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第二章 ツァンシン (承) 2

 瞬く間に二日が過ぎた。

 その間蒼星は宿屋から殆ど出なかった。ただ、もう一度だけ、大通りを歩くだけはしてきた。アリアムの言葉に感化された訳ではない。ただの気紛れだ。彼の言葉は所々理解不能で、納得いかない部分もあった。けれど、それでも。こちらを気遣ってくれたことだけは、嬉しかったから。言って欲しかった言葉を言われた気がした。ずっと言って欲しかった言葉を言って貰えた気がしたから。だから忠告には従った。だが、その一度だけだ。それ以外は部屋に居るか、でなければ下の酒場にずっといた。アリアムは何処で遊んでくるのかいつも遅くまで帰らなかったので、昼間は大抵ベッドを使って眠った。夜は床だ。

 夜は、よく眠れなかった。アリアムの所為でないとはいえないが、それだけではなかった。

 夜になると、どうしても『あの時』のことを考えてしまう。古い記憶と数日前の記憶が濁って混ざり、夢でおのれを責め立てる。

 思い出してしまう度に、どうしても聞こえてくる祭りの歓声や笑い声が無性にカンに触るのだ。幸せが妬ましいなど、気付きたくなんて無かったのに。たとえどんな事でも、時が忘れさせてくれるというのは嘘なのだろうと思う。良くて蓋ができるだけなのだろう、きっと。

 昼間はどうということもないのに、夜はクナイを手放せなかった。


        ◇ ◇ ◇


 その日の夕方。蒼星は、隅のテーブルでひとりグラスを傾けていた。さすがに顔の布は減らしたが、やはりターバンは取らないままだ。


(自分はイラ立っている)


 分かっている。だが、どうしようもなかった。


(アリアム。早く帰って来ないか、な)


 何故か、彼と話していると気がまぎれた。どうしてかいつも怒らせてしまうのだが、それでもちゃんと、話下手な自分の相手をしてくれる。基本的に気の良い男なのだろう。真面目な顔はあの夜だけで、それ以外はずっと剽軽だったが。その言動は嫌いではなくなっていた。


(泥棒と間違えて、悪かったな)


 もう一度謝らないとと思いながら、ちびり、と酒を舐める。この二日、段々酒の量が増えている。アリアムにも何度か諫められた。だが。あの日のことが頭をよぎる度。よぎる度に!


(自分は、守ってあげられなかった……。約束、したのに……!)


 とうとう明日だ。あと一日も無い。

 あれから二年もの年月が経ってしまった。


(たった一人だったとはいえ……何故もう少し……早く……)


 無事でいるとはとても思えない。何をされたのか考えたくも無い。

 自分がセリ落とせても、昔の彼女ではないかも知れない。

 怖い。とても怖い。

 だが、ここでまた他の誰かの手に渡してしまっては……そんなことだけは。


(約束したんだ!!)


 カタリ

 音に気付いて後ろを向くと、ボロボロの衣を着た老婆が傍に立っていた。



(……誰だ?)


 老婆はしばらくじっとこちらを見つめた後、おもむろに口を開いた。


「あんたの集めた金じゃ、とても姫さんをセリ落とせやしないよ」

「!!!?」


 体が固まる。


(なぜ、その事を知っている⁉)

「あんたの考えてる以上に噂は広まってるのさ。国中から金持ち共がやって来る。我こそは亡国の姫君を奴隷に、ってね」


 ガタン! 立ち上がり、ツマミに使っていたフォークをかざす。


「貴様……何者だ!?」

「そんなことより、いいのかい? 金策に走らなくて」

「くっ!」

「そうだね。そこら中で借金もして。もうこれ以上は無理だろうね。……ほう。言葉に出来ない様な稼ぎ方もしたのかい。見えないね」

(なぜそんなことまで知っているんだ⁉)


 顔面は既に蒼白だった。


「な……何が言いたいっ!」

「別に。プレゼントさ。どうしようも無くなったら使いな」


 老婆の差し出した手、そこには、小さなガラスの小瓶が置かれていた。


        ◇ ◇ ◇


 夜になった。


(あと、半日か)


 全く眠れない。アリアムも居ない。さっき追い出してしまったのだ。彼には昼間の老婆との話を聞かれていた。

 「何か力に」などと言われて、殴ってしまった。何故か、とても悲しかった。多分、彼に聞かれてしまったこと、それ自体が。

 テーブルの上を見る。空の瓶が光っている。


(何が、何でも叶う魔法だ。ふざけるな!)


