第二十四話 『カルロス3 〜人の温度〜』
笑顔を忘れた青年は、暗い地下室の片隅で荒い息を立てながら、壁に背を預け休んでいた。足元のむき出しのコンクリートには、赤黒い吐血の跡がこびり付いて残っていた。
そこはアルヘナ砂漠の一角、消失したアルヘナ王国首都イェナから程近い、岩山をくり貫いた大戦時の基地のひとつ。ヘイムダルのところに比べれば、小さめの基地だ。
青年が放浪の際に見つけた幾つかの、過去の残滓。消えぬ残り香の遺物だった。ヘイムダルのいた基地とは別系統の軍事備蓄施設。非常倉庫と呼んでも差し支えは無いだろう。さすがに基地頭脳は死んで使いものになってはいない。あのように生き延びた機械頭脳は、少なくとも彼にはヘイムダル以外見つけることはできなかった。
それゆえあの場所以外の遺跡は、機能を果たさぬもの言わぬ箱。ただの緊急避難場所にしか使い道は存在しない。
その一つに彼は居た。
「ハァ……ハ……ァ………ッ」
口元を押さえた手のひらには、乾いた血の上にさらに血が重ねられ、まるで雲母のように層ができ固まっていた。いったいこの青年は、短時間で何度血を吐いたというのだろう。
「……、ハァ……ったく」
ため息と共に目線を上げ、首だけで振り向くと背中の壁の中に視線を投げる。
「くす……くす、相っ変わらず、ヒトの域を超えた薬物耐性持っとるなあ……アンタ。というか、音を立てずに壁や砂の中掘り進められるってだけでも、もはや人間技とは呼べへんけどな」
ドアも朽ち、通路とつながった四角く冷たい部屋の隅で、壁を睨みながらアベルは複雑な口調でひとりごちた。
「……君の察知能力も恐ろしいレベルだと思うがね。ところで、防御しなくても良いのかね? そのままだと、硬質針の一撃が君の延髄に当たってしまうと思うのだが」
壁の中から声がした。コールヌイだった。
薬物で眠らされていた部屋から抜け出した彼は、姿を隠したままで、できる限りの下調べをしたのち、壁潜りの技を使い、音も気配も殺したままアベルの後ろを取ったのだ。
しかもその全てを片足のままでやってのけた。
コールヌイ、この人間もまた、化け物と呼んで差し支えないだけの実力者だった。
「あかん、アカンアカン、あかんでコールヌイさん。アンタには致命的な甘さがある。それが人間最強の部類のはずやのに、結果が最上たりえていない理由なんや。通称【壁潜り】、石の結晶を溶かしゲル状化し、しかし短時間でまた固まり建築物に影響を与えない特殊な溶剤と、体を保護するコーティング。それを駆使して泳ぐように砂の中や壁の中を移動する驚異の移動術。しかもあんたのは特殊な体術により、空気中と同等かそれ以上の速度を実現しとる優れもの。ほんまに化け物やと思うわ。
せやけどなあ、それがやれるあんたやったら、これまでももっと簡単に俺を始末できたはずやろ。あんたならやれたはずや。逃げるだけなら尚更の事。今も返事するイミなんあらへんやん。無視して黙って針を突き刺せば済む話やろ。俺は気づいとったから無理やったけどな。
……甘い、甘いでぇコールヌイ、反吐が出るやん。ま、そのお陰でこれまで計画を変更無く、つつがなく続けさせてもろうとるんやから、お礼を言わなアカンのかもしれんけどなぁ。クスクスクス」
笑顔の無い笑顔で、能面のように青年は笑っていた。これがあの、笑顔でできているとすら言われた青年の成れの果ての姿なのか。決意は変わらず、ただ視線だけが死んでいた。生きたまま死んでいる、ある意味ゾンビの一種とすらいえた。
「恐縮と言わせてもらおう。しかしそれはこちらの言い分だぞアベル君」
「へえ? なんの話やろ」
アベルが平坦な視線を上げる。
「なぜ私を殺さなかった。君にならできたはずだ。それ以前に、あの対決の時のあの力。あれをもっと早くに使っていれば、二対一の時点ですら君は勝てた。勝てたはずだ。なのに君はアリアム王を逃がし一対一の状況を作り上げた。なぜだ」
薄暗闇の部屋の中で、青年が薄く笑いながら立ち続ける。なぜだろう。会話をしているはずなのに、なぜか微かな笑い声だけが脳裏からいつまでも付かず離れず消えてくれない。
「……くすくす、買い被りやでそこまで言われると。頬っぺたから火ぃ出るでほんま。単に偶然ちゃうんちゃう?」
おどける姿に笑顔が無い。それがどれだけ痛々しく見えるのか、彼にはわかっているのだろうか。
「目が覚めてからここに来るまで、ずっと考えていた。そして君に関しては偶然はあり得ないと学び、認識を新たにすることにしたのだ。そう結論した。あそこまでの状況作成能力、状況配置能力を誇る君が、あの場面とは言え偶然に頼ることをするだろうか。それに、あの力……、君は自らの体すら造り変えていたのだな? 薬物の多重ドーピング。さらに古代種の遺伝子を植えつけでもしたのかね? 人体改造にも程がある! なぜだ、適応できない遺伝子型の人間が遺伝子ドーピングなどすればどうなるか、君は知っていたはずだろう!」
壁の中、コールヌイは痛みに耐えかねる声を出す。体の痛みではない。ならばそれは、誰の心の痛みだろう?
