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ユメノート

作者: 日望 夏市

第一章


 僕は小説を書き始めた。書き始めたと言っても、まだ一行も書いてはいないのではあるが。もちろん、小説なんて書くのは初めてで、小学生の頃は作文や読書感想文なんてものは苦手中の苦手であり、社会人になっても業績レポートなんかのビジネス文書も同僚に手伝ってもらって、やっとといった始末である。そんな文章のど素人の僕が小説を書き始めたのには理由がある。


 一年程前、祖父が他界した。その日は僕の誕生日だった。亡くなった年齢は百歳で、祖父の百歳の誕生日でもあった。祖父は丁度百歳生きた訳だ。祖母は祖父の死を悲しみ、その半年後、後を追う様に亡くなった。驚いた事に、祖母の亡くなった日も丁度誕生日であり、祖母と祖父は同じ歳で、二人揃ってぴったり百歳生きたのだ。祖母の葬儀の時には、「なんて平和な二人なんだ。」と、葬儀中にも関わらず、親戚一同誰もが笑っていた。


 平和と言えば、 祖母と祖父は徹底した平和主義者であり、二人の周りでは争い事のひとつも起こらない。近所で夫婦喧嘩など起ころうものなら、祖父と祖母が割り込んできて、たちまち喧嘩が収まった。各地で行われる平和集会にも積極的に参加し、寄付などの支援も行っていた様だ。


 そもそも僕は、祖父と祖母の本当の孫ではない。僕が赤ん坊の頃、祖父母の家の裏の空き地で、生い茂ったシロツメクサの上に置き去りにされていたそうだ。その日も祖父の誕生日だった。祖父は、捨てられていた僕を見つけ、娘夫婦の所に連れて行き「今日からお前達の息子だ。」と言って置いていったらしい。子宝に恵まれなかった二人は捨て子の僕をとても可愛いがり、何不自由無く育ててくれたのだ。


 僕が捨て子だったことを知らされたのは十歳の誕生日。祖父と同じ誕生日なので、毎年、親戚一同揃って一緒に祝う事になっていた。しかし、その日はなぜか家族と祖父だけだった。誕生日のケーキを前にして、祖父が打ち明けたのだ。僕はその時、祖父と同じ誕生日である訳がようやくわかったというくらいで、落胆や悲しみは微塵も感じなかった。それ以上に、僕はたくさんの愛情をもらっていたのだ。親戚一同も「捨て子」なんて目で見る者は誰もいない。祖父に「なぜ、僕は捨て子なのに、みんな僕に優しいの?」と聞いた事がある。祖父は「それは、お前さんがいい子だからだ。」と言った。


 祖母の葬儀の後、祖父母の家の遺品整理を行った時、遺言書が見つかった。財産は恵まれない子供たちへの寄付などでほとんど残っていなかった。唯一この古い小さな家だけが残されたが、その唯一の財産であるこの家を僕に譲るということだった。僕はもう社会人となって随分になるが、独り身の狭いアパート住まいであったので、有り難かったのではあるが、赤の他人の捨て子の僕にだけ遺産が配分され困惑していた。しかし、誰もそれに文句ひとつ言う者は無かった。「あんたがじいさんとばあさんの面倒を一番見ていたんだから。」と、誰もが納得した。僕はたまたま会社が祖父母宅と近かった為、老人二人暮らしのこの家の様子を伺いに、毎日の様に会社帰りに立ち寄っていた。最も、祖母が作ってくれる夕食が目当てだったのだが。


 遺言書の他にも色々な物が出てきた。釣りの道具や楽器、画材、手芸用品、カメラ、現像用具、手品の道具まで。皆は祖父と祖母の趣味の多さに驚いていた。専ら、その趣味の相手や手伝いは僕で、お陰でピアノやギター、油絵に水彩、パッチワークに刺繍、フィルム現像など、一通りのやり方をマスターしてしまった。

 整理した遺品の中に、僕は素敵な物を見つけた。それは、一冊のノートだった。ノートというよりも、帳面と言った方がいいのだろう。親戚一同、それを見つけると、「わー、懐かしいー!」と、感嘆の声をあげた。義母の話では、子供の頃、皆この帳面を持っていたらしい。それは、祖父と祖母が作ったお手製の物で、祖父が和紙を糸で束ねて製本し、表紙は祖母が千代紙や和柄の模様で綺麗に飾った。子や孫の代に至るまで、誕生日には必ず手渡され、大人になるまで毎年一冊もらっていたそうだ。

