第二章 ツァンシン (結)
「何だあれは……。月から、……月から光の柱が」
ラクダを急がせる。近づくと、光の中に蒼星が立っているのが見えた。傍らには蓮姫が赤く染まって倒れている。
不意に。アリアムは、二日前立ち聞きした老婆の話を思い出す。
その中の一言がよみがえった。
(確か、言っていた。欲のみの願い、生き返らせる願い。死にたくなかったら、その二つだけは願ってはならないと)
「(まさか……あいつ……)やめろおぉぉおおおおっ!!」
アリアムは、ラクダから降りて駆け出した。
◇ ◇ ◇
(だ……れ……)
誰かが呼んでいる。すぐそばで叫んでいる。知っている声だった。安心できる人になるはずだった、きっとそんな人の声。けれど、今は。
(うるさい)
バチィッ
身体をつつむ光の密度が増す。制御した訳ではない。それでも周りの光が自分の意思に反応していた。まるで、それ自らに意思があり、獲物を横取りしようとする存在に怒りを感じているかの様にうねり、弾けた。
ギ ャ リ バ リ バ リ バ リ バ リ ィ ッ ッ
雷が間近で鳴った。名前を呼んで手を伸ばしてくれていた誰かの身体が爆発したみたいにはじき飛ばされ、砂漠を滑ってのたうっていた。
◇ ◇ ◇
「が……ああ……ぁあ……っ」
光の壁にさわった途端、5mは飛ばされた。あまりの痛みに叫びが漏れる。
身体が痺れる。老人の様に硬直する指先からパリパリと音がする。空から伸びる光の筒、その中に包まれ浮いていた蒼星に向かい、名前を呼んで手を伸ばしたアリアムは、弾かれたのと砂で擦れたのとで、一瞬で衣服が破れ上半身が傷だらけになっていた。
「む、おお、お、お、これし、きぃぃ」
立ち上がり、もう一度近寄り、アリアムは痺れの抜けぬ声で再度叫んだ。
「やめろ蒼星! バアサンが言ってたろうっ。生き返らせることを願ってはいけないって! ただでさえお前は死にかけてるんだぞ‼」
さらに近づこうとしてまた光に阻まれる。服や髪の毛が総毛立ち波打った。指先から全身の神経が刺激され、痛みに反射で跳ねそうになる。
だが、全ての筋肉を総動員して耐える。無様でもいい。ただ、届かせる為に手を伸ばす。
「やめろって言ってんだっ。ちくしょぉやめろおおぉ‼」
「……アリアム?」
眩しくてよく見えないが、先ほど光に跳ばされた人影が蒼星の方をまた向いていた。もうあまり目の見えない蒼星にも、それが誰だかようやく分かる。
「蒼星! そうだ俺だ! わかるか⁉」
だが蒼星は冷ややかだった。その言葉にアリアムの血が沸騰する。
「なぜ来た。あなたは、この卑劣な国の王子だろう。分かりはしないんだ、私たちの気持ちなど。帰ってよ。あなたにはもう頼らない。あなたなんか、信じないっ!」
「うるせえよっ。誰が信じてくれなんて言った! 俺はお前を助けにきただけだ!」
「誰も頼んでいない‼」
「だまってやがれ‼」
一歩、また一歩。アリアムは近づいてゆく。光が全身に纏わり付いた。ゆっくりだった。だが、止まらなかった。反発力で再び吹っ跳びそうになるのを鍛えた筋力と怒りで抑え歩み続ける。
「来るな! なにも分からないくせにっ!」
「他人のことがそう簡単に分かってたまるかよっ。じゃあ聞くがな、お前は俺の何が分かってるってんだ! ええ⁉」
光の壁に手が届く。反発力が強くなる。今度はさっきよりも更に痛い。火花が跳んで皮が千切れた。気にせずに手を伸ばし続けた。
「ア、アリアム……手が……」
指先の皮がむける。赤肌が火傷して焦げ始めた。それでもアリアムは引かない。引く気が無い。
「アリアムやめて、手が、手が無くなってしまう……」
両手が。腕が、入ってきた。腕の、頬の、上半身全ての毛細血管が傷付いてポタポタとあちこちから雫が落ちる。砂の色が赤黒く変わってゆく。
「死んじゃう、よお!」
顔を上げると、蒼星のそばに、アリアムの胸があった。
髪は逆立ち、肉が焦げてプスプス煙が立っている。つむっていたアリアムの瞼が開いた。目が合った。力のある視線が見つめた。たまらなくなり、蒼星はすぐに逸らした。
それでも彼は来てくれた。生きて彼はそばに居た。
「来たぜ」
枯れてなお力ある声が、蒼星の頭の上に、降っていた。
「ば、ばかだ、貴方は……死んだら、どう……」
「死なねェ」
「え……?」
「俺は、死なねェよ。やらなきゃいけねーことがあるからな」
「やらなきゃいけない、こと?」
