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Grand Road ~グランロ-ド~  作者: てんもん
第七章 ~ On the Real Road.~
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第五十一話 『流れの先に繋がるもの 〜人と泥 3〜』

『────ここまで、か。意外に残念に思うものだ』

 広大な部屋の小さな繭の内側で。ファングと全力で闘いながら、【ガイア】は取り付いた少年の顔を虚空に向け、極々静かに小さく呟く。

 それは、ほんの僅か、ほんの少しだけの感情をそこに乗せ、空間全体に染み入るように響いていた。

『……な、にを』

 息つく間もない攻防の合間に聞こえた【ガイア】の言葉に、ファングが疑問の声を上げる。

 全力で闘っている相手が嘘でも余裕を垣間見せる。それほど激高することもそうはあるまい。ファングがする必要もない質問を再開する。再開して、しまった。ナニールであり【ガイア】である少年が、穴の開いた顔の輪郭のみで薄く笑う。

『思っていたより早く突破されそうなのでな。なかなかやりおる者どもだ。それとも【手】共が弱すぎたのか。つまりはどちらにせよ、遊んでいられるのはここまでだと云う事だ先駆者よ。ああ、そうだな。なかなか得難い体験だ。感慨深い実験だ。幾度も時空が生まれて消える光景を垣間見た記憶の中で、未だかつて使った事の無い概念を言葉に乗せて震えてみよう。大儀であった。それなりに【楽しかったぞ】』

『な、に……?!』

 ファングは耳を疑った。今、奴は何と言った? 今聞こえたのはいったい何だ。聞こえた言葉はいったいなんだ! あいつは何を言っている?! いったいいま、あいつは何を口にした??! 馬鹿な、空耳だ。そんなはずはない。あいつは【泥】だ。黒き闇そのもので命ですらないものだ。人のいう感情など、人に理解できる感情など、蟲よりさらに持ち合わせてなどいないはずなのに。

(【楽しかった】、だと────────!?)

 黒き泥穴を見てすらも冷静だったファングの顔が、初めて驚愕のシワを浮かべた。

 顔に三つの黒い穴。もはやそれだけでしか無い人外の【何か】。そんな不条理な存在が、何一つ情も思いも【無】いと思われた存在が、お前がそれを云うというのか。

 非道く足蹴にされ馬鹿にされた気分になって、ファングは口を手で覆う。

 人ではないのに戻しそうになっていた。【アスラン】だった人の欠片が嫌悪と拒否で裏返る。

 あんまりだ。あんまりだった。それはあまりにも【生きている者】に対して冒涜だった。

 そんなファングの驚愕を愉悦しながら【ガイア】が嗤う。

『ああそうだ、【愉しませてもらった】ぞ。だが残念ながら、それも貴様らの云うような楽しみとまでにはいかぬようだ。届かぬようだな。これは地を這う愉悦に過ぎぬ。だが、所詮はそんなものであろう。世界の秩序の力など、この程度のものに過ぎぬのだ。【ひと】の感情など、一片たりとも理解などできようはずもない。言葉を覚えてもただの翻訳。データにすぎん。形態自体が元から違う。存在する理屈自体が交わらない。起源自体が別物なのだ。同じ時空のものですらない。生きて変化してゆく塵芥エントロピー共と、ただそこにあり完結している【我】となど、完璧さでは比べるべくもないものだ。ヒト同士ならば言葉を使い互いに理解もし合えよう。言葉で理解できとも、利益や損得で同じ方向に向き合うこともあるだろう。機械と有機体ならば、あるいは融合や目的意識で妥協できるものかもしれぬ。星の意思ならば感情で繋がることも、時間さえかけられるなら、もしかすると不可能ごとではないかもしれぬ。

だが、【我】らはその、【ひとの感情】に対応するものがそもそも無い。いや、【無かった】』

『……ッ』

 これだけ喋り続けながらも緩むことの無い実体化攻撃に、ファングは対応するだけで手一杯で言葉を返す余裕も無い。暴風のように吹き荒れ続ける闘いに木の葉のように揺れていた。暴風の速度が対応外まで上がってゆく。雫のスタミナがもう保たない。ここにきて如実に、蓄えた力量の差がハッキリと現れてきていた。

