第十八話 『追憶1〜彼方の刻〜』
ここから、過去編です。
この話から、毎回、20時更新に変更します。
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晴れ渡る空に花の群れが舞っていた。
文字通り、集まる花が創る雲が砂漠の空に所狭しと浮かんでは、ゆっくりと雄大に流れてゆく。
この星特有の花、【ウレーネ】だ。
この浮かぶ花は空で咲く。いや、空でしか咲けないのだ。
砂漠が世界を覆いつくすこの星では、一年のうち完全に晴れ渡る日は僅かしかない。陽光自体が強烈なのでそうとは気付けない時もあるが、上空はるか、漂うミクロの砂靄が、天然の蓋や簾になり替わり日差しを隠す。降り注ぐ歯抜けの波長が特定の植物のみを選別し、その他を芽のまま枯らしてゆく。それら以外を育てるだけの、必要なだけの量の光を与えてくれる場所や時間が限られてゆき、時代が経るに従って、次第に世界の可能性を狭く狭く囲ってゆく。
そう、あまりに多すぎる砂が覆い尽くしてしまったこの世界の地上は、既に、一番大切な部分の光のスペクトルを失ったまま久しかった。大量の植物を養うだけのエネルギーの無い、薄い世界。それが今のこの星の紛れもない真の現状。
この400年で絶滅してしまった動植物は数多い。世界を造る櫛の歯が一つ一つとまた抜ける。動物だけではない、植物すらも、星特有の生き物全てが自分たちの種族の未来に諦めの視線を向けて、黙して滅びを受け入れている。そんな風に思える程に、年々生き物達が種族ごと幾つも幾つも消えてゆく、そんな黄昏の砂漠の時代。
だが、この花【ウレーネ】だけは、違っていた。自らの力で滅びに向かう世界に抗い適応し、数を増やした唯一の種。自然が力を貸したとしか思えない程、奇跡に近い短い期間で自ら空を味方につける進化を遂げた。そんな花だ。
瞬きの間の雪の季節が終わりを告げて、雪解け水が山を、地下を濡らし始める春先の頃。点在するオアシスのあちらこちらで熟した花の種たちは、ぱちんと弾けて飛ばされる。空へと高く舞ってゆく。大量の花種子で膨大に膨れ上がったウレーネの茎、そこにこの季節特有の強い西風が当たることで、爆発的に爆ぜて跳ぶのだ。ゴム状の茎の反動により舞い上がった花種子たちは、自らが分泌した綿を身体中に纏わせて、季節風に運ばれ空へ。高く高く、漂う砂の届かぬ虚空へ雲を越えてもっと高く。薄暗い砂の大量に舞う季節ですらも、太陽の恵みを受けられるだけの空の高みへ昇ってゆく。
雲を越えた種達は風に乗り見知らぬ土地を、砂の大地を見下ろしながらも勇んで目指す。
そうしてそのまま雲を見下ろすその場所で、花種子から直接咲かせて光を浴びる。そしておよそ一月もの間、そのまま空中を漂うのだ。
その一ヶ月の間、砂に邪魔されぬまま高空で陽光を蓄えた花たちは、実種子を栄養で膨らせたのち役目を終え、そして見事に散ってゆく。花の散った実種子たちは、ハラハラと、次第にしぼみゆく綿を散らしながら大地に降り行き、降りた先でしっかりと根を下ろすのだ。大量の花びらと綿の雨、吹きすさぶ花の嵐に守られて。
しかし大地を覆い尽くすほどの種子たちも、その殆どが不毛の砂漠に降り注ぎ、発芽する事なく死んでゆく。
それでも、わずかにオアシスや山の上に降りることのできた幸運な種子は根を広げ、蓄えた陽光の全てを使い新たな花種子の山を産む。
体内で来年の花の種を育てながら、もはや地上で花の咲くことの無いその植物は、次の季節風の吹く季節までおよそ11ヶ月もの間、乾季も雨季も耐えながらじっと根を張り続けるのだ。
新たな命、空の花を守りながら。
彼らは自ら先鋭的な進化を遂げた種族だった。自らの過去も未来も受け入れて、受け入れたまま変化も容認した固有の種。それが革新なのか、袋小路なのかは判らない。それは後世の、いつかの未来でしか解らない事だ。だが、他のものたちができない事、しなかった事をやりきって、そして変化をつかんだ事だけは、確かなことなのだった。
空を埋め尽くす花弁の舞う、その数日を含む一ヶ月間。
その壮大な景観が広がるその月を、人々は畏敬を込めてこう呼んだ。
【花の月】、と。
今年も上空遥かな空の中を、無数の花たちが舞い上がり始めていた。
(そうか。もう、そんな季節なのか……)
若者は、砂丘の上でまだらに影を落とす花雲の群れを見上げて呟く。