 そう思う。けれど。

 蒼星は受け取ってしまった。使用方法や呪文までそのまま聞いてしまった。

 それがどうした、と思う。それに万に一つ本物だとしても、明日の昼に間に合う訳がない。何処に在るというのだ。【真実の涙】など。

 老婆の話を思い出す。


(もし、本当に他の奴にまた取られたら……私は……どうするだろうか……)


 捕まるのを覚悟で暴れるだろうか。

 お尋ね者になって、姫と共に逃げる。


(それも悪くないか)


 だが、出来るか?


(この国さえ抜けられれば)


 だが、出来るのか?

 ベッドから、明日の晩満月になる月を見つめて、そのまま。

 祭りの日の夜が明けた。


      ◆  ◆  ◆


 暑い。

 もうすぐ太陽が真上にやってくる。が、大事な当日だというのに、思考が千々に乱れていた。


(もう……行かなくては)


 力を入れるのに全身に力が入らない。酔いではない。それも無いわけではないが、それだけではない。ただ、立ち上がりたくないのだ。もしかしたら自分は、行きたくないと思っているのだろうか、と、蒼星は重い頭で自問する。

 そこまで己は情けないところまで落ちてしまったのかと。

 だが、それでも、行かねばならない。それだけは、しなければならない。例え、その望みが、叶う確率がとてつもなく低くなってしまったのだとしても。


(だって、その為にこの街まで……何のためにこれまで、あんなことまでして。姫……)


 テーブルから無理やりに体を起こす。椅子の上でそのままふらつく。


(く……ぅ。飲みすぎたか。何を、やってるんだ私は! こんな、大事な日に……あっ)


 全力で腕に力を込め体を上げた。その瞬間だった。


(あ、れ……? 壁や天井が傾いてゆく……どうして……? あ、倒れ……!)


体が傾きテーブルから腕が外れ全身が床に向かった。


(くそぉッ)


痛みが全身を襲うことを目を瞑って覚悟した。

 とっさに後頭部だけは庇う。痛みの来る瞬間を必死で待った。だが。

 とさ……。 と、軽い音がした。


(? 痛くない……。あ、れ。何だろう。あ。何かすごく暖か……い?……? ‼?)


 飛び起きる。目を開けて顔を上げる。目の前にアリアムの顔があった。見たこともないほど真剣な顔をして見つめていた。


「大丈夫か?」


 蒼星は、自分が彼に抱えられていることにようやく気付いた。


「⁉……!!………!!」


 どんどんと目に見えて顔全体が引きつってゆく。


「ん? どうした。枕元にサソリでもいた様な顔して」

「き、……」

「き?」

「きゃああああああああ!!!」


 ドカッッッ


「グェエッッ」


 思い切り突き上げたこぶしが、まともにアリアムの顎に決まっていた。


        ◇ ◇ ◇


「あぅぅ、む。お、俺の顎がぁ」


 本気でかなり痛そうだ。


「あ、あの、……その」


 最初に出会った時の態度が信じられないくらい、蒼星はオロオロしていた。罪悪感半端ないとでもいうように。両手を体の前で開いて無意識に小刻みに動かしている。


「あのなあ! イテテ。確かに触られるのを嫌がってたのは知ってる。しかしだ! 助けた人間に対してコレはねえだろう、いくらなんでもっ」


 アリアムの態度からは祭り初日の気遣うような暗く真面目な雰囲気は完全に消失し、軽薄でお調子者の言動に戻っていた。だが、なぜか、蒼星にはそれが心地良かった。だが、それとこれとは話が別だ。アリアムの怒りの顔が怖かった。見たくなかった。笑っていて欲しかった。笑顔を見せて欲しかった。何とかして怒りを解こうと、蒼星は口下手なおのれを叱咤し言葉を紡ぐ。


「い、いや、それはだな……」

「あぁ!? なんだよ、言ってみろ」


 紡ごうとしたが、アリアムの険のある言葉に怯えボロボロだ。


「それは……その……ええっと……ええっと……」

「……謝らねぇのはともかく。理由も言えねぇのか……」

(だって……つい、最初の晩の言葉が頭に浮かんだなんていえるか!)