 しかし、僕はもらった事が無かった。やはり、捨て子にはもらえないんだという気がして、少し悲しくなった。だが、よく考えてみると、子も孫も皆女性であり、男子の僕は祖父から竹馬やら凧やらを作ってもらった事を思い出した。義母は「じゃ、それはあんたが持っておきなさい。」と言う事で、祖父母の最後の帳面は僕がもらう事となった。

 このノートは、誰が決めた訳ではないのだが、いつからか「夢を書く」というルールに定着したそうだ。というのも、このノートに書いた夢は必ず叶うという伝説のような実話が幾つもあるというのだ。志望校の合格から希望職への就職、運動会の徒競走での一等賞、祖父母の三姉妹は三人共、恋愛成就を願い結婚にまで至ったそうだ。いつしかそのノートは「夢ノート」と呼ばれるようになった。


 折角なのでこの夢ノートを使おうかと悩んだのだが、僕の唯一の願いは、僕を育ててくれた両親と本当に血の繋がった親子になりたいという事だった。本当は、心の奥の方でいつも燻っていた感情だが、これを口に出す事は義母と義父を悲しませる事になるのではないかと、さらに奥の方へ押し込んでいた。僕を生んでくれた本当の母の事は、僕を義母の元へと導いてくれた聖母の様に思っていたのだが、例えば逆に恨みの言葉であったとしても、義母の前では口が裂けても言ってはならないと思っていた。僕の願いはこの夢ノートでも叶いはしない。捨て子の僕がこんなに暖かい家族に拾ってもらえたこと自体が幸運なのだ。ならば、平和を愛した祖父と祖母の意思を継いで、世界を幸せにする物語を書こうと考えた訳である。



第二章


 ある休日、祖父母の家にて。もう祖父の一周忌である。ようやく本腰を入れて書く気になり机に向かったが、夢ノートの一ページ目を開いたまま、半日が過ぎた。まだ一文字も書けていない。祖父の机にあったペンで試し書きをしたメモ帳の「あ」の文字が、あんぐりと口を開けっ放しの自分の顔に見えた。

 世界を平和にするにはどうすればいいのだろうかと考えた。今も世界のどこかで戦争や紛争が起こっている。民族問題や人種差別、近隣でも争いごとは絶えない。祖父と祖母の周りだけがいつも平和であったが、今、僕の周りで争い事が起こるとそれを止める二人はもういないのだ。


 些か、大袈裟過ぎると思い直し、ごく普通のありふれた平和な物語にしようと考え直した。主人公は祖父と祖母。ジグとバグという名をつけた。「ジグとバグは、何もない草原で無邪気に遊んでいた。ふと見ると、丘の上にリンゴの木を見つけた。」こんな感じでどうだろうか。聖書の創世記になぞって物語を書き始めよう。

「リンゴ。リンゴは漢字にした方が良さそうだな。」僕は祖父の棚から辞書を引っ張り出し「リンゴ」を調べた。

「りんげつ、りんけん、りんげん、りんこ、りんご、りんこう。あった。」僕はメモ帳を一枚めくり、そこに「林檎」と漢字で試し書きをした。そして、夢ノートに書き始めた。


『ジグとバグは、何もない草原で無邪気に遊んでいた。ふと見ると、丘の上に林檎の木を見つけた。』


 僕は祖父のペンで、記念すべき一行目を書き上げ、さらに二行目に挑んだ。


『林檎を食べたジグとバグは、突然、魔法にかかり、やがてマチが生まれた。』


 二行目は一気に書き上げた。マチは祖父と祖母の長女であり、僕の育ての親の義母の名である。二行目まで書き上げたのだから、後はスラスラ書けるだろうと、無理やり理由をこじつけ、後は午後にしようとペンを置いた。改めて読み返してみると、なんて幼稚な文章であろう。まぁ、文才のない僕が書いた物語だ。こんなものである。


