第十六話 『告白 〜シッタールダ=アースラン〜』
『僕たちは、八百年前、この星が一番栄えていたはずの時代に生まれました』
ファングと名乗った少年は、星軸の振動を利用した通信基地の奥部屋で、壇上の床に座り込み、小さなマイクに向かってしゃべっていた。星全体に呼びかける効果を考えると、拍子抜けするくらいに小さなそれを膝に抱きかかえるように引き寄せて、ポツンと独り座っていた。
星のコアを経由して大気と大地を振動させ、すべての者に声を届かせる、大戦以前から存在した全星スピーチ用の小部屋だった。その中心の舞台の上で、椅子の横の床に腰を下ろし、少年は全ての意思と気持ちを込めて語り出した。
少年の言葉は、風に乗り、大地の上のすべての【人間】に届いていた。
『500年前の大戦のさらに300年以上前、それは、この星の科学力が最高に達していた時代でした。皆がまだ心に熱を持ち、理想に燃えていたはずのその星で、アスラン・セイリュートは生まれました』
「アスラン・セイリュート……だってッ!」
星間船の発進作業を進めながら地下にいたルシアは、その手を止めず、しかし目を見開いて聞いていた。
身体が震える。
その名前は、やはり、自分と、船長だった頃のナニールが育てたあの子供の名前だった。
「同じ、名前だね……」
唇を噛む。やはり、彼はそうなのか? 彼が息子本人だというのだろうか。ナニールの攻撃で記憶だけ無くしただけで、死んではいなかったというのだろうか。だがならばなぜ、面影はあれどあれほど顔が違うのだ? 雰囲気だけがなぜあれほど似通っているというのだろうか。どうして機械の身体などになっている、なぜだ!?
老婆の葛藤を置き去りにして、淡々と。淡々と聞こえるくらいほとんど震えることも無いままに、朗々と少年の話は続いてゆく。
『彼、アスランは、まだ熱の失われていなかった時代においても尚、とても好奇心の旺盛な少年でした。彼は、冒険をしたかった。宇宙に出てみたかった。星を外から眺めてみたかった。どこまでも先へ向かって行きたかった……』
言葉は、静かにつむがれる。
『だから、彼は、その船に乗ったんです。自分達が発祥した星、地球。数万年前に人口統制のため移民として追い出され、通信すらつながらなくなって久しい、繋がりの失われたその星へ。歴史上初めて、200年以上をかけて往復する調査を兼ねた友好使節団。その一大プロジェクトに使われる、最新鋭の外宇宙航行船、シング・ア・ソング号。
何百世代も放浪し、やっと見つけたこの星に根付いて4千年。ようやくそれだけの力と余裕を得たという証と自信を詰め込み、二つの種族のわだかまりを越えて気持ちを注ぎ、全ての星の民の誇りを賭けて造られたその船に。
彼はまだ子供でした。その船に乗れる資格はありませんでした。でも、行きたかった。生まれた以上、すべてを見、聞いて、感じたかった。素晴らしいだろう光景を、その目に直に焼き付けてみたかったんです。死など恐れはしなかった。満足できるならそれで死んでも構わないと強く信じた。だから、アスランは全てを、それまでの全てを捨ててその船に密航したんです』
「ファング君……」
答えを待っている機械体の横で、知っている少年の名をクローノはつぶやいていた。彼にも、覚えがある感情だった。まだ、養父が生きていた頃。イジメられていながらも、それでもまだ目が死んではいなかった子供の頃。500年前の伝説やそれ以前の神話を、養父の声がつむぐ優しく希望に満ちた物語を中庭のベンチで聞きながら、いつか自分もと心躍らせていたあの頃。いつも冒険を夢見ていた。たとえ、それが苦難の道だとしても、やってみたいと思っていたのだ。
少年ならば、きっと、誰にでも覚えのある感情だろう。誰にも、責めることなどできはしない。
遠くでは、蓮姫やアーシアも、空を見上げて聞いていた。
