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Grand Road ~グランロ-ド~  作者: てんもん
第七章 ~ On the Real Road.~
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第三十二話 『足掻くということ 1 〜人々〜』




「おじいちゃ────んっ! こっちこっちぃ!」

 朝日が昇り、まだ間もない時刻。いまだ立ち込める埃を洗い流すような朝もやの中、子供たちのはしゃぐ声が聞こえていた。

 髭の濃い老人が子供の声に反応し、駆ける足音の方向に足を向ける。

 ファルシオン帝国首都デュッセン。そこはつい先日、大量の巨大機械体に蹂躙された街中だった。

 その首都の大通りを老人、カルロスを治療した老医師は、視線の先ではしゃぐ子供達とその先の空を眺めながら、ゆっくりと足を運んでいた。

 親を亡くした子供、親とはぐれた子供。そしてたぶん、親に見捨てられた子供たちを、彼は引き取り家族として迎えていた。目を細めて見る先では、彼の孫達も、共に皆で笑顔で走っていた。

 未だ瓦礫の残る通り。復興どころか、以前のままへの復旧すらも目処の立たない大通り。それでも、そこは、目立つ瓦礫や運べる瓦礫だけは取り除かれて、穴も埋められ、子供と歩くことくらいできる程度には、安全なストリートに戻っていた。

 未だ世界から機械体の脅威は去らない。沈静化しているように見えても、世界各地では、今でも機械体たちの破壊が絶えていないことがその証だ。

 だが、街に残った者たちの献身的な整備努力と、彼の国の歳若い皇帝指南役が見い出した機械体避けの生体リズム波【ウレーネ波光】。彼が国を離れる際に指示をした、微弱ながらもそれを発する蛍光塗料の開発と散布のお陰で、少なくともこうして子供達と短い散歩を楽しむことができるまでに、街の明るさは改善してきている。

「……ナーガとかいったか、あの指南役。あの若さで、そしてこの短期間で、こんな有効手段を作り出すとは……大したものだ」

 その上、その男は、『彼ら』の仲間でもあるときいた。

 孫達を助けてくれた、彼らの。

 そして老医者が助けた、あの彼の……

(元気でいてくれているだろうか……)

 老医者のスキルでは、限界レベルの難手術だった。だが、完璧な手術だった。もう一度やれといわれても、たぶんもう二度と出来ないだろうと思える、生涯に誇れるほどの完璧な成功だった。だから、彼には元気でいてもらわなくては困る。

 元気でいてほしい。

 心底そう思う。

 自らのちっぽけなプライドの為ではなく、あそこで遊んでいる、そしてあの時祈っていた、子供達のためにも。

 世界はいまだ元気と言うにはほど遠い。しかし、それでも。

 世界はそれでも美しいのだと心から思う。あんな目に遭って、それでも、それだからこそ、尊いものが見えてきたと、感じられるようになったのだと彼は思う。

 目に移るあちこちで、若者たちが忙しそうに走り回っている。

 街に残った者たちが、これまでした事もなかったボランティアを積極的に始めていた。その姿を視界に入れて、老医者はそんな想いを浮かべでいた。

 そんな折。

「……?」

 なにかが聞こえた。薄い耳鳴り。

 つい先日の全星放送。それと同じ感じがした。

 似ているようでいて、少し違うかもしれない。

 子供達が遊びを止めて空を見上げて指差していた。

 その声は【彼】に似ていた。

 あのとき意識の戻らなかった患者の声は、最後まで聞けなかった。だから、その声を自分が知るはずも無い。分かるはずもない。それが似ているなどと思うはずがないのだ。

 なのに、老医者には、それが彼の声だと感じられた。感じていた。

 その声には力があった。感情があった。若さがあって、弱さがあった。どこまでも不安定で、それでも諦めない未熟と熱と強さがあった。

 そんな“声”。それが、空と大地から聞こえ始めた。



       ◆  ◆  ◆


 