 アリアムには自分のことは話してないのだ、し。

 俯く。不意に悲しくなった。不器用な自分が酷く惨めだ。


「いまだにターバンも取らねぇ礼儀知らずだし……。ふー。それじゃあ代わりに何かしてもらおうかねえ。お、そうだこーしよう。ふっふっふ」


 ニマリと笑われ、体が固くなる。


(まさか……まさか……ッ)


 間を空けられて、恐怖で蒼星が本気で涙目になりかけた頃、


「今日一日。お前につき合わせろ」


 アリアムがその言葉を口に出した。


「え!?」


 驚いて顔を上げる。アリアムを見つめる。


「あ! なんだよその顔。俺が変なことするとでも思ったのか? 言っただろうが。俺は男に手を出す趣味は無ぇってよ」

「…………どう、して?」


 呆然として目の前の男を見た。嫌味な顔すらしていなかった。こんな自然な笑顔で接してきた人間は初めてだった。ゲヒた顔をしないで見つめてくる男がいるなんて想像すらもしていなかった。


「あ~~、まあな。俺は基本的にお節介なんだよ。いいじゃねぇか一回も二回もおんなじだ。お節介ついでだ。手伝わせろよ。よし! 決まり!」

「駄目だ! 危ない! それに私は……(これからお尋ね者になるかも……)」

「ふん! あー顔が痛ぇ! 唯一自慢出来る持ち物なのになあ、俺の」


 わざとおどけているのが見え見えだ。……見え見えだけど、


「……(ずる)い………」


 笑おうとして顔が崩れる。


(二年……流したことなんて、無かったのに)


 フイ、と焦った様に後ろを向いて彼が言う。


「下行って顔洗って酔いを覚ましてこいよ」


 頷く。流れた水が数滴ポタポタと床に落ちる。


「あー。水は飲んでもいいが酒は飲むなよ」


 おどける下手くそな道化師に、無言で勢いよく腕を振った。彼のみぞおちに、まともに入った感触がした。


      ◆  ◆  ◆


 昼が近づくにつれて、広場に向けて人が集まり始めていた。

 ゆっくりと。だが、膨大な数の人々が。

 通りに客が居なくなり、市の売り手達も空を仰いで両手を上げ、それならと広場に足を向ける。

 会場はまるで街の人間全てが集まったかの様だった。本当にそうだったのかも知れない。そしてそのとてつもない熱気の中、ついに祭りのメインイベントが始まった。


 タララララララララ


『お集りの紳士淑女の皆様方! 暑い中、足をお運び下さりありがとう御座います』


 小気味よい小太鼓の音と共に、口上係の小男が、蝶ネクタイを引っ張り引っ張り喋り始める。

 立っているのは、落ちたら大けがをしそうな程高い舞台の上だ。


『御注目下さい!!』


 キンキン声の癖によく響く。万を越える観客が小声を残して静まり返る。小男はそれをゆっくり確かめた後、胸を張って息を吸った。


『これより皆様お待ちかね。第97回アプルウェーファ祭メインイベントを始めます! さあさぁ美しき奴隷たちの登場です‼』

 

 パンッ パパンッ

 う わ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ 

 同時に、声と共に上がった花火をかき消す程の歓声が上がった。

 小男は、まるで自分が歓声を受けているかの様に優雅にお辞儀をして言葉を継ぎ、そのまま幕内に退場する。


『セリに御参加なさる皆様も。参加なさらない皆様も。存分にお楽しみ下さい! さあ始まります。これが今回の商品、1番から21番です! ご覧下さい!!』


 そして幕が上がり、首に輪を、手足に重り付きの枷をつけた半裸の女性たちが姿を見せた。


(ああっ姫! (レン)姫様っ‼)


 蒼星たちは今、舞台左寄りの中段の位置に立っている。そこからは、丁度目の前に姫の姿を見て取ることが出来た。

 あまりの仕打ちに、蒼星は唇を噛む。


「なるほど。あれが蒼星、アンタのお姫さんか」


 アリアムの呟きに振り返り、横顔を見る。


「……分かるのか?」

「一目瞭然じゃねぇか。見てみろよ、あの堂々とした態度。あんな格好でよくもまあ……。凄ぇ心力だぜ。他の娘たちとはえれえ違いだ。……まあ、あっちが普通なんだけどな」


 その女性は、重りを付けられているとは信じられない程に、ピンと、真っ直ぐに立って観客達を睨みつけていた。その姿は美しさと同時に、つい目を逸らしたくなる程の威厳と気品を持ち合わせていた。


