第四十二話 『讃歌 8 〜収束〜』
『馬鹿な……』
【ガイア】が呆然とした顔で仰ぎ見る。震える竜が、【ガイア】の怒りの霧散に伴って、小さくなって収まり消えた。ただの人間たちによる忌々しいだけの障害に、それでももう少しだけ力を加えればそれで済むと、余裕を浮かべ杖を掲げた【ガイア】となったナニールが、画面の中にそれを見た。表情を消し、画面の中の光景を、信じられない思いを込めて眺めやる。
力の尽きたルシアたちが、どしゃりと体を落としていた。エナジーを全て使い尽くした。次のナニール、【ガイア】の攻撃を避けることはできないだろう。それでも皆には安堵が浮かぶ。その仰向けになった視界の中に、浮かぶ画面の中身が映る。
狭く四角い光の中で、ガイアの主砲が砕けて折れる姿が見えた。これで、少なくとも、星を砕くことはできないだろう。
仰向けに倒れこみながらも、コールヌイが誇らしげに満足そうに、弟子の名をつぶやきながら瞳を閉じて笑みを浮かべた。
「……よく、やった馬鹿息子……」
『……ファン、グ君…………』
ルシアが弱々しいながら、笑顔を浮かべて息子を褒める。ナーガも、いつかの時に意味と価値の話を与えた少年が、誰よりも意味と価値を身をもって示すその場を眺めていた。
リーブスが、デュランが、兵士たちが、生きている全員が涙を流してそれを見る。
押し返された光の束が、四方に散って星から逸れて虚空に消える。
補正機能の回復した画面の奥で、ボロボロになった船体が、ドロドロ溶けて火花を上げた。
エナジーの逆流を受けた主砲の筒が炎を上げて、砲身の途中で破裂し折れて曲がっていた。
そして、大きさのあまりに違う二つの星の真ん中で、膨大すぎるエナジーを空間が処理を出来ずに渦巻き始めた。
渦の中心に穴があく。黒すらをも凌駕する、全なる漆黒を内に孕む穴。それが渦を巻いていた。
『……あれ、は……まさか、我が来た穴と同じ……』
【ガイア】が呆然と呟いた。
それを聞き咎める隙も無いままに、閉じる虚空に漂う破片が吸い込まれ、消え始めた。
「ファ、ング……」
動きの見えない船の様子に、皆の歓喜が立ち消えて、不安が再度広がり出す。
なぜ、動かない。動けないのか?
だめだ、死ぬな! 死んじゃいけない……! 生きて共に世界を回る、夢を一緒に叶えるのだろう!?
逃げろ、早く逃げろ、逃げるんだ、お前はよくやった。だから、だから、早くそこから遠くに逃げろ……!
コールヌイが、ルシアが、ナーガたち皆が、震える声で囁くように叫んだ瞬間、後ろの扉を跳ね開けてナハトたちが到着する。
同時に、【シング・ア・ソング号】が爆散した。
搭載された縮退炉がさらに膨大な光を放ち爆裂した。複数の悲鳴が血を吐くように響き渡った。
ナハトたちが息を呑む。全てを悟り、声を荒らげた。
「ファング……ファング……フアアアァング──────────────ッ!!!」
爆散してゆく船体が、細切れになって渦に舞う。
◆ ◆ ◆
時間の感覚が消えていた。今がいつだか思い出せない。
空間に空いた漆黒と、縮退炉の暴走によって同時に引き裂かれた空間が、パズルのように散らばっていた。
その空間の狭間にて、ファングは星の意思と切り離された【星の怒り】そのものと対峙していた。
時も空も千切れた宙に、ナニールから切り離された【存在】と、どこかから漂い来したただの【数列の連なり】が、左右から同時に彼に近づいていた。
怒り悲しみ哭きながら嘆き狂い漂う【それ】は、星と切り離されてなお、もはや一個の個性といっても差し支えないものに思えた。
生まれて間もない未熟な心、それを生じさせた数式の叫びの束は、芯を無くしたその後も、それでも生きたいと叫んでいた。
刹那の隙間にファングは思考に寄らずに考える。
そのまま見捨てて良いはずの相手だった。そのまま消滅するにまかせるべき存在だった。
けれどファングは、ほんの一瞬の迷いの末に、手を伸ばす。
伸ばしていた。
自らも消滅する寸前の時空の狭間で、ただ生きたいと求める願い、悲しいと、苦しいと、それでも生きると叫んで願う、その二つの異なる【こころ】たちを見捨てられずに受け入れるように手を開く。
ここで見捨てるのは、簡単だった。撥ねつけるのは簡単だった。
けれどファングは『違う』と思った。
いけないことをしているのかもしれない。仲間たちを裏切ることになるかもしれない。
それでもファングは、このまま手を差し出さないことを『自分だけは、それをしてはいけない』とそう思った。そう信じた。
そして全ての悲しみと痛み、怒りごと、手のひらに包んで抱いて、受け入れた。
このときの彼の決断が、全てだった。