「さっきはああ言ったけどな」

 プログラムを打ち込み終えたカルロスが、手を休めて口を開いた。ゆっくりと階段を降りてくる。

「おれだって、数日前までムリムリ言って動かなかった奴だったんだ。アンタと一緒さ。けどな、ここ数日で思ったんだ。無理だ無理だ言ってたおれってのは、結局自分が可愛かっただけなんじゃねーかって、な。確率だろうが計算には違いねェ。頭ン中で打算を重ねて計算してさ、勝手に思い込んでテメー可愛さに動かねーだけ。動かなかったそれだけだったって。……べつに動けなかった訳じゃねーのにな、情けねェ」

「……」

「だってよ。大事な誰かが横で泣いてても、自分にゃ無理だと計算で出たら。助けることも慰めることも意味無いって、できねーって出たら、放っとくのが正しいのかよ? それでも正しいって思うのかよ?」

「……」

「違うだろ。少なくともおれには無理だ。無理だった。完全に助けることは出来なくても、ちょっとでも何とかしたいって思うモンだろ。違うんかよ。カクリツなんて本当のリアルから遊離して乖離したたカタチの無ェモンでしかねーだろによ」

「……」

「ヒトにはヒトの考え方があるから、押し付けはしねーよ。けど、おれはさ。無理無理言って確率100%でしか助けねーし動かねー奴よりはさ、確率5%でも助けに動く奴になりてーよ。アンタにだって、まだ大事なモンがあるんだろ? でなきゃ、真実知ってそこまで絶望したりしてねーよな。でなきゃ、自分が正しいと確信したい為だけに、邪魔する奴を手がかり撒いてここまで招いたりしてねーよ。

大事なもんすら無ェ奴が、嘘でも【仲間】なんてモン作って、【仲間】なんて呼んだりしてねーだろ。そういう奴は、自分で動かないまま拗ねたりごねたりするだけで、ただ滅びを待つことにするだけだろが。大事なモンを助けられないと思ったから、守れないと思ったから、絶望し尽くしちまったんじゃねーのかよ、アンタはさ」

「……」

「だったら、自分にゃ無理だからって壊すことばっか考えてばかりじゃねーでさ。一番難しいかもしれねーけど、全部守ること考えてみろよ。どうせ最後はゼロか百なら、良い方を選択したっていいじゃねーかよ。一人じゃ難しいってんなら、頼れよばーか。居るだろ、ホラ。仲間だろ。そん為の【仲間】だろうがよ!……ああもう、上手く言えねえなあコンチキショウがッ!」

 なんでアイツラみたいに上手い言葉が出てこねーんだよおれはチクショウ!

 いつの間にやら階段を降りきって隣にしゃがんでそっぽを向き、顔全体を真っ赤に染めて叫んでいる少年が、楽しすぎて可笑しすぎて、苦々しすぎて嬉しすぎて、アベルは笑いが止まらなかった。死に掛けているのに口元の緩みが収まらない。相手も言っている内容が支離滅裂で恥ずかしいのは分かってるらしく、今日顔を合わせてから初めて顔を伏せ下を向いた少年が、立てた膝に埋もれた顔を押し付けて自らの台詞に恥じて意味の無い唸りを上げて喚いていた。

(どんだけガキで、どんだけ若くて青少年なんやコイツ、不良の癖に)

 畜生、と思った。

 壊したくないと思った。

 自分で壊す計画を立てておいて、都合が良いにも程があるのは分かっている。

 でも、それでも、守りたいと思ってしまった。

 だから、足りないエナジーを何とかする方法を思いついてしまった。

 アベルは思いついてしまっていた。

 こいつを補強してやりたかった。

 けれど、思いついたやり方でしかこの状態から守れないのなら、仕方なかった。

「それで、カンベンしーや……」

「あ? なんか言ったか?」

「お前が来てくれて、良かったと言うたんや」

「な!?」

 耳まで真っ赤にして飛び上がる少年を見る。

(そうや……他の誰が来ていたとしても、こんな気持ちにはなれんかったかもしれん。なら、最期に会えた人間がこいつで、良かった。きっと良かった。なあ。そうやろ、シィル?)

