第十七話 『告白 〜届渡〜』
「…………………………………………」
誰も、言葉を発しなかった。誰も何も言えなかった。
「イ、イヤアアアアアアアアアッ!!」
アリアムの、目の前にいた婦人が悲鳴を上げて気絶していた。心臓の弱い人たちが一斉に倒れ始める。情景を想像してしまったのだろう。想像力が豊かな人間の方が、余計キツいかもしれなかった。
普通の住人の中には、胃液を撒き散らしてうずくまる者が世界中で続出した。
仲間たちも、たいていの事なら受け入れるつもりだった者ですらも、何も言葉が出ないまま、何を言っていいか分からずに、瞳を見開き黙っていた。
全てを告白したら、仲間として戻ってきてくれるものだとばかり思っていた。
戻ってこられるものだと思っていた。
だが、今のは。
自分たちですらそうなのだ。言葉が上手く出ないのだ。あれを全世界が聞いたとしたら。あれが星全体に響いたとしたら。
普通の機械体ですら敵として認識されている今、誰が受け入れられるというのだろう。
誰も、受け入れられはしないだろう。
「……ファング」
ナハトが途方にくれていた。ラーサもデュランも痛ましい、気遣わしげな視線をナハトに送ることしかできなかった。
「ファング君……」
クローノが唇を噛んで呟いた。
「なんて……馬鹿な事を……」
どうして話したんだ、ファング君。あそこまで詳しく話さえしなければ、もう少しオブラートに包んでさえいれば、私たちが取り繕うことくらいできたかもしれないのに!
これでは、もう、彼は二度と人前に出られないではないか!
「まさか」
その為に、君は……
『ファング君……』
ナーガも力の抜けた声で呟いていた。
『すまない。君の覚悟を、侮っていたよ……』
彼は、最初から、自分を追い込むために話したのだ! 最初から戻る可能性を捨て、それでも今自分にできることを果たそうとしているのだ……
『……なんて……』
愚かと言いたかった。だが、言えなかった。
彼の覚悟を最後に促したのは、自分だ。ならば、自分には受け止める以外の選択肢は、有り得なかった。
そしてとある地下の空間で、全ての力が抜けて膝をついた老婆がいた。
アスランはやはり死んでいた。肉体の一部だけを機械に託し死んでいたのだ。
「あ……ああ……あああああああああああああああッ!!!!!!!!」
老婆の嘆きが小さな部屋にこだました。
「ルシアさん……」
そのそばで、ムハマドが嘆く老婆を悲しそうな目で見つめながら、いつまでもいつまでも立ち尽くしていた。
『僕は、その後船から逃げる際の混乱で記憶をなくし、二年間、拾ってくれた方にお世話になっていました。そして、つい最近、すべての記憶を思い出し……混乱したままそこから逃げ出しました。お世話になった人にも、友達と言ってくれた人にも何も言えずに、逃げ出しました。話す覚悟ができなかった。話さなければいけないと思うのに、どうしても話せませんでした。
僕の話を聞いて、ショックを受けておられる方も多いでしょう。そして、僕を受け入れてくれる方はいないでしょう。僕を憎しみと恐怖を込めて排除しようと考える方もいるかもしれません。僕を仲間と言ってくれた人たちの大半も、そうかもしれません』
アリアムも、クローノも、ナハトもデュランもラーサもリーブスも蓮姫もアーシアも誰も何も言えなかった。少なくとも今しばらくは、言葉を発することができなかった。
それほどまでに、彼の告白は衝撃だった。誰の想像の範疇をも大幅に超えていた。
『全てを話すべきか、迷いました。受け入れてもらえるとは到底思えないからです。僕を友人と呼んでくれた人たちでも、難しいだろうと思います。それでも。
ある人から言われたんです。生きる意味なんて、存在する意味なんてもともと誰にも無い。でも、価値だけは、誰にだって作る事ができるって。だから、全てを始める前に話しておきたかった。聞いておいてもらいたかった。友達に黙ったままで終わりたくなかった。隠したまま、これからすることをしたくなかったからです』
『ファング君……』
ナーガは絶句から立ち直っていた。思っていた以上の内容だった。だが、彼の覚悟を受け止めたなら、絶句したままでいるわけにはいかなかった。
『覚えていてくれたんだね、ちゃんと』