全ての物事の始まりで、全ての世界と時間を決定した。
【世界の怒りの嘆きのコア】とクローノの創り上げた【未熟な未来予想プログラム】。その両方を自らの内に取り込んだ【有機・無機ハイブリッド】の少年は、次の瞬間、バラバラに引き裂かれ粉々になった空間に飲み込まれ、この世界から消失した。
◆ ◆ ◆
そして彼は狭間にて、己の未来を夢で視る。
世界がおのれを拒絶して、そして飛ばして吐き出した。
見渡す限りの砂漠の中で、ボロボロと部品を身から落としながら、何度も何度も転びながらも地平の果てへと歩き続けた。
自らの手で未熟な修理を重ねながら、状況を整理・理解した彼は行動する。
身分を偽り、未だ壊れきっていない世界の学舎に入り込み、いつしかトップに躍り出た。
人が辿りついていた最大最高の技術の中で、百年後の滅びを予見した彼は【精霊科学】を立ち上げる。
それまで便宜上で使われていた【遺伝子操作と思考エナジー制御法】に対するだけのただの名前に、明確な方向性と更なるブレイクスルーを加え、完全なる別物に進化させたものを創り出し、体系化した。
世界最高のスタッフと共に、精霊体化を成功させた。
それでも、彼はそれ以上何かを変えようとはしなかった。
その時代に変えても大事な部分は変わらない。それを知っていたからだ。
一番大事な部分の分岐は、あの場所にのみ存在した。
そこまで自分がたどり着き帰りつく。それが唯一の解答だと、彼は知っていたからだ。
世界を精霊体化したスタッフに任せ、そして彼は姿を消した。
おのれの姿を変えながら、世界を普通に過ごし始めた。
星の怒りを身の内に棲まわせながら、星が次第に狂ってゆく様を眺め続けた。
滅びの時も、砂漠の時代も。
海が干上がる時を眺めた。
星特有の生物たちが消えてゆくのを静かに眺めた。
手をだしたくても出せなかった。何かが変わりどこかがズレて予測を外す訳にはいかなかった。
世界から毒が静かに減ってゆき、人が歴史を繰り返すところを放浪しながら全てを刻む。
悪人がいた。
善人がいた。
助けてくれる者がいて、蹴飛ばして去る者がいた。
生まれる者が寿命を迎え、連なる命をつないでいた。
彼は眺め、眺め続けた。
記録し記憶し、大事な涙を集め続けた。
そして、一人、また一人と、次第に懐かしい者たちが現れる。
遥かな過去に共にいた、仲間の姿が世界に増える。
ともに世界をもう一度、仲間と共に歩み始めた。
そんな幻想の光景を、狭間で眺めそして、ファングだった者は、狭間の外に吐き出された。
◆ ◆ ◆
「行ったんだね、ファング……君の行く先には、険しい道が待っているんだ。けれど、きっと乗り越えられるから。おいらはそれを知っているから。だから……逃げないで。諦めないで欲しい。年月の重みに潰されないでくれ。君のやったことは、これからやることは全て、無駄じゃないから。それは、今こそ証明された。されたから。だから……負けないで」
そしてムハマドは前を向く。思考封印が解けていた。
ようやく、だ……ようやく、動ける。
「これで、全ての力を解放できる」
ただの田舎の青年だったはずの男の雰囲気が、変わっていた。
鋭さを増し、存在感と落ち着きが重みを増した。姿が変わっていないのに、そこに居る者だけはそれを感じた。
バルドルが静かに見やる。傍らの青年の存在そのものが変わっていた。
彼の長い長い人生の、最初の意識が封印から解き放たれて固定した。
『あ……あ……貴方は、まさか……』
『……マス、ター……?』
遠く離れた地上のベッドで、思考封印を完全に解かれた半透明の青き女性が、上半身だけを起こした姿で呆然と呟いていた。
バルドルと遥か地上のゲフィオーンに虚空越しに視線を合せ、静かに微笑み、ムハマドだった青年が一度だけ目蓋を閉じてまた開けた。
『ここは、任せたぞ。バルドルよ』
その答えを待つまでもなく、扉を開けて部屋を出る。
次々とロックを開けてすり抜ける。ひしめき蠢く機械の虫が、慌てて道を開け放つ。誰にも歩みを阻めない。誰にも阻まれないままに、振り返ることなく歩みを止めぬ青年が、足を出す速度を次第に増して速めに速めた。最後には飛ぶように走り、愕然とする光景を前にして呆然と涙する者たちのいる巨大な部屋へと踏み入れる。
青年が目にしたのは、【ガイア】が憤りのままにルシアたちへと漆黒の竜をけしかけるところだった。
ムハマドの【血液】が沸騰する。怒りとともに同等に、同じレベルで歓喜が湧いた。
間に合った、間に合ったッ……大事な人たちを助けられるその【時】に、たとえ辛うじてだとしても……それでも彼は間に合った!