『発進ししばらくしてその船のクルーに見つかり、大騒ぎになりました。その話し合いの中で、このままだと一人分の質量が重くなった分、摩擦の無い慣性の法則が支配する宇宙という世界では、それだけで、たった彼一人分の質量でさえ加速減速の制動距離が倍近く長引いてしまうことになると知った。世界が帰りを待っている船のスケジュールを100年は遅らせてしまう。世界が見守るプロジェクトに重大で深刻な影響を及ぼしてしまったと知った。科学を学んでいればすぐに分かったはずの単純な計算式、人生を賭けている人たちにどれだけ酷い迷惑をかけたかを初めて知った。それすら言われなければ理解できないほどの、子供でした。
彼は悔やみ、泣いて謝りながら真剣に理由を語りました。全てを捨ててでも、命をかけてでも共に行きたかったのだと伝えました。だが、クルーたちの表情は決して明るくはならなかった。当たり前、ですよね。全ての人間が関わった、星を上げたミッションだったんですから。そのままなら、密航者として死の宇宙へ放り出される。そういう運命のはずでした。けれど、少年には救いの手が差し伸べられました。ルシア、という名のたくましく優しい女性副船長の弁明でした』
『……そうか。ルシアは、惑星間友好使節団 兼 調査船の副船長、だったんだね……』
抵抗らしい抵抗も無いまま、首都を襲った最後の巨大機械体を倒したナーガは、その横に降り立ち、空を見上げて嘆息した。
彼もまあ、どこまで壮大な昔話を始めるのやら。しかしそれでも。
笑みを浮かべて顔を上げる。
『ファング君』
ちゃんと、最後まで聞いてあげるよ。皆も聞いてくれるだろう。
だから全てを吐き出して、その先どうするか、自分自身で決めたまえ。
自分の気持ちで、自分の言葉で。
『誰に言われたことでもなく、自らの心で、心のままに』
ボクのように、ね。君ならば、きっとできるから。
紅に染まりゆく蒼穹を震わせて、少年の話は続く。
『ルシアはしぶるクルーたちを説得し、自分の息子として、仲間として扱ってくれました。他のクルーも、次第に説得に折れ、しぶしぶながらも認めてくれた。嬉しかった。自分を受け入れてくれたことそのものが、仲間と認めてくれたことそのものが、彼には心の底から嬉しかった。全てに感謝し、仲間のために何でもやろうと心に決めた。彼らの後について行き、彼らのやる事を真似し、覚え、手伝い、時のある限りアスランは働きました。休む間も休日すらほとんどありませんでしたが、アスランは幸せでした。
クルーたちは船とミッションの性質上、子供を作ることは許されていませんでした。彼ら全員が手術を受け、生涯子供を作れない身体となっていました。それでも、誇りを持って名誉ある任務に就いていた人たちでした。それもあったのかも知れません。少年をいつしか全員が仲間と認め、弟や息子のようにかわいがってくれました。幸せだった、とても、とても幸せな時間でした。今思えば、その時期が一番、彼にとって幸せな時だったんじゃないかと思います』
「ファング……」
ナハトもデュランと共に見上げながら、大地と大気を震わせる物語に聞き入っていた。
彼がなぜ、どういう意図を持って話を始めたのかは分からない。
けれど、
「ディー」
「ああ、聞いている」
「オレとファングはまだ、友達、と思っててもいいのかな? いいん、だよね……」
口を尖らし、拗ねたように言うナハトの迷いを感じ、デュランは少年を見下ろし、答えた。
「ナハトは、どう思っているんだ?」
「もちろん!……友達さ。決まってるよ」
ナハトが顔を上げて答えていた。
「ならば、そうなんだろう。友とは、誰かに聞くものではなく、確認するものでもない。ナハトがそうありたいと思っているのなら、そう信じればいい。きっと、彼もそう思っているだろう」
「……うん、そうだね」
ありがとう……。そう嬉しそうにつぶやくナハトの頭を撫でながら、デュランも見上げて胸の内で呟いていた。
(何を話そうとしているかは、知らん。だが、きっととてつもない勇気と決断を要する何かを、知ってもらいたいと思っているのだろう)
かつての自分のように。そして、自分は受け入れてもらうことができた。
自分でも受け入れる事ができた。