ショックの中でも、彼の言葉は嬉しかった。
確かに、今の話を聞いて、それでも受け入れられる人間は少ないだろう。
彼も自分たちの元に戻ってくるつもりはないのだろう。
けれど、それでも。
『まだ存在しているのなら、できることはある。ついさっき地下でボク自らが口にして、そして地上でも仲間から聞かされた言葉だったね……』
君は、これから何をするんだい? ファング君。
ナーガは敢えて、彼をファングと呼んでいた。
本名は聞いた。過去の出来事も罪の懺悔もちゃんと聞いた。だが、それでも彼はファングだった。ファングという名も、彼の一部に違いなかった。
ナーガは呟く。
『ファング君。君は、どんな答えを出すんだい?』
◆ ◆ ◆
「……で、だから、それがなんやっちゅーねん」
地下深くの空間で、放射線の病の進行したドス黒い血を吐きながら、壁にもたれてアベルは小さく嘆息していた。
苦々しげに、憎憎しげに。
「機械であり、人間である複合体やて? くすくすくす……ハハハ、なんやそれ、ほんまもんの化けモンやないかい。化け物が星を救う手助けをするって? フザケんなコラ。誰が要るかい」
それがどないしたゆーとんねん。
血へドを吐きながら怒鳴る。
「だから、受け入れろてか? 阿呆言うのも大概にせえ!! そんな理屈、通るわけないやろがアホンダラ!!」
機械は全て敵だ。機械は全て壊しつくし破壊し尽くす。
自分の肉体も、目的のために一部機械に換えていた。その自分もすべて破壊し尽くす。
くすくす……なのに、お前だけ、ひとり残してやるわけないやろうが。
「ええやろ、それ伝えて何したかったんか知らんけど、そんなもん関係あらへん。お前も含めて、全ての機械を壊したる。そんだけのことや」
どうせ、俺がやらんかったって、ほとんどの人間が、恐怖と嫌悪でお前を排除する側に回るやろうけどな。
「くすくすくす、少しでも自分を受け入れてくれる輩がおるとでも思ったか? 儚い夢でも望んだか?」
口元の赤をぬぐう。
「甘い、甘いでファング。いや、シッタールダ=アースラン。お前も、星の敵……そして俺の、敵や……!!」
お前も壊す。必ず壊したるからなあ。
睨んだその目が爛々と、炯炯といっそうの光りを放ち歪んでいた。
◆ ◆ ◆
夕闇が迫る砂漠の中に、凄まじい悪臭が漂っていた。
叫びと反吐の臭いが充満していた。
アリアムを罵っていた者たちのほぼ全員が、放心するか、顔をゆがめてうずくまるかしていた。
そんな中、それでも【彼】の言葉は続く。
『僕は、受け入れてもらえないでしょう。……どうしてなんでしょうね。人間は、生きるために内臓や手足を人工の機械に変えることもあるはずなのに。どうして、機械が人間の一部で補ったら、途端に嫌悪に染まるんでしょう。それは、アスランも教えてくれなかったな。まだ、教えてもらいたかったことが、いっぱいあった。僕は多分、何も知らない。
でも、それでも僕は……』
『いま、この星は、終わりを迎えようとしています。世界は独りの男と、巨大な機械頭脳のために、滅ぼされようとしています。大量の機械体があちこちの街を襲っています。でも、それすらも全ての前兆にすぎません。寿命を迎えつつあるこの星を、寿命を待つこと無く亡ぼそうとする存在が、あの月にいます。あの月が、月そのものがナニールの操る機械頭脳、いまこの星を襲っている元凶なのです。月に一部残っていた抵抗勢力も、既に制圧されてしまったようですね。もはやここは滅ぶ運命の星かもしれません。でも、だからといって、誰かの手で終わらせられるのは、僕はいやです。友との約束を果たしたい。いつまでもこの星と世界を共に旅して回りたい。最後まで諦めずにその約束を果たしていたいんです。
だから今僕は、心底星を守りたい。
僕は大半が機械ですが、もうあなた方には受け入れてもらえないと思いますが……それでもこの二年で、アスラン以外にも大切な人たちができました。だから』
『だから、抗います。守りたいから。この星を。誰に、嫌われようとも』
『僕にしかできない事があります。だから、僕は僕にできることをします。それが、夢半ばで死んだアスランに報いることにもなると思うから』
