俺様ルート5
俺様専務様と会わなくなって半年。
メールや電話のやり取りは毎日行っていたけれど、ふと気付けばそんなにも経っていた。
『逢いたい』
切ない声を聞くたびに乙女心が刺激され身悶える。
願っても会おうとしない桐山に何故かと問えば、今はまだ無理だと返ってきた。
そうですかとしか思わず深く聞かなかったのは失態だった。
彼は非常に面倒な人間だと昔から知っていたはずなのに。
久し振りに桐山宅へ訪れ、提示された選択肢は予想外。
ひとつは、桐山と結婚する事。
ひとつは、桐山を愛人にする事。
彼からの返答はそれだった。
「別れる気は無い」
断言してそれぞれに伴う待遇・条件を書面にて手渡された。
結婚を選択した場合。
仕事継続は自由である。
桐山家は不介入である。
桐山に限り浮気はしない。楓に限り許すものとする。
願いは全て叶えるが離婚はしない、との内容だ。
「仕事は今まで通り好きにしてくれて良い。お前が一番嫌いな厄介事は一切持ち込まない」
「いやいや、無理でしょう」
「離婚さえしないなら浮気は大目に見る。望むだけ贅沢もさせてやる」
・・・続いては愛人にした場合。
楓の望むままに奉仕をする。
楓が望めば婚姻可能。
仮に別人と結婚しても愛人破棄は許さないものとする。
「滅茶苦茶ですね」
「何処がだ?」
「そもそも、何で私は浮気者前提なんですか。不誠実なのは認めますけど色狂いでは無いです」
「どちらも主導権は楓にあると言ってるだけだ」
「左様ですか」
あぁ、この先は聞きたくない。
完全に外堀を埋められてるだろうから。
それでも聞くしかない。
別れる未来しか無いと言ったのは自分だ。
「桐山さん、跡取り問題どうするんです」
「放棄した」
あー、あぁ・・・やはりですか。
どちらの選択肢もこれがある限りは夢物語に過ぎない。
それを提示した時点で予想してはいました。
事も無げに断言した桐山に狂気すら感じる。
「お爺様に話はつけた。条件を満たすのに時間が掛かって逢えなかったが、誰にも口出しは出来ん」
いつかのパーティーで鳳巳との会話に出てきた登場人物だろう。
察するに影響力莫大な御隠居様で権力牛耳ってる人物。
彼を納得させたから他の誰も異を唱えないと言う事だ。
「お前は俺に全て捧げるのは嫌なんだろう。俺にそこまでの価値は無いんだと言ったな」
「・・・言いましたね」
反吐が出るとまで発言しましたね。
「ならば俺がすれば良いだけだと気付いた」
いやいや、貴方様の将来を擲って手に入れる価値はそれこそ無い。
本気なのかと正気を疑う程だ。
「楓の人生を妨げなければ傍にいさせてくれるだろう?」
「桐山さん、気が触れましたか」
「俺をそうさせるのは楓だろう」
いや、だから、頭大丈夫かと聞いてる。
恋に溺れた人みたいな発言止めて下さい。
「何故そこまでするのか、さっぱり理解出来ません」
「何度言わせる。お前を好きだからだ」
何処を?
自分本意で諦める事しかしない人間の何に好意を持てる。
逆の立場なら有り得ない。
「俺はお前に想われたいんだ」
その為に全てを差し出したと示され慄いた。
だから心を寄越せと告げる彼から逃げたいと思うのは当然だ。
「執着心が怖い」
流石のタイミングで現れた竜崎に相談すれば、大変愉快げに笑った。
「ははっ、やるなぁ、桐山」
「少しも面白くない」
「望みを叶えてやればいい」
心を差し出せと?
