第四十五話 『未知の先へ 〜再始動〜』
ファングの号令の言葉が響く。直後、
漆黒の海の中、泪の形の銀色が波間に静かに浮上した。
小型だ。元の形の大きさの、全長だけでも1/10以下しかない。だが、それでも。
同じ形だった。星を救って沈んだそれと同じ形の船たちが、19個もの光となって初光の周囲に次々に浮かび上がる。
五芒星と六芒星、七芒星と一ツ星。一つの星を中心に、五、六、七と印しを組んで。円環の紋章を形作って世界に復帰、瞬時に散った。散開したまま無数に湧き出た月の砲群、それらと星を遮って、静かに静止し向かい合う。
一ツ星が藍に染まった。隊長機だろうか。その中心を先頭に、金と銀の雫が弾け、湧き出すように溢れ出す。滴に雫が浸透し、泉のように隊を包んだ。
一ツ星の船内で、藍色のツナギを着込みフルフェイスで顔を覆った男性が、球形の操縦席に浮いたまま合図の様に腕を振るった。
全ての準備は万端だった。全ての気合は万全だった。世界の行き着く運命を知り、それでも全く諦めず、時の大河を泳ぎ続けた友を見て。人生の半ばを過ぎた壊れた体を提供し、共に眠りについた者。自分達がただの露払いなのだと理解して、それでも主役を張る者たちの舞台を守り時間を稼ぐ役割を引き受けた者。
遥か未来の、知り合いも親戚も一人もいない茶けた星を守る為、ともに誓いを立てた者たち。全員、彼に何かを助けられ、感謝を忘れぬ者たちだ。
その者たちが全ての船の中枢で、頷いたまま合図を振るう。
予定通りならば、月にいるはずの遥かな友に笑いかけ、
『皆、揃っているな? ようやく到着したようだ、分岐点に。届いたようだな。ならば、無為な眠りはもう飽きた。諸君、今こそ友に恩を返すその時だ。存分に返済しろ。利息もまとめて返してやれ。俺たちの唄の全てを聴かせ、ぶつけ、酔わせてやれ。さあ、征くぞシング・ザ・ソングズ隊。第一楽曲、歌え、ブリューナク!!』
世界を守る槍の穂先が四方に散って光を発した。小型の涙滴型が滑るように移動しながら間髪いれずに主砲を放ち、ガイアの小型砲門群を続けていくつも撃ち落とす。ガイアの自動照準が、敵と認識した船たちとの交戦を開始し出した。
世界はまだまだ終わらない。世界は未だ続いている。
「あれは……なんだい!?」
目を見張るルシアが息子に尋ねる。
『一番最初の仲間たち、共に行くと誓ってくれた古き時代のアカデミーの旧友たちです。他にも仲間となりながら半ばで力尽きた者たちの、最初期に精霊体になった者の残り火が宿る船たちです。全ての事情を知り、不完全な実験に参加して、【こころ】の欠けた精神の欠片だけになってしまっても、それでも全ての【時】を賭けて【ひと】を捨て、狭間に隠れこの時を待ち続けてくれた、友たちです……これで、外の舞台は抑えました。彼らが守ってくれてる以上、決して地上は撃たせはしない。あとは』
『・・・・・・』
押し黙る敵に指を突きつけ、ファングは彼方の時に捧げる涙を振り切って叫んでいた。
『あなたを内側から叩くだけです!』
静かに黙る【ガイア】の口が、闇を伴い大きく開いた。
『……生命の本質は、悪だ。星ですら孤高を保てず堕落する。なのにお前達は本当に、その悪の集合に、ひとの小ささで勝てるとでも思うのか。ひとの中にも悪があり、その巨大な悪意が【我】の力だ。おのれの中身と相対し、それでも勝てると思うのか。ひとの闇を軽く見ているだけはないのか。欲、嫉妬、憎悪、嫉み、妬み、嗜虐、卑屈、それぞれが、星すらをも超える闇の深さだ。その闇の泥に浸かり、それでもおのれが保てるなどと、増長も甚だしいと思わぬか』