「コールヌイ!」
己の名を呼ぶ声がする。前方をゆく商人組合のキャラバン(隊商)からだ。
数日前、彼と仲間はそのキャラバンの護衛を引き受けて、ここまで旅をともにしたのだ。この先半月ほどかけて、彼らは目的地まで共に随行することになる。
「ねえったら、もう! なに馬鹿みたいに惚けているのよあんたはもぅ。花の月のウレーネの群れなんて、今の季節には珍しくも何ともないでしょーに」
近くまで寄ってきた背が低くしぐさも子供っぽい女性が、彼を仕事に戻そうと懸命に服を引っ張り悪態をつく。
ミリアム・フィリオネア。彼の仲間の内の一人。
自分と彼女、そして、アイリオス・オラネウス、オリビア・ハーベスト、ハタム・ナッガンの3人を含んだ5人が、今の彼の仲間の全てだった。
大切な仲間たち。彼ら、昔馴染みのアイリオス以外の仲間とはみな、旅の途中で知り合った。初めは対立したこともあった。中には最初敵だった者もいる。だが、共に旅した時間の全てが少しずつ彼らの意識を変えてきたのだ。
既にパーティーを組んで三年が過ぎ、今では5人は最高の仲間。少なくともコールヌイはそう思っている。
「ほら! 皆待ってるわよ。ぼうっとしてないでさあ、歩いた歩いた!」
キャラバンは先ほどよりもずっと前方に進んでいた。ラクダたちの傍から心配そうな顔で、残りの仲間たちがこちらをチラチラ眺めている。
「分かった分かった。おいミリアム、背中を叩くな、あまり服を引っ張るな。ターバンも駄目だ。おいコラって!」
小柄な女性、ミリアムに、見た目からは信じられない意外に強い力で引っ張られながら、コールヌイは苦笑しながら足を速めた。
「ふぃー、つっかれたー」
ドカっと大きな音を立て、大柄の仲間が椰子の木の根元に腰を下ろす。
アイリオスだ。パーティの中で一番の巨体を誇る。ついでに美貌も。まったく羨ましい限りだ。性格は良い意味で大味だが。
「ようやく次のオアシスかよぉ。ったく、せっかく金が入ったってぇのに、使える街まで後どれくらい歩けばいいってんだ」
今朝方、キャラバンが目的地のオアシスに着いた。彼らの引き受けた護衛はその場所までの契約だったので、そこまでの給料を貰い、彼らはまた仕事を求めて元の街に戻るところだった。
「仕方ないんじゃない? ま、誰かさんが行き先も調べずに仕事を請けるからこうなるのよ」
そう言って泉の水を飲んでいるのは、オリビア。このパーティいちのボディを誇る女。といってもこのパーティには女性は二人しか居ない上に、残る一人は発育不良なのだが。
別名、【情熱の女】。本人の弁だ。
彼女はこの仕事中、ずっと機嫌が悪かった。多分、砂漠越えの間は、自慢の肌を表に出せないからだろう。砂漠の奥地では厚着しなければ、単なる日光だけで火傷しかねない。砂雲や花雲で可視光が少ない時でも有害な紫外線だけは大量なのだ。空を覆う砂の群れも簡単にそれは透過して、肌の深部に到達し潤いの元を壊してゆく。ついでに顔も覆わないと、灼熱の可視光と紫外線の照り返しで、視力がどんどん落ちてゆくことになる。
だがそんな理屈などお構いなしに、コールヌイは嘆く仲間に苦笑する。彼女だって、そうしなければいけないこと位理解しているだろうに。見せ付けるのが好きな女だからな。
「仕方ねえじゃねーか。どうせ仕事もなかったんだ。それに結構な稼ぎになったろぉ?」
アイリオスが幹からズルズルと寝転がる姿勢に移行しつつ、笑いながら手を振った。あくびが混ざる。今にも眠ってしまいそうな声だ。
「ま、ね」
彼女もそれは否定しない。確かに破格の仕事だった。砂漠越え、しかも目的地まで距離があったとはいえ、相場の2倍は懐にかなり大きかった。
「……風が吹いてきたな」
ハタムが木にもたれたまま呟く。相変わらずだ。
この男の口数が少ないのは元からだが、それだけでなく、いつも自分の思った事しか言わない。だから、親しくなるのは非常に難しい部類の人間だ。自分たちが仲間になれたのは多分、ただ運が良かっただけだろう。
だが、それでも、いざ戦闘になればこいつほど頼りになる仲間もいない。弓も槍も剣も使える上に、頭もいいときている。仲間になれた時は、皆して心底喜んだものだ。
つられて空を見上げる。確かに風は吹いてきたが……
今日は珍しくウレーネの群れが近くの空には見当たらない。砂の靄もだ。そのせいで、思い切り刺激的な陽光が、遮るものもなく降り注いでいる。
