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―出陣―

 ――深い、漆黒の空間に、大小の白い光点が無限に広がっていた。

 操縦桿を引き込み、アクセルペダルを蹴飛ばすと、強烈な加速Gが脳幹と頸椎を後方へ押し潰そうとしていく。

 燻し銀に輝く戦闘機(ファイター)の両翼が、冷たい宇宙空間を裂きながら、音もなく震えた。


「こちらα(アルファ)、後ろを取られるぞ! 離脱しろβ(ベータ)!」


 2G、3G、4G――。硬質なフルバケットシートに肩がミシミシと押し付けられ、鈍い痛みが走った。

 加わる強烈な重力に、グラグラと収縮していく眼球。

 揺らぎながら暗くなる視界の中で、ザックはディスプレイに映りこむ僚機の後方に視線を凝らす。

 

「遅いぞ!」


 ザックが発した言葉は、アフターバーナーを噴出しながら加速する僚機へ向けてだ。そのファイターの背後に、白く輝く菱形の物体が追尾して見えた。

 


「うわぁぁっ!」


 仲間のパイロットの絶叫に、ザックは更に機体を加速させる。


「くっ」


 胸骨が軋み、途切れる呼吸。

 気の遠くなる加速Gの中で、ザックは意識をディスプレイのセンターに集中し、操縦桿を小刻みに操作すると、敵の数百メートル前方、ちょうど僚機と敵の間に定めた。

 硬質なトリガーを人さし指で引く。機銃の掃射が始まり、実弾の合間に放たれる曳光弾がグリーンのラインを虚無の空間に走らせた。

 操縦桿越しにザックの上半身が震える。真空の宇宙に、それらの凄まじい発砲音が伝わることはない。目映い二本の直線がしなり、霞がかりながら生き物のように躍動した。

 ザックが敵をディスプレイの中に捉えて、僅か1.5秒。センターに映りこんだ瞬間、造作もなく敵を斜めに引き裂いた。


「ヒャッハー!」


 死の瀬戸際から生還した僚機のパイロットが、歓喜の声を上げ、ザックのヘルメット内部で耳障りにノイズがかる。

 突如、けたたましい警告音がコクピット内部で反響し、ディスプレイが赤く点滅した。


「ちぃっ!」


 レーダーにはザックの機体後方、下方向から敵の影が二つ。


(どっから涌いてきやがった!)