穴の底からそいつが言った。暗黒が凍える声で喋っていた。
間違っても、時間稼ぎまで使用して稼いだ策が潰された者の声ではない。もはや【ガイア】は激昂すらもしないようだ。
未だ策があるというのか。空洞相手では心がまるで読めなかった。
ファングはぎしりと歯を重ね、猛りのままに吼えていた。
『そうですね……そうですよ! 人は、悪です。人の本質は確実に【悪】ですよ。でもね、だけれども! だからこそ、人は悪だけでは人にはならない。悪だけでは【人】には【なれない】! それが、600年間見てきた【僕ら】の出した答えです。【人】は悪だけではないからこそ、【人間】なんだ! 無傷で勝てるなんて思っていない。けれど何もせずに負けるつもりも無いだけだ! 【人の悪】という片方だけを片手落ちで知っただけで、世界全てを理解した気にならないでよ! 人の暖かさも、人の温もりも、その優しさも強さも弱さに打ち克つその決意も! あなたは何も知らないじゃないか! 片側だけしか知らないで、おこがましいのはあなたの方だ!!
胸があるなら刻み込め。記憶があるなら忘れるな。わずかでも何か心があるのなら……
覚悟しろ。あなたたちは必ず止める。【僕ら】が必ず止めてみせる!!』
答えは、無言だった。
暗黒の泥と瘴気に包まれた黒き影は、胸の前に両手を上げて捏ねるように動かした。存分にこねた後、見せつけるように両手を開いて広げゆく。
『あ……あれは!』
ナーガが喘いでつぶやいていた。
最初に仲間が集った時、イェナの街を飲み込んで膨れていった、あの【黒き球】だった。それが、またも目の前に作り出されている。しかも、あまりにも簡単に、ただ両手を捏ねたそれだけで!
ここにいる全ての者がその黒球の威力を知っていた。重なったものを何もかも飲み込み削るただの虚無。攻撃が効かないものに、どうやって対抗すればいいというのだ。だが、疑問を持つ者もいた。それは制御が効くものではなかったはずだ、と。
『貴様、この月ですら、どうなっても構わないというのかい!?』
『……構造は把握した、壊れたらまた作ればいいだけだ。創ったものを壊しながら、【我】は宇宙を生命の闇の泥で満たしてくれよう。時間はいくらでもあるのだからな』
ナーガの疑問を一蹴し、黒き穴が黒き闇を纏いて烟っていた。黒き姿が人の体を被っていた。そこから泥が溢れていた。滴る黒が世界を侵す。
コールヌイはそれを、静かに視ていた。彼が守ろうとした存在が、人としての存在から外れてゆくその様を。視線を外すことなく、見つめていた。
彼は、とうとう、覚悟を決めるしかないのかと悔やむ。
守れなかった。
守れなかった。
ならば、せめて、共に居よう。
自らが、強制的にコールドスリープさせられた後遺症か、それとも奇跡のきまぐれか。甦ったその後に、自らの肉体に宿っていた不思議な力。救われたその命を捧げる事で、何かを強制的に冷凍封印することができる、人の枠から外れたスキル、【絶技】。あれを封印するならば、魂全てが必要だろう。それを使わなければいけない日が来ようとは。
それを一番守りたい相手に使わなければならないことになろうとは……!
