第四十三話 『未知の先へ 〜合一〜』
二週間と言ったがあれは嘘だ。
すみません、ちょっとだけ三話分だけ、先に載せます。
そのあと少し時間空けますので、よろしくお願いします。
アルヘナ砂漠中原、照り付ける焦熱の砂塵の中、岩棚の上に立ち、アリアムが声を張り上げ叱咤している。
突貫ではあるが、訓練が終わっていた。
訓練を始めた頃は、彼の成果の無い無能を理由に、訓練はちゃんとしても言葉に耳を傾けない者も多かった。
だが今、その眼前に一部の隙もなく整列している数百人の兵士達は、この一両日で、知ったのだ。たった一両日だ。だが訓練の間、
彼らの王が、寝る間を惜しんで走り回り、一人一人に声を掛けて回った事を。
彼らの王が、全ての秘匿を開示して、彼らに頭を下げたことを。
彼らの王が、彼らに対して話すとき、決して一度も目を逸らさなかったその事を。
彼らは知った。
アリアムという、王としての3年間で何一つ成果を上げられなかった男の内に、覚悟と誠実の孤高の精神が息づいていた事を。彼らと共に、守りたいものがちゃんとあるのだという事を。
彼らは今こそ、その口の悪い叱咤の裏に、ちゃんとした祈りと激励が込められていることを感じながら、その最後の演説を聞いていた。
「よくやった、お前たち。訓練はこれで終了だ。ほんの短い時間でしか無かったが、お前たちは期待以上に応えてくれた。心より感謝する! お前達には、嘘や偽りを欠片もしておきたくはないから言っておく。これから行く先は、過酷な自然の中で生きてきたこの国の民ですら、一度も体験したことのない地獄の中だ。生きて戻れる保障は無い。生きて戻れるなどという嘘の約束はできはしない」
アリアムは、最後にもう一度一人一人の顔を見回す。誰一人として視線を逸らしていない事を見届けて、続けた。
「だが、それでも俺は、お前らに一緒に行って欲しいと頼む。共に来て欲しいと全霊で望む。なぜなら、守りたいものがあるからだ。ここで行っておかないと、守ることが出来ないからだ。守りたいもの。それは、大切な者たちの命であり、子供達の未来であり。どれだけ矛盾し馬鹿にされ理不尽に苛まれながらも、捨てることなく抱き続けてきた熱き理想の夢であり。どれだけ汚れていようとも、泥をすすり、何度奪われながらもしがみつき、どんなに苦しくとも諦めず、ここまで続けてきた【人生】そのものへの誇りであり。……そしてそんな俺たちでも、そこにいることを許されて、共に心を寄せることのできる【故郷】のことで。そして! 途切れずに続いてゆく、平凡だけど温かい、未来という名の明日のことだ。お前達の守りたいものと、同じものだよ」
一息。しかし、下は向かない。そして月を指差し、続ける。
「お前達も聞いたとおり、世界は、敵だった。星が敵だった。だが、それでも、諦めず、あそこで闘っている者たちがいる。なぜだ!? それは、どれだけ嫌われようとても、どれだけ疎まれようとても、【ここ】が、俺達の生まれた場所だからだ!」
兵士たちの顔が一瞬で、引き締まった。
「俺達の先祖が何をしたかなど、今を精一杯生きているだけの俺たちが知るもんかよ。これからは、知っていかなきゃならないだろう。伝えていかなきゃならないだろう。だが、これまで知らなかった事までも、今を生きている者たちのせいにされちゃあ、たまんねえよ!