ならば、きっと大丈夫だ。自分にすらできたのだから。
もし、他の全ての人間に受け入れてもらえなかったとしても。
(ここにちゃんと、君を友と呼ぶ人間がいる。だから、ちゃんと全てを語り終えたら、戻ってくるといい。戻ってきて欲しい、必ず)
デュランたちの澄ました耳に、友の声が響き続ける。
『そして、全ては順調に、進んでいました。しかし旅は長く、とても永かった。だから、20人の全てのクルーが同時に起きている時間は、一年の内でも数日間しかありませんでした。残りの日々は、交代制でした。大半のクルーが人工冬眠装置で眠りについている間、数人のクルーが交代で当直し、交代しながら船を動かし観測していました。遺伝子を操作されていなかったアスランの体は、ほかのクルーよりも特に長い眠りが必要であり、起きていられる時間も他の人より短い時間でしかありませんでしたが。それでもアスランは手伝うことを止めることはありませんでした。
そしてそれはそんな折、5回目の短い当直の、ある日の夕方のことでした。アスランが、新しい友人を見つけたのは。
彼は、その船の性質上当たり前ながら、年の近い友人は一人もいませんでした。自らの選んだ選択に文句など欠片もありませんでしたが、悩み相談程度の事で忙しい仲間の時間を奪うわけにもいきませんでしたし。あまり人と腹を割った話をすることもできず、寂しい思いを抱えることもしばしばでした。だからこそ、皆が同時に起きている時期は毎回甘えたがりを発揮していたものでした。でも、普段は違いました。寂しいのを我慢していました。そんなときでした。
その日は珍しく、次の仕事の時間まで数時間も間が空いてしまい、やることも見つからずアスランは何をしようか迷っていました。しばらく考えた末彼は、ずっと忙しかったお陰で、まだ船内に探検しきれていなかった部分があった事を思い出しました。まだ行った事の無い区画、船体の一番最下層。エンジンルームの奥の隠されたドアの向こうへ、胸を躍らせながら誰にも内緒で入って行き。そしてそこで、彼はその旅で初めての【友人】と出会ったんです』
「そっか、ファング……寂しかったんだね……」
ラーサは軽く涙ぐみながら、無意識に呟いていた。
子供時代、仲間の中に同年代のいない寂しさは、彼女も理解していた。たぶんナハトもそうだろう。
そこで出会ったという友人が、彼をどのように変えたのか、痛いほど分かった。
でも、話の性質上、悲しい結末が待っているのも、感じられた。
「ファング、あたしは、もう気にしないよ。皆で納得しない人を説得するから。だからさ、戻ってきなよ。戻ってきなよ……」
ラーサの呟きを、リーブスも横で、治療を終えて頭に包帯を巻き眠っているカルロスを膝をつき抱きしめながら、空を見上げて聞いていた。
『その友人は、人間ではありませんでした。船を動かす補佐頭脳。その時代、すべての船に標準で乗せられていたものでした。その船の中で、アスラン、彼だけが知らなかったものでした。大人や常識人にはそれがあるのが普通で、普通すぎて。だからこそアスラン以外、誰もそのことをアスランに教えていませんでした。常識だったから、当たり前の装備品だったから。大人は誰も、それが意思を、心を持つなど考えもしなかった。
アスランは、何も知らなかった。だから、普通にそれに『話しかけて』いました。
こんにちは、と。
誰もしなかったこと。アスランだけがすることができたこと。
『それ』はだから、そうして初めて、『話す』ということを覚えたのです。
『それ』は機械の骨と頭脳と内臓、そして強化合成有機体の肉体を持った、人間の形に似せて作られた補佐頭脳、人造生命体【アルファ】でした』
「「「「「「「「『……!!!?』」」」」」」」」
星中に散らばり放送を聞いていた仲間全員が、その瞬間何かに気付いて凍りついた。
「まさか……」
アリアムを罵ることも忘れ、不思議な声に耳を傾け呆けている民衆の中心で、アリアムは無意識に呟いていた。青ざめた顔の中、その目だけを見開いて。
そういう、事なのか……?