 アベルは何時間も休んだせいでほんの僅か戻った力で、立ち上がった。

「?! お、おい、大丈夫なのかよアベ……なッ!?」

 いきなりアベルが腕を振った。投げられた数本の針が、カルロスの間接の要所を突いて動きを止める。手足が痺れて転がって、這いつくばった少年が顔だけ上げて驚愕の表情で青年を見る。

「な、何しやがる!!?」

「大人しくしといてんか」

 針治療に使うような長い針が少年から幾本も生えていた。

 痛みは無い。ただ、動けなくするだけだ。だが、効果的だった。先ほどの戦いで使っていれば一瞬で勝負はついていただろう。

 それでも、使わなかった。それがきっと、少年の指摘が正しかったという意味なのだろう。そう思う。

 ゆっくりと、体力を消耗しないように歩いてゆく。

 階段を登る。

「おい、待て! アンタ、まさかまた!?」

 階段を登ってゆく。

「まだ分かってくれねーのかよ!? オイって! アベル!!?」

 上にたどり着いた。

「やめろ、アベル!!」

「心配すんな、ガキ」

「なっ」

「もう、思ってへんよ」

「なにを」

「一人だなんて、思ってへん。せやから、心配すんな」

 カルロスは目を見開いて息を止めた。そして、また言葉をつなぐ。

「……なら、何しよーって」

「外に飛ばすんやろ?この基地を。せやけど今のままでは飛ばせへん。エナジーが足りん。せやから、な」

「……」

「基地をコアから離れた場所で基地の外側のみを暴走させ、爆破、その余波を以ってエナジーに変換し、内壁の内側のみを転送させる」

「! できるんだな! 良かった!」

(……せや。その通り、できるで。ただし、それだけやと不十分や。それ以外にも、触媒となるソケット部分が必要になるんやけど、な)

 少年が顔を輝かせ、瞳に光を宿らせる。そのさまを見て、アベルは穏やかに、静かに目を細めた。

「せやけどな、内壁のみで宇宙に出たら、たぶん数分しか保たへんぞ」

「望むところだぜ! そん時になってからまたなんか手段考えりゃいいんだよ。二人なら出来るって、絶対なんか考えつくって! これからだって、ずっとさ!」

「せやな……」

「おう! だから、これ外してくれよ」

 手伝うから。そう言って少年が目を輝かせる。

「いやや」

「なんで!?」

(そらお前、動けたらこれからやること邪魔するやろ)

「なんでも、や。未熟モンはそこで指ぃくわえて、先輩のやり方じっくり見とけやガキ。目ぇかっぽじってな」

 アベルが無意識に目を細める。本人は気付いていない。だが。

 彼はもう、笑顔を忘れた青年などでは、なかった。


       ◆  ◆  ◆


 誰もが立ち続けるだけで精一杯で、闘う気力を無くしていた。

 動ける者もわずかに居たが、一人では何もできないに等しかった。目の前の敵は、単独で連携も無しに倒せる相手ではない。

 ナーガは静かに考えていた。周りを見る。誰もが未だ衝撃から立ち直れていないようだ。ナニールレプリカはニヤついて動かない。こちらの憔悴した表情を楽しんでいるようだ。

『……そうか、これが、アベル君が隠していた最後の秘密だったのか。確かにこれは、隠しておきたくなるのも頷けるというものだね』

 ようやく彼が独りでいつも動いていたことに納得がいった。ナーガは思う。

 だがそれでも、教えておいて欲しかったよ、アベル君、と。

 せめて、仲間と呼んだ者たちにだけは教えておいて欲しかったのだと。

 それだけの信用を彼から得られなかった悔しさに歯軋りする。

『どうやら、動ける者はおらんらしいな。はハははは。ならば、心が絶望に染まりきる頃に殺してやろう』

 世界の毒が笑みを浮かべて笑っていた。

『ッ!』

 ナーガがせめて守ろうとバリアフィールドを張りかけた、まさにその時だった。

 スピーカーから少年の声が流れ始めた。



       ◆  ◆  ◆


「そんなこと、あってたまるかよ……」

 夜間に隊列の声が聞こえていた。訓練の仕上げの声が響いていた。上手くいけば、あと数時間後にはゲートが開き転送装置が働くはずだ。この近くの遺跡にカモフラージュしてある装置まで、それほど遠くは無いが、それでももう少ししたら隊列を組み出発しなければならないだろう。

