第十九話 『追憶2〜空に咲く花〜』
「オレは国を創るんだ」
男は常にそう言っていた。
世に言う英雄譚に讃えられるような人間なんていやしない。それは御伽噺にしか存在しない生き物だ。特に、この砂漠化が極限まで進んだ終わりに向かう世界において、そんな馬鹿みたいな夢など抱いても一体なんの意味がある?
何度もそう反論した。何度も平行線な議論を続け、そして取っ組み合いの殴り合いになったことだって何度もあった。
それでも、何故だろう。どれだけ否定しても、どれだけ罵り合おうとも、彼が言うと、いつか本当になるような気がした。
彼なら、そいつならいつか本当にできるような気がしたんだ。
殴りあった腫れぼったい顔で、翌日にはあっけらかんと笑顔で飯に誘うその男には、それだけの魅力が確かにあった。村を飛び出したそいつと一緒に村を出たのは、無気力な村人たちに自分も愛想をつかしていたということもあったが、そいつの手助けになってやりたいと無意識に思っていたことも本当だった。
絶対に本人の前で認めてなどやらないが。
それから色々な街を巡り、雑用まがいのよろず事請負みたいな仕事を続けながら僅かずつ金を貯めた。
途中ミリアムに出会い、オリビアに出会い、ハタムに出会って幾つかのいざこざの末仲間になった。
そして数年。己たちは上手くやっていた。
上手くやっていたと、思っていたんだ。己たちは……
「おい、仕事を取ってきたぜ!」
アイリオスが大声でそう言ったのは、己たちが宿屋の食堂で早めの夕食を取っていた時だった。
いや、まだおあずけされた状態で唸って料理を眺めていた時と言った方がより正しい。
湯気の上がるまん丸と太った白身魚の蒸し焼きと、麦粉をまぶしバターとオリーブ油で炒めた、琥珀色に艶濃く染まる赤金鳥の胸肉のソテー。熱々の、色とりどりの海草入りのコーンスープと、主人のコルネオお勧めのコルネオサラダの山盛りの皿。そしてじゅうじゅうと肉汁焼ける音がするヨダレの垂れそうな匂いで誘う砂焼豚の丸焼きと、キラキラ光を反射して存在感を主張する、最上等のブドウ酒10本入りの専用ラック。大きめのテーブルが一杯で端から落っこちそうなご馳走の山。
さらに全員の両手には、冷えた泡あわのエールを注いだ大ジョッキが、今か今かと乾杯を待ちわびながら握られている。
街に帰り着いた祝いと懐の温かさが為せる、たまの贅沢というやつだ。
サバンナの入り口からほんの少し森に入ったところの昔ながらの港町ムンライ。大陸一と名高いシェスカの港にはかなうべくもないが、それなりに活気のある良い街で、己たちの拠点のひとつでもあった。ここはその裏路地にある常連の宿、コルネオの息吹亭の賑わう時間の酒場の一角。
だが、そんな料理を前にして、仲間の機嫌は半端なくどん底に悪い。周りの盛り上がりがボルテージを増す度に、余計に機嫌の悪さに拍車がかかる。じと目で両側から睨まれて己がカエルの様に縮こまっていたそんな時。
宿屋の入り口をドカンと開けて、そのままヅカヅカと音を立てて歩いてくる男がいた。アイリオスだ。
いつもなら大きな音に口をへの字に曲げる宿屋の主人にヘコヘコちゃんと謝るのだが、今日は無視してテーブルまで直行する。懇意にしている宿屋の主人のへの字口が大きくなった。
申し訳ない……後でフォローしなくてはいけないな。
「おいって、仕事を取ってきたっていってるじゃねーかよ」
ニコニコしながらも威圧的にテーブルを叩いて席に座る。……他の客がジロリと睨んだのが目の端に見えた。
すみません申し訳ない。
「……アンタねえ。最近いつもに増して横暴じゃない? 人の上に立ちたいとかほざくなら、ちょっとは人に気を遣うことも覚えなさい。いつもなら出来ていたはずの事でしょう? というかね、いつまでエサを目に前にした飢えた狼たちを待たせるのよアンタは! わたしが代わりに襲われでもしたら、一体全体どうしてくれる? そこんところの慰謝料の検討はさっき頭の中で済ませたから、こんこんと延々説明してほしければしてあげましょうか?」
後半違う話になってるぞオリビア。震えてこっちを怯えて見るな。何回目のやり取りだこれ。その割に、演技が堂に入っているのはどういうわけだ。演技だよなそれ?