 冷蔵庫は空っぽ。祖母の美味しいご飯が恋しいが、もう祖母はいない。自分で作らなきゃと、買い物に出る事にした。

 スーパーへの通り道の商店街で、果物屋を見つけた。そう言えば、祖父も祖母もリンゴが好きだった。僕はリンゴを買って、祖父母にお供え物をしようと果物屋へ入った。ところが、ザッと見回したところ、リンゴは見当たらなかった。僕は店主に「リンゴありますか?」と尋ねた。ところが店主は、

「ん?り?なんだって?」と聞き返した。

「リンゴありますか?」ともう一度尋ねた。

「リンゴってなんだね?舶来のフルーツかい?そんなハイカラなものは置いてないんだ。悪いね、お兄さん。」と、まるでリンゴという果物はこの世に存在しないという様な言い方だった。リンゴを知らない果物屋なんて初めてだ。きっと、忙しくて聞き違いか勘違いをしたんだろう。まぁ、スーパーで買えばいいやという事で、果物屋を出てスーパーへ向かった。

 スーパーでは、一通りの食材を買い物籠に押し込み、フルーツ売り場へ向かった。リンゴを探してみたが、やはりここにも無かった。きっと時期外れなんだろうと、僕はリンゴを諦め、さっさとレジを済ませて祖父母の家に帰った。いや、もうすっかり僕の家なんだが。


 昼食を簡単に済ませ、午後はやる事も無いので、夢ノートの物語の続きを考えた。マチが生まれてからの話だ。そう言えば、僕は義母の幼少期の話をよく知らない。電話で聞いてみれば、何かヒントが見つかるかもと、義母に電話してみた。しかし、何度かけても「この番号は、現在使われておりません。」と言うだけだった。義母は携帯電話の番号を変えたのだろうと、家の番号に電話をしてみた。

「あ、もしもし、僕だけど。」と言うと、

「僕ってどちら様ですか?」と義父の声が答えた。きっと、流行りの電話詐欺の対策なのだと思い。

「ともやだよ。父さん、母さんの電話が繋がらないんだ。」そう言うと、

「どちらのトモヤさんですか?私には嫁はおりませんし、母も随分前に他界しました。この家には私しか住んでないんですが。かけ間違いじゃないですか?」と。

「すみません。」と言い残し、僕はそのまま電話を切った。何がどうなっているのか、さっぱり分からず頭が混乱した。きっと、家で何かが起こって、訳あって他人のフリをしているのかもしれない。例えば、電話の向こうでナイフを持った強盗に脅されているとか。僕は直ぐに車に乗り、実家へと向かった。


 実家まで車で三十分。僕は恐る恐る玄関の呼鈴を押した。出てきたのは義父だった。

「父さん!」

「君は誰だね。もしかして、さっきの電話の人かね。」反応は電話と同じだった。どうやら強盗に脅されているのではないようだ。僕は「ちょっとすいません。」と言って、他人のフリをしている義父の横をすり抜け、玄関を突破した。部屋を片っ端から捜索したが、義母の姿も、その痕跡すら無かった。

「気が済んだかね。」と言われ、どうしていいのか分からず、僕は黙っていた。

「何かあったのかね。話してみないか?」ぼくが義父だと思い込んでいる初老の男は、親切にも僕に気遣ってくれたので、ありのまま全てを話した。

「君は崎原さんの息子さんなんだね。先日、二人供お亡くなりになった事は知っている。ここら辺りでも名の通った有名な大富豪だ。残念だが、君は心神喪失している様だ。病院へ行きたまえ。」彼はそう言った。

「崎原は祖父母なんだ。両親ではありません。」僕は彼に反論した。

「そうだね。たが、崎原氏にはマチと言う娘さんはいないはずだ。二姉妹に養子の長男だけだ。君はその養子の長男なんだね。さぞたくさん遺産が入っただろう。それで、いい医者にかかりなさい。」そう言って追い出された。僕は心神喪失しそうな程の混乱の中、車を走らせ家に帰った。


 帰り道。車の中で、義母の失踪と義父の発言から仮設を立てた。祖父母の崎原夫婦は莫大な資産を残していた。僕は娘夫婦の養子として育てられたが、戸籍上は崎原家の養子であり、僕に遺産を譲らせない方法として、…。ここまでの仮設で、辻褄が合わないことに気づいた。


