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また来た。
朝っぱらから俺様メールは精神的なダメージを負う。
本日は半休で昼まで寝ようと思っていたのに、お陰で目が覚めてしまった。
なので外食しようと決めた。
支度もそこそこに玄関を開けて目を疑った。
「よぉ」
声まで聞いてドアを閉め鍵を掛けた。
・・・今、俺様がいた気がする。
何だろう。幻覚を見るほどあの人を想ってるんだろうか?
無意識に好意を抱いてるとか?
だとしたら不毛過ぎる。
怖い、自分、怖い。と悩んでいたら電話が鳴った。
相手は俺様専務様。
「・・・・・はい」
『開けろ』
地を這う低い声に寒気がする。
これは滅茶苦茶お怒りのご様子だ。
同時にさっきのが幻覚ではないと証明された。
ゆっくり玄関のドアを開けば不機嫌をまき散らす瞳に射竦められた。
「お、お早う御座います」
相手が携帯を下ろすのを確認して自分も電話を切る。
間違いなく目の前には桐山だ。
「付き合え」
いきなりか。相変わらずの暴君振りじゃないか。
「午後には仕事なので無理です」
「知ってる。確認済みだ」
また糞社長か。
訴える為に証拠固めをしておくべきか。
「行くぞ」
いやいや、行かないだろう。
反論の余地なく腕を取られ桐山の車に引き摺り込まれたので抵抗は無駄だととっくに諦めた。
運転手付きとは次期社長は違う。
その分、求められているレベルも高いんだろう。
それに応えているこの人は本当に素晴らしい。
主要キャラのスペックは計り知れない。苦悩も人一倍だろうけれど。
「何だ?言いたい事があるなら言え」
ジロジロ見過ぎていたのか、俺様の眉間に皺が寄っている。
「御用がおありなのはそちらでしょう」
「・・・無視するなと言ったはずだ」
した覚えがない。
首を傾げていると隣から不機嫌オーラが放出された。
「今朝もメールをしたはずだが」
「ああ、アレですか。あれって返事いるんですね」
挨拶メールだから緊急性もなし重要でもないと放置してきた。
勿論、大事な取引先なので余裕がある時はなるべく返すようにはしている。
社交辞令の「いつも有難うございます」を入れて。
「迷惑だと言うんじゃないだろうな」
はっきり言っても良いんだろうか。
そっと桐山の横顔を窺い見て目が合った。
「聞いてやる」
許可を得てホッとしたのも束の間、俺様を象徴する強く綺麗な瞳に心臓が跳ねる。
「迷惑では無いです。意味が分からないだけで」
これ以上動悸が乱れないよう視線を外した。
考えてみれば美人と密室でそこそこ至近距離。
過去無い程の眼福っぷりだ。
「意味?」
「他愛無いメールのやり取りは関係上必要ないかと思います」
「お前・・・俺を何だと思ってる」
「俺様専務様ですね」
バシッと頭を叩かれた。
痛みは無いけれど桐山にされた事実に驚いた。
「違う。大体、俺様ってなんだ」
「私から見た専務様の事です」
「様を止めろ。名前を呼べ。仕事を持ち込むな」
それは無理だろう。
仕事以外に関係は無い。
これ、伝えても大丈夫だろうか?
「あ、あの、」
「あ?」
迫力有りすぎてめげそうだ。
「しょ、所詮は仕事相手です。他になりようはないかと」
「先輩後輩だ。それなりに親しかっただろ」
いやいや、そこ完全に相違ですから。
この人の記憶では親しいかもしれないが、こちらにしたら何言ってんだと感想しかない。
「二度は無いぞ」
「はい?」
「容易く切り捨てさせない」
誰が誰をだ。
過去の自分はそんなにも非道な行いを彼にしたんだろうか。
「・・・専務様は何がお望みですか」
「関係の修復だ」
「こんな距離感だったと思いますが」
「打算だらけで何言ってやがる」
「昔もそうでしたよ」
内申の為に生徒会補佐を続け、追い出されない程度に彼等と交流していた。
途中までは眼福にあやかっていたのだから今より下心丸出しだったはずだ。
「何でもいい。お前をつなぎ止めておけるならな」
真っ直ぐ見つめられながらの台詞。
コレ、キタ!
