第二十六話 『カルロス5 〜空と人と〜』
残りの二日間、カルロスは約束どおり、アリアムに稽古をつけてもらって過ごした。アリアムの稽古は容赦なくきつかった。だがそれは、忙しい合間に必要なことを削らずに付き合ってくれたということだった。
お陰でカルロスは、自分が恵まれていることに気づいていなかったということに気づくことができた。それは例えようも無い気恥ずかしさとともに、生まれて初めての充足感を感じられた二日間だった。
そして、カルロスたちが、のちにイェナ湖と呼ばれるようになる巨大孔のほとりに到着した朝方から数え三日目の朝。
天幕群から数キロ離れた平らな砂原、準備のできた宇宙艇の周りに、選抜された乗員と見送りの人間が集まっていた。
見送りは全員ではない。手の空かない人間は見に来れていない。だがそれでも来られる人間の大半、何千人もの人々が、豆粒のような宇宙艇を遠くから見送る為に集まっていた。
「……壮観だな」
「ああ……みんなそれぞれ言いたいことはあるんだろうが、それでもやる気の出る光景だな」
アリアムと、ブランドン(リーダー)だった。
二人は地平に微かに見えるテント群に視線を投げる。そして、振り返り、命がけで月に行く者たちに歩み寄った。
アリアムは曲がりなりにも未だ王を名乗っている。である以上、少人数の突撃部隊に参加することはできない。どれだけ手伝いたくてもだ。
あれだけ期待を裏切ったのに、それでも不満いっぱいながら王と認めてくれ続けている民のためにも、王としての責務を無責任に放り出すことなどできはしない。
悔しかった。弟のことを思うと潰れそうに痛い。仲間に命をかけてくれと言うしかできないことに、唇を噛む。眉根を寄せると、隣を歩くブランドンが無言で肩を叩いてくれた。
近づくにつれ、彼らの言葉が聞こえてくる。
「おれは、残るぜ。残るしかねェことを受け入れる」
「カルロス……」
「坊っちゃん……」
ナハトとリーブス、そしてカルロスが話していた。
「行きてーのは山々だけどな……頭打った後遺症で、医者から長時間の緊張が命に関わるって言われちまったしよ。月までの航海の間、24時間くらいかかるんだろ? さすがに今のおれには、それだけの時間集中を持続するのは無理だ。残念だけどな。しかもその上、かなりの確率で敵さんの相手もしなくちゃならねェ。分かるぜ、月に着くまでは安全っての、あれ、皆を安心させるための嘘だろ。突貫で取り付けた心許ねぇ船の武装、隠しきれてねえぞ。……それでも死ぬのがおれだけなら何としてもついてくんだが、な。お前らに迷惑かけちまうくらいなら、我慢するさ。こっちで他にやることもできたしな」
「……」
ナハトはなんて声をかけたらいいか分からずに、すまなさそうな視線を投げる。
「そんなションボリしてんじゃねーよ。そんかわりな、短い時間だったらどんだけハードな展開でも大丈夫だ。聞いたぜ、月にあるゲートを奪うことが出来れば、そしてそれをうまく動かすことができれば、この地上から大勢いっぺんに転送できるんだってな」
「……うん」
「頼むぜ。おれだって、お前らと共に戦いたい。前哨戦は任せる。だから、絶対にゲートを開いてくれよ。そしたら、合流する。必ずだ、約束だぜ」
「約束するよ。必ず呼ぶから、その時は絶対活躍してほしいな。でないと困るからさ。呼んだ意味無いなんてこと、駄目だよ?」
「当たり前だゼ」
二人は曲げた腕に力を込め、音を立てて拳を合わす。
「坊っちゃん……」
「リーブス、おれの代わりを任せる。頼んだぞ」
カルロスの、久しぶりに見せた強い視線の笑顔に、筆頭執事が感極まって瞳を潤わす。見慣れた主人の姿が戻ってきた事を、10年間そばで見続けてきた執事はその全ての誇りで理解したのだ。
「分かっております坊っちゃん、坊っちゃんも、何をなされるかは分かりませんが、ご無理をなさらないでくださいね。お願いですから」
その分だけ、いつもと比べ少しだけ真面目に言葉を返す。
どこまでも過保護な執事に、カルロスはため息をついて頭をかいた。
「リーブス、一回しか言わねーから、耳かっぽじって聞いとけよ」