貯めた力を解放し、これまでの全ての痛みと想いを胸に、仲間のもとに両手を向ける。全ての【こころ】が拡大し、全ての【雫】に接続された。
それと同時に竜が飛ぶ。おのれの最期に気づく間もなく、倒れたままのルシアたちが飲み込まれたまま燃え盛る。だが、
『………貴様、何をした……』
苦々しさの消えぬ【ガイア】が、黒目の消えた白目の視線でムハマドの全身全てを睨め上げた。ムハマドの指先が仲間の方を向いていた。手のひらが、仲間のエリアを空間ごとに掴んでいた。
誰も消えてはいなかった。誰も燃えてはいなかった。黒き炎それだけが、誰も燃やせず無念に消える。それだけではない。全員の疲れも怪我も、逆回しのごとくに消えていた。金と銀の雫を纏い、明るく光る銀煙に立ち尽くしたまま見上げている。全ての仲間の周囲には、体から立ち上る溢れた粒子が舞っていた。
命拾いに気づいた者が、不思議そうに光る両手を掲げて見いる。そして【ガイア】の視線をたどり、出口のそばの青年にたどり着いた。
その雰囲気が別れた時と変わっていた。体中から立ち上る強さに満ちて立っている。強さと自信が儚げで、寂しげなまま、それでも嬉しそうに笑っていた。遠くに離れた者たちに、ようやく会えた者たちに、古き友の眼差しで、懐かしそうに笑っていた。
唐突な出現に、精神の摩耗しかけた者たちがそれでも不審の瞳を向ける。ナハトたちが、約束破りに戸惑っていた。
誰も彼もが動けずにいる戦場で、ムハマドだけが止まらない。滑らかに再度指が動いて向けられた【ガイア】の周囲の空間が、円筒状に輝き弾かれ雫を呼んだ。黒き球の外側を金銀の砂が舞っていた。光に触れた黒が哭く。先んじられた【ガイア】が激怒の咆哮を上げていた。獣のように猛る悪意が、繋がれた鎖のように痛みに啼いて、檻から出れずに睨んでいた。
それを確認しようやく安堵し頷いた青年が、静かな口調で口を開く。優しげな眼差しだった。その視線を、頭を振って立ち上がる、黒衣を脱ぎ捨てた黒衣の男に向け、旧知の口調で呼びかける。
『……久しいな、コールヌイよ』
重々しくて頼もしい、その声色を呼ばれた者は知っていた。愕然として振り向いた。
「!? ま、さ……か。お前は……まさか、ハタム……なのか!?」
耳に届いたその声は、姿は違えど、あの百年前の死にかけた彼を治療して、この時代へ送った仲間の声だ。
『そうだ。そして、……お久しぶりです、師匠』
声が変わった。誰もが知っている声だった。さきほどまで空から聞こえた仲間の声。宇宙の渦に飲み込まれ、ここから消えた彼の声。誰の心も完全に理解を超えて飽和していた。そして、気づく。論理を超えて気づいた者から順番に、全ての者が唖然としたまま、声の無い叫びのように閉まらない口を開け続ける。
「……まさ、か」
ナハトが、ラーサが、カルロスたちが目を丸くして立ち尽くした。
「!!!? ……やはり、やはり、そうなのか!? そういうことだったのか!? しかし、しかしだ、しかしいったい、どういう理屈でそんな、馬鹿げたことが……ッ!?」
体中で奮えながらも、コールヌイは思い出す。あの時装置のカプセルごしに、ハタムが言った己の呼び方。理解が理解を呼び、だがあまりの事に混乱だけが収まらない。
思考の限界を迎えたせいか、それとも先程の悲観が限度を超えたからか。ルシアだけがその波に乗れないままに力無く質問する。
「なんだい、さっきからこんな時に……? いったい全体なんだってんだい?」
ムハマド……? 小さく青年の名前を呼んだ。
『……おかあさん。』
「!!?」
ようやく追いついた理解の果てに、瞳を限界まで開けたまま、飽和した表情でルシアはただただ立ち尽くし青年を見た。次第に体が震え出す。震え出すのを止められない。
『心配ご無用です。彼はこの世界から消失しました。しかし、貴女の息子は、ちゃんと頑張って、頑張って、そして貴女のそばに還ってきました』
「……ま、さか」
母と呼ばれた老婆の目から、静かに水が溢れて落ちた。