頷く竜崎に顰めっ面で返せば頭を撫でられる。
「女冥利に尽きるだろ」
「雁字搦めで身動きとれなくなりそう」
「もうなってるぞ」
「なってるの?」
「なってるな」
与えられた選択肢は何だったのか。
若干の衝撃に項垂れてしまう。
「差し出せる範囲でやればいい。あいつはそれで構わないんだから」
「差し出す物がありません」
「ははっ、酷い女」
言葉とは裏腹に楽し気な様子だ。
「顔と声、好きなんだろ」
無条件で赤面する程度には。
素直に頷くと今度は頬を撫でられた。
笑みを深くし慈しむよう優しく触れる指先が擽ったい。
「そう伝えてやれよ。とりあえず愛人として扱ってやれ」
「・・・碌でなしだね」
「桐山が選んだ事だ。楓は正直に愛を伝えるだけでいい」
「愛、ねぇ」
「好意っつーのは全部愛情だろう」
その通りだが、求められてる物ではない。
解って、それでいいと笑う竜崎は上機嫌。
下手に反論して痛い目に遭うのはごめんだ。
「追い詰めて教えてやれ。楓に想われる奇跡を」
そんな大層な事じゃない。
そっち方面の情緒が枯渇してるのは事実だが。
と言うことで愛人からお願いします。
告げている途中から眉間を寄せていた桐山は、聞き終えるなり不機嫌全開で足を組んだ。
結婚はないと断言したのがまずかったかもしれない。
「何が問題だ」
俺様こそ何故御機嫌斜めか教えて頂きたい。
「不自由はさせない。好きに過ごせると言っているだろう」
「選択肢に答えただけです」
「何故結婚は無いんだ」
寧ろ何故有りと思うのか。
「他に男がいるのか。俺ではなく、そいつと添い遂げるつもりなんだな?」
いやいや、待て、飛躍し過ぎだ。
そんな相手はいないし心当たりもない。
「変人社長か?ベタベタと触らせていたしな。俺よりもあいつを優先していた。成程、本命はあいつか」
「いえ、違います。社長とはそんな仲では無いと思います」
うっかり襲い掛かって唇奪ったり、度重なる誘惑と戦っているので無関係とは言い切れ無い。
残念な己が悔やまれる。
「何故断言しない」
過去に手を出してるからです。とは言えない。
「好きなのか?」
「尊敬してます」
「俺は?」
「・・・好きです」
声と顔が。
「何故即答しない」
考えたからに決まってるだろう。
「桐山さんは何を怒ってるんです」
「結婚しない理由を言え」
「キープが一級王子って素敵ですよね」
しかも俺様。
非現実、ご都合主義のゲームのようで憧れてしまう。
「巫山戯るな」
「ちゃんと答えましたよ。愛人の方が旨味があるって意味です」
「・・・俺を愛してないのか?」
何だ、それは。
どんな意味かと思わず笑ってしまった。
桐山が傷付いたと顔をするから少しばかり自粛する。
「桐山さんの外見が無条件に好きです。声が魅力的で、私を求める時の掠れたエロボイスとイク前後の喘ぎに萌えて興奮するくらい好きです。仕事の有能さは敬服ものです」
それなりに付き合って最終的に身体まで許してるのだから、好感度は高い。
改めて考えると桐山への想いは募っている。
「でも、相変わらず私を解ってないです」
これはお互い様だから批判じゃない。
「結婚しなくても桐山さんを束縛出来て、自分は夫も他に愛人も持てるなら断然こちらの方が得でしょう」
どこの国の王様ですか状態だ。
「貴方が総て捨てても望む対価は支払いません。だって、私は一切望んでませんから。喜んで胸に飛び込むべきで、貴方が言う愛がそれなら私は桐山さんを愛してませんね」
ですから、とっとと関係を精算して下さい。
少なくとも桐山にとっては枷にしかならない存在だ。
告げると腕を掴まれ、隣に座る桐山に抱き締められた。
拘束のようで縋り付かれているようでもある。
「捨てないでくれ」
僅かに震えた声だった。
肩に顔を伏せていて桐山の表情は確認出来ない。
「愛人でいい。これ以上煩わせないから、俺を傍に置いてくれ」
マジか!!