 家に着くと、門のそばで女の人が立っていた。赤い口紅の派手な服を着た女だった。僕が近づくと、その女は僕の前に立ちはだかり、こう言った。

「私があなたの本当の母親よ。」僕は、混乱の中で更なる混乱に遭遇した。次に女は、

「母さんに、お金を貸してくれないか。」と付け加えた。僕はその女を無視し、門を開け家に入った。


 その夜、混乱の真っ只中、叔母に電話をする事にした。また「あなたは誰?」と言われてしまうだけなのだろうか。叔母は義母のマチのすぐ下の妹にあたり、嘘を言う人ではない。

「もしもし、叔母さん?」

「あら、ともちゃん。どうしたの?」叔母は優しい声で答えてくれた。

「叔母さん、良かった。また、知らないって言われるんじゃないかと思って。」

「知らない訳ないでしょ。」

「母がいないんです。」

「んー、そうね。お母さん死んじゃったわね。でも、百歳まで頑張って生きたのよ。」

「違うんだ。ばあちゃんじゃなくて、あなたのお姉さんのこと。」

「何言ってるの?ともちゃん、どうしちゃったの?私にお姉ちゃんなんていないわよ。あなた大丈夫?」

「いえ、もういいんです。」

「ほんとに大丈夫?あなたは大事な私の弟なんだから。」僕は叔母だと思っていた姉に、ありがとうを言って電話を切った。


 翌日、朝から役所へ出かけた。僕が何者なのか、真実を確かめる為に。

 役所で戸籍を確認した。確かに義父と叔母の言うように、僕は崎原家の養子となっていた。叔母は義理の姉になっている。義母のマチの存在はないので、当然、義父は赤の他人だということになる。僕を育てたあの人達は一体何者なんだ?


 誰もが義母のマチはこの世に存在しないという様な言い方をする。昨日の朝の事を思い出した。

「あの八百屋のリンゴと同じだな。」と、苦い笑いが込み上げてきた。そこで、気づいた。

「リンゴ?マチ!あっ!まさか!」僕は大急ぎで家に帰った。


 家に着くと書斎へ向かい、夢ノートを開いた。


『ジグとバグは、何もない草原で無邪気に遊んでいた。ふと見ると、丘の上に林檎の木を見つけた。林檎を食べたジグとバグは、突然、魔法にかかり、やがてマチが生まれた。』


 僕は自分で書いた幼稚な文章を読み上げた。そこに書かれた「リンゴ」と「マチ」がこの世界から消えたのだ。ふと、横に置いてあったメモが目に入った。試し書きの「あ」の文字のメモを一枚めくると、確かに書いたはずの「林檎」の試し書きが消えている。更に、慌てて棚から辞書を取り出し、「リンゴ」の文字をを探した。

「りんげつ、りんけん、りんげん、りんこ、りんこう。」やはり、「りんご」の文字が辞書から消えていた。



第三章


 祖父母が作った「夢ノート」。夢が叶うはずのノートと言われ受け取ったが、実際には、このノートに書いたモノが現実から消えるのだ。僕はその効果を確かめるため、実験をすることにした。

 昨日スーパーで買った卵があった。僕は冷蔵庫を確認した。確かに冷蔵庫には卵が十個ある。次に夢ノートを開き、


『マチは卵を食べた。』


と書いた。急いで冷蔵庫まで走った。冷蔵庫を開けた。十個あったはずの卵が消えていた。やはり思った通りである。ノートに書いたモノの存在がこの世界から消えるのだ。


 だが、本当に消滅するだけなのだろうか。平和を愛した祖父母が作ったノートだ。破壊に導くなんてことは、あの祖父母からは考えられない。もしかしてこの後に、ノートに書いた事が現実になるのかもしれない。そうに違いない。捨て子の僕を、何があっても信じてくれた祖父母だ。義母のマチも本当の子の様に愛してくれたじゃないか。消滅して終わりだなんて有り得ない。


「じいちゃんとばあちゃんを信じるんだ!」


 僕は祖父の書斎に籠った。「夢ノート」の続きを書き上げるために。


『やがて、マチに姉妹が生まれた。いつも笑顔の絶えない三姉妹は、すくすくと育った。マチは年頃になるとノブオに出会った。ノブオは心優しい男で、二人はすぐに恋に落ちた。』