『皆さんにお願いします。諦めないでください。お願いします、諦めないでほしいんです。あなた方にも大切な人がいるはずだから。僕に言われたくないかもしれません。でもそれでも、その人のために諦めないでください。自然に終わるのは仕方ないです。でも、強制的に終わらされるのは、嫌だから』
『まだ『生きている』のなら、意に反した終わりは許せないから。たとえ、偽りの『命』なんだとしても、それでもここには彼らがいるから』
『あの月にある制御頭脳【ガイア】、それを破壊すれば、少なくとも世界がすぐに滅ぼされることだけはなくなります』
『いま、それをしようとしている人たちがいます。なんとかしようと必死で頑張っている人たちがいます。ちゃんと居るんです。僕はその人たちの力になりたい。信じてもらえないでしょう。その人たちの傍で力になることはできないでしょう。でも、それでも……。
きっとできます。僕の事を信じてもらえなくても構いません。でも、その人たちのことは、信じてあげてください。その人たちに力を貸してあげてください』
『世界は、終わりません。終わらせません。お願いです。だから、諦めないで』
『これで、僕の告白は終わりです。最後まで聞いていただいて……ありがとうございました…………………』
全ての話を語り終え、ファング、もしくはアースランと名乗った声が、プツリと消えた。
「凄まじい話だったな。彼を友と呼んだ者たち、それはもしかしたらアリアム、お前たちの事なのか?」
放送が切れ、誰も声すら発しない。そんな皆と同じように呆然と座りこむアリアムのそばに、リーダーが近づいて見下ろしていた。
「返事が無いってことは、そうなんだな……」
「リーダー……」
彼は空を見上げながら、「辛いな」とだけ呟いて、視線に力を込め直しアリアムをもう一度見やる。
「皆、混乱し興奮している。勢いで押し切るなら、今だな。申し訳ないが、彼の告白を利用させてもらうぞ」
「え?」
リーダーは、アリアムの答えを待つ間もなく、全身で振り返って大音声を張り上げていた。
「みんな、聞いてくれ!! 俺は、元革命組織リーダー、ブランドン・リーダル。元流れ者ながらも皆のお陰で革命組織を立ち上げる力をもらい、今は街の顔役をさせてもらっている者だ!!」
呻きと恐怖と嫌悪にさいなまれ顔をしかめていた民衆たちが、顔を上げてこちらを見る。
凄まじい声量だった。余分な音の無い今の砂漠の時間帯なら、もしかしたら、万単位のほとんどの人間に届いているかもしれない大声だ。その点だけを鑑みても、彼はやはり類稀なる資質を持ったリーダーだった。
「聞いてくれ。提案なんだが、俺は、いましばらくこの男に王を続けてもらおうかと思っている!」
だからこそ、次に彼が言った言葉が浸透するに従って、反対の怨嗟の声が倍する音で返ってきた。それだけの元気を与えてしまえる程の受け入れがたい提案だった。その声たちが、ある程度収まるまで数分待ち、そしてリーダー、ブランドン・リーダルはまた話し出す。
「皆が言いたいことはよく分かる。だが、実際問題、これからどうするんだ?」
その言葉に、罵っていた大半の人たちが口をつぐむ。小声のザワザワがさざ波のようにあちらこちらに伝播した。
「街はなくなっちまったが、皆生き残った。ならば、生きていかなくちゃならない。その為には、他国に援助を申し込んだり、砂漠の豪族に力添えを頼んだりしなきゃならないだろう。あちこち頭下げて回らなきゃならねえ。その為にも、代表は必要だ」
「あんたがやればいい!」
口元をぬぐいながら、いち早く立ち直った最前列の若者が言い返す。
「どうやってだ? 俺は交渉や折衝や外交のノウハウなんぞ知らねえぞ。そいつは経験と知識がものをいう、特殊な技能の域のシロモノだ。条件は圧倒的に不利な中、譲歩を引き出さなきゃならないんだからな。俺には無理だぜ?お前にできるか?」
「でも……そいつは、街を守れなかったやつで……」
「だからさ! それにこれは、これまで同様顔が利き、そしていざというとき、全部の責任をひっ被せられる者がいい。そう思わないか? つーか面倒くせえ。雑用なんか全部コイツにおっ被らせて骨の髄までやらせちまえ!」
おどけて苦笑して話すリーダーに、聞こえた者のほとんど全てが同じように苦笑した。