「当たり前だっ。大臣の裏切りに合うまでは、一時は東方に楓宋国ありと(うた)われた国の姫君だぞっ。それに剣の腕前もかなりのもの……だったんだ」

「なるほど、道理でね」


 素直に感心するアリアムの横で、蒼星は震えていた。喜びで。


(変わって……無かった。変わって無かった! 必ず。必ずお助けします……蓮姫っ)


 だが。蒼星は気付いていなかった。

 蓮姫が目の端で自分を見つけていたことに。

 そして。それでもなお、瞳の色に変わりがなかったことに。

 蓮姫は今なお、会場全てを睨み続けていた。心の底から。

 全てを。


        ◇ ◇ ◇


「さて。姫さんの番は一番最後のようだし、座ってようぜ?」


 初めの顔見せが終わり一旦幕が下りていた。会場が落ち着いた頃合いをみて、アリアムが口を開く。その言葉に頷き、階段になっている通路に座る。空いてる椅子は来た時には既に無かった。


『はいこの奴隷は掘り出し物ですよ! 炊事家事その他、思いのまま! それでは500ウルグから~』


 次々とセリが行われて行く。進行に滞りは無い。


(見覚えのある娘も、何人かいるな……)


 城が落ちた後、売られたか。同じ様に逃げる途中を襲われたか……。しかし。


(いずれにせよ、彼女たちに割ける金の余裕など、無い……)


 目を逸らせ、心の中で手を合わせる。彼女たちの買い手が、少しでもマシな人間なのを祈るばかりだ。


「……済まない」


 蒼星の呟きにアリアムが振り返る。何か言おうとして口を開くが、そのまま閉じる。

 ポン

 ただ、軽く背中を叩く。

 蒼星は半分だけ顔を向けて、小さく笑った。

 そして、時が過ぎた。


      ◇  ◇  ◇


「次だぞ」


 アリアムの声に顔を上げる。


『さあ! それでは皆様お待ちかね! 今年の目玉、今は亡き楓宋国の姫君の登場です!! その名は……蓮姫です!!!』


 う わ ぁ ぁ あ あ あ あ あ あ あ あ あ ! ! ! ! ! 

 口上係の声と、それに倍する歓声。

 耳を押さえながら見回すと、さっきまで見当たらなかった飾りの付いた御輿が、二十近く会場を囲んでいた。


(クッ。あの老婆の言葉にウソは無かった訳か。……亡者どもめ……)


 嫌な汗が滴り落ちる。


(だが。たとえウソの金額を提示してでも! バレた時はその時だ!)


『ではっ、この商品は特別に一万から‼』

「一万五千!」

「二万」

「三万二千」

「四万だ!」


 セリ値はうなぎ登りに上がって行く。


「おい。こっちも参加するぞ」


 蒼星は頷いて立ち上がり手を上げた。


「五万‼」


        ◇ ◇ ◇


「十二万三千!」

「十二万三千二百!」


 始まってから二十分。セリは続いていた。

 声を上げる人数は変化ない。が。提示される金額の上がり幅は少なくなっている。蒼星の顔色は、あまりよくない。


「おい。あとどれくらい余裕があるんだ?」


 アリアムが聞く。


「…………………」


 返事の無いことが、こちらの形勢の不利を如実に物語っていた。


(クソッ、なぜ誰も降りようとしないんだ!)


 ここまでとはさすがに思っていなかった。別に姫、というステータスを侮っていた訳ではないが。


(甘かったということかっ)


 そしてそこで、蒼星が必死で、体すら売って集めた金が尽きた。


『そちらの方。もう一声ありませんか? 負けをお認めならお座りになって下さい』


 震える。ガチガチと歯の根が止まらない。


(まだ……まだだ!)


 顔を上げ、蒼星が持ち合わせていない金額を答えようとした時、横から声が上がった。


「十三万!」


 お お お お お お ぉ お お お 

 久し振りにいっきに上がった金額に、観客がどよめく。

 そしてそれは、蒼星も同じだった。


「アリアム⁉」


 目を見開く蒼星に、パチン、と片目を閉じてアリアムは答えた。ターバンの上から頭を撫で、


「よく頑張ったな。こっからは任せな」


 そう言って前を向く彼の姿が、変わっていた。いつの間に被ったのか、そしてどこから出したのか、きらめく帽子から垂らした飾りで顔を隠しているアリアムは、雰囲気すらも変わっていた。


「ここからは私が引き継ぐ。問題は無いな」


 進行係に尋ねる。大声ではないのに、全ての人に聞こえる声が会場に響き渡る。


『は、はい。ルール上、問題はありません』


 口上係が気圧されている。目の前に、堂々という言葉の意味がそのまま立っていた。いつもの軽さは微塵も感じられない。存在感に圧倒されて、さっきまでよどみなく進めていた進行係が、初めて吃った。


「アリアム……あ、貴方は……一体………?」


 助かった。その筈だ。


(なのに、なのに……どうして……?)


