが、無機質なそれらはなんら速度を緩めることなくスタリオン改を追い立てる。
大小様々なビルの群れを抜け、交差点を右へ。一瞬とすら形容できない速度で、機体は見事に旋回し、腹スレスレにビルの壁面をかすめていく。
更に一機、ドローンが壁を避けきれずに突き刺さった。
背後の爆発で噴煙が舞い散る中、残りの三機が追いすがろうと速度を増す。
再び機内にけたたましい警告音が鳴り響く。
『ロックされました! 』
「機銃か!」
ドローンの形状すら意識に捉えたザックは、その丸い先端の銃口が開く音を耳にした。
刹那、市街地が途切れた。
そこに広がるのは海だった。同時に、スタリオン改の機銃が火を吹く。狙った先は数百メートル前方の海面。
巨大な水柱が上がり、水面直上を行くスタリオン改を激しい水飛沫が覆う。
ドローンの熱感知センサーから、撃墜すべき機体が消えた。同時に、ザックは一気に操縦桿を引き込み、ほぼ直角に急上昇をかける。
「ぐっ……まだだ、意識を……保て……」
キャノピー越しに目映い太陽が見えた。
「ダ……リア……」
ヘルメットのバイザー越しに温もりを感じた。それが陽光のせいなのか、違う何かなのか、区別がつかない。
無意識に操縦桿を押し込む。一瞬の背面飛行から一気に急降下し、海面へとまっ逆さまに落ちていく。
刮目し、操縦桿を今一度引き込んだ。
機体は斜めになり、僅かに海面へ右翼が触れ、先端から発する風圧で盛大に水飛沫が跳ねる。
コンソールパネルのセンターに、三機のドローンを捉えた瞬間、ザックはトリガーを引いた。
ドローンが発するアフターバーナー目掛け、繋ぎ目のある二対の光が線を描く。
僅か数秒。
弾倉が空になり、トリガーを引く指に伝う振動が乾いた。
並列に弾ける目映い輝きが視界を覆う。
爆発し、海面に叩きつけられ、水柱が三本上がった。
――そして、ザックの意識は途切れた。
◆
「ザック。もし、この戦争に生き残れたら」
「……生き残れたら?」
人工芝の上に寝転び、二人は空を仰いでいた。
「私、赤ちゃんが欲しい」
「……はい?」
ザックは思わず起き上がり、ダリアの顔を覗きこむ。
「あはははっ」
困惑したザックの表情を確認すると、ダリアは大きな口を開けて笑いだした。
「このっ」
「痛っ」
笑いながら、揃えた指先でザックの脇腹を突き刺すダリア。
「何すんだよ」
「もっと遊びたいって顔してた」
「してねーよ」
「してました……。ねぇ、ザック」
「うん?」
「私達、死ぬのかな?」
その言葉に、ザックは眉を潜め、再び寝転がると空を仰いだ。
「この空は作りものだけど、俺達はちゃんと生きてる。死なないし、俺が死なせない」
右手をドームに擬似投影された青空へ掲げた。
「ザック・エフロン、約束だよ、死なないって」
「あぁ、約束するよ、ダリア」
どこか薄ぼんやりとした景色が歪み、ダリアの声が遠くなる。
(ダリア……)
目眩を感じながら、息苦しさに気付いた。
『ック……ザック……ザック!!』
「……うっ」
アラートが酷く煩く感じた。次第に大きくなるその音に、ザックは瞼を開く。
全身に感じる鈍痛は、高熱を出して寝込んだ時のそれに似ていた。
「ここは?」
『ドローンを全機撃墜後、あなたは意識を失いました。緊急マニュアルにより、コンテナを投下したポイントへオートパイロットで到着しました』
「そうか……。そのノリでお前が戦ってくれてたらな」
『人間の勘のような機能は私にはありません。戦術にそれらが優劣をつけるのをあなたは知っている筈だ』
「……よく言うぜ」
酷い頭痛と吐き気に、ヘルメットを脱ぎ去る。
人工的だが、ナビゲーターの落ち着いた低い声に、どこか懐かしさを感じた。
「キャノピーを開けてくれ」
ザックの言葉に、ゆっくりとキャノピーが解放された。
静かに息を吸い込む。
「匂いが、する」
土の匂い。草木の匂い。アスファルトの匂い。
潮の香り。――雑多な臭気が、ザックの嗅覚を刺激した。
四苦八苦しながら四点式のシートベルトを外すと、コクピットから体を抜き去ろうと試みる。
「っ!」
全身を蝕む痛みに、思わず呻く。震える手で、簡易ラダーを垂らし、ゆっくりと降り始めた。
「あうっ!?」
足に力が入らない。そのまま姿勢を崩し、無様に地面へ転がった。仰向けになると、大きく息を吐き、そして笑った。
瞳から涙が溢れ、耳から伝い、地面へとこぼれ落ちていく。
「本物の空か。H.L systemを開けてくれ」
すると、音もなくコクピットの後部、複座の位置に配されたH.L systemの筐体が開いた。
ザックは力の入らない全身に鞭を入れて起き上がると、左翼下部に隠されたワイヤーを引き出し、足を掛けた。なんとか左翼に登ると、筐体の中へ身を乗り入れ、覗き込む。