 猶予はない。数秒の迷いが死に繋がる。

 咄嗟に操縦桿を右に倒した。機体側面の排気口から球体状にバーナーが噴き出し、弾けるように水平から真横に姿勢を変える。

 その腹スレスレを、二体の敵がすり抜けていく。

 ()の攻撃方法は単純だ。

 “体当たり”――ただそれだけ。しかし、特攻は脅威以外の何物でもない。

 モニターに映る二体の敵は、斜め上方、左右に分かれ、背面飛行からザックの機体へ向け転身してきた。


「ザック!!」


 僚機のパイロットは機体を旋回させ、ザックの救援に向かおうとするも、その動きは遅い。


「ふっ!」


 眉間にシワを寄せる僚機のパイロットとは対照的に、ザックは歯を剥き笑う。そして、操縦桿を一気に押し込みながら、ブースターペダルを床まで踏み込んだ。

 後頭部を殴られたかのごときGが襲い、四点式のハーネスが鎖骨と腰に食い込む。

 迫る敵の速度を僅かに凌駕し、ザックの機体が敵に鼻っ面を向けたまま後方へ加速した。

 警告音が重なりながら響く。 

 二体の敵を同時にロックしたことをディスプレイが告げた。 

 親指に力を込め、サイドワインダーの発射ボタンを押す。


「一発10万ドルの花火だ」


 両翼の下部に装備されたサイドワインダーが射出された。 

 漆黒の闇に美しいラインが2本、白く輝く。

 二体の敵はそれぞれ迷ったように蛇行をすると、腹を見せて回避運動を始めたが、時すでに遅し。

 永遠の闇夜に、赤い光点が咲き乱れた。


bull'seye(大当たり!)!」


 思わず僚機のパイロットが叫ぶ。爆炎が弾け、目映い輝きが広がった。


「ウォーリー、叫びながら小便漏らしてないか!?」

「あぁ、おかげさまでな! 少しクソは漏らしちまったがな!」

「はっはー!!」

 僚友の元気な声に、ザックは再び乾いた笑い声を上げた。


「気を抜くな!  索敵、厳に!」

「イェーッサー!」


 バラバラに砕けた敵は砂に似た白い粒子となり、

キラキラと月光に反射しながら、暗い宇宙の中に溶け込んでいった。



 ――翌朝。

 広大な宇宙港のエントランスに、男と女がいた。


「大丈夫だよ」


 青年にはまだ遠い、幼さの残る口許を綻ばせ、ザックは笑った。浅黒い肌から零れる白い歯が、空港のガラス越しに見える空の曇と同じ色に見えた。

 もっともそれは、この都市の上空を覆うドーム内に人工的に作り出された物なのだが。


「それより、ダリアのほうが心配だ」


 軍服のポケットに両手を突っ込んだまま、長身から少し見下ろした視線の先。

 歳のわりに大人びたザックの声に、目の前で佇むダリアと呼ばれた女は少し尖った顎を上げた。

 くびれた腰から伸びる細い両足は交差させたまま、後ろに組んでいた両手をゆっくりと頭上へ掲げる。そして白く華奢な指先でベレー帽の端を掴むと、癖のある金色の前髪を中へ押し込む。

 同期の男達から“クレイジーブルー”と騒がれた美しい瞳が、真っ直ぐにザックを見つめていた。


「私は旗艦に配属されたから、間違っても危険な目には合わないよ。――ザック、ザックは最前線へ行くんでしょ? 私、恐いよ。昨日だって、哨戒中に……」


 その言葉に、ザックは端整な顔に困った表情を浮かべると、自らの後頭部を意味もなく撫で付けた。

 広いエアポートのエントランスは、軍人と、それを見送る家族や恋人でごった返していて、天井の高い空間を熱気で埋めている。

 だが、そんな喧騒も両者の視界には入らない。

 二人が防衛大学で出会ってから一年の月日が流れていた。

 ここ、月面都市(アルテミス)に謎の攻撃が加えられるようになってから半年。

 軍属は人材の優劣、学徒に関わらず、次々に戦場へと駆り出され、消耗品よろしく犠牲者の屍が累々と積まれていった。

 過去、地球上で起きた度重なる世界規模の大戦。その最中に投入された“ナノマシン”の暴走により、人類は僅か数日で吸収され、地球上での生存圏を失った。

 死滅したかに思われていた人類だったが、戦時下の月面計画に於いて、軌道上に建造されたコロニーが多数あった。当時、その中で作業に従事していた数万の人間のみが“終末の日”の難を逃れ、月を新たな故郷とした。

 百年と有余の後、ようやく数百万程にその数を増やした人類により、アルテミス周辺に枝葉のごとく増築されたコロニー群が月面を覆い始めた頃。人類の有史以来、初の異星生物との接触は、()からの一方的な攻撃で幕を開けた。

 ひし形を意味する「rhombus(ローンバス)」と名付けられたその存在は次々に飛来し、月面に点在するコロニーを容赦なく強襲した。

 どこから現れるのか分からない。

 それが広大な宇宙の彼方からなのか。レーダーが感知する頃には、いつもコロニーの30キロ圏内なのだ。


「敵の本拠地を見つけ出し、艦隊を以てこれを殲滅する」


 空港の壁面に投影された立体映像(ホログラム)には、軍の最高司令官が眉間に深いしわを刻みながら声を上げていた。


「今まで何人死んだと思ってんだよ」


 ザックとダリアの横を歩きながら、立体映像に視線だけ送る若者がボソボソと呟く。

 つい数週間前にも、政府高官を乗せたシャトルがローンバスにより撃墜されたばかりだった。

 その中には、ダリアやザックの知人も含まれていた。


「あっ」


 立体映像に気を取られた若者が、母親の手に引かれた少年にぶつかった。その拍子に、少年が手にしていた風船がゆっくりと浮き上がる。

 ザックは一瞬のうちに駆け出すと、指先を伸ばす。跳躍し、空中で風船を捉え、静かに着地した。


「はい」

「ありがとう」


 穏やかな笑顔を浮かべるザックが膝をつき、差し出した風船。それを受けとると、泣き出しそうな表情から一変、少年はそばかすだらけの頬を緩め、母親の手を握った。


「可愛い」


 ダリアは少年の後ろ姿を見送りながら、ザックの腕に手を回す。


「保母さんになる夢、諦めてないんだろ?」

「うん。この戦争が終わったら」

「ダリアならなれるさ」


 ザックは彼女の手を握ると、穏やかに微笑む。

 その優しい表情に、ダリアは僅かに口許を綻ばすと、ザックの胸元に額を押し付けた。



 数時間後、ザックは自らが乗艦する巡洋艦(クルーザー)格納庫(ハンガー)にいた。

 広大なスペースには、2機の戦闘機が収容されており、数名の整備作業員(メカニッククルー)がひっきりなしに移動しては、白い繋ぎを黒く汚しながら作業に従事していた。


「この作戦で投入されるとはな」

 