「しばらく休んでいくか」
砂嵐が来るとは思えないが、無理して体を壊すこともあるまい。なにより今は仕事も受けていない。
「おっ話せるねえコールヌイちゃん! そうと決まったら昼寝昼寝っと。……ぐう」
「早ッ……あっきれた。もう眠っちゃった」
女性陣がため息をつく。
「ま、こーなったら仕方ないかあ。あたしたちも寝ちゃおっ」
「そうね」
「俺は見張りをしておく」
「そうか? 悪いな、ハタム。次は己がやるから、疲れたら起してくれないか」
「了解した」
結局ハタムは誰も起さなかった。
疲れていないからと言っていたが……しかし、それでも起せばいいものを。
いくら体力が無限にある様なあいつでも、疲れを感じない訳はない。
(心は開いてくれているはずなのだけどな)
それでも生来の癖と性で、気を緩めることができないらしい。難儀なことだ。
「アイリオスはどこだ?」
起きた時から姿が見えない。オリビアを抜かしては、自分が一番起きるのが遅かったようだ。
「ああ、あいつはこのオアシスを探検してくると言って出て行った」
「……あのなあ」
いくら小さなオアシスだからって、何があるか分からないのが砂漠だ。毒虫も毒蛇もいるし。勝手に行動するなど、仲間を何だと思ってるんだあいつは。
「大丈夫だってぇ。あの力馬鹿がそう簡単に危険な目に遭うわけないってー」
「それはそうだが」
随分な言い様だな。嘆息したその刹那、聞いたことも無いような野太い叫びが響き渡った。
「な、なによあれっ! ……まさか」
聞いたことはない。が、誰かの声にひどく似ていた。飛び起きたオリビアも含め、己たちは全員声に向かって駆け出した。
「どうしたっ、何があったっ!?」
駆けつけると、アイリオスはボウっとしたまま立ち尽くしていた。やはり彼か。しかし、どうしたのだろう。無事そうだ。振らついてはいない。だが、どこかいつもと違っていた。いつもは大地に根を張っているかの様にしっかりと立っている奴なのに、どこかが違う。まともに立っている様に見えない。
どうしたというのだ!?
疑問を抱いたわずかの間、ちらりと木々の間に黒いマントが見えた気がして立ち止まる。……気のせいか?
「アイリオス!」
そばにたどり着き揺さぶると、彼は今気がついたというようにこちらを向いた。
「……よう、おまえらか。どうした? 雁首そろえてよ」
「いや、そっちこそ何かあったんじゃないのか? 叫び声が聞こえたが……」
アイリオスはキョトンとした顔をした。
「はあ? 何の話だそりゃ。オレはちょっと散歩に出て、ええと? あれ? どうしたんだっけかな……。悪ぃ、……寝惚けてたみてーだなー」
一同、力が抜けた。胸をなでおろしてホッとする。
「なによそれぇ……バッカみたい!」
「ったく、いい加減にしてよね、もう」
「……」
「まあ、何事もなくて良かった。それじゃあ、今夜はここでキャンプでもしよう。手分けして支度だ」
その時、ちらりとアイリオスが何かを袖の中に隠すのが見えた。小さな赫い、瓶?
「アイリオス、なあ、それ何だ?」
「な、何でもねえよ何でも。おっと、オレは火でも起すかな。先行ってるぜ!」
秘密か。まあ、些細なことだ。誰でも自分以外に言えないものは持っているものだ。己もある。だから、大した事ではない。きっと、……多分。
その後は仲間だからと何も訊かないでおいた。
少しだけ、もやもやしたものが心に残った。
その時は、何も知らなかった。知るはずもなかった。だが。
そう遠くない未来、その時確かめなかったことを、己は死ぬほど悔やむことになる。
携帯食で夕食を食べ、いつもの様に皆で騒ぎ、わずかな果実酒をあおり眠りについた。
今度は己が先に見張りをし、交代した。
……熱い。とてつもなく、熱い。火ではなく炎の熱さだった。
巨大な炎が村を燃やしていた。
月の近い夜だった。近くの林の中から赫く、光の柱が立ち昇っていた。
空からはウレーネの花が降り注いでいた。
虚空から降りしきる花弁の群れが赤々とした炎に巻かれ、次々と燃え焦げていた。
見渡すと人々があちこちで倒れていた。
その中にはオリビアもいた。ハタムもいた。
地面は炎とは別の色で染まっていた。
叫びが聞こえた。己の声だった。壮絶な光景に、訳も分からず叫んでいた。
目の前に剣を携えて男が立っている。
男は気絶したミリアムを抱えていた。