蒼星は無意識に訊いていた。未だ反発力は消えていない。目の前の男を異物と決めた光の圧力が高まり続ける。あまりの凄まじい明滅に、蒼星の左の目だけ涙が流れた。
「ああ。蒼星、お前を助けることと。そして、お袋を見つけることだ」
「……………」
無意識のまま、蒼星は静かに聞いていた。言葉の意味が浸透してくる。
「俺がなにも分からねえって言ったな。ザケんじゃねーよっ。いいか、俺のお袋はな、……奴隷だったんだ」
「!」
蒼星は初めてアリアムの目をまともに見た。さっき逸らした瞳の色は、深い、底まで澄んだ紅茶の色をしていた。
「俺のおやじ、現在のアルヘナ国王は頭に最悪とつくぐらい女好きでな。二十五年前、后や側室だけじゃ飽き足らず、傍に仕えていた奴隷たちにも手を出していた。そのなかの一人が俺のお袋だ。何十人と手を出しておいて産まれたのが俺だけってのも笑えるがな。
とにかく正妃にも子がなかったので仕方なく俺は引き取られ、王子になった。十歳のとき正妃に王子が産まれたんで、今は第二位だけどな。まあそれはどうでもいいんだ。王になりたい訳じゃない。ただ、本当のお袋は、わずかな金を与えられ追放された。なんか言いふらされたら困るってことだったんだろう。たとえ公然の秘密だとしてもな。命を取られなかっただけでも、多分僥倖だったんだろう。クソ食らえだが。
だけど、俺は会ってみたかった。……聞きたいんだ。俺が産まれたとき、嬉しかったかって。少しでも嬉しいと思ってくれたかって。だから、今でも捜してるのさ」
「……私、は……」
蒼星はうつむいた。何も知らないお坊ちゃんだと決めつけていた。アリアムを罵った言葉が蒼星の脳裏に浮かび、後悔で唇を噛む。
「お前のすべてが分かるとは言わない。けど心配してることだけは分かってくれっ。頼む」
そのまま、蒼星はうつむいたままで、ほんの少しだけ、僅かだけ小さく呟いた。長く、空虚だったどこかが綺麗に埋まっていた。嘘寒くて隙間風が通り抜けていたはずの心が、温かい何かで埋まっていた。
「………ありがとう、アリアム、来てくれて」
掛け値なしの本当の言葉だった。感謝と愛しさがあふれていた。声にも優しさがしっかりと乗っていた。
「やめて、くれるんだな?」
聞こえた声の柔らかさに、アリアムがホッと息をつくのが分かる。けれど。
「ありがとう……これで、貴方を嫌いなまま逝かなくてすんだ」
「……なっ!………」
蒼星の言葉にアリアムが絶句する。自信があったのだろう。アリアムは愕然とした顔をして絶望した。
それを見て、どこまで自信過剰なのと、蒼星は小さく、困ったように笑った。
それでも、愛しさだけは消えなかったから。浮いた状態で首だけ伸ばして男の頬に口付けた。それが精一杯で、すぐに離れた。
悲しそうな男に向けて、それでも蒼星は恥ずかしそうに微笑んで、男の胸を押していた。
「……もし許してくれるのなら、姫を……都合よすぎね。ううん、なんでもない。ごめんね。さよなら……私の、初めて好きになった男性………」
ど ん っ
光の外に突き飛ばされたアリアムが砂に転がる。
「蒼星‼」
(貴方は生きて)
光が濃くなる。転げたまま腕をついたアリアムが何か叫んでいるが、もう聞こえない。
(お母さんに会ってね)
「蒼星! よせっ、やめろお‼」
光が噴き出している。中からの声は聞こえるのに、外の声は届かない。
「姫を、蓮姫を」
「やめてくれえええ──────────っっ!!! 」
『生き返らせてください』
ッ ズ ド ン ッ ッ ッ
光がはじけ、一瞬辺りから闇が消えた。
「ごめんね」、もう一度、最後にそう、聞こえた気がした。
◇ ◇ ◇
しばらくしてアリアムに視力が回復したとき、光が消え濃くなった闇の中、倒れている影の数は二つになっていた。二人とも動いていない。痺れが取れるまで待ったが、アリアムの他は誰一人ピクリともしないで倒れたままだ。
無力感に苛まれた唸り声が全身から漏れ出していく。
「ツァン……シン……ウソだろう……おい……」
立ち上がり、暗がりの中近づいて、事実を目にし全身の力が抜ける。膝が落ちた。そのまま砂にうずくまる。
「なんにも、……出来なかった。この程度なのか俺は……蒼星ッ」
拳を打ちつける。砂が赤く染まっても、何度も何度も殴り続けた。
「愚かな……」
ピタリ。大地を殴るこぶしが止まった。
ゆらりと立ち上がる。
「貴様。もう一度、言ってみろ……」
