13
「まだ終わらないのですか?」
これ、何度目だろう。
答える気もなくなる。
「いつもいつも、効率良く仕事を行えないのですか」
はいはい、申し訳御座いません。
「聞いているんですか?」
聞いてますよ、勿論です。
返答はしてないですけどね。
何やら言い続けているが聞き流して作業に集中する。
「何故そんなに時間がかかるのかと聞いているんです」
顎を掴み上向かされて集中が切れた。
デスクに腰掛け至近距離に居る女王様。
物凄く美しいスチルではないか。
驚くべきは、この人の行動力。
何かもう、色々ときめくシチュエーションだ。
「僕よりも仕事が大事ですか?」
何その台詞。
悶え死にそうな口説き文句じゃないか。
「貴女は昔からそうでした。僕が何度誘っても無下に断ってくれましたよね」
「すみません。そんな身の程知らずな振る舞いに覚えが無いです」
「ええ、そうでしょうとも。貴女にとってはその程度の存在だったというだけです」
苛立ちと憂いの両方を帯びた瞳に激しく動揺する。
有り得ねーとか思って聞いていた親友、續木の話が蘇る。
「今もまた、貴女にとって僕は矮小な存在なんですね」
えっと・・・何でこんな話に?
すみません、頬を撫でるの止めて下さい!
免疫無さ過ぎて思考が停止しそうだ。
「あ、あの、私は一体どうしたら?」
「社長と別れて下さい」
「元々付き合ってません」
「でしたら、あんな風に触れるのは金輪際止めなさい」
「はい・・・」
自分でも猛省しているから落ち込んだ。
「何です?不服でも?」
「いえ、自制心の無さを反省してるだけです」
「自覚あったのですね」
それはそれは意外な顔をされた。
結構なダメージだ。
堪えきれず離れてくれと懇願したが鼻で笑われ一蹴された。
何故聞き入れなければならないのかとまで言われた。
「協力しているんですよ?感謝して欲しいくらいです」
何のだ、一体何を感謝しろと。
「欲求不満な貴女の相手をしてるでしょう」
「・・・・・有難うございます」
「では食事に行きますよ」
「いやいや、終わって無いので遠慮します」
「仕事を優先する気ですか?」
この僕よりも?と態度が物語っている。
当たり前だ、頭はお花畑かよ!
とは言わない。思うだけで止めよう。
「うちの社長、放っておくと勝手に動くので。私がいない間のスケジュール以外の行動を把握しないと今後に差し障るんです」
その逆も然り。
勝手にキャンセルした予定も幾つかあるだろう。
絶対、確実に、連絡を絶った事への腹いせに違いない。
「仕方ありませんね、今晩は諦めます」
溜息をついてやっと離れてくれた弁護士様。
この人と相対するのは精神的消耗が激しい。
胸キュンイベントを打ち砕く程に。
「お疲れ様でした」
見送る気力は無いので形だけの挨拶で済ます。
再びパソコンに向き合うと近くに弁護士様の気配がした。
まだ何か用でもあるのか。
視線を上げたと同時に色素の薄いさらっさらな髪が顔に触れた。
疑問を抱くより先に意識が全て右耳に持ってかれる。
「おやすみなさい」
涼しい顔で告げて会社を後にした弁護士様。
・・・痛い・・・・・・み、耳っ、噛まれたっ!
あらゆる角度でガジガジされた。
絶対歯型付いてるだろって強さでジンジンする。
甘噛みもされたっけ?・・・あぁ、嘗められてた気も・・・
恐ろしくて触れない。
自分の耳なのに恐れ多くて触れない!
