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その一

 その国、エングリスは王を持つから王国であり、そして長い間他国との戦争を繰り広げてきた。

 エングリスが特別野蛮な国であるわけではなく、エングリスを含む大州、エルピスすべての国が戦いを暮らしの一つとしていた。そうして様々なことが進んでいった。

 けれど長い年月で人が穏やかさを覚えていくと、やがて戦争は落ち着きを見せ始め、少なくなっていった。小競り合いはあるものの、国の存亡をかけたような大規模なものは稀になった。

それはエングリスも例外ではなく、たまに戦争は起こるものの、闘争は血を流すものからそうでないものへとシフトしていった。その華やかな流れを国も奨励し、スポーツや芸術などで他国と競うようになった。

 エルピスは現在、比較的穏やかな、赤子があやされているような歴史を刻んでいる。

 これはみなさんの世界とよく似た、けれど少し違う世界のお話。

 

 エングリスの一地方、アスコルトに兵士たちの拠点があった。戦いが落ち着きを見せたとしても、兵士たちは消えることなく、各々の訓練を怠ってはいない。アスコルトの近くには王家が居城の一つとする、ウィンデイサー城が建っていて、兵士たちはそこの警備が現在一番の仕事になっている。

 とは言うものの、本物の戦いなど誰もしたことがなく、決まり決まって城の周りをうろうろしたりするくらい。暇な時間も多い。だから兵士たちも文化的な趣味を持つ者が多かった。

「よーしよしよし、どうどう」

「おおーさすがユーク。お前に御せぬエクルスはないな」

 白いシャツに黒い厚手のズボン、そしてブーツ。それを着、エクルスと呼ばれる動物の背の上にアスコルトの兵士の少年、ユーク・バロチルーがいた。歳は十九歳。長めの髪を後ろで束ね、小さい尻尾を作っていた。

跨っている動物を声と手綱と体重移動で落ち着かせている。

 エクルスはみなさんの世界にもいる、馬と見た目が変わりない動物だった。古くから人と関わってきた動物。戦場でも人を背に長い距離を駆ける。エクルスにも様々な品種があり、今彼がまたがっているのはトゥルグレッドという特殊な品種だった。

 あまり戦場向きでもなければ、農耕にも向かないから特殊だ。気が強いけれど脚が細くて怪我をしやすい。

「いやいや、御したんじゃないです。お願いしたんです」

 先ほどまで背中に乗る者をさんざん落とし続けていた青毛のエクルスは、彼が乗ってもすぐに暴れた。けれどしばらくすれば落ち着いて今に至る。きょろきょろと周囲を伺い、耳も音を逃すまいと動かしている。でも暴れはしない。

「お前は身体も小さ目だし、やはりライダーになるべきだ」

「僕はアスコルトの兵士ですから」

「兵士にだってライダーは多いぞ。ニマルケルのフィッツフレンドとか、有名人ではないか。他にもアルゴンドン、エライヒ、ウェザビー、ああ、最近はピークもすごいな」

「隊長は本当にエクルスレースが好きなんですね」

「エングリスに住んでいて、エクルススレースが嫌いなやつなどおらん。エングリスはエクルスレース発祥の地だぞ。もう少しすればバンベリーステークスなんだ、盛り上がってくるシーズンなのだ」

 エクルスレース、それは訳せば競馬そのものだった。競馬場にて騎手が跨ったエクルスを走らせ、優劣を決める。観客はそれを賭けの対象にしたり、アスリートとして応援したりする。エングリスだけでなく、エルピス全土でも人気のある競技だ。

「バンベリーステークスって名前は知ってますけど、どういう競争なんですか?」

「おい、お前まさか知らないのか? バンベリーステークスはなあ、若いエクルスの頂点を決める競争だ。六月の頭にシュレーにあるイープムレースコースで行われるんだよ。盛り上がるんだぞ、すごくな。観たことないのか? ああ、あるわけないな」