 何故だか、アリアムという人が遠くに、行ってしまったみたいに感じた。


      ◇  ◇  ◇


───そこに居た全ての人々が、いままでの二十分が一体何だったのかと思っただろう。

 それ程までに劇的だった。次にアリアムが、


「二十万」


 とそう言った後、残ったのはただの二人。アリアムと真っ白なマントを付けた少年のみ。全ての金持ちが悔しそうに勝負から降りた中。それは、不思議な光景だった。

 輿(こし)にも乗らず、共も連れていない若者たち(しかも片方は少年)がセリ合っている。

 向き合う。

 共に、目立っていた。広大な客席の中かなりの距離があるはずなのに、それを感じさせないほどに互いの視線の強さが届く。

会場中がそれに気づいて固唾を飲んだ。

二人とも、飾り付きの四角い帽子をかぶっている。薄い飾りが二人の顔を隠していた。だが、そこにいた全ての人が天啓のように理解した。この二人は互いに憤怒を殺してにらみ合っているのだと。

 そして、不思議なかたちの決闘が幕を上げた。


「三十万」


「四十五万」


「五十万」


「六十万」


 二つの静かな声が交互に響く。

 それ以外の人間は凍ったまま動けない。桁が、違う。

 汗がべたつく。砂漠に生きる人々は、生まれて初めて寒い、という感覚の中にいた。

 そしてそれは、蒼星も同じだった。


(怖い)


 そう、怖いのだ。この二人は、蒼星が二年間かけて命懸けで貯めた金額の、ほぼ同じ額を一声で上乗せしてしまう。そしてまだ勝負は始まったばかりなのに、もうすでにその金額の五倍、なのだ。


「八十万」


「百万」


「百二十五万」


 さらに加速する。


『あ……あ………』


 口上の進行係が座り込んだ。腰を抜かしたらしい。彼ですら、聞いたことも無い金額なのだろう。普通の人間が普段、夢物語ですら考えることもしないその桁数。そして、

 永遠かと思われた三分が過ぎ、決着はついた。勝者は、アリアム。負けた少年はしばし黙し、ふぁさ、とマントをひるがえして出口へと消えた。


【三百三十万ウルグ】


 勝利者が提示した、最終的なセリ値である。


        ◇ ◇ ◇


 誰の声もしない。咳すらしない。この場所には本当に万を超える人間がいるのだろうか?

 ぱち……ぱち……

 どこかで小さな拍手が起こる。

 我にかえった進行係が自分の仕事を思い出し、叫ぶ。


『さ、三百三十万でそちらのお方に落札致しましたあ!!‼』


 全ての金縛りが解け次の瞬間、その日最大の大歓声が会場を貫いた。


 蒼星はまだ固まっていた。

 その瞳に、周りの人々にもみくちゃにされるアリアムが映る。帽子を被ったまま、肩や背中、頭などをバシバシ叩かれながら、その顔は勝負に勝った喜びに満ち溢れている。

 だが、蒼星は、そこに加わることができなかった。

 自分を手伝ってくれたというのに。

 蓮姫を取り戻してくれたというのに。

 嬉しそうにこちらを向くアリアムに、全身がビクッッと震えた。


(ちが……う。ちがう……)


 この三日間、一緒にいた気さくな男を思い出す。

 同じ部屋で過ごした。一緒に酒も飲んだ。笑い、けんかもした。そして、自分を心配して不器用になぐさめてくれた。……だが。


(やっぱりこの人はこの国の人間なんだ……)