「はい?」
少年主人がその強い視線の照準を、ずっと、片時も離れず傍に居続けてくれた執事の瞳に合わせて語る。
「信じてやる。お前を全面的に信じてやる。だからお前もおれを信じやがれ」
「ッ!! 坊っちゃん……!」
瞳を潤ませて長身の執事が感激する。感動で体が打ち震えているようだ。
「ったく、大袈裟なんだよ。……二度は言わねーぞ」
「……左様でございますか。では、その信頼に応えなければなりませんね。かしこまりました。旦那様の、お心のままに」
執事が主人に、最敬礼で応えていた。
「っ!? お前、今なんつった!?」
「二度は、おっしゃられないのでしょう?」
「……コイツ。後で覚えとけよコラ」
「はい。後で、ですね。忘れる前に追いついてくださいね坊っちゃん。遅れたら厳罰です」
「ハッ……ったく。んじゃ後でな。遅れを取るんじゃねーぞ筆頭執事。星だけでなくローエン商会の代表なんだってのも、忘れんなよ!」
「はい、お任せください!」
執事と少年たちの会話を聞き、ブランドンと共に足を止めたアリアムは、空を見上げながら、近づいてきた大男と少女に声をかける。
「よう、二人とも。すまねえな……俺も、行きたいが……立場がある。国を代表する者として、あの船に乗っていくわけにはいかねえ。前哨戦だってのに、お前らに任せっきりで心苦しいが……」
「仕方ないさ。そういうものだ。それもまた、辛いことも承知している」
「そうそう、きっと上手くいくから良い風に考えなくちゃ。だから王様も元気出してね」
大男と小さな少女が頷いて、解っていると笑顔で返す。
「すまねえデュラン。ラーサもな。だな、信じて任せなきゃよ。その代わり、俺もゲートが開いたら行かせてもらう。生き残った軍を率いてな。それまでに必ず攻撃部隊をまとめておくと約束する。精鋭数百人単位で揃えておく。本当はもっと多く揃えたかったんだが、たぶんそれで精一杯だ。代わりにちゃんと闘えるようにしておくから、心配するな。お前らだけに負担をかけたまま高みの見物なんてゴメンだからな。きっと残る全員そう思ってる。……皆で星を取り戻すんだ。必ずゲートを開けてくれ、任せたぜ」
「ああ」「任せて」
満面の笑顔で二人が応える。
「じゃあ、あたしナハト様のとこにいくから。ナハトさまーーー!」
走ってゆく少女を見送りながら、デュランに告げる。
「死ぬなよ」
「当たり前だ。それより、コールヌイのことだが」
「ああ……安心しろ、あいつのことだ、きっと無理にでも行くと言い出すだろうからな。置いてきた。だが、あいつも必ず治して連れて行くさ。約束する」
「ああ、頼む。ナニールに取り付かれた少年の体を取り戻すには、お前もあいつも、必要だと思う。きっとな」
寡黙な男の多弁な言葉に、アリアムは天を仰いで頷き返す。
「……その通りだ。負けられねえな、当たり前の話だが」
「そうだな」
黙って離れて待っていたリーダーも、静かに微笑み聞いていた。ただ、最後のセリフにだけ、少しだけ苦しそうに噛み潰した溜息をついて視線をそらす。離れてデュランと話していたアリアムは、その小さな仕草に、気づけなかった。
「カルロス」
リーブスが出発の手伝いに向かったのと同時に、デュランがカルロスたちに近づいてくる。先に来ていたラーサはといえば、ナハトの腕をとり引き寄せて両手で包むようにして、祈るように胸に当てていた。ナハトはといえば、どう対処していいか決められずに困っている。
治療技術が上がり自信がついたのか、ラーサはここ数日積極的だ。上から目線は相変わらずではあるが、カルロスに対する以前のような口撃も減っていた。カルロスとしては、寂しくないといえば嘘かもしれない。絶対に認めるつもりは毛頭無いが。
ナハトの隣に立った大男を見上げ、カルロスは三人にもう一度声をかける。
「……迷惑、かけちまったな、ナハト、デュラン、ラーサ。すまねえ。サンキューな……必ず追いつく。おれが行くまで、頼んだぜ」
「もちろんさ。絶対追いついてきてくれなくちゃ……来れないやつだって、いるんだからさ……」
「そうそう、いるんだからね!」
「……そうだな、すまねえ」