半泣きな俺様に懇願されてるんですけど。
思いがけない事態に動揺し、桐山の落ち込み具合が酷すぎてうっかり彼の頭を撫でていた。
泣いてる子供にするように。
ついでに空いてるもう片方の手で広く逞しい背中も撫でる。
「俺を捨てないでくれ」
いやいや、何だ、この状況。
己の最低度を認知させたいだけが、どうして桐山に通じないのか。
目を覚ませと言ってるのに、ドツボに嵌まってる。
久し振りにお茶友から呼び出しがあった。
俺様に振り回されて気付かなかったけれど、桐山と交際を始めた事で遠慮していたらしい。
テラス席で優雅に色気を放つ鳳巳は相変わらず異性の視線を独り占めだ。
「あいつと上手くやってるの?」
「よく分かりません」
「一年続いてるのに?」
探るような瞳に嫌な予感がする。
そもそも何故、このタイミングで呼び出しが掛かったのか。
「先輩は婚約者様と結婚間近だとか」
何で知ってるのかと驚く鳳巳は直ぐに思い至ったようだ。
情報源は桐山しかいない。もしくは社長か。
何にせよ、耳に入るのは不思議ではない。
「俺の場合は政略結婚だからね。特に思うところは無いよ」
「左様で」
「ふふっ、佐藤さんは相変わらず俺に興味が無いねぇ」
興味を持つと碌なことが無いからだ。
スルーしたが鳳巳は気分を害した様子もなく笑うだけ。
「俺ね、凄く興味深い話を耳にしたから佐藤さんに確認したくてさぁ」
心当たりが有り過ぎて絞りきれない。
平静を装いティーカップに口を付け鳳巳を窺うと目が合った。
いや、この場合、目が合うのを鳳巳が待っていた、が正解だろう。
「君に捨てられたくなくて後継者放棄した炬兎と愛人契約したって本当?」
的確過ぎてお茶吹き出すところでした。
無理に嚥下した所為で咳き込む事になった。
「大丈夫?触っても良い?」
恐らくは背中を擦ろうと伸びて来た手にビクリと体が揺れ避けてしまった。
過剰反応だ、失敗した。
それはもう、震え上がるくらいに綺麗な微笑。目が全く笑っていない。
「ねえ、俺も愛人にしてよ」
「嫌です」
「御奉仕いっぱいするよ」
「既婚者論外です。そもそも他を侍らすつもりはありません」
「そのつもりで結婚断ったんでしょ」
違う!
いや、ちょっと待て。確かにそう言った。
「すみません、急用を思い出したので今日は此処で失礼します」
自分の分の支払いはテーブルに置き、返事を待たずに一礼する。
鞄を取られ足止めされたのは仕方ないとも言える。
「俺としようよ」
立ち上がり腰を抱かれて狼狽する。
無駄のない動きと眼前に迫る綺麗な顔。
相変わらず凄いなと頭の片隅で思いつつ、押し退けようとした瞬間、自分の体が後ろへ倒れる。
次いで誰かの腕が腹に巻き付き、容赦なく力が込められて呻き声が出てしまった。
背中に感じる体温と覚えのある香りに、己を抱き締めているのが桐山と判る。
いやいや、何故ここにいる?
