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「デートしよ、佐藤さん」
あぁ・・・やっぱり真っ直ぐ帰してもらえないのか。
上機嫌な鳳巳に逆らえず押し込められた車内では、それはもう、酷かった。
最初は信号待ちで手を握られ、尋常じゃない手汗を理由に引き抜いた。
次に執拗な視線に耐えられずそっと顔を上げると蠱惑的な瞳に硬直した。
頬を撫でられ、指先が唇の形を何度も何度も辿っても暫くは動けなかった。
親指が唇を押し開いた所で反射的に噛みそうになり寸でで止めた結果が甘噛みで、それを嬉しそうに嘗めた鳳巳に眩暈がした。
勘弁して下さい。本気で勘弁して下さい。
半泣きで訴えたら路肩に車を寄せ、覆い被さって来た。
スマートに助手席のシートを倒す神業に感心している余裕は無く混乱した。
「唇は我慢するから」
吐息交じりに言いながら首筋に顔を埋められる。
言ってる意味が分からん。
唇はってどういう事だ。
心の叫びは普通に声に出ていた気もするし、容易く押え込まれているので暴れても事態は変わらない。
いやいや、ちょっと待て。
交通量のそこそこ多い場所で何かを致す気なのか?
公然わいせつ罪になるんじゃないですか!
真面目に生きて来たので、そんな下らない前科持ちは御免です!
悲鳴混じりで叫ぶと舌を這わせていた鳳巳が身を起こした。
「気にするの、それ?」
呆気にとられ数秒後、思いっ切り吹き出された。
色気も何もあったもんじゃない。
幸いと鳳巳を押し返しシートを起こして身形を整えた。
嘗められた首筋が気になって押さえるけれど、感覚は消えずにこびり付いている。
「ふふっ、やっぱり佐藤さんて面白いなぁ」
こちらはこれっぽちも面白くないし、今すぐに車を降りたい。
そうしないのは、鳳巳が悠然と見せ付けるかのように施錠したからだ。
逃げたら容赦しないと物語っている。
これで逃げる馬鹿はいない。
そうした瞬間、捻じ伏せられる。
少ない選択肢を与えられる方がずっとマシだから逃げ出さない。
「じゃあさー、場所変えよっか」
鳳巳の微笑で己の失敗を悟った。
人目が無ければOKだと言ったようなものではないかと・・・
真っ青になって必死で首を横に振る。
「えっ、このまま此処でして欲しい?」
そーゆー意味じゃない!
「すみません、こーゆーノリにはついてけません」
「うん、まあ、そうだろうね」
さらりと同意した相手に苛立った。
「佐藤さんの流され体質ってどこまでかなと思って」
「・・・流され体質・・・」
軽くショックだ。
いや、しかし、人生振り返ってみると否定出来ない。
波風立てずにモブに徹した結果こうなったので悔いは無いが、事実の指摘は思うよりダメージを受ける。
「俺といると綱渡りだねぇ、佐藤さん」
そのようですね。
「失敗したらあっという間に喰われちゃうよ」
口角は上がっているのに眼が笑っていない。
愛想笑いが引きつる程度には怖かった。
再び車を発進させた鳳巳にひたすら警戒するしかない己の狭量が嫌になる。
「寝ててもいいよ」
親切心を全力で拒否してから自己嫌悪。
それを見て鳳巳は笑う。
「正解、佐藤さん」
全身ぞわりと悪寒が走る。
今のは問答だったのか。
不正解だった場合を考えるのが恐ろしい。
飢えた獣を前にしているようで本能がひたすら逃げろと警告している。
「逃げたらその場で犯すからね」
「・・・犯罪行為反対」
「ちゃんと俺を好きにさせるから大丈夫」
大丈夫じゃない、全然大丈夫じゃない。
もうぐったりです。
「既に片足突っ込んで嵌まってるので勘弁です」
「えっ?」
「はい?」
「今!今、何て」
「はい?」
「違う!その前だろーが!!」
恐っ。
必死なのかより苛立ちが伝わって来る。
要望通り先ほどの発言を棒読みで繰り返した。
何故か驚いて目を見開いているが、危ないので前を向いて運転して下さい。
「俺を好き?」
「別段何とも思ってません」
「っざけんな」
苛立ちながら鳳巳自身が踏み留まってくれたが、今、思いっ切り地雷を踏んだ。
「・・・・・確実に先輩に翻弄されてます」
緊張感漂う中で慎重に言葉を選んだ。
「翻弄されてくれてるの?」
ええ、はい、そう言いましたよ。
さっきから何だ。
耳が遠くなったんですかね、突然に。
「俺を意識してるって事だよね」
いやいや、あれだけ色々されて何も感じないとか有り得ません。
「寧ろ支配されてます」
瞬く間に鳳巳が朱に染まる。
この人・・・偶に想定外の反応をするから非常に戸惑う。
とりあえず襲われる心配はなさそうだが、代わりに事故が怖い。
お願いですから運転に集中して下さいと心で祈るしか無かった。
それが無事帰宅出来る最善の方法だと思ったからだ。
再会は気まずかった。
その気が無い人に向かって「貴方に興味が無いんです」発言したイタい過去があるから。
仕事でなければ鉄仮面も剥がれ落ちていた。
「では、本日はこれで失礼します」
専務様の御指名で任された連絡係。
役目を終えて早々に退室するべく腰を上げたが、正面から一瞥され腰を下ろす。
残念な事に部屋には2人きり。
既に仕事モードを解除した専務様からは不機嫌オーラダダ漏れ中。
「・・・何か?」
睨まれたが、怒りを買うのも承知だったので溜め息でかわす。
「お前にとって俺は何だ」
「取引先の上司様ですが」
「それだけか。その程度の認識なのか?」
いやいや貴方、その言葉そっくり返してやるよ。
「会長にとってもそうでしょ」
事実、そんな関係性しか築いていない。
この人は執着してると見せかけてるだけでテリトリーを決して侵さないし、侵させない。
勘違いさせるのが目的かと疑ったくらいだが、彼には自覚が無いとの結論に至った。
反論しかけて口を閉ざした彼。
冷静さを取り戻したようだ。
「お前は・・・大切な後輩だった」
「はい、その様ですね」
「・・・・・それだけだな」
「それだけですね」
自嘲的に笑う専務様。
久し振りに心臓鷲掴みなスチル!
あぁ、ヤバイ、これだからいつまで経っても現実味を帯びない。
「お前、だから、何なんだ」
「え?」
「どうして赤くなる。いい加減にしろ」
言われて動悸が乱れていると気付いた。
萌える~、めちゃイイ男!たまらん!
とか心で叫んでのた打ち回って興奮していた所為だ。
「おっと、申し訳ありません」
簡単に熱は冷めませんけどね。
「俺を突き放しただろう」
自嘲と苛立ちが入り混じった声音と気怠げな仕草がこれまたツボだった。
そうか、成程。
「先輩の外見と声がタイプみたいです」
常々疑問だったが納得だ。
「・・・今更か」
「今更気付きました」
「しかも外見と声だけか」
「声が映えるお顔なんですよねー、物凄くときめきます」
「・・・嫌な奴だ」
心底嫌そうに言うから肯定してやる。
それこそ今更だと告げると盛大に顔を顰めて舌打ちをされた。