「ファング、君は、もしかしたら……」
アリアムはもう、それ以上言葉を発しなかった。最後までちゃんと聞いておこう。そう決めて、民衆たちと同じように空の声に耳を傾けた。
『【アルファ】は、寂しいという感情を知りませんでした。誰も語りかけてなどくれなかったからです。【アルファ】は、悲しいという感情を知りませんでした。失って困る相手など、誰も彼にはいなかったからです。誰も教えてなどくれなかった。【アルファ】は船のコントロール中枢ユニット。【人間】ではありませんでしたから、当然のことでした』
話の先に気付いた者の内、ある者は蒼白になり、ある者は目を見開きただ身体を震わせ始めていた。彼を仲間と呼んだ全ての者が耳を傾け、もう誰も言葉を発しはしなかった。
一言たりとも聞き漏らしてはいけない気がした。
全ての者がただ、全身全霊で声に耳を傾けていた。
◆ ◆ ◆
【アルファ】は、初めて嬉しいという感情を覚えました。友人ができたからです。
【アルファ】は初めて寂しいという感情を覚えました。友人は、たまにしか来てくれなかったからです。
【アルファ】は我慢するということを覚え、涙というものの意味を初めて覚えました。
友人は色々教えてくれました。【アルファ】が疑問に思う物事を、根気よく、丁寧に、赤ん坊や弟に父や兄がものを教えるように、長い旅の間根気よく、ゆっくりと優しく教えてくれました。
『死』というものがどういうものかも、『生』というものがどういうものかも覚えました。
『楽しい』ということが、どういうことなのかも。
【アルファ】は培養液の円筒の、何の色も無い液体の中で、窓の無い船の最下層の一室で、星の意味も命の意味も知らないままずっと、味気ないグレーの壁を眺めながら静かに浮かんでいました。送られてくるデータを計算すること、それだけが彼の毎日でした。
そんな【アルファ】に友人は約束してくれました。
いつか、君にプレゼントをあげるよ。
いつか、そこから出してあげるよ。
いつか、共に世界を回ろう。いつか共に冒険をし、共に笑顔で語り合おう。
星を見て肩を組んで、焚き火を囲んで下手な歌を歌いながら。
同じ食事を取りながら。
同じ空の下で。たくさんの色と、友達に囲まれながら。
友人は、約束してくれました。
でも、旅が目的地に近づいたとき、悲しみが船を覆いました。
目的地だった地球では、彼らの祖先は絶滅していました。
祖先の星を奪った者たち、奴隷だったそれすら忘れて繁栄を謳歌していた者たち。その者たちとのコンタクトすらをも全てが徒労に終わり、彼らの任務は失敗しました。完全に、完膚なきまでに敗北しました。彼らの成果は、ただ古の母星を観測したことそれだけでした。
誰の所為でもなく、ただタイミングが悪かった、それだけの為に全てが露と消えました。
絶望の空気に包まれたまま、また長い永い年月をかけた帰途につきました。
誰もが笑顔を無くしていました。誰もが喜びを無くしていました。その間、友人すらも、言葉少なに黙る事が多くなってしまいました。
【アルファ】はなんとか慰めようと頑張りました。何度も何度も頑張りました。
ようやく、旅の終わり頃に、友人も少しだけ笑顔を取り戻してくれました。
でも、旅の終わりは、そこも安らぎではありませんでした。
帰ってきた新たな故郷、そこでも戦争が起こっていました。
進んだ科学の粋を集めて、同じ星の人間が人間同士で殺し合っていました。
友人たちも、参戦を余儀なくされました。
迷う暇もありませんでした。
自分たちの出身民族に味方するより他になく、仕方なく友人たちも敵を殺して回りました。彼の仲間も何人も、何人も散ってゆきました。
出発から300年後の故郷の科学は、目に見えて衰えていました。永き戦争で荒廃・疲弊した星の科学より、300年前の水準を保ったままの船のクルーの科学力の方が著しく高かった。参戦は劇的に作用しました。そして戦争は勝利で幕を閉じました。
クルーたちは激しい空しさを覚えながらも、戦争を勝利に導きました。
でも、あまりに劇的すぎた船の科学は、危険視されました。クルーは全員、戦争犯罪人にされました。全てを捨てて星の為に行動した彼らを、星と世界は拒絶しました。みんな絶望しました。でも、船長が罪を一人で引き受け、独りだけ人工月に投獄されました。
でも、それですら終わりではありませんでした。なぜか、納得して罪を被ったはずの船長が、数ヵ月後反旗を翻しました。
クルー達の居なかった300年間で唯一進歩した特殊な【精霊科学】、それを使い、月にあった巨大な機械知性を乗っ取り、星を攻め始めました。
そして、ルシア副船長たちは疑問と絶望の中またも戦わされ、なんとか機械知性ごと船長を封印し、……しかし、星はいったん滅びました。船長の最後の足掻きでした。星の上で惑星間戦争用の広範囲破壊爆弾が、幾つも幾つも破裂しました。