彼は、運命を信じていない。だが、それでも、己れに課せられた、積み重ねられた事実という名の結果の数々を、生まれて初めて心底呪った。
「アイリオス……、すまぬ」
血を吐くような謝罪の言葉は、口の中で唱えられ、本人以外、誰の耳にも届くことはなかった。
ここに至って、ファングも覚悟を決めていた。
『皆さん、ここは僕に任せて、先に行ってください』
「……どういうことだい」
ナハトが非難の視線を向ける。
『大丈夫、犠牲になるつもりなんて無いよ』
ファングは小さく微笑んだ。
『間違えてはいけないのは、あいつは本体じゃないってことなんだよ、ナハト』
ナハトはすぐに、その意味に気づいた。
「……そうか! ガイアの本体を探して、そいつを叩けば」
『うん、そういうことさ。けど、サブシステムである【カムイ】ですらも、【ガイアの本体】がどこにあるのか結局判らなかったんだ。でも、今は』
向けられた視線の先にルシアがいた。500年前、船長封印の為にガイア本体にダメージを与えた作戦の、唯一の生き残りの。
『おかあさんなら、本体が移動していたとしても、範囲を特定できるはず』
「任せとくれ!」
そういうことなら、役に立ってみせようじゃないか! ルシアが再度奮起する。
『デュランさん、ナーガさん、リーブスさん、おかあさんの護衛をお願いします』
指名された三人が、力を込めて頷いた。
『他の方々は皆で手分けして、ゲートで突入してくる人たちを誘導してあげてください。最低でも二箇所。アリアムさんたち兵士の皆さんと、たぶんクローノさんが蓮姫さんたちを連れてきてくれますから』
「先輩が来るんですね!」
今まで静かだったカルナがようやく輝き出した。
「連携と連絡手段はどうする?」
当然のデュランの疑問に、
『ソレハワタクシガ、中継イタシマスデス』
ぴよっという鳴き声と共に空中に現れた鳥が答えていた。
『心配いりません。サブシステム【カムイ】のホログラム体です。彼が分裂し、中継してくれますから』
「……了解した。【カムイ】だな、よろしく頼む」
順応性の高いデュランだけあり、すぐさま納得し応えていた。
『さて、それでどうする? 行かせるとでも思うのか?』
【ガイア】の言葉に答えたのは、ファングではなくカルロスだった。ずっと沈黙していた少年が、前に出て怒りのままに声を上げる。
「行くに決まってんじゃねーかよクソ野郎! テメー程度の弱気な奴に邪魔されてたまるかってのッ」
『弱気、だと?』
「ああ、弱気も弱気! テメー以上に後ろ向きなヘタレ野郎もいないだろうよ。テメーは何にも分かっちゃいねェ。テメェら極端な野郎どもは皆、妥協をすることを怖れ、妥協することから逃げているただのヘタレに過ぎねえのさ。世界は悪でできている? 違うね、世界は妥協でできているのさ。妥協という名の戦場で、誰もが存在そのものを賭けて生きている。人だろうとそれ以外だろうとおんなじだ。相手の主張も自分の主張も変えないで、無視もせず、受け入れながら押し付けてボーダーラインを命を削って探してる。その戦場から逃げるやからは、おれに言わせりゃ誰だろうとおんなじにヘタレ野郎だ」
カルロスが、声を張り上げ主張していた。
『妥協だと? 愚かだぞ道化者。それは、そんなものは【全てを得ることを諦め逃げた者どもの、ただの言い訳の戯言】に過ぎん』
「違うぜクソ野郎!!」
カルロスは胸を張って答え続ける。
「そいつは激しく間違っているぜ! 妥協とは、決して諦めを意味する言葉じゃねえのさ。地上の商人全ての代表として、言葉の意味を教えてやんよ! 妥協とは、【全てを得ることを諦めないで追い求めることから逃げないで、全力で抗って抗って! 最後まで手を伸ばし続けることを諦めなかった者たちだけがたどり着き、掴み取ることができる、飽くなき最善の希望のライン】のことなんだぜ!!!」
『くだらぬ弱者の戯言だ』
「熱を伝え増やす言葉の価値さ」
『裏付けさえ無いただの虚勢だ』
「独り者には理解できない束ねた技さ」
『群れねば出来ぬ臆病者のやり方だ』
「伝えて回し大きくできる、最も偉大な錬金術だよ」
『口先だけの屁理屈だ』
「屁理屈はどちらだよ? なら違うということを証明して示してやるよ、これからテメェそのものをぶちのめしてな!」
『………やって、みろ』
激昂を忘れたはずの空虚が、震えていた。
何かの逆鱗に触れたのだろうか。
それとも、内側に逃げ込んだ二人の男の?