『人は変わることができるだと? 愚かだぞヒトの子らよ。全ての‘もの’が変わることなど、所詮できはせんのだよ。なぜなら、【我ら】は【人】では無いのだからな。青臭過ぎる者共よ、溺れたことにも気付けぬままに自らの夢に沈むが良い。くくくくく、ハハハハハ』

『……』

 激闘の中、激昂した怒りの内に小さな違和感を感じ、ファングはハッと視線を向ける。

 その、哂い方は……。

 水を浴びせられたように冷静にファングは目を見張り、先程からの違和感の正体を知る。

 僅かに、ほんのわずかに、ナニール、いや【ガイア】の内に、違う誰かの気配が混じる。混ざっていく。

(まさか……?)

 いや、そうだ。そうに違いない。きっと確かにその場所に【彼】もいるのだ。

 ファングはその顔を思い出す。内側で眠っているといっていた。その乾いた笑みは、目の前に佇むそのままの姿の彼の、己を蔑む哂い方そのものだった。だが、

『【我ら】にあるのは泥のみよ。容積自体が群体だ。狭間に満ちた世界の泥だ、それが【我】というものの正体だ。法則そのものが違う世界の代物同士。理解するなど有り得ぬことだ』

 淡々と会話したまま【ガイア】が自らの少年の腕を千切って繋ぎまた千切る。泥が捻れて引き出され、だらりと繋がれたまま増えた関節で多重にカクリと折れ曲がる。

 睨むファングの視線の先で、泥に全てを侵食された人だったものがそこにいた。

『この世界のどこまで行けど、どこにも【我】と同じものは存在しない。世界の異物。世界の汚物。それが事実だ。だが、おしなべて見ればこちらの側も、汚辱と穢れと冷めて濁った泥だらけではないか。そうで無いとは言わせぬぞ? ならば【我】が似たもの同士の【同じ異物】で世界を満たして何が悪い? なに、大した事では無い。突き詰めていけば世界などただの原子のカタマリで、ただのエナジーの集合だ。それだけだ。それだけのものでしかない。全てはまやかしで、全ては幻。全てが己れ独りの思い込み。【我】が何もしなくとも、どうせ誰もが人生とかいう刹那の間に、見たいものだけ信じながら、ツギハギを無意識に選択し、幻覚を鑑賞し錯覚しているだけの脳の夢にうつつを抜かしているだけだ。

実際は原子が回っているだけ。電子の雲が舞うだけだ。それが世界で。【思い】や【こころ】などどこにも無い。それだけのただの物理の産物を、世界が微睡みに垣間見るわずかな夢の泡沫を。少しだけ造り変えてしまっても、いったい何が違うというのか。答えてみせてみるがいい、それらの何がどこが悪い?』

 今度は泥の穢れがしゃべっている。先ほどまでの感情の乱れがどこかに消えた。だが、それでも確かに乱れはあった。己に言い聞かせるようなその口調。侮蔑に紛れたそれは確かに、迷いと呼ぶべき何かだった。そこにファングは全てを賭けた。己を鼓舞し、全ての力を砲火の相殺に注ぐ中、わずかな力を振り絞り無理やり声を張り上げる。

『……決め付けないで、くださいよ!』

『なんだと?』

『それを、己の在り方を決めても、良いのは、死ぬまで足掻いた者だけなんだ! 途中で諦めた者が、最初から諦めている者なんかが、自らの掴めなかった可能性を、哂うな。笑うな! 嘲笑わないでくださいよ!! 笑わせてなどやるもんか!! 世界の価値を決めるのは貴方じゃない。貴方なんかでありはしない! 格好悪くて涙が出るよ。貴方の言葉は臭くて軽い。ただ単に出来ない言い訳しているだけだ! おこがましすぎて同情心すらわかないよ!』