その男の剣が上がり、立ち尽くす己を突いた。何のためらいも無かった。
噴き出した血が男の顔を濡らした。笑っている男の顔を。
その顔は知っている顔。そう、とても。自分の、とても良く知っている――――
暗転
場面が変わった。闇の濃い部屋だった。
知らない少年が立っていた。
知らない青年が立っていいた。
知らない少女が捕まっていた。
知らないのに強烈に胸を突く光景だった。
闇が歪んだ。巨大な蟲が壁を崩した。
部屋が壊れて崩れていった。砂煙がすべてを覆いつくした。
また、叫び。己の声。誰かの名前を呼んでいる。返事は、返ってこなかった。
暗転
また、花が降っていた。ウレーネの花びら。
あいつが己に笑って言った。
己は血と涙を流し、叫んでいた。
暗転
廊下で誰かと闘っていた。
歳若い青年だった。
笑顔を忘れた笑顔の顔で、壊れていながら必死な顔で闘っていた。
暗転
マントをつけた少年が悲しげな視線で己の方をじっと見ていた。怒りの視線でじっと見ていた。
大量の巨大な蟲の群れどもが船を、庭を、世界を覆って猛っていた。
闇が世界を覆っていた。
それでも誰かが諦めず、誰かに向けて叫んでいた。
暗転
血と燃える肉の匂いに満ちていた。
動くものは自分以外にいなかった。こみ上げる怒りと悔やみで目が眩む。空からは花が舞っていた。
己は叫んだ。死ねなかったから……どこまでも、いつまでも叫んでいた。
「ねえ、どうしたのさ!」
揺すられて目が覚めた。……眠っていたのか。夢を見ていた。どんな夢だったのか。
……覚えていなかった。
「泣いて……るの?」
顔に手をやると、涙でぐっしょり濡れていた。む? 大の大人が。
「なんでも無い。恥ずかしいところを見せたな。悪い」
「そんなことは良いよ。けど……大丈夫なの?」
「単なる夢だ。内容も忘れてしまうような、な。心配ないさ」
「なら、いいけど」
そう、心配ない。大した事などそうそうあってたまるものか。
かいていた汗が引いてゆく。早鐘の様だった鼓動が緩まる。
顔を上げ、まだ薄暗い東の空をじっと見据える。
珍しくこの花の季節に、遠くに黒い雨雲があった。真上を見上げる。
紫色の空の中をウレーネの花が舞っていた。小さく、まだ雲と呼ぶにはかなり少ない花数で、けれどもとても、とても遠く高い場所を寄り添う様に花達が舞っていた。
(さっき、花が……降っていたような気がする)
夢で見たのだろうか? 覚えていない。ただ、悲しい光景だった気がした。とても、哀しい……。
「……馬鹿馬鹿しい。一面に花が降るのなど、まだ一月近く先の話だ」
「え? いま何か言った?」
もう一度寝ようと横になっていたミリアムがこちらを向く。
「独り言だ。大した事はないさ。それより、ちゃんと寝ておかないと日が昇ってからが辛いぞ」
「なによもー、人がせっかく心配してあげてるってのにさ。いいもん、お休み。フンだ!」
ふて腐れ向こうを向いて毛布を被る仲間の女性に苦笑して、己ももう一度横になった。
空を舞うウレーネの群れが低く垂れ込み始めている。
雨の振る直前の雲のように。花でできた雲。未だ薄いその群れが、朝焼けに染まり静かに紅く変わりゆく。
なぜだか、不吉な予感がした。
何だったのだろう。この先、自分たちに何かがあるとでも言うのだろうか。
ちくり。
まただ。覚えていないのに胸が痛んだ。
寝袋の中の毛布を掴み、己は、次第に明けゆく空を見ていた。
気のせいだ。きっと。
今日も暑くなるのだろう。だが、きっといい日になるに違いない。
今度はいい夢を見れるといい。
もう少し……もう少しだけ。
そう考えて、寝袋の中でコールヌイはもう一度目をつむった。
その向こう、木陰の中で、起きて彼を見ている瞳に、気付かないままで。
砂漠の中に朝がきた。
今はまだ、その砂漠には名前がなかった。
必要がなかったからだ。まだ、その近く、その中に大きな国はなかったから。
だが、この数ヵ月の後、この砂漠に国ができる。
砂漠にも名前がつく。
悲しい名前が。
名前の意味は、後世の人間は誰も知らない。
ただ、つけた存在が知っているだけだ。
この砂漠にもうすぐできる国の名は、アルヘナ。
【烙印】という業を背負った、歪んだ運命に翻弄される、生まれた瞬間から黄昏色に染まりゆく、そんな哀しい国の名前だ。
第十八話 『追憶1〜彼方の刻〜』 了.
第十九話 『追憶2〜空に咲く花〜』に続きます…