『そうです。あの爆発の刹那の中で、【ガイア】に追い出され消えかけていた、狂ったアーディルの精神の一部と融合したファングは、次元の狭間に巻き込まれ、共に時を超えたのです。そこは、今から600年の昔の世界。未だ【精霊科学】が体系化されてすらない時代。
【彼】は考えました。そして狂ったアーディルに交渉を持ちかけた。言葉ではなく、感情で、心とイメージで交渉しました。これから元の時間に戻るには、このまま時を過ごすしかない。ならばそれまでの600年間で、賭けをしないかと。共に人間を観察し、人間が真に滅びに値するのか見届けようと。その上で、それでも滅びに値すると思えたなら、それしか思えなかったなら、アーディルにこの精神と体を与えようと。乗っ取られても構わないと。そのときは、一切の邪魔をしない。好きなように世界を滅ぼせば良いと。その全ての未来の決断を任せると告げて。
そして【彼ら】は動き出した。【精霊科学】……、それまで便宜上で使われていた【遺伝子操作と思考エナジー制御法】に対する名前に、明確な方向性と更なるブレイクスルーを加え、完全なる別物に進化させたものを創り出し、体系化した。世界最高のスタッフと共に、精霊体化を成功させた。名に恥じぬものとして【精霊科学】を創りなおし、そして【彼ら】は【マスター】となった。弟子を取り彼らに教えた。その中には、そう。今でも存在を続けている者もわずかにいる。
協力者として弟子の中から19人を選別し、初代の精霊体を生み出した。彼らに知識を与え、使命を与え、そして一部だけ記憶をブロックし、旅立たせた。そして【世界を判断する種】としてとある遺伝子を組み合わせ、ばら撒いた。その上で、知っている歴史を極力変えないよう注意しながら、微修正しながら時を刻んだ。遺伝子に組み込まれた【感情を涙として外に出す措置】、その綺麗なものを集めて回った。その総量で賭けると決まった。
本当はもっと介入したかったけれど、それはしてはいけないと分かっていました。どれだけ変えたい過去だとしても、その為にどれだけの涙が流れたとしても、それが、その人たちの人生にとって大切な記憶だと分かっていたから。それをすることは、全ての【仲間】たちを愚弄することだと思ったから。
そして何より、【ここ】に戻ってこれなくなる訳には、いかなかった。変えたくなる時もあったけど、我慢して見守り続けた。彼らは世界を旅をして、永く世界を旅をして、【共にたくさんのものを見て回った】』
「まさ………か………ッ」
ルシアが涙を流していた。滂沱のそれは止まらないまま流れ続ける。
『そうです、おかあさん。アスランと巡った世界の旅は、楽しいだけではなかったけれど、それでも。本当に本当に……夢のように素晴らしいものでしたよ……』
優しげな眼差しで、胸を押さえ一瞬だけ瞼を閉じて。満足そうに微笑んだ彼は止まらずさらに言葉を続ける。
『そして世界は時を数え……時代が近づいたことを悟った彼は、記憶を封印し町に溶け込み時を待ち……今、僕は戻ってきた。別たれた時に、繋がった。そう、おいらの……僕の名前は……ファング』
「「「「「「「「ッ!!!」」」」」」」」
理解が、言葉となって皆を襲った。頭の隅で分かっていても衝撃だけが走り続ける。
『僕は、アルファ=シッタールダ・アースラン=星の怒りの意思と共に或者=マスターアダム=ハタム・ナッガン=ムハマド・ハシム=………ファングです。
ただいま、皆さん。ただいま、ナハト。ただいま師匠……おかあさん。いま、戻ったよ』
世界が、息を、時を止めた。光の結界に阻まれて、動きの取れないナニール=【ガイア】すらもが鼻白み硬直した。
全員の心にその意味が浸透するまで、静かな時間が時を刻んだ。
世界が全ての計算を終え、真に計算の効かない未来へと、そして突入した。
第四十二話 『讃歌 8 〜収束〜』 了.
第四十三話 『未知の先へ』に続く……
ファングの伏線開示、終了です。
驚いて楽しんでくれた方がおられたなら、嬉しいです。
次回は二週間くらい間を空けます。
ここまで読んでいただけた皆様、ありがとうございました!
推敲したらまた載せますね。