 泥の言葉がピタリと止まる。穴がわずかに歪んで揺れる。穢れの泥に何かが宿る。

『……貴様には感謝しよう、先駆者よ。【無】に感情と目的を与えた事を賞賛しよう。そうか、これが【感情】か。これが【楽しさ】というものか。そしてこれが【憤り】というものか。いいぞいいぞ、もっと満たせ。どこまでも【我】とは相容れぬ不協和音だ。世界が【我】を拒絶している。分かる。分かるぞそれが。そうだその感情をもっと寄越せ。お前たちの憤りの力をもっと寄越せ! たとえ相容れられず対消滅するのだとしても、それまでは【我】の腹を満たせ続けろ。満たすのだ! 持つことで理解できた。感情を持つということは、欠片も意味の無いものだな。無意味で滑稽。だが、それでも哂いと侮蔑は産むか。或いはそれも……』

『……』

 人間ではないものの発する哲学らしき思考が零れ、しかしそれも束の間だった。

 すぐに【ガイア】は向き直る。瞳も無いまま視線が合った。

『いや、それももはやどうでも良い。所詮貴様もその程度だということだ。ならばお楽しみもここまでだ。最後の実験台となるがよい。全ての負の果の汚泥を受けて、なお怒れるか、笑えるか、その戯言の熱を保てるか、最後の試しを試すが良い。狂わずに今一度叫べるものなら叫んでみせてみるがいい。【我】は充たせり。【我】は満たせり。無意味の意味を知り、意味の無意味さを知るものなり。我はいまこそここに生まれ、目的を産めり。宇宙の全てを泥で充たさん』

『!!?』

 少年の中の【ガイア】の存在感。それだけが徐々に増していた。

 いまここでの問答で、【ガイア】の何かが変わっていた。

『【我】に【感情】を与えたこと、大儀であった。【我】は我として我を為さん。それを邪魔する者は誰あろうと排除する。排除し呑み込み同化せしめん』

 言葉の切れ目と共に、三つの穴が拡大した。顔の輪郭を超えて拡大し、大きくなって一つに繋がる。【穴】が頭部全体を覆い尽くした。輪郭すらも飲み込んで、穴だけがそこに存在した。空間の穴が首の上にちょこんと乗って座していた。

 黒く塗りつぶされた巨大な顔の、全てが暗き穴と化す。

『ぐ……そんな……ッ』

 信じられなかった。ファングは未だ全力で相手と闘っている。なのに相手は片手間に、攻撃と会話をしながら更に自らの形そのものを変えてゆく。

 そこまでの力の差があったというのか。馬鹿な、そんな馬鹿な!

『満たした泥を食らうがいい。どこまで耐えられるか見届けてやろう』

 顔だった穴から泥が湧く。轟々と滝かダムの放水のような勢いで【黒】が世界に溢れゆく。

 勢いを止めていた漏れ出す泥が、圧に耐え切れずに世界の中に噴出した。

 泥が広がりファングを包む。口も毛穴も侵されながら冒される。穿たれ、汚され穢される。濁され染められ浸された。憎悪、嫉妬、ねたみ、そねみ、ひがみ、自虐、後悔、憤怒、諦観、熾き火、冷めた叫びの数々が、冷たい炎の数々が、独りで抱く全ての情が、泥の涙が楔となって体全てを覆ってゆく。心の隅まで冷たく浸され犯される。

 雷で切り取られた直径20m程の空間を、瞬く間に泥が満たして埋めていた。

『そん、な……!?』

 奴を逃がさない為の檻だった。それがファングの逃げ道をも塞いでいた。

 触れたもの全てを溶かして取り込みながら、【ガイアの体そのもの】が、球形の空間全てを満たし、球形の繭ごと床を融かして階下に抜けた。繭が解ける。

 ファングをも取り込んだ【泥】のスライムが鎌首をもたげ、破れて壊れた結界を見て、吠える。

 そして泥のガイアが再び哂い、空間の綻びをすり抜けて、そのまま、いずこかへと姿を消した。



        第五十一話 『流れの先に繋がるもの 〜人と泥 3〜』  了.


        第五十二話 『流れの先に繋がるもの 〜姫の決意〜』に続く……

明後日までの五話分に分割しました。

その方がキリが良いので。

よろしくお願い致します。


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