 だが、その先頭に立つはずの男は、夜になっても訓練をリーダーに任せ、病室にいた。

 数時間前に聞かされた名前から、いまだに立ち直れずにいるアリアムだった。さすがにもう、声を荒げたりはしない。だが、それでも食事も喉を通らないまま再度ゲフィオーンのいる寝室を尋ねた彼は、寄せた眉根を緩めることができないでいた。

 嘆くアリアムを悲痛な瞳でゲフィオーンが見つめた、その時だった。

────『……なんだよそれ、何の話だよ? 誰なんだよ、その黒幕って!』

 少年の声が聞こえ始めた。

「?!」

『これは……』

 二人が顔を上げて目を見開いた。

「カルロス……?」

 知っている少年の声だった。

 どこからか分からない。ただ、響いていた。

 天幕の窓を開けて外を覗くと、誰もが手を止め空を見ていた。

 先日の全星放送と同じだった。だが、少年が語りかけている風ではない。誰かが少年たちの会話を中継して、聞かせてくれている。そんな感じだ。

 少年の質問に青年の答える声が続いてゆく。

「これは……アベルか?!」

 彼らを仲間と呼び、そして捨てた青年の声が後に続いた。

 その声が少年の質問の答えを晒し、侮蔑してゆく。

 青年が絶望した世界の秘密。その内容が暴かれてゆく。

『この内容は……!』

 ゲフィオーンがアリアムの後ろで絶句していた。

 つい数時間前にアリアムが聞き、途方に暮れたものと、同じ内容だった。

 彼が仲間と呼んだ二人の会話が続いてゆく。

 声が、国を失った王と過去を代償にした女を包み、空に大地に響いてゆく。

 世界中に響いている。世界中が聞いている。もう、止められない。

 アリアムたちは頷いて、覚悟を決めて耳を澄ませた。

 


おさにだいこー! なんか!なんか空から聞こえてくるー! まただよ今度は誰の声ー?」

「きこえてくるー!」

「なにこれー?」

 少年達が走ってきていた。

 村外れの泉の畔で、デュランが作ってくれた手製の木刀で稽古していたダオカとペドウとクイタが、こちらに向かって走りながら空を指差し叫んでいる。

 三人は、ハムアオアシスを守れなかった自分達の力不足を、子供心に何度も何度も悔しがっていたようだった。そして出した結論が、村を守れるまでに強くなることだった。

 村を守って亡くなった両親や、今は全部を守るために外に出ているナハトやデュランに報いるため、少しでも、手伝いが出来るようになるために。そしていつか、自分達が肩を並べて守る力になれるように。

 そんな夢を持って毎日稽古に励んでいた。今日も、日が昇りきる前から軽い、でも重い気持ちの入った音をさせながら木刀が汗にまみれて舞っていた。そんな時だった。空から声が聞こえてきた。

「これは……いったいなんでやんすか?!」

 新しいオアシスの村の中で、長老たちと本日の機械体撃退の報告をしていた隊長代行が空を見上げて声を上げる。

 走ってきた子供たちがそばに寄り添い共に見上げた。

 最初はワクワクしていたその顔が、空からの言葉が進むに従い次第に泣き顔になってゆく。

「え……うそ……」

「なに……これ…ぇ……ぐす……」

 世界の秘密、それも醜悪で心が悲鳴を上げるような世界の真実が、とうとうと空と大地から響いてゆく。

「……長老さま、これは……そんな……。こんな、ことって……あっていいんでやんすか……?」

 デュランの下で副隊長を務めていた飄々とした男が、声を震わせ答えを求めた。

「……」

 長老たちも厳しい視線で空を眺める。

────『……まだ終わってもねえことで、終わったつもりンなって悟ってんじゃねえぞ、頭でっかちのスットコどっこい!』

 そんな中、ひとりの少年の叫びがそして始まった。

 同じ村の中で、眼鏡をかけた元奴隷商人も空を見上げた。



────『アンタの憤りは……理解したよ! ああ、あぁ、クソったれの酷ェ話だ! けど、それでも、ここにはまだおれの大切なものたちがいっぱいあるんだ! いっぱいいるんだ! 見逃すわけにはいかねえよ……たとえ、大地や海や空に憎まれていてもな。ふざけんな、ふざけんじゃねえ! こっちは疎まれるのなんか、生まれつき慣れてんだよドチクショウが! それに……約束も、しちまってるしな』