 金持ちがどうとか、そういうことではなく。

 アリアムが怪訝(けげん)そうに自分に手を伸ばすのをみて、ゆっくりと後じさる。


「アリアム……そんな誇らしげな顔、しないでよ……貴方も、同じなの? あの時襲ってきた男たちと……同じ種類の人間なの?」

蒼星(ツァンシン) ?」


 名前を呼ばれて、はじかれる様に背を向けて走り出す。


「蒼星‼」


 伸ばされた手につかまれてターバンがほどけて広がる。

 その下から腰まで伸びた黒髪が溢れ出し、驚いてアリアムは足を止めた。

 一瞬後、ハッと気づいて追いかける。だが、人込みをかき分けて会場を出た時、すでに大通りから蒼星の姿は消えていた。もう一度走る。

 十分後。裏通りで立ちつくすアリアムがいた。


(何故だ! なぜ逃げる! 蒼星‼ 俺はただ、喜んでもらおうと……っ)


 手にしたターバンを見る。目の前に広がった美しい黒髪を思い出す。


(蒼星……君は………)


 ぎゅっ、と握りしめたその時、


「兄上」


 路地の出口から声が聞こえた。

 振り返ると、真っ白なマントをなびかせて、先ほどの少年が立っていた。


      ◇  ◇  ◇


 蒼星は走っていた。どうしようもない思いに駆られて走っていた。

 そして走りながら、自分が今蓮姫のことではなく、アリアムのことを考えているのに気付く。

 頭の中から、先程のアリアムの誇らしげな顔が消えてくれない。

 自分にあれ程優しくしてくれたアリアムでさえ、そうなのだ。

 今買い上げようとしていたのが、蒼星の大切な人だと知っていながら、誇らしげな顔で笑うのだ。


(イヤだ……こんな国……。こんな所、もう一秒だって居たくない……。馬鹿野郎!)


 せめて、彼が手伝ってくれると言ったあのときの声の優しさには、嘘はなかったと思いたかった。励ましてくれたあの言葉に嘘は無いと思いたかった。


(この二年間、あんな風に優しくされたことなんてなかったっけ)


 蒼星は、今更ながらにはっきりと自分の気持ちに気付く。


(ふふ、こんな、逃げた後で気付くなんてね……)


 悲しかった。

 まだあのときの、セリに勝ったときのアリアムの顔が浮かんで消えてくれない。


(人を売り買いする場所で、あんな嬉しそうな顔などして欲しくなかったよ……やっぱり、アリアムは私とは違う。あいつらと同じ種類の人間だ‼)


 蒼星は走った。自分に残されたもの。この二年間の目的、約束を果たす為に。

 自分だけの力で。

 そして会場の裏手に出た。


「な、なんだ!? なんで女がここにいるんだ! グアッ」

「おい! お前何やって……ギャアッ!」


 勢いのまま見張りにいた大男二人を切り倒し、楽屋裏に入り込む。


「わあ! ああ、あああ!!」

「きゃぁぁああああ!!」


 悲鳴を上げて逃げ惑う男女をかき分けて一番大きなドアを蹴倒して飛び込んだ。

 その部屋には、団長とおぼしき男と蓮姫が、机を挟んで立っていた。しかし。


「蓮姫!……?」


 こちらを見る顔に表情が無い? だが、訝しんでいる暇はない。


「だ、だれだお前は!」


 ダンッ、と一飛びし男の喉を切り裂いて振り返る。後ろで重いものが倒れる音がする。部屋中に、噴水のような音と共に鉄の匂いが充満した。


「蓮姫! 約束を果たしに参りましたっ。さあ、蒼星と一緒に逃げましょう‼」


 蓮姫はその全てを眺めた後、蒼星の言葉にゆっくりと振り向き、駆け寄って抱きついた。


「……遅いよ………」


 か細い声。それでも助け出せたことに安堵する。


「蓮姫……申し訳ありませ……う!? ……うあ……あぁあああああっ」


 抱き返そうと姫に手を回してのけ反る。

 背中から、鋭いナイフが生えていた。さらにズブズブと沈んでゆく。

 背中に回した手の中で柄を握っているのは、


「あ、あは。……遅すぎたの。遅すぎたのよ……蒼星……」

「れ、れ……ん……姫、な……ぜ……?」


 その問いには答えず、抱きついたまま華の様な微笑みを浮かべ、蓮姫は握るナイフをグルリと回す。


「!! ……っ……っっ……………」


 声もなく、音もなく。蒼星は崩れ落ちる。

 その手に何を掴もうとしたのか。力なく宙を握ったこぶしが落ちた。


「あっあは、はっはははっ、あはは、ははハ、はははははははははははははははは」


 ナイフを抜き、広がる血溜りの中で。

 蒼星を刺した蓮姫は、いつまでも笑い続けていた。



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