「五年前のことまでも把握されとったんかい、驚いたでコールヌイ。いつの間に調べたん?ここの端末は死んどったはずなんやけど……さすが元影頭頭領やね、ココ拍手要るトコなん?」
「……」
目だけを爛々と冥い笑顔で笑いながら、アベルは軽く両手を上げた。
「しゃあないなあ、くすくすくす。ご褒美にこっちも教えたる。もちろん色々植えつけたったでえ、こん体にな。資格が無い体の癖に、上手く適合したはずやった。せやけどな、長い間微弱とはいえ放射線、大戦時の影響の残る地に居続けた結果、植えつけた細胞が変質してまいよったんや。少しずつ、な。その上、自分のものでない細胞は変質の進行がすこぶる早かった。自前の細胞に変異が進透を始める頃には、内側はもう取り返しがつかへんところまで来てしまっていたんやな。
不治の病みたいなモンやからな、もう治らんへん。ついでに細胞励起させるたんびに持続時間が減っててな。あの場面ではあれが精一杯やったんや。自信落とさんでええでコールヌイ。あんたやデュランの方が生身で最強なのは変わらへん。リーブスは、ある意味俺と同じ理由で純粋な生身ではあらへんしな」
壁の声が震える。
「なんということを……君は、君という男は……!」
いきなりアベルが壁を殴りつけ、大音響とともに大穴を開ける。コールヌイが沈黙した。
「せやからなあ、甘い言―てんねん。説明中は攻撃せーへんなんて一言も言うてへんやろ。俺は敵やろ、同情してどないすんねん? 敵の敵は味方ではなく、単に三竦み、三国関係三体問題、厳密な解などありえへん。ただの三者の我の張り合いや。俺もナニールもあんたらも、どちらさんも他のどちら側の言い分だろうと聞けえへんやん。せやろ? せやったら、お互い滅ぶまで闘う以外無いとちゃうのん?」
ヘラヘラと笑うフリ。そこまでしても、もはや彼には笑顔すら作れないというのだろうか。
「ならば、なぜ殺さない」
床からコールヌイの声がした。
「……便利な能力やねそれ」
「君が手加減してくれているからな」
「せやからそれは……」
「手加減だよ。君自身がそう思っていなくても手加減だ。君の論法なら、私はとっくに殺されていなくてはならない。なぜ生きている? 調べさせてもらったよ、生きていた自家発電装置を修理して、繋いだこの基地の端末から。2年前のあの遭遇から、私が何も調べず学ばなかったとでも思うかね。使えるのだよ、今の私は。大戦時の端末とやらをね。首都イェナを壊滅させたのだな、宣言通りに。ならばなぜ誰一人死んでいない? アリアム王を生かして放り出したなら、彼がどのような行動を取るかは分かっていたはずだ。なぜだ」
アベルの顔から作り笑顔が消えていた。
「……はん、俺に単に勇気がないっちゅーだけやろ。臆病もんやもんねえ、悔しいわあ、くすくす」
「違うな。違う。
忠告しよう。勇気がないなどと簡単に云ってはいけない。なぜなら勇気とは、魂の中に初めから含まれているものだからだ。勇気を出すということは、おのが体と魂を覚悟を持って絞り込み、抽出するということなのだ。生きているからには必ず勇気はある。生きているということ、そのものを馬鹿にしてはいけない。それでも勇気が見当たらないとすれば、それは無いのではなく、ただその覚悟がないというだけの話なのだ。人が大人になるということは、その覚悟ができるかどうかということなのかもしれないな」
「……」
「勇気がないなどと簡単にほざくな。それは己の体と魂を侮辱し、唾を吐き掛ける行為に他ならない。己に託し、消えていった者たちの魂にもな。
そして教えてあげよう。君の知らない君自身のことを。君は、止まれない。止まれなくなってしまった人間なのだ。そういう人間を私は他にも知っていた。だが、君はあいつとは違うと思う。どこがどうとも言えないし、君ならまだ戻れるなどと安い言葉を言う気はない。だが、それでも君はあいつとはきっと違う。君にある深いトラウマ。その過去のトラウマのせいで君は人と機械を憎み、囚われた。だが同時にそのトラウマのせいで君は、ヒトを殺せなくなった。殺せないのだ。ヒトの血が流れるところを見ることができないのだ。それだけ心が壊れていながら、壊れていてもなお、衝動を満足させるために全てを捨てて当たらねばならぬのに、それでも君は無意識から人を殺すことを忌避しているのだ」