子供は親を選べない。俺達は生まれた場所を選べない。だがなあ。それでも、行く場所の無い俺達は、ここに居続けなくちゃあならない。なら、【ここ】を愛そう。愛してくれない親だとしても、俺たちは愛してやろう! 難しい事だと思う。けれど、決して不可能なことだとは思わねえ!」
アリアムが、腕を上げ、声を張り上げ叫んでゆく。
「俺たちが、変えてやろう。俺たちが変えてやるんだ!これまでの、誤解や、偏見や、哀しい行き違いの全てのものを! 俺たちが変えてやるんだ! 俺たちの子供や孫が、【世界】から愛される世界に! ちっちぇえ偏見や差別など、吹き飛ばして笑い飛ばせる、そんな世の中に変えてやるんだ! 俺たちが!!」
誰が指示した訳でも無く、兵士たちも、腕を上げて応えていた。声を吸い込む砂漠の中で、応えの叫びがこだまし出した。
「俺たちならできる。お前達なら出来る! あそこに巣食った元凶を倒し、星と妥協を取り付けて、お前達の為に祈りを捧げて待っている者たちの未来を救え! 救った上で戻って来い! 勝手に諦めて死ぬのを許す気はない!! 死ぬ寸前まで諦めず、片手片足でも良い、血へドを吐いても守った者たちの前に戻って来い!!! 胸を張ってやり遂げた事を、笑って誇って伝えに来い。お前達のその口でだ!!!!! 分かったか理解したか心に染みて覚えたかこの最高のくそ野郎ども!!」
「「「「「「「「「「「「「「「「「応おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!」」」」」」」」」」」」」」」」
誰が始めたのか、次第に全てのリズムが同期し混ざる。その中にはリーダーがいた。エマさんもいた。
砂の大地が足踏みで地鳴りとなって振動した。
「もうすぐ、そこのゲートが開く。俺の仲間たちが必ずそこを開いてくれる! 開いたら、訓練どおりに第一隊から順に走りこめ! やることは分かっているな!? 頭で考えなくても体が動くようにしておけよ。隊列を乱す者は置いてゆくからそのつもりでいろ! さあ、もうすぐ時間だ。準備を終えた者から順に、ゲートの前に並びなおせ。
最後に、もう一度言っておく。お前達は最高だ! お前達に全てを託す! 共に、生きて英雄になれ。お前達一人一人がこの星と人との未来を繋ぐ救世主だ。それを、子々孫々まで語り継げ!! 検討を祈る!!!」
瞬時に、クモの子を散らすように、幾何学模様を描きながら全ての兵士が全力で動き出した。
ライラは、体に合わない鎧に着られながらも、自分を、心身ともに救ってくれた男を見上げた。
彼は、どれだけ傷つき泣こうとも、それでも下を向かず、倒れなかった。何度でも立ち上がり、歩み続けた。
なら、自分にも、できることがあるはずだ。そう思った。
あそこで叫んでいる尊い男の、背中の傷。その幾つかは自分のせいだ。自分を庇って負ったものだ。
恩返しではない。そんな軽いものではない。ただ、助けられた自分が、助けられた価値があるのだと証明したいと心底思った。
ともに未熟だった少年も、自らの価値を掴み、成長し、叫んでいた。
ならば、今度は自分の番だ。
敵を倒す力など自分にはない。
けれど、出来ることが必ずある。そう確信していた。
根拠はない。だが、それでも。
「わたしにも、ここまで死を選ばず生き続けてきた誇りが、ちゃんとあるから」
それを【誇って】いいのだと、彼が教えてくれたから。
小さかった少女も、皆の後に続き、走り出した。
◆ ◆ ◆
「本当に……ファング、なのかい……?」
ファングと名乗った青年に、ナハトが近づき、恐る恐る問いかける。ラーサやカルロス、カルナ達は、あまりの事実の変転に、開いた口が塞がらない。
だが、戸惑うのも当然だろう。ずっと、【ムハマド】として一緒に過ごした相手なのだ。顔が違う。変えられるとはいえ声も違う。微妙とはいえ背丈も違う。さらに言えば、つい先ほど、ファングが乗った船が爆発する場面を見たばかりということもある。
いくら時間連続的に全く同一では無いとしても、繋げて考えることなど難しかった。姿かたちが変わってしまっていることも含めて、想像力の埒外だった。どれだけ事前に疑念があったとしても、精神的に同等の人物が同じ【時】に存在したなどと、誰が想像するものか。