爆発の幾つかは星の形すら変えました。
記録も記憶も風化して、文明は一気に数千年以上後退しました。
滅びを回避できた者たちも殆どの歴史と科学を失って、いつか来るだろう星の完全な滅びを待つだけになりました。世界は砂に覆われて、星の活力は失われました。世界は砂に覆われて、人の活力は失われました。生き残った者たちが算出した計算が正しければ、星は二度と以前の活力を取り戻すことは無いだろうと思われました。友人たちは絶望し、船と共に、全てを忘れるために眠りにつきました。
それからまた永い年月が過ぎ去りました。
なぜかルシアの睡眠装置が故障し、目が覚めたとき、世界はまた、なぜか封印から目覚めた元船長、ナニールの脅威にさらされていました。
放っておけば遠くないいつか滅びるだろう世界で、それでもいま滅ぼしたいのだと、そう叫ぶかのように、世界のあちこちでナニールは暗躍しました。
激しい混乱の中、ルシアは科学と精霊科学を駆使し、ナニールと人知れず数百年の戦いを続けました。
そして、今から2年前。
迫りくるナニールの脅威を幾度となく躱わし続けた運も、とうとう尽きてしまいました。クルーたちの眠る船の場所が発見されてしまったのです。
そして、ルシアの預かり知らぬまま、船は眠るクルーごと、ナニールの放った蟲に襲われました。
【アルファ】もそこにいました。
でも、何もできませんでした。
船はほとんど先の大戦で壊れていて、その後の500年の風化によって船体も恐ろしく疲弊していました。戦力も既に無く、動力もクルーが眠り続けるための力しか残っていませんでした。それに内部で暴れる蟲たちには、たとえ壊れていなかったとしても武器の類は使えませんでした。侵入されてしまった時点で、船の命運は尽きていました。
彼は、友人を助けたくても、円筒の溶液の中で何もできませんでした。本当に、何一つできませんでした。クルーたちが次々と生きたまま、眠ったまま絶叫し食べられていきました。
《悲しいっていうのはね、大切なひとが、永遠にいなくなるってことなんだよ》
いつか教わった言葉を思い出し、全てを理解し培養液の中で初めて涙を流しました。
奇跡的に目が覚めた友人、アスランが、満身創痍の姿で最下層の彼の部屋までたどり着いたのは、そんな【アルファ】がすべてに絶望する寸前でした。
『……アスラン、アスラン、死なないで、アスラン』
なんとか蟲の侵入を阻止して遠隔操作で扉を閉めた【アルファ】は、円筒の中で浮かびながら、強化ガラス越しに倒れた友人を呼び続けました。
「……【アルファ】………なんとかここまで逃げてきたけど、ごめん、ごめんね……もう、無理みたいだ……」
アスランは、腕が片方ありませんでした。足が片方ありませんでした。身体のあちこちから血が噴き出して、グレーの床を濡らしていました。
『いやだ。いやだ。いやだアスラン。いなくならないで。永遠に居なくなんてならないで』
生まれて初めて、【アルファ】は円筒を思い切り叩いていました。そばに行きたいのに、邪魔でした。頭につながるコードが邪魔でした。素手で割れるはずのない強化円筒を怒りを込めて叩いていました。
「ごめん……そうしてあげたいけど、人間は、君みたいに身体が丈夫じゃない、んだよ。たくさん傷つい、たら、もう……二度と治らない、のさ……」
円筒越しでも、アスランの鼓動がどんどん小さくなっていくのが分かりました。
【アルファ】の赤い血の流れない身体の中で、真っ白い人工血液が音を立てて引きました。
蟲の部屋への侵入は、扉の遠隔操作でなんとか抑えられたけど、友人の傷を治す力は、【アルファ】にはありませんでした。
「ごめん、ね、あるふぁ……、君を、また一人にしてしまう……。君と一緒、に、共に外に、旅を、冒険する約束……。破って、ごめ……」
次第に友人の呂律があわなくなっていきました。灰色の床に赤が散るように増えていました。
『アスラン……アスラ……ン……』
「ああ、そうだ……君を、出してあげる約束、だったね……」
足が壊れていたアスランは、最後の力を振り絞って部屋を這って移動し、パネルを操作し、【アルファ】の培養槽をパージしました。
【アルファ】は溶液と共に流れ出ました。コードが外れ、バラバラと落ちました。生まれて初めて外に出て、空気に溺れかけながらも初めて自らの足で立ち、アスランに近寄ろうとしたその時、
「ピギィ、ピギッィィィィィ!!」
ガコンと音を立てて、吸気溝の網蓋が外れ、数匹の1m近い巨大な蟲がボトボト落ちて、床を高速で迫ってきました。【アルファ】はすぐに遠隔操作で吸気溝を塞ぎましたが、できたのはそこまででした。