それを勢いにのせ、こぶしを握り振り上げて、さらに全身でのパフォーマンスを込めてゆく。
「そうだ、責任だ。責任とって、面倒くせぇ煩わしい雑用の全てをこの男にやってもらおうじゃねえか。こき使ってやろうぜ!しゃぶり尽くせ! こんなもん、多分10年じゃ終わらねえぜ、休みも無しだ。どうだ? 悪くない罰だろ? 休みも無しで10年以上雑用だ! そして、すべての復興が済んだら、用済みってことで、王を降りてもらえばいい。その後のことはそれから考えよう。
要はえばり散らす王ではなく、こっちに奉仕する王として働いてもらおうというわけだ。血ではなく、俺たちが俺たちの意思で俺たちの役に立つ王を立ててやるのさ。痛快だろ? そうして存分に倒れるまでこき使ってやりゃあいい。なんでもかんでも押し付けてやらしちまえ! どうだい? 悪くない話だとは思わないか?」
そういって締めくくる。それ以上何も言わない。振り上げた拳だけをそのままに、リーダーは皆の答えを待ち続けた。
そしてその内容が浸透するに従って、一人、また一人と賛成の声がリーダーの大音声に負けない音でこだまし出した。
「ありがとう、助かったよリーダー。こんな俺に贖罪の機会をくれて、感謝する……そういやあんた、そんな名前だったんだな、駄洒落か?」
「よせやいお礼なんていらねえよ、ってオイ突っ込むところそこか、バーロー?」
いったん、近所単位・家族単位でテントを張ろう。そう決まり解散したあと、座りこんだままのアリアムの一言多い台詞に、リーダー、ブランドンは連続チョップで突っ込みを返していた。
「痛て」
「生きてる証拠だ。……こっちこそ、すまないな。恩人に、これくらいしかしてやれなかった……この先、本当に大変だと思うが……」
「それこそよせやい。本当に感謝してるんだ。いまは、ちゃんとやる事ややれる事があるだけで、十分だ。ありがとう」
「アリアム様……」
ライラとエマさんも、そばに来ていた。二人とも声をかけずらそうに縮こまっている。
「ライラも、ありがとう。エマさんもな。……いろいろ手伝ってもらったのに、こんなことになってしまって、本当にすまない」
「……そんな……謝らないでください……アリアム様は、なんにも悪い事……!」
「あんたが、謝ることじゃないだろ。あんなの、どうしようもなかったって、多分、皆分かってるさ。ただ、心の置き処がなくて、どうしようもないだけで……」
二人とも、言葉を選びながら、それでも慰めようとしてくれていた。
「そうだな……」
アリアムにはそれが、それだけで、凄く嬉しかった。
「みんな、生き残りました。アリアム様のお陰です! だから、元気出してください!」
「ああ……ありがとうライラ。そうだな、誰に何を言われようとも、少なくとも、犠牲を出さずに済んだ。それは、誇っていい事、だよな」
「当たり前だ」
怒ったようにリーダーが答えていた。
「……これから、色々忙しくなると思う。手伝ってくれるかい、これからも……」
「「「当たり前だ(だよ)(です)!!!」」」
一瞬泣きそうになりながら、アリアムは最高の笑顔でその言葉に返していた。
「感謝する。リーダー、悪いが元革命組織のメンバーを全員集めてくれ。これまで話せなかった全てを皆に話す。星の事も、歴史の事も、いま、何が起きているかも全て。聞いたら戻れないぜ? 聞いちまった者はそっちも全部付き合ってもらうから、聞きたい奴だけ聞いてくれよ?と一言付け加えておいてくれ」
「了解した。聞かない奴なんか、一人もいないと思うがな」
いつ話してくれるかと思ってたぜ。そう笑って走っていく男を見ながら、アリアムは空を見上げて呟いた。
「ファング。いつか必ず礼をする。何をしようとしているか知らないが、だから、それまで絶対に死ぬんじゃねえぞ」
◆ ◆ ◆
「ルシアさん、起きてください」
「……」
ムハマドだった。いつもの柔和な喋り方ではなく、真剣な痛みを堪えたような喋り方で、彼はルシアに語りかけていた。
「いつまでそうしてられるつもりですか? そのまま蹲っていても、ナニールにただで利するだけですよ」
嘆きの内の老婆のどこかが、カチンと音を立てた気がした。怒りを纏い顔を上げる。