よく自己矛盾に陥らなかったものだとナハトは思う。その為の記憶封印だったのだろうけど。
だが、ムハマドとして共に過ごした思い出も、それが嘘と言うわけでは断じて無い。だからこそ、ファングと地続きの同一人物だなどと言われても、理性はともかく感情がすぐにはついては来ないのだ。
けれど。
『……うん。僕だよ、ナハト。久しぶり……というのは、君たちにとってはきっとおかしいんだろうね。でも、記憶の大半を封じていた僕にとっては、久しぶりなのは本当なんだ。みんなにまた会えて、本当に嬉しい、嬉しいよ……』
いかにムハマドの顔をしていようとも、懐かしそうに涙を浮かべ、そして心の底から嬉しそうに語るその姿は、伝わってくる感情は、本物だった。本物のファングの語る言葉だった。
彼の【雫】操作によって【感情が涙のエナジーとして放出され、物理的な力として顕現している】現状のこの区画域において、その【涙】は決して偽りなどでは有り得なかった。なぜなら今現在のこの限定空間内では、行使している霧状の【思念の雫】と繋がっている彼自身の感情もまた、まさに【目に見えるもの】として外に漏れてしまっているのだから。言葉で嘘を言えたとしても、感情だけは偽れない。
いや、そんなものは関係無いのかもしれない。そんなものとは関係なく、彼はムハマドとして、ファングとして、これまでに語った名前の全てにおいて、嘘偽りなくその【人生】を全力で生きてきていて。それが嘘ではないからこそ、だからこそ数百年ぶりの再会を震えるほどの感情で、全身全霊で祝えているのだ。
どこまでいってもどこかとても幼くて、でも、誠実さが芯にちゃんとある。
そういう意味で、ファングもムハマドも、確かに同じ【魂】だった。
そうだ、それが、ナハトの友達である【ファング】という名の少年の、魂のかたちそのものだった。
「そう……そうなんだね。君らしいよ。うん、納得した。すごく、頑張ったんだね……凄いよ、本当に……偉い。おかえり、ファング。本当に……おかえりなさい」
ナハトの中で、ようやく二人の印象が統合されて合一された。少しだけ背の高くなった友人を、全霊をかけて抱きしめた。ファングも共に抱きしめ返す。
久方ぶりの、【友人として】の温もりだった。あの時彼が船とともに逃げ出して以来、お互い断ち切れていたものが、ようやく戻る。
『ありがとう、ナハト……ありがとう』
ファングの瞳に盛り上がる雫を見て、ラーサも近づく。ナハトが離れた一瞬の隙をついて、友人の顔を平手でぶった。
綺麗で静かな音がした。
ぶたれた顔に手を当てて、ムハマド=ファングが年下の友人と視線を交わす。
「痛い? そりゃそうよね。それが、あんだけ心配かけたことへの、罰なんだからね。良いよ……これで、全部許してあげる。でもね、覚えておいてファング。あたしはずっと怒っているの。あたしたちはずっと怒っているの! あんたが! ……あたしたちに何も、言ってくれなかったことが、哀しかったの! それが哀しいって、知ってたくせに。あんたは! あんただって知ってたくせに!」
ナハトが居なくなった時、共にいた少年に向かって、叫ぶ。
ポニーテールの美少女が、瞳に涙を浮かべ、顔を真っ赤にして心の底から怒っていた。
『……うん、……そう、だよね。ほんとに、そうだ』
ファングが心苦しそうな、それでいて愛おしそうな表情で、染み入る熱の届いた場所に手を乗せて、全てを受け止め押さえ続ける。伝わる熱がそこにはあった。とてつもなく重くて熱い、優しい心がそこにはあった。
「い~い? これからは、ちゃんと全部話すこと。ぜんぶだからね!? 友達なら、ともだちが黙って独りで困ってるってことが、どれだけ心配かけるかちゃんと、ちゃんと考えてよ! ケンカしてもイイの! いいんだから……友達ならケンカしたって何にも悪くないんだからさ! だから、もうぜったいに、黙って独りでいなくなんてならないでッ! ……誓える?」
『うん……うん。誓う。誓うよラーサ……絶対に、もう二度と間違えないから』
「なら、よし!!」
満面の笑顔で言うが早いか、猫科の少女が両手を広げて飛びかかる。ラーサが珍しく、ナハト以外に抱きついてはしゃいでいた。