「そーだそーだ! 横-暴だぁ!」
見事にセリフの後半をスルーするスキルには見習うところは多々あるが……ミリアムお前は料理から目を離しこちらを向いて喋らんか。
魚に突き刺すはずだったナイフを振りながら、テーブルに頬杖をついてオリビアがさらに追加して悪態をつく。フォークを振り回すミリアムも同様だ。さあこれから食べようとしたら、いつまで経っても一人が来ない。その為、せっかく湯気の上がる豪勢な作りたてを目の前にしてオアズケされた女性陣は、だから余計に容赦ない。気持ちは分かる。
「なんだとぅ!? せっかく割りの良い仕事を取ってきてやったってのに、そんな言い方はねえだろう、そうだろうコールヌイ!?」
「……こっちに振るな」
「あ、ひでぇ!」
「人の所為にしてんじゃないのよさー! 冷めちゃうじゃんせっかくの食事がせっかくの温かいお食事がー!」
カチカチカチ。コップが割れそう。
「とにかく! さっさとあそこでプリプリしてるコルネオ親父に謝っていらっしゃい。その間に私たちは食事を始めておいてあげるから」
「おまえら、その程度の食事がおれの話よりそんなに大事か……」
「あったり前じゃないのさ! てかその程度言うな。あんな砂漠からようやく戻ってシャワーを浴びて始めての食事だよ? ちょっとだけ多めに稼いだご褒美に奮発して予約までした料理だよ!? 大事じゃないとかどこの口に言わせよーってのさアンタわさ!」
「もういい、もう謝ってきた」
怒鳴りあっている仲間を尻目に、己はさっさと宿屋の主人に頭を下げてチップを渡し戻っていた。周りの客にもエールを軽く一杯ずつ。下がっていた活気が戻り次々に歓声が上がってゆく。
「素早!」
「コールヌイ! アンタがそーやって甘やかすから!」
「どんな仕事だ。冷める前に食事をしながら話を聞こう」
ひとり冷静なハタムが冷静に話を戻してくれた。相変わらず助かるやつだ。本当に頼りになる。仲間になってくれて感謝するよ。
見ると確かに湯気が少なくなっている。気付いた皆が一気に食事に専念しかき込み始めた。豪勢な料理に相応しい食べ方とも思えないが……まあ良いだろう。
「ってお前は先に食べてるなよ!」
「んん? すまん、何か言ったか」
アイリオスが口に何枚もソテーを頬張ったままこちらを向いた。
……己も食事をしよう。
「ええええええええええーーーー?! また砂漠ぅーーーーーー!?」
ミリアムが大声を上げたが、今回はそれを咎めようとは思わなかった。全員同じ声を上げたいくらいだったからだ。
前回の長期の依頼で往復一ヶ月半近く砂漠に行っていたというのに、また次の依頼も砂漠とは何事か。さすがに女性陣の言い分はご尤もというものだ。
「そう言うなよ。今回はまたでかい依頼なんだって」
ニコニコしながら女性たちの痛い視線をどこ吹く風で跳ね返す。その面の皮だけなら一級品だ、本当に。
「で、どこの、何の依頼だっていうんだ?」
仕方なく話を促す。このままではいつまで経っても進まない。
「おう、それがな!」
アイリオスの話は、次のようなものだった。
砂漠の中央部、と言っても十km程離れた場所に大きな川があるからそこまでは船で行けるから、わりあい近く感じる場所だと言うことだが。
その場所で、新しく開拓民の一団が井戸を掘り当てたということだった。ただ、その場所はすぐそばに別のオアシスがあって、そこに住み着いている水晶の民と呼ばれる集団から、色々苦情を受けて困っていると言うのだそうだ。
まあ、オアシスの近く、数キロ隣で井戸が沸いたらそれは、オアシスが枯れないか心配にもなるだろうな。
そこで、用心棒を兼ねた交渉人として、数人の人手が欲しいとのことだった。
「用心棒なら俺たち全員戦えるから当てはまるし、コールヌイやオリビア、ハタムも口が立つから交渉人として弁も立つだろ? 俺たちに適任な仕事じゃねえか! なぁ?」
……ふむ。悪くない仕事かもしれないな。アイリオスが取ってきたにしては、意外に存外悪くない。ハタムもあれで、交渉だけは口数がちゃんと増えるのだ。……お前はいつもそれでいろよ、と。その都度全員の意見が一致するが。
「仕事料も弾むっていうしよ、何より井戸があれば水も使えるし、受けてくれれば優先的にシャワーも使わせてくれるし飯も食い放題って言うしさ。仕事がない時には、近くの、と言っても歩けば一時間ほどはかかるらしいが、川で魚釣りもできるらしいぜ?」
どうだ? と言わんばかりに身をせり出す大男に、仲間もふぅむ、と腕を組んだ。
「危険の度合いは?」
ハタムが質問する。こいつは本当に出来のいい仲間で泣けてくる。そう、確かに条件は破格だが、危険手当込みかもしれない。それは検討しなければいけない要素だった。
「危険、は無い。ほとんど無い、ということだ」
……妙に歯切れが悪かった。それは全員が感じたようだ。
「……」
場にしばし沈黙が下りる。だが、こいつが嘘を言って何か得をするとも思えないしな……だが。