「これ、おにいさま……なの?」

「オイ、なんでカルロスの声が空全体に響いてんだよ!?」

「……カルロス様」

 シェスカのローエン邸の中庭で、筆頭理事のオルファンと共にこれからの方針を練っていたヒリエッタ・ローエンと、その婚約者ミシェル・スィーフィードが音を立てて立ち上がる。

「…………ッ!」

 世界が、そのものが敵だった。

 足元がぐらつく程の内容が空から世界に晒されてゆく。ヒリエッタが口を押さえて涙を浮かべた。膝が崩れそうになり、青年に支えられる。それでも、三人は手を握り締め、歯を噛み締めて全力で耳を済ます。

 なぜならば。

────『知ったことかよリクツなんてよ。馬鹿だっつったろーが阿呆ヤロウ。おれにはまだやることがある。 約束がある。夢がある。目標がある。ダチがいて、妹がいて、下僕がいて、部下がいて、家族がいて、仲間がいるんだ。商会も潰すわけにゃいかねーし、妹と悪友の結婚式も邪魔してやらなきゃならねーし、ウダウダ言ってくる街のやつらも相手しなくちゃならねえし、ダチに借りも返してねえ。ああそうだ、女中頭に子供が生まれるらしいんだ、名付け親に指名されちまったから考えなくちゃいけねえよ。あちこちの街や国で知り合ったやつらにお礼に行かなくちゃいけねぇしよ。 世界を救うなんて片手間なこと、これ以上手間かけるわけにはいかねえんだよ。……ああ、世界が敵なんだっけ? それがどうした! おれなんて生まれたときから親が敵だよ。その程度のことで意識無くして死んでたら、今まで命や心がいくつあっても足りちゃいねーんだよコンチクショウが!』 

 ……絶対に一言も聞き漏らすわけにはいかなかったからだ。

 彼ら全員にとって一番大事な人間が、まだ叫んでいた。真実を受け止めて、それでもそれを良しとせず、立ち向かうさまを示していた。

 彼はまだ止まっていない。未だ熱を保っている。

 ならば、その彼を見捨てて絶望に暮れる訳にはいかなかった。

 少年の悪友と愛妹の耳にも、必死で抗っている大事な存在の声が届いていた。



「ラマさま、……こわいよ……」

 緑豊かな山間の、白亜の神殿の中庭だった。

 ここにも全星放送の中継が空や大地から注いでいた。

「……大丈夫、わたしがちゃんとそばにいる。だから恐がらないで、聞いておきなさい」

 少年達に昔話を聞かせていたリュースが、彼らを抱き寄せながら空を見上げる。

 彼は5年前、全ての罪をさらけ出され、失脚した。

 それでも、3年前プルーノが死の床のいまわの際に、ふたたび彼をラマの後任に推したのだ。

 当然、大反対にあった。議会は紛糾し、割れた。

 それでも、プルーノは言ったのだ。

 許さなくて良い。ただ、見守ってやってほしいと。

 それを聞き、三日三晩部屋に篭り、出てきたリュースは、変わった。

 全てを献身的に、国と後任の子供たちの育成に全力を注いだのだ。

 それをパフォーマンスだと揶揄する声もいまだある。

 それでも、彼はいま、子供達に頼られてここにいた。

「大丈夫、なの? ほんとう……ラマさま?」

「……ああ。世界も変わり、人も変わる。その変わる方向の善悪を、誰も知らない。けれどね……それでも、変わらない大事なものもきっとあって、良い方向に変わるものもきっとあるのだよ。だから、信じなさい。神でも世界でも無く、自らの未来を。そして世界を善くしようと思い動いている、君たちの先達たちの熱い足掻きを」