 僕は試しに義父のノブオに電話をした。電話の主は「現在使われておりません」と僕に報告をした。さらに、二人の叔母にも電話をかけた。同じく電話の主が未使用番号である事を告げた。平和な世界にするには、心優しい人たちも必要だ。僕は物語を続けた。


『ジグとバグとその三人の姉妹の周りには、たくさんの心やさしい人たちが集り、彼らの家からはいつも笑い声が聞こえた。彼らは皆、平和を愛する正しい人間ばかりであり、平和な世界が出来上がった。』


 それから、周りの風景やら町の様子やらを現実のこの町に似せて、出来る限り細かく綴った。


 どれくらい書き続けていたのだろう。周りの音も聞こえないくらい集中していた様だ。もうノートは残り数ページとなった。

 何となく、外の様子がおかしい。 いつも聞こえてくるはずの、近所の子供の声が聞こえない。僕は窓を開けて、外の様子を見た。

「あ!」

 外は焼け野原になっていた。これは、夢ノートの影響なのだろう。昨日までの平和な世界は僕が消し去ってしまった。僕は自分が犯してしまった罪にようやく気がついた。だが、もう元に戻す事は不可能であることもわかっていた。先に進めるしかない。


 その時、大きな衝撃に襲われ、家ごとグラッと揺れ、電気が消えた。近くで何かが爆発した。隣家は炎に巻かれ、その火がこの家に今にも襲いかかろうとしていた。僕は夢ノートとペンを非常用バッグに詰め外へ出た。


 問題は夢ノートに書いた事をどうやって実現させるかである。


 崩れた門の脇で、昨日僕に母親だと告げた女が倒れていた。彼女はやはり心優しい人間ではなかった。どこかで遺産相続の噂を聞いて、たかりにでもやって来たのだろう。僕が描いていた聖母の母とはまるで違っていた。僕の母はやはりマチだけである。


 僕は町を彷徨った。どこもかしこも焼け野原になっていた。遠くで銃撃音や爆音が聞こえてくる。僕は、破壊された列車の車両の中に隠れた。中には誰も居なかった。そして、非常用のバッグからラジオを取り出した。ラジオは、突然隣国からの砲撃を受け、戦争が始まったことを告げた。さらに、各国の内部でも治安は崩壊し、略奪や殺戮が繰り返されているとのニュースが流れた。


 僕は車両の中で夢ノートの続きを書いた。


『やがて、マチの妹達に子が生まれ、ジグとバグはおじいさんとおばあさんになった。ジグとバグは孫達に囲まれて、とても幸せであった。』


 それから、僕がマチの元に現れるまでの家族の幸せな暮らしの状況を想像し、夢ノートに綴っていった。


 外は夢ノートとは間逆の状況の現実。僕自身もここに居るということは、正しい人間ではないのだろう。一瞬でも家族が嘘を付いていると疑ったのだから。その時、ハッと気づいた。僕は、母だと告げたあの女性を見捨てたのだ。もし祖父母や義父母なら、例えばそれが悪人であっても、倒れている人を見捨てたりはしないだろう。

「助けなければ。」

 僕はバッグにノートをしまい、ペンを上着のポケットに差し、家へと急いだ。外は先程にも増して被害が広がっていた。まるで戦場の様だ。いや、これは戦場そのものなのである。時折、外国の兵士だと思われる迷彩服の軍人が銃を持って歩いていた。町のあちこちでは、物品の奪い合いが始まっている。僕は崩壊したビルの影に隠れながら、見つからない様に少しずつ進んだ。


 半分倒壊した祖父母の家の前では、まだ女が倒れたままだった。僕は彼女の脈を確かめ、息を確認した。生きている。

「おばさん、大丈夫ですか?おばさん!」女はゆっくりと目を開けた。

「あ、あんたは…。」女は驚いた様に、目を見開いて僕を見た。

「立てますか?さぁ、僕の背中に。」僕は彼女を起こし、背中におぶった。

「ここは危険です。安全な場所へ避難しましょう。」彼女は何も言わず、僕に従った。


 近くに 崩壊した工場があった。僕は彼女をおぶって、そこに隠れることにした。工場の事務所らしき一室を見つけ、彼女を寝かせた。カーテンを閉めると真っ暗になり、バッグから携帯ランタンを取り出し明かりを点けた。そして、水の入ったペットボトルとビスケットを彼女に与えた。彼女には致命的な傷もなく、怪我は軽い手当てだけで済んだ。