「騙されて無いよね、アイリオス?」
ミリアムが念を押す。そう、それが一番心配だ。
「んな訳ねえじゃねーか! ちゃんと信用のおける仲介屋からの仕事だぜ? それに、たとえ騙されていたとしても俺たちなら何とか切り抜けられるし、何より俺たちを騙してそいつらに何の得があるってんだ? 金持ちならともかくよ」
もっともな話だ。つい2ヶ月ほど前ならな。
「いまのあたしら、小金持ちなんだけど?」
そう、先日の依頼で、半年はつつましく暮らせるだけの金を得ている。危険のあるかもしれない仕事を無理にやる必要など無いのだ。
「だけどよ……」
食い下がるアイリオス。そこへ、ハタムの声が静かに響いた。
「隠している事があるなら、言った方が良いと思うぞ」
「!」
言いにくい事をズバリと言ってくれた。頼りっぱなしで申し訳ないなハタム。
「そうだ。己たちは仲間だ。仲間には秘密は無しだアイリオス。そいつを話さないのなら、この仕事はキャンセルしよう」
「……」
「……」
己とアイリオスが睨みあった。女性陣が口に飯をかき込みながら固唾を呑んで、仕事を終えたハタムは我関せずとお茶をすすった。
しばしの無言。
「……ふう、分かった、降参。話すよ話す」
「……だったら最初から話しなよまったくもー」
ミリアムの安堵の小言が後に続いた。
五日後、翌日すぐに船に乗った己たちは、川をさかのぼり例の新しい井戸の近くで船を降りた。
ここからは、砂上ヨットだ。定期便はまだ無いが、かなりの人数で開拓している一団らしく、川までの往復手段も確保しているようだ。さすがに魚釣や遊びの時は出してはくれず、歩きだそうだが。
風が上手く吹いてくれたらしく、砂上ヨットが全速で動いてくれ、最短時間で砂漠中央付近まで来れたのは僥倖だった。
あの後、アイリオスの告白を聞いた己たちは、苦笑しながら相談し、今回の仕事を引き受ける事を選んでいた。
曰く、危険はある。妨害の中には、人を傷つけるものも多数存在する。そして期間が分からない。井戸を掘り当てたはいいが、そこにオアシスなり村なりをちゃんと作るためには、最低数ヶ月の時間がかかる。その間ずっと居て欲しいということだった。
その代わり、報酬の金銭以外にも井戸の掘り方についてなどの門外不出の技術を教えてくれること。そして、そのアプルウェーファという一族は、砂漠の向こうの山麓の緑の国に連なる一族であり、その国の要職に就いている親戚に紹介状を書いてくれる、という特典つきだということだった。しかも希望する者全員分だ。
「まあったく。国を創るとか、人の上に立つとか、まあだ本気で考えていたってのが笑えるよねえ。しかもあたしらに内緒にしてさあ」
「だよねー。内緒にする必要はなかったよねー?」
ジロリジロリと睨まれる大男が背筋を丸める。
「し、仕方ねーじゃねーかよ。からかわれるのは分かりきってるし、でも、俺以外には興味ねー話だと思ったしさ……」
照れる大男は気持ちが悪い。そう口に出したら裏拳が飛んできたので逃げ回った。笑いが跳ねる。いい傾向だ。やはり、なんだかんだと言いながら、仲間の夢は後押ししてみたいと皆が思っているのだろう。
まったく、本当に内緒にする必要はなかったんだと理解しろ、バカアイリオス。
「……」
道中ハタムだけが無言だった。
だが、この男が必要な事以外では無口なのはいつもの事だ。己はそう考えていた。
「見えてきたぞ」
目的地の開拓民の村は、もうすぐだった。
空には花が咲いていた。前回オアシスでウレーネを見上げてから、半月以上が過ぎていた。
花の雲がひっきり無しに空の彼方を泳いでいた。
もうすぐ花の降る季節だろうか。
開拓民の村での生活は楽しかった。
確かに妨害はあったが、井戸はもう出来ているのだし、そこまで危険な妨害自体がほとんど無い状態だった。
魚釣りも楽しんだ。
開拓民の子供たちとも親しくなった。
たまにハタムが意外な特技の手品を披露したり、己が村に伝わる踊りを披露して笑われたり(何故だ?)、オリビアが村の女たちに化粧のやり方を教えたり、アイリオスが昼寝したり、ミリアムが騒いだりして時を過ごした。
水晶の一族との交渉も幾度となく行われた。そちらの進展は芳しくなかったが、それでも不穏な雰囲気は皆無だった。己たちは、ほとんど始終笑顔で過ごした。
とても楽しい時間だった。
とても気持ちのいい日々だった。
空には村に来た時と同じく花の雲が漂っていた。
そして、瞬く間の一ヶ月が過ぎ去った。
今年はいつもの年より花の降るのが遅れていた。
もう花の月は過ぎ去って、とうに葉の月も半ばを過ぎていた。
それでも花はまだ降らない。
何かを待っているかのように舞い散る花が遅れていた。
空の花の雲たちが、静かにどんより煙っていた。
第十九話 『追憶2〜空に咲く花〜』 了.
第二十話 『追憶3〜空に舞う花〜』に続きます…