 空では叫ぶ者がいた。

────『あほか。【完璧な解決方法】なんざ、どんな問題にだって、この世界にある訳ねーだろーが。いや、どこの世界にだってな』

 未だそこに熱のある限り。

────『抗うんだよ、抗って抗って抗うんだ。この世にはよ、どうしたって、完全な解決方法なんて無―よ。ある訳ねえだろ。 全員意識も考えも違うんだからよ。しかも、人間以外の意識とやらまでありやがるときた。カオスにも程があるぜ。完全なんて夢物語存在しねェ。夢見る頃は過ぎる頃合いさ、せいぜい妥協して生きてかなきゃならねえんだ。意識が無くなるまでずっとな。けどな、そりゃ、単になんも考えないで妥協することでもなけりゃ、冷めて諦めて妥協するもんでもねえんだよッ。抗って抗って全力で抗って、そんで妥協点を模索してくんだ。前のめりで倒れながら折り合いつけて掴んでくんだ。それが本当の意味の【妥協】ってやつなんじゃねーのかよ。おれはそう、色んな奴から教わったよ。この数ヶ月でそう教わったよ。 お前は、教わらなかったのか? 違うよな。そんな訳ねェよな、アベル。アベルさんよぉ!』

 ならば、世界は未だ終わらない。

 子供たちの頭をそれぞれ撫でる。

「聞こう。判断は君たち一人一人でやりなさい。ただ、聞いていよう。そして、忘れてはならないよ。あそこには、まだ、ちゃんと足掻いている者たちがいるということを」



 そして帝国の黒き鉄の宮殿では、幼い皇帝と、新たな補佐役の若い武官が頷き合って見上げ、聞いていた。

────『なんとかするんだよ諦めんな! この顛末を招いた一端が諦めてんじゃねえ! おれはここが好きなんだ。ここに居るやつらが好きになったんだ! ようやく好きになれたんだ! だから、諦めねえ。死んだって諦めてやるもんかよ!』