分からない。それでも、一瞬だとしても、空虚が空虚でなくなっていた。
飛んできた小さな虚無が、ファングのバリアで止められる。
「さて、ファング。一人で戦って、勝算はあんだろーな?」
それを見届け、振り向いてカルロスが質問した。
『もちろん。必ず時間を稼いでみせるよ。皆の武器も防御も有効にしてあるから、そっちも存分に暴れてきてほしいな。頼むね』
「よしきた。さあ皆、遅れてくる奴らをちゃんとエスコートしに行こうぜ」
その合図と共に、広大な部屋の中を、物体を削り取る黒球がいくつも縦横に暴れ回った。
ファングが、ラーサが、ナーガがバリアを張り、飛び散る虚無を皆それぞれの武器で打ち払う。
確かに虚無にも届いていた。武器を削られもせず攻撃判定が有効だった。
誰もが頷き、そして三手に別れ始める。
「ファング。オレも、1つ訊いて良いかい?」
走り出す直前、虚無の雫を槍で払いながら、ナハトがファングに小声で訊いた。
『なんだい、ナハト?』
「オレたち封印者の血液コードが、しばらく保存したものでも良かったのなら、なぜオレたちをここに来させたんだい? 君なんだろ、そういう事にしつらえたのは?」
『……うん。君なら気づくかもと思ってた。さすがだねナハト。たぶんね、見て欲しかったんだよ……この世界というものの、全てを。外側から俯瞰した、僕らが生まれたあの場所の真実を。僕らが何をしたのかも含めた、全部をちゃんと見て欲しかった。そして、知って、考えて欲しかったんだ。自らの力で、変わる事の出来た全ての人に。そうしないと……何も変わらないと思ったから。酷いよね……僕』
「……そうかもね」
ナハトが憮然と口を尖らす。
『でも、……謝らないよ。だって、それが必要だと信じてるから』
「うん。それでいいと思う。オレも、何も知らずに地上にいたら、それこそ腹を立てたと思うから」
『そっか』
「そうだよ。教えてくれて、ありがとファング」
『それじゃ、頼むね』
「ん、じゃあ、また後で」
久方振りに触れ合った二人は、軽く手を上げ二手に別れた。
またすぐに会えるから。そうとでも言うように、信頼し合えた親友は、振り返らずに自らの役割をするべく、動き出した。
「婆さん」
三手に分かれるその中で、違う方向へ向かうルシアを、カルロスが呼び止め声をかける。
「ルシアだと何度言ったら……まあいいさ、なんだい?」
「頼みがある。ここで別れたら、たぶん星に帰るまでもう会えなさそうなんでな」
「だからなんだって……」
少年が見せる真剣な表情に、ルシアの小言が萎んで止んだ。
「全てが終わって生き残ったら、糞オヤジの墓に参りにきてくれ」
「……!」
ルシアが息を止めていた。
「それで、チャラさ。それで、いい」
「……約束するよ。必ずね」
カルロスが微笑んで、どでかい声で軽口を再開する。
「ったく、これでまた会っちまったら、恥ずかしいなんてどころじゃねェな! じゃあな、無茶すんなよクソババア! リーブスも、そっち手ェ抜くんじゃねェぞ!」
「あんだって! あとで絶対覚えておきなクソ小僧!」
二人とも、悪口を言い合いながらも笑っていた。リーブスたち護衛隊も、離れた場所で手を上げて応えている。
そして皆が三手に別れ、全ての力を足に込めると、全力でそれぞれの扉に向かって駆け出した。
第四十五話 『未知の先へ 〜再始動〜』 了.
第四十六話 『大河 〜集結〜』に続く……