スチルGETですよ。一瞬で虜になる。
頭は冷静なのに心臓がかなり激しく脈打っている。
言うまでもなく真っ赤な顔を晒してしまった。
「・・・お前、一体何なんだ」
ああ、不快な思いをさせた。
専務様のこの気難しそうに歪んだ顔、結構凹む。
「もう、本当、すみません」
「謝れと言った覚えはない」
「そうですね。何なんだと聞かれましても・・・それは私が知りたいです」
それを考えると生きるのが苦しかっただろう事だけは解る。
正直この人達がリアルだと今でも思えない。
「答えは次の機会でいいですか?」
少しばかり考え込んでしまう。
見かねた桐山に頭を撫でられ顔を上げたが、慈愛に満ちた美形の顔を直視してしまった。
あまりの眩しさに目がヤられたではないか。
妙な呻き声をまたもや発していたが不可抗力だ。
専務様はそれはそれは楽しそうに笑っているのでハッキリ聞こえたらしい。
未だに撫でられているけれど抗う気力は無い。
無様な己に精神的ダメージが大き過ぎて暫くは立ち直れない。
この後、とても高級で美味しいお店に連れて行かれ昼食を頂いた。
最初に割り勘を申し出、要求を押し通したので遠慮なく料理を味わうことが出来た。
それがせめてもの収穫だ。
桐山の突撃訪問がバレた。
鳳巳先輩に。
だから何だって話だが、物凄い不機嫌で目の前に座られたら必要ない罪悪感で肩身が狭い。
「・・・帰っていいですか」
「駄目に決まってるでしょー」
はい、怒らせましたー。
軽いトーンで笑ってない瞳が怖いです。
「佐藤さんさぁ、何浮気してんの」
「浮気っ」
笑いを堪えるのに必死だ。
当然バレたので軽い睨みが入りました。
「休みは俺にくれる約束したはずだよねぇ?桐山とデートとか何なの?」
「昼食を御一緒しただけです」
「男と女が食事するってイコール、デートだろ」
「うわぁ、了見狭すぎ」
半笑いでうっかり零れた本音は仕方ない。
この会話内容、不可解ですから。
ムッとされても意見を曲げる気は無い。
「先輩、モテませんよ」
「誰に物言ってんの」
鼻で笑う姿も様になるのは流石チャラ男先輩。
「ですよね。私には関係なかったです」
鳳巳は泣きそうに顔を歪めた。
え?何故?
唐突過ぎて狼狽えてしまう。
「どうして、そんな風に俺を翻弄するの」
いやいや、翻弄されてるのはこちらだ。
「俺とちゃんと向き合うはずでしょ?なのに酷い事ばかりする」
「な、何か粗相を・・・?」
「この間は他の男を連れて来て、今度は他の男とデートした」
これ、言い訳しなくちゃいけないのだろうか。
彼女に浮気を責められてる男の気分なんですけど。
そもそも交際してないし、シチュエーション的にも楽しくない。
それよりも鳳巳先輩、アナタ乙女みたいです。
その目は説明を求めてるんでしょうか?
マジで?
「えー・・・っと・・・自由人を振りきるのは無理です」
ちょっと、縋り付く目をしないで下さい。
「せ、桐山さんは行き成り訪ねて来たので選択肢が無かったと言いますか、接待も兼ねていると言いますか・・・ああ、ご飯は美味しかったです」
高いだけあるなぁと感動したのを思い出していると手に温もりを感じて意識が切れた。
見れば鳳巳の手が重なっており、視線を上げて目が合うと強く握られた。
あまりの破壊力に五感全て奪われる。
「俺と居る時は俺の事だけ考えてよ」
滅茶苦茶だ、この人!