 少年皇ユーグ・ド・ラシールが口を開く。

「ファーレンフィストよ」

「ここに、皇」

「……朕もまた、あの者のようになれるだろうか。絶望に包まれながらも立ち上がり、そして前へと足を進める者に」

「判りませぬ。しかし、皇のお側にはわたくしと、彼が居ります」

「……そうであったな。詮無いことを申した。忘れよ」

「ハッ。御意の、ままに」

 少年皇はファーレンフィストの言葉を胸に、空を見上げて考える。

 自分には、こうして居てくれる者がいて、帰ってくると誓ってくれた者がいる。

 ならば自分は幸せなのだ。

 畏れることはきっと無いということだろう。

「彼もまた、ナーガの仲間、なのだろうな」

「まず、間違いないでしょうな」

「ふ……ふ、本当に、世界の枠を変えるやもしれぬな、あやつらは。このような黄昏の乾いた時代に、なんと奇跡のような者たちよ……」

「皇よ」

「うむ」

「彼らも、普通の人間であります。ただただ、抗って抗って、足掻くことを止めない、普通の人間であるとわたくしは思います」

「……負けてはおれぬな」

「御意」

 世界を言葉が覆ってゆく。世界を言葉が駆けてゆく。

 消えかけた熱がまだ、世界には燻ったまま残っていた。



 星の大地のあちこちで、様々な感情と表情を張り付かせ、真実の放送を聴く者たちがいた。

 湖となりかけた残骸の街のほとり。部隊を訓練中のリーダーと助手をするエマさんの隣で、

「カルロス、くん……」

 二人を手伝っていたライラが、目を閉じじっと聞いていた。

 以前隠れ家で出会った時の少年の声から、後ろ向きの暗さが完全に消えていた。

 扉の影で聞いた、あの時のアリアムの言葉を思い出す。

────嘘をつかず、自分の言葉を信じること。

 誰かに信じてもらいたいのなら、心からの言葉を「ことば」に乗せること。

「おめでとう……。できるようになったのね……あなたも」

 開けた少女の瞳にも、力ある光が宿っていた。



 世界全てが世界の秘密を共有し、星を愛して星に愛されなかった者たちが絶望とそれ以外の感情に耳を済ませた。

 誰もが同じく驚愕し、そしてやはり耳を澄ませて聞いていた。

 大地を海を、大気を裂いて言葉が全てに届いていた。

 全ての場所に、聞く者がいる全ての場所に届かせていた。

 少年の激昂する言葉がほとばしり、少年の説得力の欠片も無い、けれど熱い欠片が吹き荒れて、全ての者の絶望を代弁し、風を送って守っていた。



────『おれの力じゃねえよ。これが、人間の力ってやつさ』

    『人間……』

    『おれは諦めねえ。それでもおれは、諦めたくねえ。だいたいだ、まだ全然、妥協点を探す努力もしてねえじゃねえかよ!』

    『妥協点て、お前……意思の疎通の、でけへん相手やぞ……』

    『意思の疎通ができなくても、感情の疎通はできてんじゃねーかよ!なら、妥協点の探し様はあるはずだぜ。こう見えてもおれは商人なんでね、妥協点を探しもせずに取引を破綻させるなんてこたぁ、できねぇんだよクソッタレえ!!』



『なんだ! これはいったい何なのだ!?』

 ナーガの、ルシアの、コールヌイやナハトたちの目の前で、初めてレプリカや機械音声達が焦っていた。



────『………大丈夫だよ、アベル』

    『!!』

    『根拠なんてねェ。あるはずもねえ。けど、大丈夫だ。きっと上手くいくさ。そう思ってろよ。思い描くイメージですらも負けてんじゃねェぞ馬鹿野郎。……あるはずだ。必ずあるはずだ!針の穴を通すほど見つけにくくても、妥協点はあるはずなんだ。おれたちは憎まれても仕方ねえかもしれねェ。全てを知ったおれたちは星を許してやれないかもしれねェ。けど、それでも。おれは必ず見つけてみせる!! 見つけ出してやる!! だからアベル! アンタもそれまで死ぬンじゃねえ! せめて見届けるまで生きていろ!! 生きていやがれってんだ! 分かったか理解したか刻み込んで忘れンなこの頭でっかちのへタレ根性玉無し野郎!!!』



『なぜこんな放送が存在する! なぜこんな場所にまで聞こえているのだ!? β(ベータ)! 放送を切断しろ!!』

 月の内部にもその言葉の列は届いていた。

 焦るレプリカたちの正面で、抗う気力を奪われかけた仲間たちが、少年の熱いだけの屁理屈を、耳を済ませて聞いていた。

『できない。なぜだ!? 全区画放送とそれに伴うプログラムだけが応答しない。乗っ取られているだと? 馬鹿な、いったい誰が……まさか、そんなまさか、地上からだと!!?』

 誰もが伏せていた目を上げ、聞いていた。馬鹿馬鹿しいほどに青臭く、清清しいほどに根拠の無い、ただの強がりのような言葉の羅列。

 だが、その熱は、本物だった。

 そこに込められた気持ちも真摯で本当だった。

 あの少年らしい、説得にもまるでなっていない、重くて強い叫びだった。

「……あ~あ、っとにもう、あったまきちゃったじゃない」

 ラーサがじと目で口を尖らせ呟いた。

「あんな奴に後でお礼を言わないといけないなんてさあ!」

 情けないったらないってのよ。

 少女が呟いたその声すらも、どこかのマイクが拾い上げ、月の他の場所にいる仲間たちの元へと届いていた。地上からだというハッキングの一部だろうか。

 用意周到で嫌味なほどに至れり尽くせり。痒いところに手が届くほどの隙の無いサービスぶりに、突入部隊の全ての者が呆れながらも、少女の悔しそうで嬉しそうな呟きを聞いて自然に口元が緩んでゆく。

 それから数秒しかかからなかった。

 全ての者の瞳が苦笑して、前へと視線が戻っていた。


『止められない、システムが応答しないだと、地上から!? そんな馬鹿な!セキュリティはどうした? 作動している!!? そんな……そんな、いったい誰がそんな針の穴を通すような神業を……そんなことが出来る者がまだあそこにいるというのか!?』

『!』

 内面の小ささを見せ始めているレプリカや機械音声たちを尻目に、ナーガたちは何かに気付き顔を見合す。一人、いる。まだ一人だけ、そういう馬鹿らしいほど無茶で過剰なことができる人間が未だあの場所には存在している!