「……黙れ、や」
青年の俯いた顔に影が差した。その影の中から声がする。
「君に人間は殺せない。どれだけ非情になりきろうとも、君の心が壊れて引き裂かれようとも、君にはヒトは殺せないのだ」
「……黙れゆーとるやろぅ」
「そう、暗く澱んだ地下の空気の中で、君の最初のパートナーの血を、岩の隙間から流れてきた温かい血を両手に浴びた君にはもう、どれだけ狂いたくてもそれ以上狂えない。そこより先へ堕ち得ない。理性という才能が高すぎたせいで、最初に最大の壊れ方をしてしまったせいで、完全なる狂気へ堕ちることができないのだ。それを許すだけの許容量は君にはない。だから君は、狂人ではない。狂人のフリをしているだけの、人間だ。優しく脆いただの人間なのだ」
「黙れ、黙れ、黙れ、黙れ……黙れっちゅーとるやろうがこんダボがああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
地下室が爆発した。アベルが全細胞を励起させ、地下室全ての壁という壁、床という床をほぼ同時に拳で撃ったのだ。瞬きの間に狭い部屋はクレーターだらけの姿に変わる。
「図星のようだな、アベル君」
天井から声が聞こえた。
「……ぁ……あぁ、あぁぁあああクソッタレおんどりゃあ、黙って聞いとったら言いたい放題ぬかしよってからに死に損ないの老兵が! アンタだって親友も好きな女も救えずに時を越え逃げ出して、その子孫を後生大事に守ろうとすることでオノレの自己満足を満たそうとするだけの小心者やないか! おんどれのような人間に何が判るちゅーんや!? ああ!? 腑抜けのヘタレが偉そうにぬかすなやコラアァッ?!」
青年が、仲間と呼んだ者の前で、初めて見せた怒りだった。
「何が分かるか、か、ふむ。
永遠に満たされ得ず決して減ることのない後悔が。何もできなかった頃の過去の夢が。張り裂け続ける胸の痛みが。それでもできることがあるはずの今と未来が。そして、そこから逃げていては痛みは決して無くならないということが。それくらいかね?」
「言いよるやないか……」
「君は、それでもまだ続けるのかね。君を尊敬していたあの少年すらをも裏切り続けると言うのかね」
カルロスの事だった。アベルを心から尊敬し、自らに取り入れて学ぼうとしていた若き少年のことだった。
「はん、誰のことや? いやいや嘘や嘘。覚えとるで。……そやなあ、悲しいなあ。悪いとは思うとるで。せやけどな、俺の心はもうとっくの昔に引き裂かれてしまっているんや。せやろ? 認めたる、あいつも結構良いやつやった。せやけどな、俺は壊れてるんやろ? 狂ってなくても壊れてるんやろ? せやからな、後どんだけ引き裂かれたとしても、もう何も感じるわけあらへんのや。スンマヘンなあ御愁傷様」
そう言ってアベルは、笑った。顔だけで。またも顔の表情だけで。
それは一瞬だけ、心からの笑顔に見えた。閉じた口元に不自然に力が入ってさえいなければ。
「だからさ、遠慮のう恨んで逝ってくれや、コールヌイさん?」
「アベル君……!」
「それにな?コールヌイはん。俺は最初っからあのガキぁ嫌いやってん。理想を他人に勝手に押し付け満足して凹んで慰めを待っとる程度の、そんな腐ったガキのたわ言なんぞ、知ったことやないっちゅーこっちゃで? せやろ? くすくすくすッ」
「……どうやら、楽しいお喋りはここまで、ということかな」
コールヌイの声に険がかかった。さすがに今のは据えかねたのだろう。
「くすくすくす、俺がほんまにヒトを殺せんかどうか、その本気で試してみるがええさ、老兵」
誰も見てない暗闇で、どことも知れない部屋の中で、肉弾戦最強二者の第二ラウンドが始まった。
◆ ◆ ◆
砂スズメの鳴き声がして目が覚めた。
昨日よりはだいぶ調子はいい。
カルロスは小さく息をつき、ゆっくりと体を起こす。