意味が分からん。
王子連中の1人だけあって身勝手かつ意味不明過ぎだ。
もう、今日は仕事にならない。
それだけは確実だ。
正直に言おう。
この問題を避けていたと。
「お前、連絡一切無視とは社会人としてどうなんだ」
眉間に皺を寄せ睨んでいる俺様専務様。
優雅に腰掛け足を組んでいる姿は思わず拝みたくなる程だ。
床で正座している自分とは天と地以上に開きがある。
「仮にも俺は取引先の役員だろ。公私を分けるにしても誠意と配慮に欠けている」
言葉もない。
彼は正しい。
が、たった3日で夥しい数の着信履歴は現実逃避させるには充分だったのだ。
「言い訳くらいは聞いてやる」
うなだれつつ思い返す。
何故こんな事になったのかと。
2日掛けて社長のスケジュール調整を終えた日。
専務様に連絡しようとしていたのだ。
大分夜も更けていたから朝にするべきかと悩みつつ、自宅マンションの前まで来た時だった。
横付けして来た黒塗りの車に押し込められたのは。
「は?!」
何事かと動揺した。
この歳で誘拐かよと。
拘束されるでも無く車は発進し、どうしたものかと車内を見回して固まった。
隣には静かに怒気を発しておられる俺様専務様がいらっしゃったからだ。
「こ、今晩は」
睨まれた!
物凄い眼光で!
恐ろしくて口を閉ざせば舌打ちされる。
どうしろと言うのか。
押し潰される威圧感にひたすら耐えた結果、超高級マンションの最上階リビングで正座させられるに至った。
最近はずっと反省してばかりだ。
「言う事は無いのか」
怒りに微かな怯えが交じっているのに気付いてしまった。
溜息をついたのは己に呆れたからで相手に不快を示したからじゃない。
一瞬、専務様の体が揺れたのは誤解したからだろう。
「すみませんでした!」
人生二度目の土下座。
専務様の目は驚愕に染まっていたが構わない。
「まずは休みの間ですが、一切の連絡ツールを遮断してました。次にこの2日間ですが、仕事に追われていたので専務様への説明が面倒で後回しにしてました」
言い切ってスッキリしたので、もう一度土下座をしておいた。
「もう1つ、明日には連絡するつもりでした。決して軽んじているわけでは無いです」
過去の自分がどうやって彼等を傷付けたのかは解らない。
解るのは現在、何に怯え恐れているかだけ。
少し前の自分なら決して気付かなかった事だ。
「面倒で後回しにするくせにか?」
「それはすみません。優先順位は仕事が上なんで」
「お前は本当に遠慮が無いな」
「昔よりはマシだと思います」
今は相手の感情を読み取れる程度には認識を改めた。
だから決して専務様を拒絶しているのではない。
「そうか」
安堵を含ませた微笑。
怯える必要はないと伝わったんだろう。
ならばそろそろ正座を崩してもいいだろうか?
足が痺れている。
立てなくなる前に是非許可を頂きたい。
和解後の初の呼び出しはランチタイムだった。
彼は未だに忙しいらしい。
「佐藤さん、久し振り」
待ち合わせ場所に遅れてやって来たチャラ男先輩。
いつもとは立場が逆で色々と発見があった。
例えば、この人が如何に目立つ存在であるかとか。
擦れ違う女性の殆どが彼を振り返るのに彼は気に留める様子もなく急ぎ足で此処までやって来た。
こちらに気付いて表情を崩した事で、彼が向けてくれる好意のストレートさがよく分かる。
「鳳巳先輩、大丈夫ですか?」
「ん?」
「物凄く忙しいんでしょう。時間が惜しいんじゃないですか?」
多分、こうやって外に出て会う事で要らぬ時間を使っているだろう。
その為に無理をしているのは確実だ。
「もしかして心配してくれてる?それとも遠回しな嫌味だったりする?」
ああ、一々動作が色っぽい男だ。
椅子を引いて掛ける姿も僅かに乱れた髪を掻き上げる仕草も全て。