「……あの人かな、ディー?」

「あいつ以外いないだろうな」

「ったく、やってくれるじゃないかね」

「彼、ですかな」

「それ以外おられないでしょうね、坊っちゃんに教えたら顔と口から火が噴きそうでなによりです」

「あ~あ、相変わらずえげつなくって格好つけなんだから、あの人」

「いいところを持っていきますね、良いお茶今度淹れてあげたいです」

『やって、くれるね……まったく』

 苦笑して笑いを噛み殺しため息をつくナーガの後ろで、棍を構えた少年が、

「やっぱり格好いいです、先輩ッ!」

 顔中を輝かせて誇らしげに叫んでいた。

 そして、前を向く。

 頭上の放送では、少年が青年の主張を勢いだけで論破して、熱苦しさのみで煙に巻いてやり込めていた。

 全員に無性に止まらぬ笑顔が浮かぶ。執事が誇らしげに輝いていた。

 あの少年らしい。まったくもってあの少年らしい論法だった。

「負けてられないね」

 ナハトがつぶやき槍を構える。


「坊っちゃん……」

 感極まった長身執事が、主に恥をかかせてなるものかと武器を構えた。周囲に思考誘導ナイフが散開する。全力の証の赤目に染まり、双眸に獰猛な笑みを浮かべ始めた。


『……ということのようだよヘドロ君たち。毒物は親切に処理してあげるから、どんどん持ってくるといい』

 ナーガが侮蔑の笑みを浮かべて挑発した。

 三つの場所で、それぞれが全員顔を上げて敵を見据えた。

 兵士たちを含む全員に、不敵な笑顔が戻っていた。


『お、のれ……ゴミ共……』

 顔を持つ機械体たちが、一様にナニールレプリカの声で震えて唸っていた。

「ゴミはどっちだい全く」

 ルシアが怒りを込めてつぶやいた。

「あんたらは、シング・ア・ソング号のクルー全てを愚弄した。船長をぶっ飛ばす前にあんたらから徹底的に懲らしめてやるから、全員、全身全霊を以って覚悟おしよ!」

 月の戦場の全ての場所で、今度こそ全員が全力で気勢を上げた。

 全ての気力が満ちていた。

 星の大地と月の内部で、絶望を払拭する声がまだまだ続いて響いていた。

 地上のあちこちでは、熱すぎる少年の反駁に、反発し、嫉妬し、地位などに隠れ韜晦しながら苦々しく思う者も数多いた。誰もが賛同した訳でもなければ、誰もが受け入れた訳でもない。だが、それでもその者たちですら、絶望に囚われることなく済んでいた。真実を知っても絶望に囚われ戻れない者はわずかしかいなかった。

 誰もが認めなくとても、誰の胸にも掃除し忘れ残されてしまった消し炭がある。それは、一生二度と灯るはずのないゴミ屑で。処理もできないガラクタだ。なのにそれが燃えていた。冷たく固く死んでいた。それが再度光を熾す。全世界的に黄昏ていた潤みの消えた心の木々の化石たち、その内側に熱と水気がほんの少しだけ戻っていた。永劫に消えたはずの過去の炭に、小さな小さな燻りが、ほんの僅かだけ未来さきを照ら出しながら、微かな熾き火となって点っていた。

 それだけは、その事だけは、少年の主張に反発する者ですらも、認めぬ訳にはいかないほどの痛みと熱と温もりだった。

 世界のほとんどの絶望を拭い去った少年は、それを知らぬままに縫い付けられて叫んでいる。

 世界は未だ、熱を無くさず動いていた。

 月の内部の戦いは激化してゆく。

『おのれ……おのれ! もはや搦め手などどうでも良いわ! たかが虫など物量と実力のみで排除してやろうではないか!』

 ナニールレプリカが膨大な数の機械体を召還し、溢れる機械音が侵入者たちの周りの空間を覆っていた。ナニールたちの杖が赤熱し光が集まり音を発した。

 そのとき船のフィールドバリア設置がようやく終わる。ナーガたちも押し寄せる敵たちを押し返しながら、巻き返しを図っていた。

 彼らの目的地であるサブシステムまで、直線距離であと11キロ。

 ナニールオリジナルの復活まで、残り3時間を切っていた。



           第三十二話 『足掻くということ 1 〜人々〜』  了.


           第三十三話 『足掻くということ 2 〜発露〜』に続く……

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