「……なんだい、あたしにゃ、息子の死を嘆く暇すらくれないってのかい……」
今まで見た事も無い凄み方で睨まれる。それでもムハマドは怯まなかった。
「ええ、そうですよ。今はやる事をやってから、全部終わって生き残ったら嘆いてください。そしたら好きなだけ嘆く時間がありますよ」
「ムハマドォッ!!」
激昂したルシアが立ち上がる。
「なんです、ルシアさん」
「アンタがそれほど冷たい奴とは思わなかったよ……。どういう、つもりだい?」
立ち上がり、それでもムハマドの胸までしかない老婆が、睨みのままに見上げて叫ぶ。
「どういうつもりだって聞いてんだよ!!」
「分かっているはずですよ、おいらに言われ無くったって。でも、それでも言葉にして欲しいなら言わせてもらいます。
あなたは、ファング君、アースランでしたっけ、彼を息子さんだと認めたくないだけなんだ。だから、怒りに任せてその先をまるで考えようとしていないだけじゃないですか」
その瞬間、ムハマドの頬に痛みが走った。老婆の平手が乾いた小気味の良い音を立てて閃いていた。
「アンタ、……アンタは!!」
自分の頬を左手で覆い、ムハマドは続ける。
「言葉が出ないほど怒ってられますね。それが、図星を刺された証拠です。あなたは、彼が本当のアスランさん本人だと良いと思っていた。いったん諦めた息子さんが帰ってきたと思いたかった。でもそうじゃ無かったから。息子さんの一部でしかなかったから。それを否定された絶望を、おいらやファング君に押し付けているだけじゃないですか」
「言いたい放題言ってくれるじゃないか、ええ……?」
こぶしを握り、震わせながら、怒りと憎しみを込めてにらみ合う。
「ええ勿論言わせてもらいます。だって、あなたは彼の、息子さんの願いを無視して反故にしようとしているんですから」
こちらも激しい怒りをたたえた表情だった。どこのどんな怒りの琴線に触れたのだろう、それは、今までの穏やかなムハマドからは想像もつかない変わりようだった。
「あいつはアスランじゃない!」
「いいえ、アスランさんです。あなたが認めなかろうと、アスランさんの一部をアスランさんの意思で受け継いでいる。記憶もです。なら、彼の選択にはアスランさんの気持ちも考えも入っているはずです」
「……」
老婆は唇を強くかみ締める。
「やはり、言われなくてもちゃんと分かっておられるんですね。認めたくないだけで。そうじゃないかと思ってました。だから、指摘したくなかったんです。でも、言わないといけなかった。今時間を浪費したら、彼の、アスランさんが守りたいと言ったこの世界を、いつか滅びるとしても誰かの意思で滅ぼされたくないと言ったその言葉を、無にしてしまう……あなたには、それだけはして欲しくなかったから……」
「……」
ルシアは俯いたまま顔を上げない。
「アスランさんの本当の、最後の最期の台詞。ルシアさんに向けてのものだったじゃないですか。途切れたけれど、それでも最期にあなたを思って口にした言葉じゃないですか。おいらも、あなたが好きです。元気でいて欲しいし、長生きしてもらいたいと思ってます。だから、分かる。アスランさんは、あなたを愛していた。息子としてちゃんとあなたを愛していた。だからこそ、あなたは息子さんの死を嘆くのではなく、息子さんの遺志を無駄にしないで欲しいと思ったんです。………生意気言って、すみませんでした」
全てを聞いても、老婆の唇を噛む姿は変わらなかった。ムハマドを見る視線の怒りも。
もう、今までのように、穏やかな関係には戻れないかもしれない。でも、それでも彼は言うしかなかったのだ。そう、彼にはそれ以外の選択肢は存在しては居なかった。
「………許してなんて、やらないよ」
「ええ……そう、ですよね……」
「絶対に許してやらないね。だから、せめてこき使ってやるさ。あれだけ言った以上、全てが終わるまで休憩なんて欠片たりともやらないからね。……覚悟おしよ」
「ルシアさん……」
強張った顔で、笑顔のまったく無い顔で、それでもルシアは歩き出した。頼みの綱の宇宙艇のある部屋に向かって。
「今夜中に仕上げるよ。アンタは操縦方法でも体に叩き込んどきな。もちろん、手伝う手を絶対に休ませないままでね」
「……はい!」