その通りだと思うと、最近あまり強く出られなくなったカルロスだった。
デュランが苦笑して声をかける。
「そうしょげるな。前を見据えていろ。顔というのは、謝る時以外の理由で下げるものじゃない。目線もな」
「デュラン……」
少年の時期を卒業し出した少年が、まだ少年の時を残した表情で、大事な言葉をくれる相手を認識し受け止めようと心を済ます。
「生きている以上、人は、しがらみからは逃れられない。過去も、悔いも、決して消えはしない。生涯消え去る事はあり得ない。受け入れるもよし。悩み、撥ね付けるもよしだ。ただ、盲目にはなるな。盲目に目をつむり、背け続けることだけは、してはいけない。考えず、言われたことのみをする者。それは、すでに人ではない。お前は、人でいろ。俺たちもそうしてきた。そして、これからもそうしてゆく」
「……」
静かに、静かに。受け取る言葉がどこまでも、深く深く染みてゆく。
「俺にだってできたんだ。お前なら、できるさ」
「ああ、サンキュ……覚えとく」
噛みしめた言葉を胸に、出発の時間が近づいてくる。
「皆さん、そろそろ乗り込んでください!」
操縦者のムハマドの声が拡声器から響いていた。
乗り込むのは、ナハト、デュラン、ラーサ、ムハマド、ルシア、カルナ、リーブス、ナーガ。そしてブランドンやアリアムの命を受けた兵士10人、だった。クローノと蓮姫、アーシアとは、未だに連絡が取れていない。燃料がギリギリで時間も限られていたので、宇宙艇で迎えにも行けなかった。
あの三人なら大丈夫だとは皆思っているが、先発隊に彼らが欠けるのは、仕方ないとはいえ、正直痛いところだった。
整列したまま、乗り込んでゆく。
遠くでみんなが手をふって見送っていた。
複雑な感情のまま感慨深げに、邪魔にならないように離れたアリアムも目を細めて眺めていた。そのいかにも残念そうな視線の先に、唐突にそれが映る。
最後の兵士が乗り込んだ直後だった。一人の黒衣が閉まるハッチの隙間に滑り込み、影のように乗り込むのが見えた。
目を剥いて驚愕する。
「な、あれは!? まさか、あの馬鹿ッ!!」
アリアムが目を瞠って止めようとするが間に合わない。
ムハマドは気づかず始動のキーを押した。
下を向けられたジェットエンジンがうなりを上げ、急ごしらえのタラップから離れた機体を持ち上げてゆく。もう、止められない。
「コールヌイ……あんの馬鹿やろう……ッ! 死ぬんじゃねえぞこん畜生……ッ!」
見上げる高さまで上昇した機体は、ジェットノズルの角度を変え、機体を立てて昇り始めた。次第に垂直に昇ってゆく。雲の高さまできた。ジェットエンジンが燃焼を止め収納され、変わりに使い捨ての外部ブースターが太った翼から取り出され自動で設置、炎を上げた。
静かに、ゆっくり、ゆっくりと力強く昇ってゆく。
天から地上に吹き下ろす火山のように、長大な炎をなびかせて蒼に溶け込み消えてゆく。蒼穹が炎を包み、そして垂直の飛行機雲だけを残したまま、彼らを乗せた宇宙艇は次第に大地の外へと吸い込まれていった。
蒼色の染料を落とされたかような濃紺の、まばらな雲の空の下、焦げた煙を一直線に空の上までなびかせて人の意地が昇っていた。
少年は炎が見えなくなるまで、首を痛くして眺め続けた。
大気に刻まれた膨大な煙が、なびいて空に広がっていた。あれだけの偉容を誇った莫大な量の人の意地すら、世界は薄く広く拡散してゆく。それでも。そこに意地があったという事実だけは、見つめて刻んだ人の心はちゃんと、しっかりと覚えてゆく。
いつまでもいつまでも、挟んだしおりを無くしても、しおりの分だけ痕の付いたページはきっと忘れない。
大地を揺るがすほどの重低音を下腹に響かせて、余韻に浸る見上げた首を元に戻す。
「頼んだぜ、みんな。おれも必ず追いついていくからよ」
そして背を向けて歩き出す。
(まずは、コールヌイに聞いた岩山からだ)
少年は下を向くことのないままに、胸を張って目的の場所へと向かっていった。
第二十六話 『カルロス5 〜空と人と〜』 了.
第二十七話 『接近と、遭遇と 〜宙〜』に続く……