 ユークはエクルスが好きだけれども、競争にはあまり興味を持っていなかった。観戦経験もない。いわゆるテレビのようなものがまだ存在しないこの世界では、現場に行くしか観戦方法がなかった。

「若いエクルスの頂点、能力検定競争ってことですか」

「難しい言葉を使うな……」

「えっと、種としての能力を調べるための競争ってことです。高い能力のエクルスを掛け合わせるほうが、能力の向上に活きますから」

「お、おう、そういうことだな」

 隊長は本当にわかったのか怪しい挙動をする。彼にとってエクルスレースは優秀な血を残すためのものではなく、自分が熱くなり、そして儲けることもできるイベントでしかないのだ。

「お前も観てみないか?」

「いや、僕は仕事だって訓練だってありますので」

「おいおい空き時間があるだろう」

「そこは訓練だとか、エクルスの世話とかですから」

 面白くないやつだとばかりに隊長は顔を歪ませた。そういう態度が気に入らなかったのか、ユークを乗せているエクルスが威嚇するように鼻を鳴らした。

 噛みつかれると思い、隊長は慌てて距離を取った。ユークは手綱を操り、なだめようとする。けれど驚かせたことに満足したのか、エクルスはもう悪さを見せなかった。

「そういやなぜうちにトゥルグレッドがいるんですか。レットエルとか、レッドグレッドと違って軍用には適しませんよ。隊長の趣味ですか?」

「そんなわけなかろう。私の一存でトゥルグレッドなど入れられるわけが」

 レットグレッドという品種は、古くから軍用として使われてきたレットエルという品種に、トゥルグレッドを掛け合わせたものだ。

トゥルグレッドはレットエルを品種改良し、より速さを求めたものなのだけれど、そのおかげで繊細な品種になってしまった。脚の速さと引き換えに、劣悪な環境に耐えられず、けがにも弱く、そして気性が激しい。だから戦場に適さない。

 そこでレットエルと掛け合わせることによって、レットエルとトゥルグレッドの良さを出そうと考えたのだ。

結果はほどほどに成功し、トゥルグレッドに比べて丈夫で気性も穏やかになり、そしてレットエルよりも能力の高いレットグレッドが産まれることになった。

 とは言っても、レットグレッドはいまだ数少なく、軍馬の大多数がレットエルだった。ユークが普段世話をしている仔たちも、すべてがレットエル。名の知れた兵士などになると、自らの金でレットグレッドを購入したりしていた。

「あ、もしかして種ですか? うちでレットグレッドを作ろうってことですか」

「なにも言っていないのに、よくわかるものだ。そうだ。アスコルトでレットグレッドを生産しようということになってな、こいつを連れてきたのだ。レースでもなかなか優秀な成績を収めたのだぞ。そのせいで高値でな、上が文句を言っておった」

「わかります。トゥルグレッドに跨ったことはこれまでにもありましたけど、その仔たちとは違うものがあります」

「そんなものあるのか?」

「誇りがあります。レースというものを理解していて、先頭で駆け抜けることが勝利であると知っている賢さも持ち合わせています」

 ユークは背中からそう感じ取っていた。褒められたことをわかっているのか、そのエクルスは背中の彼を見、両耳を向けてみせた。

「名前は?」

「えっとだな……」

 エクルスに汚されてしまっていたズボンのポケットから、一枚の紙を取り出して目を走らせながら言った。名馬の割に彼は知らないのだからやはり賭博の駒なのだ。でもそれは仕方のないこと。