どうやら、かなり早く起きてしまったようだ。
カーテンを開けるのも億劫なまま、顔を洗うために天幕の入り口をくぐる。
と、目の前の広場で、誰の視線も無い明け方の中で、アリアムが両手に短鉄棒を持ち稽古していた。流れるように型を打つ。打つ瞬間だけが残像で、打ち終わりは見事なほどに止まっていた。彫像のように陽に映える。
「ん? カルロスじゃねえか。早起きだな、おはようさん」
少年に気付いた若き王が、稽古を止めて汗を拭いた。
「……早いんだな」
カルロスの声が沈んでいた。
「あん? そうでもないだろ」
にこやかに笑いかけてくるアリアムに、カルロスの心がささくれ立った。
「アンタはすげーよ。才能があって、親しく思ってくれる仲間が大勢いて、好い男で、王様で、強くて、頭も良くて、誠実で笑顔も良くて、全部、持ってる……」
「……」
言うつもりじゃなかった。そんなことを言うつもりは無かった。そうじゃない、アリアムにはアリアムなりの辛さや境遇があり、それを乗り越えてここにいることも知っていた。いまあるそれらもすべてこの男が必死で努力して手に入れたものだと頭では分かっていた。
けれど、心を制御できない少年は、分かっていても止められなかった。
「なのにアンタは怠けねーんだ。どこまでも努力して、頑張って。そしてどこまででも行っちまう。あんたしか辿り着けないところまでどんどん走って行っちまう! 追いつけねえ……じゃねえかよ。おれみたいになんにも無えやつじゃ、才能も追いつけねえのにさらに努力までされちまったら立つ瀬なんてねえじゃねーかよ!!」
完全な八つ当たりだった。死ぬほど格好悪かった。
消えてしまいたくなる。逃げようと思うのに足が震えて動かなかった。
(どこまで情けなくなっちまったんだおれは……!)
悔しくて涙が滲んだ。
「追いつけねえ……!ちくしょう! なんでそんなに強いんだ、あんたは!!
おれは小さい。小さくて弱いっ。どこまでも弱くて何もできない。おれは、おれの力じゃ何一つできねえ。誰一人、誰一人救えないんだ!!」
「なんで、そう思うんだ?」
穏やかな力強い声が聞こえた。目の前に居る。恐くて目が開けられない。
目を瞑ったまま言葉だけを何とか出した。
「……昔はもう少しくれー自信があったさ。けどここにきて、おれは誰にも勝てなかった。何にもできなかった。誰一人、おれの力で超えることは出来なかったじゃねーか。みんなが皆全員何かの役に立って、何かの成果をあげているってのに、おれ一人だけ迷惑かけて、何も……なんにも、成せていねーじゃねーか!」
「……」
「なのに、そのおれより上等の人間すらも、迷い、間違えてゆく。てめーの心に振り回されてくんだ。なんなんだよチクショウ!! どうすりゃいいってんだよおれは!! おれは、助けたかった。助けようと思った。力になりたかったんだ。みんなの力に。誰かの力に。おれでも力になれるって証明したかったんだ。でも、無理だった。おれじゃ駄目なんだ。おれは小さいから。なんの力もないから。親にすら出てってくれて構わないと言われる奴だから。弱いから! 誰も救えねえ。だれひとり助けられねえ!! ちくしょう……チクショォ………!!」
うつむき毒づくカルロスを、アリアムはしばし無言で眺めた。
「……そうだな、確かにお前は何にもできていないし、なんにも成せていないな。けどな、手前は勘違いをしているぜ」
そしてかけられたその言葉には怒りが深く浮いていた。
「は?勘違いだ?! アンタみたいに何でもできる人間に何がッ!何が分かるってんだクソヤロォッ!!」
違う、こんなことを言いたいんじゃねーのに……どんどん自己嫌悪に硬くなる。
「……バカかお前。俺がなんでもできる人間だ?そんなわけ、そんなわけねえだろうがよ……。 完全な人間なんて、そんなもん居るわけねーだろうがよ。俺だって途上なんだよ。俺だって間違ってばっかなんだよ。間違わなかったことなんて無いってくらいにな。それでも、俺にはやるべきこともやらなきゃならねえ事もある。無様でも何でも這いつくばってるだけって訳にゃあいかねえのさ。そしてな、人間は、誰だって、最初はゼロなんだ。才能? バカ云え。そんなモン持ってる奴なんざ滅多にいねえよ。いやしねえ本当に。どこかにゃ確かに居るかもしれねえがな。俺だってまだ会ったこともねえよ。