友人たちに囲まれながら、ファングは視線を、奥に佇む仲間に伸ばす。静かにこちらを見ていた師匠が、静かに微笑み頷いて。その横で、デュランも軽く腕を上げ、無骨な調子で片目を閉じた。
男同士、言葉にせずとも伝わるものが在ったのだろう。ファングも頷き、微笑み返した。気持ちの弾みが止まらず続く。
大人組の面々も皆、理性の結果を受け入れて、安堵のため息を付いていた。
頭に手を当て、首を振り苦笑しながらだが、頷きあった。少年少女たちが受け入れた以上、大人が駄々をこねられない。
「ファング……」
涙の跡もそのままに、ルシアが歩み寄り、途切れたままの言葉を紡ぐ。
『……おかあさん』
彼方の時に息子となった青年が、永劫の時間の果てに久方ぶりに面と向かって母を呼ぶ。
「そうかい……あんたが、ファングだったのかい……どうりで」
ルシアの中で、これまでの様々なムハマドの発言全てに納得がいく。その時そこに込められた、意味の深さに胸が痛んだ。
『……はい、お母さん』
言えなくて、すみません。そんな万感の想いを込めて、彼女の息子が頭を下げた。
「ムハマド、とも呼ぶべきなのかもしれないけどね……今は、ファングと呼ばせてもらうとするよバカ息子。正式な呼び方はまあ、落ち着いたらその内ちゃあんと考えるさね」
『はい』
二人の親子が微笑み交わす。そして、わずかの至福ののちに。
「幾つか聞きたいことがあるんだけどね……まだ時間、あるかい?」
微笑みを消し真剣な表情に戻したルシアが、光の柱に囲まれて、憎悪の瞳で唸っている少年姿の闇を見る。光の柱の内側で、もがく泥。人の姿でありながら、その内より漏れるものは既に人のそれでは有り得なかった。
『うん、あと少しなら、大丈夫、です。永久の封印ではないけれど、反撃の準備する時間くらいはちゃんとあるから』
「ならまずは、答えとくれファング。……あんたは」
ルシアが近づき、痛ましそうに口を結んで、恐る恐る頬を触った。
「600年、間……独りで、ずっと?」
頬を触られた青年が、温もりに触られたまま静かに首を横に振る。
与えられた体温を一滴たりとも漏らさぬように、瞼を閉じて手のひらを重ね、その感触に安堵しながら頷いて、
『……はい。でも、その時々で、僅かだったけど、理解し手伝ってくれた人もいた、から。それにアスランもずっと、ずっと一緒に、いてくれたから……』
もう片方の手のひらを、胸に当てて答えていた。ルシアも残りの片手を青年の胸に、愛おしそうに重ねて置いた。震えながら、つぶやく。
「そうかい……頑張ったんだね、二人とも……自慢の息子たちだよ!」
『はい……っ』
ルシアの手の甲に、雫が落ちて流れていった。
「言えなくて、辛かったろう。すまなかったね」
『……ありがとう、ございます、おかあさんッ』
そこでルシアは両手を離す。慈愛の目からもう一度、真面目な顔に戻り、問いただした。
「最後に二つだけ、聞いておかなくちゃならないことがある。正直に答えとくれ、ファング。あんたが、精霊科学を、その大元を創り出した、……そうなんだね?」
『……はい、その通りです』
聞かれる内容に見当が付いたのだろう。ファングの顔も引き締まった。
「なら、あんたが精霊科学を創ったのだとしたら、この世界の今の惨状は、あんたのせいでもあるのかい? 衛星コンピューター《ガイア》も、思念・想念の小瓶も全て。ならば、あんたが居なかったら、あんたが精霊科学を創らなかったら、世界はこうはなってはいなかったのかい? 奴が今ここに在るのは、お前が原因だってことなのかい? あそこにいる【ガイア】の出現も、暗躍も、全て想定の内、こうなると分かっていて歴史を繰り返したってことなのかい?
怒らないから、教えておくれ」
『………………』
ファングの口元が、言葉を探し、静かに深く震えていた。
「あんたが【ここ】に、この時間軸に戻ってこなきゃいけなかった、それは理解できる。助けてくれた事にも感謝をしてる。その為にできるだけ、干渉したくてもできないで、我慢してきたのも分かる。けれど、もしかしたら、あんたがここに戻ることを諦めていたら、あたしらの事も諦めて、しっかり歴史に干渉していたなら、星そのものの怒りを止めることはできなくとも、時間軸をいじることになったとしても、現在の惨状を少なくとも半減させられていたんじゃないのかい。そういう世界を作り出せていたんじゃないかい?