「邪魔するなよ、炬兎」
「俺の物に触るな」
美人同士の一触即発。非常に怖い。
原因が自分なのは不本意だし、そうでなければ楽しめただろう事実にがっかりする。
「佐藤さんが了承したらお前には関係無いだろう」
桐山は言葉を詰まらせ傷付いたと述べる瞳で見下ろして来る。
あぁ、もう、面倒くさい。
溜息を吐くとピクリと震えて顔を伏せるから「おーい、悪いのは私ですかー?!」と心中叫びました。
「鳳巳先輩、はっきりお断りしましたよね」
「うん、されたね」
引き下がる気は無いと表情が物語っている。
「お迎えが来たので帰ります」
「またね」
鳳巳の言葉を遮って桐山は歩き出す。
がっちり自分を抱いたまま大股で歩くから何度か転びそうになった。
見覚えのある社用車に押し込まれて、息が出来ないくらい抱き締められる。
「桐山さん、お話があります」
冷静になって欲しくて掛けた言葉は彼の不安を煽ったらしい。
数度、横に頭が揺れて腕に力がこもる。
これ以上は苦しくてヤバい。
息が出来ないと伝えれば力が弱まり、渋々離れてくれた。
俯いたままで表情はいまいち見えないが、そうさせているのは自分だ。
「愛人作りたい放題万歳って発言に関して説明しても良いですか」
聞きたくないオーラが出ているし、車が動き出したので一先ず座り直す事にした。
隣の俺様はムスッとしたまま腕組みだ。
「鳳巳先輩の用件、解ってたんですか?」
「ああ」
「会っても良いか聞いた時に言って下さい。嫌だって」
「・・・言っても良いのか?」
不安に揺れる瞳で聞き返され、やはりかと思う。
鳳巳の話で己の最低発言を放置してた事に気付いた。
うっかり、あのまま愛人としてお付き合い継続してしまって、桐山へ自分の気持ちを伝えてない。
「私は他を侍らせたくて愛人を選択したんじゃありません」
「そう言っただろう」
「はい、まあ、そうなんですけど。桐山さん、解ってます?当たり前に歩んで来てあったはずの未来を棒に降ったと」
それは彼の義務でもあったはずだ。
「将来を約束しない女の為に。貴方の差し出した物の重さを知ってても己が一番の人間なんて止めろと伝えたかったんです」
「俺は楓以外は必要ない」
いや、それですよ。
その恐ろしい盲目さは悲劇を招く。
「はい、よく解りました。ですから別れを促すのは止めます」
悪循環かつ己の首を絞める結果しかないから。
「貴方以外を受け入れる気はありません。結婚願望ゼロなので桐山さんのお家事情とは別で、そんな気は更々御座いません」
そんなわけで逆ハーレムを築く気はないと伝わっただろうか。
「・・・・・・俺を愛していないから結婚はしたくないと言ったな」
ああ、そうともとれる言い方はした。
「貴方が抱く愛の定義だと当てはまりませんよと言ったつもりです」
「俺を愛してるか?」
口調こそ強いけれど、悲しみと不安が取り巻いている。
聞いていて少しの期待もしていないのが伝わって来る。
「私の愛は奥深くに沈んでるので二度と浮上しないと思います」
訝しみ、心配するように瞳を覗き込んでくる桐山。
傷付けているのはこちらなのに、有難迷惑な程にお人好しな所は昔のままだ。
「面倒事を多少我慢できる程度には受け入れてます。桐山さんには幸せになって欲しいし、傷付けたり泣かせたくありません」
きめ細かな頬にそっと触れる。
撫でると頬を擦り寄せられ、すべすべお肌を堪能する事が出来た。
「私の傍で愛を囁く桐山さんの正気を疑ったりはしないので、俺様専務様らしくいてくれると嬉しいです」
触れていた手を取り何度も掌に口付けられる。
懇願されているようで少しばかり戸惑う。
更に昂ぶり熱を帯びた瞳を向けられては敵わない。
「捨てたりしません」
断言するなり覆い被さり食われる勢いで唇を貪られた。
執拗な行為から逃げるべく顔を逸らせば、顎を固定され引き戻される。
侵入した舌は余すところなく触れていき抗う気力を快楽によって根こそぎ奪われた頃、満足した桐山によって解放された。
「俺はお前の物だ」
いえ、違います。
そしてこのタイミングで言うのは卑怯なので止めて下さい。
「俺無しでは生きられない身体にしてやる」
耳を甘噛みされながら囁かれる。
いやいや、それだけで陥落しますから!
脳内犯されてる程に貴方様の声は破壊力抜群です。