振り返らずに苦々しげにかけられた言葉、それでもムハマドは嬉しかった。
ルシアの涙は見たくない。それでも、空元気だとしても怒りでしかなかったとしても、いまは元気を無くして欲しくなかった。ファングにアスランの記憶さえあるならば、いつかまた息子の言葉を聞かせてあげることができるのだから。それを彼は知っていたから。
その為にも、今は。
そう、彼は忘れていた記憶を思い出し始めていた。自ら封印した記憶を。
ずっとずっと昔の記憶。懐かしい、大切な、とてもとても大切な記憶。
誰かに言うわけにはいかない。自分の中で留めるしかない。でも、溢れてくる宝の記憶たちに報いるには、彼はもう、今までのようにノホホンとだけしている訳にはいかなかった。
たとえ今は、目の前の大切な老人に嫌われることになったとしても。
そうして二人は、船の修理をする為に格納庫に入っていった。
◆ ◆ ◆
クローノは空を見上げて嘆息していた。
「あんな、莫迦な覚悟を見せられてしまったら……こちらも覚悟を決めるしか、ないじゃありませんか」
ファング君。
クローノは心の内で呼びかける。
君は、確かに人間じゃないかもしれない。
それでも、私は確かに尊敬するよ。
いつかそれを君に伝えられるまで、頼みますから、生きていて欲しいものですね。
「良いでしょう、行かせていただきます。案内を頼めますか」
『是。我、感謝』
それには及ばないと手を上げて応え、
「支度をしますので、10分ほど待っていてもらえますか」
『是、理解』
クローノは頷くと、蓮姫と、そしてアーシアの元に走っていった。
◆ ◆ ◆
「ナハト……」
デュランが気遣わしげに言葉をかけようとした時だった。
「オレはさ、それでも、さ……ファングの友達でいたいよ……ディー」
その小さな声にデュランは泣きそうになり、感極まって声を上げた。
「なら、迷うなナハト!」
「ディー……」
ナハトが見上げた。視線が、泳いでいる。デュランはその両肩に手を置いて真剣な顔で叫んでいた。
「あいつが、ファングが実はどんな奴だったとしても、お前とファングが共に居た時間も本物だ! あいつのこれまでの行動を思い出せ! そこにあったあいつの気持ちも本物だった! だから、お前とあいつは友達だ、絶対にそこに間違いは無い! だから迷うな、お前が信じたなら、お前が信じただけ俺も信じてやる!!」
「ディー……」
ナハトが泣いていた。ここまでナハトが無防備に泣く姿を見るのは、少なくともデュランは初めてだった。
「あり、がとうディー……」
「……ああ。だから守ろう、星を。今できる事をやろう、全力でな。そうすれば、お前が信じる事をやめなければ、いつかまた会えるさ。きっと」
「……うん。あっち、手伝ってくる」
目をぬぐい、照れたように下を向き微笑むと、ナハトは瓦礫を片付け始めていた人たちの方へ、踵を返して駆けていった。
ゴンゴンゴン。見守るデュランの向こう脛を、小さな足が蹴りつけていた。
「……何をしている?」
「いろいろ悔しくて堪らないから蹴ってるの。邪魔しないでよねッ」
「……いや、邪魔っていうか。そこは俺の脛なんだが」
「なによ、文句あるっての?」
睨まれた。横に首を振るしかなかった。なぜだろうか。
「フン! でかウドの分際で、でかウドの分際で!」
「痛て」
「い~い? 一回しか言わないから耳かっぽじって聞きなさい」
ゴンゴンゴンゴンゴン。
「なんだよ」
「……ありがとう、ばか」
「……………」
ひとしきり蹴り続けた後、ラーサもまた駆けていった。
「……ああ、そういやあいつも、ファングと友達だったんだったな……」
ラーサの複雑な悩みの半分だけ理解して、もう半分の理解を拒む頭を掻きながら、デュランも二人の後を追って歩き出した。
◆ ◆ ◆
世界はほんの僅か、彼らの前に平穏な姿をさらしていた。
そう、その僅かな時間をどう使うのか。それを試すかのように。
そうしてヒトの心を糸繰りながら、死にかけの青年の最後の仕掛けは脈々と滞りの無いままに、仕上げに向かい進行し続けていた。
第十七話 『告白 〜届渡〜』 了.
第十八話 『追憶 〜彼方の刻〜』に続く……
次話から過去編です。三〜四話挟んで、最終章中盤に入ります。