横たわる二人の向こうに、あの時の老婆が立っていた。
「愚かだと言ったんだよ」
ギリィッッ、奥歯が砕けそうな音を立てた。
「貴様ぁっっっ!」
「ちゃんと言っておいた筈だよ。親切の注意を聞かなかった。愚かじゃなくてなんだね?」
「抜け抜けとよくも………。貴様が! あんな瓶など渡さなければこんなことにはならなかった! 違うかっ‼」
「それで? あのままこの娘は狂っちまったろうね。違うかい?」
「それは俺がっ」
「驕りだよそれは」
「っ!!」
「ひとは、ひとを理解することはできない。辛うじて受け入れることができるだけ。それすら、あんたにはできなかった。自分だけを見て欲しかったんだろ? お袋さんにもさ。この姫さんと同じように」
「ちが……う……俺は……」
「他人でしかない人間が、昨日今日会ったばかりの人間が、誰かの心まで救えると、本気で信じているのかい? お目出度いねえ人形の王様。もしできるなどと本当に思っているのなら、それは驕りだ。神様にでもなったつもりかい? 関係ない人間がしゃしゃり出て、それで格好良くヒーローかい? 気取るのもたいがいにしなよ。アンタはただの道化者さ。アンタには誰も救えない。お袋さんに会いたいかい? 一人で歩けない子供が誰かを救おうなんて、おこがましすぎて哂えるねえ?」
言いたい放題だった。なのになぜか、言い返す言葉に力が入らない。汗がにじんだ。
(こんな……蒼星のカタキの言葉などにっ)
「図星を指されて動けないのさ。情けないね。でも、それが普通さ。あきらめな」
さっきとは別の意味で、力が入らない。抜けてゆく。
数瞬。
……しかしアリアムは、崩れなかった。肩で息をしているが、立っている。
それを見て、ホウ、と老婆は軽い感嘆の声を上げる。
(踏み止どまったか)
「なぜだ……? どうして蒼星の願いが叶わないんだ……? あいつは、本当に、心から願ったんだぞっ。命を捨ててまで! 教えてくれ……なんでだ‼」
血を吐くような叫び。老婆は目を細める。
「細かく説明しても理解できないだろうね。一言で言えば、純粋にエネルギーが足りないのさ。一人分の命だけじゃあ人を生き返らせることはできない」
沈黙。しばし。そしてアリアムという名の王子が口を開く。
「ならば、ひとりでなくふたりなら? 俺の願いを蒼星のものに上乗せすれば、…………」
「保証はしないよ。あんたも死ぬかもね。あんた、母親を捜すんじゃなかったかい」
対するアリアムの答えは、笑みだった。
力を取り戻した瞳に、力ある光が揺れていた。
「(なるほどね。その時その時に後悔しない行動を。さすれば生も死も光充ちる。それがあんたの信条かい。ならば)いいだろう。このさっきの瓶にはまだ雫が残っている。やってみな、その毅い魂を賭けて」
しばらくして、呪文が流れ、そして再度光が砂漠に弾けた。
◇ ◇ ◇
「そろそろ出てきたらどうだい。砂に隠れるのも楽じゃないだろ」
明け方が近づいていた。老婆は、風とともにアルヘナの国境を歩いていた。
「……気づいておられましたか。さすがですな」
砂が盛り上がり、ひとの形になる。
「さっきの場所にも居たね。王子さんには用は無かったのかい?」
「ちゃんと帰られたご様子でしたので。クス、お解りでしょうに」
ふうん、と老婆は鼻を鳴らす。
「何の用かも分かってるよ。どうせ、瓶が目当てだろ。多分、あんたらには使えないと思うけどねぇ」
「で、あろうと思いますよ。ですから、あなた様をそのままご招待差し上げたいと思いましてね」
「無駄だね。あたし本人にも瓶そのものは使えない。使える人間を見つけられるだけの、ただの年寄りさ」
「……だとしても、このまま帰る訳にも参りませんのでね。来て頂きま……しょ………」
いきなり辺り一帯の空気が重くなった。キーンと耳鳴りがして、コールヌイの額に汗が滲んだ。
「無駄だと言った」
見ると、雲から空気の塊が渦となって降りてきていた。老婆が浮いて、その風に乗りだんだんと空に向かい浮かんでゆく。
「(よく言ったものだ。これのどこが、ただの年寄りだと?)待て!」
コールヌイは、逃がすまいと懐から投げ縄を出す。だが。
バシッ
「ぐああぁ!」
杖の一振りで縄は灰に変わった。風の渦から一瞬だけ雷が飛び瞬時に消える。コールヌイの腕に、黒い焦げ跡だけを残して。