知っていた事なのに何故か新鮮に感じる。
「どちらかと言えば心配です」
「へぇ、どんな心境の変化?」
飲み物だけを注文して向き直る鳳巳の瞳は愉しげだ。
「食事しないんですか」
「お察しの通りあまり時間がないからね。佐藤さんは構わず食べててくれて良いから」
勿論そのつもりなので既にオーダー済みだ。
お互い昼に取れる時間など限られている。
「まあ、だからさ、早く質問に答えてくれると助かるかなぁ」
「鳳巳先輩の所為で現実世界に引き摺り出されました」
「俺の所為って、襲っただけじゃん」
瞬間蘇る記憶で全身が支配されそうになるのを気合で封じ込めた。
危ない。
あれは未だに消化不良で無理矢理封印中なのだ。
「あははっ、佐藤さん、すんごい顔」
「出来事の方じゃなく、そうするに至った鳳巳先輩の想いの話です」
「想いねぇ」
「王子に言い寄られてる私って凄い、玉の輿ラッキー。とかって意味じゃないです」
そーゆー視点で言うなら面倒だとしか感じていない。
何が面白いのか鳳巳は爆笑中だ。
フェロモンだだ漏れにされるより、こうやって子供みたいに笑っている方が良いので放置する。
「なぁんでさ、モテてる自分に優越感無いの?」
俺って超優良物件じゃん。
と笑いながら首を傾げる相手に反論は無い。
「夢みたいで舞い上がりますよ、学生時代なら」
「違ったじゃん」
「・・・気付かなかったんです」
「ふーん」
「本当です。住む世界が違い過ぎて関係ないと思ってたので」
「ああ、あの王子だのモブだのって奴か」
言葉に詰まる。
續木以外でこの人だけは唯一、お世話になった意識があるから。
「今でもそう思ってるの?」
「まあ。そうやって折り合いを付けて来たので。でも先輩は許してくれなかったでしょ」
笑みが深くなり頬杖をついてこちらを観察している。
途中、食事と飲み物が運ばれて来たけれど、お互い話を中断する気はなかった。
「俺を見る気になった?」
「見てましたよ」
「俺の言葉を何も信じてないくせに」
やはりそう思われていたか。
「私は私を認めてないだけです」
溜息で諦める。いつからか癖になっていた。
「だから、そんな私に誰が振り向くんだと。キラキラな舞台で生きてる人が顧みるわけない。だって自分はモブなんだから風景のひとつに過ぎないって」
「佐藤さんって根暗なんだねぇ」
「そうですよ。根暗で性格の悪い最低人間です」
「そこまで言ってないんだけど」
鳳巳が引いている。
まあ、事実なので訂正しない。
「再会してからもこう思ってました。命と社会的地位が惜しいので王子達が飽きるまで気紛れに付き合おうと」
「気紛れねぇ」
お陰でこの人の逆鱗に触れた。
勘違いの馬鹿女の方がまだマシだっただろう。
「荒療治で現実を突き付けられたので言い訳も出来なくなりました」
モブだから関係ない。
それは傷付かないでいる為に有効な手段だった。
拒絶だと気付かないくらい自分には当然で正当な理由だったのに、鳳巳によって覆されたのだから向き合うしかなくなった。
「俺はどっちでも良かったけどね」
うん、それは何となく解っていた。
「あのままの方が容易く手に入ってただろうし」
ハイ、承知してます。
あの日のあの言葉は決して忘れられない。
この人が本気で実行する気だったのも。
「ま、いいや。俺がするべき事はひとつ」
カップを飲み干し鳳巳が立ち上がる。
「好きだよ」
手を取り指に口付け告げられた。
逸らせない瞳に偽りは感じられない。
「信じるまで伝え続けてあげる」
耳元で囁かれ、体温が一気に上昇した。
ゆっくり食事して行ってねと去り際の言葉に返事は出来なかった。
くらくらする。
どうやったって敵わない。
あの人が本気になれば思考を奪われて流されてしまうだろう。
熱を冷まし冷静になる事に時間を要した所為で結局食事は喉を通らなかった。