思考まで停止しかけて正気に戻る。
テーブルから身を乗り出し唇を寄せて来たチャラ男が視界に迫っていたお陰で。
手を握られ、頬に手を添えられ、唇に吐息が掛かる距離に至った所で身体を反らした。
勢い付きすぎて椅子ごと後方へ倒れ頭と背中を打ったけれど構ってられない。
転がり起きて鳳巳を凝視する。
何やってんの、この人。
何しようとしたの、この人。
「佐藤さん!大丈夫?ケガは?」
「無い、です」
慌て傍に寄り添う鳳巳に状況が整理できないまま答える。
派手にやらかした為、周りの客には引かれ笑われているし駆けつけた店員には心配と迷惑を掛けたとも解っている。
解っているのに茫然として受け答えすら真面に出来ない。
「す、みません」
「良いから。本当に何処もケガしてない?頭打ったんじゃない?念の為に病院行こうか」
「いえ・・・大丈夫ですから・・・」
そればかり口にしていた気がする。
気が付いたら店を後にしていて、見覚えのない車の助手席に座っていた。
のろのろ視線を動かして行き、隣に鳳巳を見付けた。
あぁ、彼の車か。
過去無い程の失態の後始末をさせてしまった。
しかも要らぬ恥をかかせてしまった。
「・・・鳳巳先輩、申し訳ありません」
「あ、良かったぁ。正気に戻ったー」
ホッとした鳳巳が笑い掛けて来て今の今までも迷惑掛けっ放しだったと自覚する。
何から何まで申し訳ない。
「謝るのは俺でしょ。佐藤さんを驚かせたんだから」
額に掛かる髪を撫で耳に触れる。
あまりに自然な動作で受け入れていたけれど、熱のこもった瞳を前に事態を把握する。
「キス、嫌だった?」
囁きに鳳巳の手を振り払う。
そうだ、この人は躊躇なくキスを迫っていたではないか。
思わず身を引いたけれど車中では大して意味が無い。
逃げようかとドアを確認した途端、ロックされた。
引き攣る顔で再び鳳巳に視線を戻せば、満面の作り笑いで対峙されて血の気が引く。
「ダメだよ、逃げるなんて。ちゃーんと俺を受け入れてくれないと」
情欲にまみれた目に恐怖で短い悲鳴を上げた。
何故そうなっている。
お友達からスタートの向き合う約束はした。
いつ、どうして、鳳巳を受け入れる話にすり替わったのだ。
「佐藤さんはねぇ、既成事実作るくらいで丁度いいと思うわけ」
何がだ!
「初めて奪ってー、何度も抱いて啼かせてイかせ続けたら俺を意識してくれると思わない?」
段々と近付いて来る相手に後退する先がない。
震える両手で体を押し返すけれどビクともしない。
「抵抗しないんだ?ふふっ、さっすが佐藤さん。危機管理能力高いねぇ」
愉しげにシャツの釦を外していく。
そもそも危機管理能力に長けていたらこんな事になってない、と頭の隅で思いながらガチガチに固まり動けない己に泣きたくなる。
こんな時はどうしたらいいのか分からない。
首筋、鎖骨と唇が辿っていき、胸元の深い所で止まる。
嘗められ吸われる感覚に体が跳ねた。
「いいね、綺麗に付いた」
いつの間にか体を起こした鳳巳は、満足げに先程まで口付けていた場所を指先で撫でていた。
「こうやって触れるのは俺だけならいいけど」
呟きを理解する前に強く抱き締められて思考は停止した。
無事帰宅したはいいものの、鳳巳からしていた甘い香りが自分にも染み付いたようで落ち着かない。
触れられた場所が熱を発している錯覚までする。
帰り間際。
「抵抗したらヤる気満々だった。残念」
などとハート飛ばしで囁かれたから、体力ゲージはゼロ。
暫くは真っ白で気付けば倒れ込むように寝てました。
出社の為に急いで支度をし、途中、鏡に映った己に悲鳴を上げかけた。
胸にある痕。
これで鳳巳は一先ず満足したのかと。
次いで蘇る昨晩の記憶を処理しきれず蹲った。
押し込め蓋を閉め立ち直るまでに数十分の時間を要した。
どれだけ免疫ないんだよ、お前幾つだ!
と自分に突っ込み会社に行ったが、その日は目も当てられないボロボロ加減でした・・・