違うかい……?」
ファングが、つむった目蓋を震わせたまま迷ったように口を開く。
『……分かりません。そうかもしれないし、違うかもしれません。
僕は僕の知っている歴史を極力変えないように、それだけを意識してここまできました。だから、真相は分かりません。でもその可能性は……あったんだと、思います……。けどたぶん、同時に、僕が精霊科学を開発しなくても、現在僕の中にいる【星の怒りの意思】のイメージを信じるなら、遅かれ早かれ同じことは起こったんじゃないかと思う。そしてそれはもしかしたら、現状よりも悪い形だったのかもしれない。計算できることではない以上、誰にも分からないことだけど。でも、』
ファングは光の柱に囲まれて、宙に浮いているシェリアーク姿の男を見る。
少年のカタチは先ほどまでの憤りを失って、黒き霧に包まれて、脱力したかように両手を下げ、頭を垂れて沈んでいる。
『一つだけ解っていることは、そこにいる【ガイア】だけは、確かに僕の責任なんだってこと。僕は、【アーディル】との交渉の為、そして【ここ】に戻りたいという個人的な願いの為に、世界を変えられるかもしれなかった幾つもの分岐点を見逃した。わざと、見逃したんです。それゆえに小さな介入しかできなかった。自分の創設した精霊科学を継承した子孫達が、あいつを創り出した時も、見守ることしかしなかった。【ガイア】がいつか世界に害を与えることを、あいつがここまで育ってしまうことを、知っていて巨大衛星船ガイア建造の時も何も行動しなかった。
だから、少なくともそれだけは、そいつだけは僕の責任なんだ。僕の責任において、いまここで奴と決着をつけなければいけないんだ。【ここ】に戻ることの出来た今だからこそ! それが、大切な人たちの為に世界を一度は見捨てた、僕の責任なのだから。だからこそ、ここで倒し切る! 先の見えない時間軸に移行した今の世界に、これ以上【ガイア】を置いておくことは、到底できはしないから』
皆、静かに聞いていた。覚悟のこもった言葉だった。そして、ファングがその続きの言葉を口に出す寸前、誰もが止める。止めにはいった。
『皆さん、本当にごめ』
パコン。杖で思い切り叩かれた。
「ラーサに言われなかったかい? 自分が信じたことをしたんなら、絶対に謝っちゃいけないってさ、あの子にもそう教えたんだけどね」
横目で見ると、ラーサがまたも怒って頷いていた。何度も何度も、皆がみんな、頷いていた。
『でも……』
心の底から謝罪をし、それでも謝罪し足りずに、言葉でも謝りたそうにしている息子を見やり、ルシアは呆れ、
「しょうのない息子だね……」
静かに一度だけ瞬きし、瞳を開けた。まっすぐに目を見つめる。
「一度だけ言うから、よくお聞き。あたしはね、あんたは間違っちゃいないと思う。親の欲目じゃないよ。あんたは、間違ってない。自分でも本当はそう思ってるんだろ? なら、謝っちゃいけないのさ。それを信じてそれをやり、それを信じて人生かけて手伝ってくれた誰かがいた。なのにあんたが謝っちまったら、あんた一人だけでなく、信じて手伝ってくれた全員すらも、あんたは馬鹿にすることになる。そいつは、やっちゃいけないんだ。絶対にやっちゃあいけないんだ。あんたがそれを信じてやったなら、そこだけは間違っちゃあいけないよ」
ルシアが、おのれにもに言い聞かせるように、絞り出すまま言葉を語る。ファングは唇を噛んで眉根を寄せた。
『……でも』
「ああもう、何度も言わすんじゃないよ恥ずかしい!
あんたは、それが正しいと思ったんだろ? それを正しいと思ってしたんだろう? 間違ったことをしたとは思って無いんだろ? その上で責任をちゃんと取るって言うんだろ? なら、謝るんじゃないって言ってんだ! 誰もあんたが自分の為だけにしただなんて、欠片も思っちゃいないさね。
たぶんね、【ここ】が分水嶺。本当の分岐点なんだよ。それ以外に分岐なんてなかったんだよ。これからのあたしら全ての【人間】の、クロマニョンもネアンデルタも、アーディルもその固有の命も、機械の意識も精霊体すらも含めたこの先の、【未来】を決める! 全てにおいて共にある、【ここ】が歴史の分かれ目なんだと思う。きっとね。あんたが【更なる干渉】をしたとしても、ここまでの時間軸の被害までは軽減できたろう。でも、ここから先は、あんたにも誰にも分からない先の未来だ。そうだろう? なら、もしここまでの間に大きな干渉をしたとしても、この先の被害が軽減するとは限らない」
『でも……』