「あなた、どうして、私を助けたの?」彼女は目を合わさずに僕に尋ねた。

「どうしてって、きっと両親や祖父母ならそうすると思っただけだ。」そう僕は答えた。

「私はあの家の財産目当てに近づいた悪い女よ。」彼女は正直に言った。

「それでも、あの人たちなら、あなたを助けます。」

「いい人に拾われたのね。」彼女は初めて僕に笑顔を見せた。

「こんな酷い状況になったのも、私みたいな醜い者のせいだわ。」彼女はこれまでの行いを懺悔している様だ。

「違うんだ。これは僕のせいなんだ。」僕は夢ノートの実現を見るのはもう諦めようと思っていた。多分、この世界も、僕の命も長くは続かないだろう。きっと、この世界で出会う最後の人物であろう彼女に、全てを話した。

「僕は不思議なノートを持っているんだ。そのノートに書いたモノは、この現実世界で消えてしまう。でも、ノートに書いた夢は、いつか現実となる、夢が叶うノートなんだ。僕は祖父母の為にこのノートの中に、平和な世界を書いたんだ。その代わり、今この現実の世界の平和は全て消えて、戦争や争い事だけの世界にしてしまった。」僕が真実を話すと、

「そうなのね。」と彼女はそんな話まるで信じていないという様な返事をした。


 夕暮れのオレンジが、カーテンの隙間から部屋に差し込んだ。たった半日で世界は崩壊してしまった。案外あっけないものだ。僕はバッグの中からパンを出し、身元も知らない女と半分ずつにして食べた。

 日が沈むと気温が下がり、辺りは冷え始めた。工場跡にあったアルミの一斗缶を部屋に運び、瓦礫の中から乾いた木材を集めた。夢ノートの最後の白いページを破り、ライターで火を付けて、木材を敷き詰めた一斗缶の中に放り込んだ。炎をまとった夢ノートの一ページは、ゆらゆらと幻想的な青い色を放ち、やがて部屋が暖かくなった。そして僕は、いつの間にか眠ってしまった。



第四章


 カーテン越しの空が明るくなり、僕は目覚めた。昨夜、僕の体を温めた一斗缶の火は消えていた。そしてもう一つ、この世界で僕が触れる最後の人のぬくもりになるであろうあの女も消えていた。さらに、僕の最後の希望であった夢ノートの入ったバッグも消えており、代わりに四つ葉のクローバーの押葉が残されていた。そういえば、今日は僕の誕生日だ。


 祖父母の為の平和な世界はもう全部書き尽くした。ペンは僕の上着のポケットに差さっている。僕はポケットからペンを取り出しぎゅっと握った。試してみた訳ではないが、夢の実現はこの祖父のペンで書いたものだけなのだろうと、根拠のない自信を強く感じた。悪意を持ってあのノートに何かを書き込んだところで、実現した世界には祖父母の意思を継いだものばかりがいるのだ。それっぽっちで壊れる柔な平和ではないはずだ。僕が死んだ後、ゆっくりと実現すればよいのだ。それよりも、あの女の無事を四つ葉のクローバーに願った。きっと祖父母もそうするだろう。


 遠くの方で爆音が鳴っている。段々と近づいてきた。その時が来たのであろう。祖父も一年前のこの誕生日の日に亡くなった。きっとこれも運命なのだろう。僕は祖父のペンを握りしめ、覚悟を決めた。すぐ近くで爆音が鳴り、振動が体に伝わり、耳の奥に耳鳴りが残った。キーンという金属音が鼓膜を刺激し続け、周りの音全てが遮断された。

 次の瞬間、体が大きく宙に舞い、部屋の隅にあった工具棚と一緒に激しく床に叩きつけられた。薄れてゆく意識の中で、耳の奥で鳴る金属音が、僕がまだ生きていることを知らせている。

 