 パイロットスーツに身を包んだザックは、自分の機体を担当するメカニックの背中に視線を送る。


「ついさっき搬入されたばかりだよ。なんたって、司令部はこの作戦に賭けてるからね。僕たちは地球には戻れない。(ここ)を死守するしかないんだ」


 小太りのメカニックはグローブで頬の汗を拭うと、油で黒くなったことなど気にするでもなく、コクピットから伸びる梯子を降りていく。


「地球か……まっ、俺たちにとっては縁のない、お伽話の星さ。ところでアル、このエンジン、馬力は?」

「25万馬力」

「ヒュ~ッ」


 ザックは口笛を吹くと、肩に担いだヘルメット越しに頬を緩めた。


「旧タイプのスタリオンより10万馬力アップかよ。恐ろしいな」

「よく言うよ。ザックのために工廠(こうしょう)(軍需工場)が不眠不休で仕上げたんだよ、このスタリオン改は。トップガンの君に優先的に与えられた試作機さ。外装も従来の倍以上の強度が出てる」

「トップガンねぇ」

「名誉なことじゃないか」

「学徒同然の俺に期待をかけてるぐらいじゃ、人類の命運も尽きかけてるってことだろ」


 ザックはため息をつきながら、自らの愛機となるスタリオン改を見上げた。

 機体後部に増設された二基のプロペラントタンク(増槽)が、フォルムを幾分長く見せていた。


「我が軍のエースパイロットが最新鋭機を受領って訳か。長官の娘といい、お前が羨ましいよ、ザック……おっと、ザック小隊長殿」


 わざとらしく敬礼しながら、そばかすだらけの頬を緩め、ザックの機体に並ぶ自分のスタリオンの梯子から飛び降りた男。やせ形で長身、癖のあるボサボサの赤毛と、やたらに高い鼻が印象的だった。


「ウォーリー、てめぇ」

「お前がエースパイロットってのは認めるが、ミス・ルナティックのダリア嬢まで()()にするとはなぁ。おまけにその()が司令長官の娘とくりゃあ、将来は安泰だな」 


 嫌味ったらしい言い回しだが、腕組みをしながら格納庫の壁面に背中を預けるウォーリーの表情には、微塵も卑しい気配はない。ザックもウォーリーの性格を知っているのか、少し上唇を歪めながらも、瞳は笑っている。幼い頃からの友人であり、無二の親友だった。


「サマセットの野郎の怪我は? あいつがいないせいで、哨戒中に苦戦するはめになっちまった」


 ボヤくウォーリーを横目に、ザックは表情を曇らす。


「サマセットはまだ退院出来ない。今回も俺たち二人で出撃だ」

「ちっ、小隊(プラトーン)が聞いて呆れるぜ、この様じゃ」


 ザックを隊長とする四人編成の小隊だったが、開戦初期の段階で一人が戦死、続いて一人が重症を負って入院していた。欠員を補充することは叶わず、日々の哨戒任務をこなすザックとウォーリー。それは他の部隊でも同じだった。度重なる敵の特攻攻撃に、アルテミスの防空守備隊は、人員、物資共に疲弊と消耗の一途を辿っていた。

 防戦一方の中で、この半年間に収集・分析した情報を元に、ついに軍首脳部は残存戦力を総動員し、敵の本拠地とおぼしき地点に総攻撃をかける作戦を立案したのだ。


「あれか? “H.L system”ってのは?」

「みたいだな。なんでも、このヘルメットとパイロットスーツに連動して、操縦者の視野領域と感覚領域を恐ろしく拡大するって話だ」


 ザックとウォーリーの視線の先。スタリオン改のコクピット後部に、複座の代わりに黒い長方形の物体が備え付けられている。


「作戦まであと一時間しかない。実戦で性能を計るしかないか」

「全く、余裕のねーこった」


 ふと、格納庫内にアラートが鳴り響く。


「ブリーフィングの時間だ、ウォーリー行くぞ」

「へーいへい。おいアル、俺のスタリオン、スロットルペダルの動きが渋いのと、ディスプレイの調子がいまいちだから、見といてくれ」

「分かったよ、ウォーリー」

 