「あんたは、賭けをしたと言ったね。取り込んだ星の一部と」
『はい』
「なら、そいつが、鍵さ。この先のね」
ルシアがナーガを視線で呼んだ。頷いてナーガが先を続ける。
『ムハマド……いや、ファング君。それで……星の意思は、どういう決断をしてくれたんだい。未だ全てを和解できた訳では、ないんだろう? ならば今はどういう落とし所になっているんだい?』
『どちらでも好きなように呼んでくれていいですよ、ナーガさん。今の僕は、どちらでもありますから。……そうですね。未だ、そこまでは成せていません。残念ながら。【アーディルの一部である彼】は、妥協してくれただけです。今はまだ、人を滅ぼすことが妥当ではないと。今はまだその時では、帰還不能点ではないのだと。人の中にも、共に歩める者も僅かながらもいるのだということを。共に歩む道のりで、星の因子が人にもあるということを。でも、彼は一部に過ぎないから。真に星の意思にアクセスして、星と直接交渉を開始しない限り、それでも世界の崩壊は止められないけど』
『……そうか。でも、それは、それでも……進歩だね』
感情でしか繋がれない存在が、それでも【妥協】してくれたのだ。言葉でも交渉でもなく、時間をかけて【視る】ことで猶予を待ってくれたのだ。
『はい。ただ、仮にもしそれが成功したとしても、いつかまた、人の未来の選択によっては、同じことが起こるかもしれません……いえ、確実に起こると思う。それはきっと避けられない。けどそれでも、それはもう【今そこにある避けられない危機】ではありません』
「ファング……」
ルシアが真面目な顔をして、もう一度正面から息子を見た。
「なら、胸を張りな。それはあんたの【成果】だよ。成果なんだよ。あんたがやってきたことは、間違ってない」
そう言いながら頭を撫でる。撫でられた息子は震え、下を向いて再度雫を落とした。
「そら! 猫背になってるよ、まったく、しゃんとおしよ、あたしの息子だろ、みっとも無い!」
『……うん、おかあさん』
ルシアが優しく背中を叩き、襟元の乱れを払って直す。
「あんたが、間違ってないと思うなら、それでいいんだよ。それだけを言いたかったのさ。あんたが気に病む必要は、無いんだよ。ここにいる誰もが自分で選んで、ここに来た。それをちゃあんと分かってる。それでも誰かがあんたを悪く言った時はさ、遠慮なく言ってきな。泣きついてきなよ。そん時はお母さんが庇ってやる。ちゃあんと、ね、一緒に泥くらい被ってやるさ。味方だよ、あたしは。それになによりなんたって、【おかあさん】なんだからね、あたしゃ。だろう?」
ファングが息を吸い、目を見開いて、前を見た。
全員が苦笑しながら笑っていた。
「頑張ったね。600年独りでだもんねえ。辛かったね。それでもあんたは頑張った。それくらい、分かるよ。あんたはちゃんと頑張るやつだ。あたしを誰だと思ってんだい?【おかあさん】を甘く見んじゃないよこのすっとこどっこい。だからね、忘れないどくれよ。ここにいるみんな全員、味方なんだってことをさ」
ルシアが優しく微笑んでいた。お母さんの顔をして二人の息子に微笑んでいた。
「間違っていないなら、思い切りやりな。見守ってやる。手伝ってやる。誰がなんと言おうともそばにいてやるよ。頼りなよ。仲間だよバカ息子。それだけを、言いたかった。おかあさん、ったって、情けないことにそれくらいしか、してやれないんだけどね」
それで勘弁しとくれよ! ルシアが久方ぶりに、ずっとむかし副長だった頃のように大口を開け、豪快な曇りの無い笑い声を上げていた。そのまま息子の背中を叩く。
「おかえり、ファング。……よくやった」
『ただいま……ありがとう、ございます……!』
何度目だろう、二人の瞳が視線ごしに向かい合い、対線上に合わさって、しばしの間固定された。光に乗って伝わった。気持ちがちゃんと届いていた。
青年の姿になったファングは、もう一度、一瞬だけ大きく震えた後、昔のように頷いて、流した涙を袖で拭いた。
『……なるほどな、ようやく理解したぞ。合点がいった。これまでなぜ、ことごとく【我】の介入がうまくいかなかったのかをな。貴様が邪魔をしていたというわけか。【歴史に介入する者】が、【我】とルシア以外にもいたという訳だ』
嗤えることだな……。言葉通り、乾いた低い嗤い声が、感動の再会に冷水を浴びせながら部屋全体にこだましていた。
第四十三話 『未知の先へ 〜合一〜』 了.
第四十四話 『未知の先へ 〜反撃〜』に続く……