でも大抵は、生まれつきの知恵遅れでもねえ限り、人間はみんな同じだ。決まってんじゃねえか。違って見えるとしたら、それは、才能じゃねえ。強さでもねえ。これまで歩いた、歩いてきた距離の差。それだけだ。もし俺がお前よりも大きく強く見えるとしたら、それはその分だけほんの少しだけ長く、止まらずに歩いてきたってだけのことだ。前へな。お前との違いはそれだけでしかねえのさ。人は皆、同じだ。消しきれねえ過去と悔恨と、目の前の障害や未来の不安と闘いながら、歩いてる生き物だよ。
カルロス、お前は、止まるのか? 止まっちまうのか?そんなところで。ええ?! 答えろよカルロス。お前は、どうするんだ?」
「…………」
悔しさと恥ずかしさだけが荒れ狂い、カルロスは何も言葉が出せなかった。
「諦めるのは、本当に動けなくなって止まっちまってからでも遅くはないんじゃねえのか? 自分の意思以外の理由でな」
「けど……おれは……」
「この世には、信じられねえくらい醜いことや汚いことがたくさんある。涙が出るほど情けない奴も、血管ぶち切れるくらい腹の立つ奴も大勢いる。けどな。だから、どうした。そうじゃない奴だっていっぱいいるさ。そうじゃないことだっていっぱいある。自分に腹が立つか?情けねえか?
だったらお前はなればいい。そうじゃない奴になればいい。自分が憧れ、目指した奴になればいい。そうじゃなかった? そんな奴はいなかった? くそくらえ。目指したものは嘘じゃねえじゃねえか。なら、なれるだろ。目指せるだろ。格好イイ大人になれ。守りたいものを守れる大人に。守りたいことや守りたい誰かをまっすぐに貫ける格好良い大人になれ。お前が目指した一番格好良い誇れるやつになればいい。簡単なことじゃねえか」
アリアムは人差し指を伸ばし、カルロスの胸の中心に置く。
「……!」
「そこにはまだ、お前の目指したものがあるはずだ。そうだろ、カルロス?」
カルロスの挑むような目線に被せるように、アリアムの痛みを乗せた強い視線が立ちふさがった。
「………できるかな、おれなんかに」
「なんかとか言うな。お前はカルロスだ。俺たちの仲間のカルロスだ。そうだろう?」
「……なか、ま」
「頼りにしてんだから、さっさと歩き出して追いついてこい」
笑うと子供のようになる王様が、最高の笑顔で伸ばした手のひらを頭に置いた。
「……撫でんな」
「いいじゃねーか。減るもんじゃなし」
「だから!」
少年がうつむく。それは、先ほどまでの俯きと違い、何かを隠すかのように顔が赤い。下に水が滴り落ちた。
「さっさと顔洗ってこいよ。俺でよかったら稽古くらいつけてやる」
「……わかった」
俯いたまま少年が走ってゆく。
「……」
アリアムは空を眺めた。明け方が終わり、青が蒼に変わってゆく。今日もいい天気のようだ。
「……は、俺が何を偉そうに語ってるんだろうな。けどな、それでも止まるわけにはいかねえのさ。ちゃんと、マシになったところを、いつか見せてやりたい奴がいるからな。いつか、あそこに行った時に。……なあ、蒼星」
口の中で、誰にも聞こえないくらい小さな声で、アリアムは笑顔に乗せてつぶやいた。
と、目の前の空間が赤く裂けて破裂した。稲妻が乱れ飛ぶ。
「な、なんだ!?」
聞いたことのある光景だった。あれはたしか、デュランに初めて会った時のエマさんの話の!
ずるり。
中から黒こげに近い火傷と裂傷を負った壮年の男が、最後の力で這い出した。そして穴は瞬時に消える。
「……陛下、いま、戻りましてございます。ご心配をおかけしまし……て」
男はそのまま地面に昏倒した。
「コールヌイ!!!」
起き上がらないコールヌイを、必死の思いでアリアムは医務室の天幕に運んでいった。
第二十四話 『カルロス3 〜人の温度〜』 了.
第二十五話 『カルロス4 〜人のかたち〜』に続く……