 アルはツールボックスに駆け寄ると、引き出しを開けてごそごそやりながら、これから戦地へ赴く兵士へ向けて人懐っこい笑顔を送った。



 旗艦ドレッドノートと巡洋艦10隻が編隊を組み展開する様は壮観だった。目指すのは、この半年の間に出来たと思われる巨大なクレーター。

 都市を一つ飲み込むほどのサイズがあった。恐らくそこに敵の本拠地があるのだろうという科学者達の見解だったが、偵察用のドローンを何度か送り込んでも、必ず到達前に撃墜されるため、確たる証拠はなんら得られていない。


(総攻撃をやってみせて、人心を少しでも和らげたいのさ)


 コクピットの中で、ザックはウォーリーの言葉を思い返していた。壊滅した幾つかの都市、そして犠牲になった数万の市民と、遺族達の憤りを考えれば、軍首脳部が防衛に徹するのにも限界があった。

 そして、死んだ政府高官のともらい合戦という口実が、全軍を総動員する契機になった。


「ブラボー小隊、発進準備完了。コントロール(管制室)、いつでも出れるぞ」


 赤、青、緑。それら計器類のぼんやりとした輝きの中で、閉塞感のあるコクピットは不気味な程の静寂に包まれていた。カタパルト中央を走る誘導灯が、自らの鼓動と同じリズムで波状に赤く点滅している。

 通電した電子機器が熱された際に発する独特な臭気。それらがザックの被るへルメット越しにも鼻腔を掠め、幾度となく繰り返して慣れたはずの出撃の緊張感を、いやが上にも増幅させた。


「ブラボー小隊、発進よろし。幸運を(グッドラック)


 管制室の女性ナビゲーターの声はどこか無機質で、乾いて聞こえた。


(ダリア、この作戦が終わったら……)


 ふと脳裏をよぎった思いをかき消すように、誘導灯が赤から緑に変わると、ザックは操縦桿を引き込み、アクセルペダルを踏みつけた。

 息の止まる加速が始まり、数秒と経たず、星々が瞬く漆黒の海原へ。

 視線を巡らせば、周囲の巡洋艦から沢山の光点が射出されていた。


「ブラボー小隊を中心に、各小隊は紡錘陣形スピンドルフォーメーションを組め」


 旗艦の艦橋に座すダリアの父親、総司令のグレゴリー。髭を蓄えた端正な顔に険しい表情を浮かべながら、インカムから全機へ向けて指示を出す。

 そして、ザックとウォーリーの機体を中心に取り囲みながら、各小隊がフォーメーションを組んでいく。

 その眼前に、巨大なクレーターが姿を現した。

 太陽光に照らし出され、えぐれたクレーターの内壁が影を落とし延びている。

 

「静かすぎる」


 レーダーには何の反応もない。ザックはコンソールパネルを操作した。


「H.L system起動」


 うなじにビリビリとした感覚が走り、パイロットスーツ内部に備え付けられた電極入りパッドから、ザックの神経細胞へ向けて微弱な電流が通電し始めた。


『ようこそ、ザック。システムと貴方の脳神経が接続されました』


 ザックの脳内に響く、穏やかな男性の声。電子的な合成感があった。


「早速だが、周辺を索敵してくれ」


 マニュアルで理解していたとはいえ、どこか夢の中に似た感覚に、ザックは背中に嫌な汗が滲むのを感じた。依然としてディスプレイに敵影はない。


Get a brip(感あり)! 』


 その言葉と同時に、ザックは肌が粟立つ感覚に襲われた。


「うっ……こ、これは」


 意識が拡大する、とでも言おうか。虚空に浮かぶ自分の肉体を通して、どこまでも遠くへ、皮膚の触感が伸びていくかのような錯覚に陥った。


「カハッ」


 呼吸が止まり、とてつもない恐怖を感じた。自分自身が永遠に広がっていく恐怖。

 教練の際、初めて宇宙空間に身を投げ出した時の浮遊感を思い出す。それは、海で溺れた時の、足がつかない不安感に似ていた。

 

『ザック、落ち着いてください』

「……何っ!?」

 

 ザックには確かに見えた。陽炎のごとく立ち上る

、巨大な粒子が。

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