 どれくらい時間が経ったのだろうか。金属音の向こうから、義母のマチの声が聞こえた。遠ざかった意識が戻った。僕の体の上には瓦礫が積み上げられていた。目の前の宙に四つ葉のクローバーがひらひらと舞っていた。やがてゆっくりと、頭の上を超え、僕はそれを目で追った。クローバーの押葉は、昨夜僕を温めた一斗缶の上に落ちた。倒れた一斗缶の前には、炭になった木材が散らばっていた。そこに一枚の小さな紙切れを見つけた。火を付けて放り込んだ「夢ノート」の破片が燃えずに残っていたのだ。あの破片に名前を書けば、この悪夢から解放される。手を伸ばせば届く。僕はありったけの力を振り絞って、瓦礫の下から右手を出した。


「あっ!」


 あるはずの右手がそこにはなかった。爆音がまた鳴っている。僕の意識は再び遠ざかっていく。母が僕を呼んでいる。

「ともや!どこなの?」


 目を開けると、あの女がいた。女は、髪の毛を振り乱し、涙を流しながら、必死に僕の上に積み上げられた瓦礫を一つ一つを取り除いていた。


「どうして、戻って来たんだ!」

「思い出したの。今日はあなたの誕生日。」

「どうしてそれを。」

「私があなたを産んだ日よ。」

「あ、あなたは。」


 この人を助けなければ。僕は周りを見渡した。外の爆音はますます激しくなる。部屋の隅に僕の右手が転がっている。

「かあさん、よく聞いて!僕はもうダメだ。ノートを持っているね。向こうにペンがある。あのペンで、かあさん、自分の名前をノートに書くんだ!この現実から逃れることが出来る。早く!」僕は最後の力を振り絞って叫んだ。

「わかったわ。ともや、ごめんね。ごめんね。」


 女は部屋の隅で転がっていた僕の腕からペンを取り、バッグからノートを出し、そして、開いた。


 女はノートに文字を走らせた。そして、僕に見せた。


『マチとノブオに男の子が生まれた。男の子は元気にすくすくと育った。男の子の名前は、トモヤ 』


 大きな破壊音と共に、赤い炎と黒い煙が一気に押し寄せた。


 それと同時に、白い光が僕を包んだ。そして、その光は渦を巻き、僕を飲み込んだ。


「かあさん!」


「ともや!」


・・・・・・・・・・・


「ともや!」


「ともや!」


「ともや!早く起きなさい!じいちゃん、来ちゃうわよ!」


 かあさんが台所で叫んでいる。ぼくはベッドで眠っていた。なんだか昨夜、悪い夢を見たようだ。

 この日を覚えている。デジャヴなのかな。今日はぼくの十歳の誕生日。この後、じいちゃんがやって来て、ぼくが捨て子だった事を告げるのだ。昨日の夢なのだろうか。微かに記憶があるのだけれど。


 お昼前にじいちゃんがやってきた。いよいよ告知の時がきた。誕生日のケーキを前に、母と父とじいちゃんがテーブルについた。緊張で手に汗がにじんできた。そして、堪らず立ち上がり、

「ぼくは、捨て子だったんでしょ!」と、ぼくの方から切り出した。

三人とも呆気に取られたようだ。次に父が口を開いた。


「ともや、すまない。残念だが・・・お前は正真正銘、俺の子だ!」


 場は一瞬沈黙し、その後、一気に笑いが起こった。


「あはははー!もう、やだー。ともや、あんた面白い事言うわね。」母が笑いながら言った。そして、じいちゃんは鞄から何かを出し、ぼくの前に差し出し、こう言った。

「今日は特別な日じゃ。」それは、夢ノートだった。


 時計は十二時を打ち、テレビではピョンヤンで開催される「地球共和国の式典」が始まった。今日で、世界の国が一つになる。国境が撤廃され、隔離された動物保護地区以外なら、誰でも自由に何処へでも行き来出来るようになるのだ。世界の通貨も統一され、地球国の財産は世界全員の共有の財産となった。さらに、言葉の壁の問題は、通訳者である翻訳ポリスが各地に配属される。


 僕はユメノートにこう書いた。


『世界がこのまま永遠に平和でありますように。』


 テレビの画面には、新しく国旗のデザインに採用された四つ葉のクローバーの模様が風に揺れていた。




おわり


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― 新着の感想 ―
[良い点] 拝読させて頂きました! 落ち着いたら雰囲気で、臨場感のある文字運びについつい最後まで読んでしまいました。 良い物語を有難うございます。
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