「雇い主に伝えな。あんたは人の上に立つ器じゃないってね。まあ、あたしもどっちかと言えば悪だから、言えた義理じゃあないけどさ」
「………。伝えて、……おきましょう」
風が巻き、自然には在りえない逆さの竜巻が雲に吸い込まれて消えてゆく。音が止んだ。風が止まり目を開ける頃には、老婆のいたはずの痕跡は、跡形もなく消え去っていた。
◇ ◇ ◇
「で、そのまま取り逃がしたのか? お前にしては失態だな。コールヌイ」
「……面目次第もありません」
「ふむ、珍しく言い訳もなしか。余程プライドを傷つけられたらしいな。ふふ」
無言で片膝をつき頭を垂れる男を眺め、そう言いながら、シェリアークは生まれて初めて、割りと楽しいと感じていた。
世界は、退屈だと思っていた。空虚だと思っていた。残りの人生をどう生きても、面白いことなど何も無いと思っていた。それが、あるかもしれないのだ。
「……次のご命令を、若」
「いいのか? このまま、やられたままで。なあ、本当はどうしたい?」
「わ、わたし、は……」
「そう。お前は、どうしたいんだ? 言ったら叶えてやっても良いのだぞ? くっくっ。言ってみろ、その本心を」
「わたしは……わたしは、あの老婆と決着をつけたいっ。若が、赦してくださるのなら」
軋んだような笑い声が、二人以外、誰もいない夜の広間に響きり、拡散し広がってゆく。
「いいだろう! 行ってこい! そして必ず瓶を持って帰るのだ! 使い方も聞き出してこいよ!」
◆ ◆ ◆
「それでは、準備はよろしいか?」
「……」
あれから三日が経っていた。目の前の女性に言葉をかけるも、女性からの返事はない。生気の抜けた瞳の奥で睨むだけだ。
目の間にいるのは、この国の基準とは違うが、絶世と呼んで差し支えない美貌を持つ異国異大陸の亡国の美姫。だが、それを知っているのはこの国ではもはや自分だけだ。
その姫が睨んでいる。こちらを親の仇のような視線で睨んでいた。と思えば、すぐに死んだように目力が無くなり下を向く。
不安定を絵に描いたような存在がそこに居た。
(あの時、蒼星は、ハッキリとは口にしなかったが)
もし生き返ることができたなら、姫を頼むと言いたかったはずだとアリアムは信じた。大切なものの後を追い、それが間違っていたと知り、それでも生きていてくれたと喜んで死んだと思えば、生き返ってみればその大切な者が身代わりになっていた。
そんな世界で、また姫が自害しないようにと。それを頼みたかったはずなのだとアリアムは信じたのだ。それが、おのれの心の安定をももたらすのだと、無意識に、無自覚に分かっていた。
「別に貴女を妃にしようなどと考えているわけではない。蒼星の友として、後を託された者として、貴女を周りから守るために必要な措置なのだ。理解してくれとは言わない。ただ、演技してくれ。いま、この時だけは。蒼星の為に」
その最後の一言に反応し、またも睨む女性に対し、アリアムは頷いて背を向ける。
もう一度、あの時の蒼星の言葉が蘇る。
正直、面倒と思う自分がいた。蒼星との付き合いは、ほんの数日だった。ここまでしてやる義理があるのかと心底思う。
アリアムには目的があった。大きな目的だ。蒼星との一件があってから、余計にその目的が明確になったと思う。
この国を変える。人々の意識を変える。並大抵のことではない。その為には、それ以外の全てを投げ捨ててでも足りない程の大目的。だが、
(惚れた女の最期の頼みだ。それくらい、追加で叶えてやるさ。それくらいできなくて、国や人など変えられるものかよ)
目の前の扉を開ける。
外の景色が目に入る。
広大なバルコニーを歩いてゆくと、眼下の広場に万に迫る大勢の国民が、盛大な歓声を挙げながら集まっているのが見えてきた。
◇ ◇ ◇
その日、現王・アシュメルの崩御と、新王・アリアム一世の即位が公布された。
病で床についていたとはいえ、いきなりすぎた交代劇に、本当に病気で亡くなったのかと不審がる者。新王の横にいる美しい女性はどこかで見たことがあるのだが、いったい誰なのだろうと首を傾げる者など様々いたが。ともあれ。
新世暦497年。アプル暦97年、水の月(8月)。ここに。
後に【開放王】と呼ばれることになる王が、誕生した。
◇ ◇ ◇
『満たされた小瓶はまだ、二つ。先は長いね』
風の中声が聞こえた。誰も聞いていない独り言が風に流れる。
世界は、まだ、終わらない。
けれど、その予感、予兆はすでに、あちこちに現れていた。