「ヴァークロム。オス、十一歳。父ヴァークロム、母イライザⅣ……」

「父親と同じ名前なんですか?」

「そのようだな」

「簡単につけてくれますね。自分の名前が欲しいだろうに」

「そうだ。繁殖名をつけなければならんと言われていた。御したお前に褒美だ。名前をつけることを許可する」

 父と同じ名前では血統表での区別が面倒なことになる。普段ならばまた別の名を考えることはなく、前に「ヤング」をつけたり、後ろに数字をつけたりすることで済ませる。

 けれどユークはそういうことをあまり知らないから、

「ナル。僕は彼をナルと呼ぶことにしますよ」

「なにか意味があるのか?」

「特に意味はないです。ぱっと思いついたもので」

「なんだ、お前も簡単につけているではないか」

 隊長の指摘に苦笑いで流すユーク。すると彼はうんうん頷き、ナル(競争名ヴァークロム)のプロフィールが書かれた紙に、小さな刃物で彼に綴りを訊き、刻んだ。これでこのトゥルグレッドはナルという名前になった。

 そうしてその名前を上の者に知らせるため、その場から去った。ユークにあとの世話を任せて。

 

 実はナルという単語、これにはちゃんと意味があった。

 ユークの父親の故郷に古くからある単語だった。エングリスから海を渡って向こう側の小国、カラカコスの。

 カラカコスの昔話に登場する、幻獣ナルィルィス。これが元になっている。

 お話によると、ナルィルィスはカラカコスの今はなき森の奥底で暮らしており、その力でもってカラカコス全土の植物を加護していた。そのためにカラカコスは野菜や果物、そして木材がとても豊富で、人々はその恩恵に浴していた。

 けれどあるとき、別の国の者がその力を狙い、ナルィルィスを捕まえて自分たちの国へと連れて行ってしまった。そのためにカラカコスは植物が枯れ、人々は嘆き悲しんだ。しかしカラカコスは弱く、力を持ってどうすることもできなかった。

 温厚な性格であったナルィルィスは捕まえた者たちを殺すことはなく、その地から逃げることもしなかった。帰ってしまえば祖国が戦いに巻き込まれると思ったのだろう。

 そしてどうされても絶対に自らの力を使うことはなく、カラカコスのようにその国の植物に加護を与えることはなかった。さらに出された食事に一口たりとも口にせず、じいっと鎖に繋がれたままに動かなかった。

 幻獣といえども、ナルィルィスは不死の存在ではなかった。空腹が続けば、やがて死んでしまう。

 捕まえた者たちは遺体をその地で埋葬することはなく、海へと放り捨てた。

 するとその遺体は幻獣である証のように、生きていてもおかしくない姿のままにカラカコスの海岸へとたどり着いた。それを発見したカラカコスの民たちは、みなが涙を流して手厚く土へと葬った。

 すればナルィルィスが暮らしていた頃のように植物に再び加護が起こり、カラカコスはまた植物がとても豊かな国へと戻ったのだった。

 そのことから、ナルィルィスには幻獣の名前としてだけではなく、どんな状況であっても屈しなかった、つまり「不滅の誇り」という意味を持つようになった。それが短くなり、ナルという単語になったのだ。

 ユークは彼から感じたその誇りから、ナルという名前をつけたのだった。

「よろしく、ナル」

 自分の名前を理解し、そして気に入ったかのようにナルはいなないた。

 そしてその日から、ユークはナルと、アスコルトにいるほかのエクルスたちともそうであるように仲良くなった。気が強い性格に手を焼くことも多かったけれど、競争から離れれば、本来持っていた穏やかさも少しずつ見せ始めた。

 そしてたまにナル自身が求めるため、背に跨っては全速力で走らせた。

 これまでに味わったことのない速さと乗り味にユークはいつも感動しながら、ナルは力強くアスコルトの芝が生い茂る丘を駆けていった。

 いつしかユークもどうすればより彼を楽に速く走らせることができるのか、暇つぶしの意味も込めつつも試行錯誤を始めた。手綱の操作、鐙の長さに、そこに足を掛ける程度。体重の掛け方。鞭の操り方。すべて自己流に。

 すればナルも応え、より速くなっていくようだった。

 そうしてそんなことを続けていると、ある日、ユークの元に驚きの知らせが届いた。


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