生まれて初めて液体から外に出た【アルファ】の身体は、上手く動きませんでした。
庇ったつもりが、胸と頭を食い破られ、白い人工の血が飛び散りました。アスランの身体にも蟲が取り付き、アスランのか細い悲鳴が響きました。
【アルファ】は怒りました。生まれて初めて叫びました。そして、全身から電撃を発し、身体に取り付いた蟲を焼き切りました。アスランの身体に取り付いた蟲も、同様に。
自分の身体に元々無かったはずの攻撃機能。それを咄嗟に組み上げ、使用したのでした。
無意識でした。自分の力に【アルファ】は驚き、なぜもう少し早くできなかったのかと嘆きました。彼には闘う力が新たに生まれた。でも、無理をしたのと、胸と頭を食い破られたのが響き、【アルファ】もまともに動けなくなってしまいました。
頭部と胸に穴を開けたままフラフラと頼りない足取りでアスランのそばに行き、手のひらを繋ぎ、その途端足がもつれて倒れました。
『アスラン、ごめん、アスラン、傷って、痛いね。アスラン、どうして? アスラン、冷たいよ……温かくないよ、アスラン。アスラン、返事してお願いアスラン』
アスランは、腹を食い破られていました。先ほどに倍する夥しい血が流れていました。アスランの目が光を失いかけていました。それでも、アスランは【アルファ】に声をかけました。最後の力を振り絞って声をかけてくれました。
「もう、時間が……無い、ね…………最後に、さ。君にした約束を、あと二つ……果たすよ……」
『もう、しゃべらない、で』
「いいんだ……旅はもう、できないけど、共に、いられるように。頼みがあるんだあるふぁ……」
フルフルと、壊れた頭で首をふる。
『長期記憶、ソンショウ……擬似シンパイ、修復不能……、アスラン、この体も、もうすぐ止まる……アスランと、イッショ……だ……』
「だめ、だよアルファ……君は、生きて、外を見なきゃ……。外に出て、旅を……」
『アスランがイッショでないなら、イミは、ない……』
そして、アスランは言いました。
「なら……僕の名前と記憶、と……心臓をあげるよ。君に僕を、あげる。君が欲しがっていたものだ。いつか……言ったね、心臓が欲しいって、鼓動を感じてみたい……って。そう、……君は、人間に、なるんだよ。連れていってくれ、僕を……。
僕が動かなくなったら……さ……、……僕の中から心臓、と、脳の記憶野を取り、出して、君に移植……するんだ。君の欠損部、に。そうすれば、君は……生き残る。きっと共に、いつも、いられる……から。そうだよ君が、僕に、なるんだ、あるふぁ。僕の一部が、君になるんだ。君に、僕の名前をあげる。僕の命と、血と記憶と、夢を……あげる。君は、人間になる、んだよ。お願いだ……僕の代わりに、……生きてくれ。見届けてくれ、世界を。ずっと、一緒だ……。そして、君は君として、いつか幸せ、に……ゴフッ……」
『アスラン、いやだひとりは、いやだ!』
「一人じゃない。きっと、君にはいつか、また友達ができるよ。だから、それまで、さ……生きるん、だ。あぁ……同じ名前だと混乱、するかな、混乱する、よね……それなら、ゴホッゴブ……ハアハア、名前の一部を伸ばすといい。そうだ、もうひとつ名前をつけて、あげる……僕の生まれた町に伝わる、英雄の名前さ……どうだい、格好いいだろう? はは……ハァ……ハァ……ああ、あれ?あるふぁ、どこ? どこにいったの? 判らない、よ…………寒い、ね……寒いよ…………いや、だなあ、すご……く………さむ…………ぃ…あるふぁ……約束、だよ………あ、あ………もう一度、会いたか………おかあさん………ごめ……………………………」
『アスラン、アスラン……………ッ』
最後に涙をひとつ流して、アスランは動かなくなりました。扉がゴンゴン押されていました。扉の外は蟲がいっぱい蠢いていました。いつ扉が破られるか分かりませんでした。蟲がきたら動かないアスランは骨も残らず全て食われてしまうでしょう。アスランを切りたくなかった。アスランを解体したくなかった。でも、約束だったから。初めての友達との約束、だったから。どちらにしろ、輸血する血液も無く治療する術はありませんでした。【アルファ】は友人を救う為に何一つできませんでした。何一つできませんでした。
そう、ただひとつ、【僕】にできたのは。
『彼の最期の願いと約束を叶えて、ともに、一部だけでも共に、行くことでした』
『アスランを分解しました。アスランを解体しました。一流の医者がその場にいたら助かったかもしれない、まだ生きていたかもしれないアスランから心臓を取り出して、頭蓋骨を開けて記憶野を取り出しました。自分の胸の傷を押し開けて、中に入れて繋ぎました。繋がるとはとうてい思えなかったけど、頭を開けて、中に入れて配線を繋ぎました』
『そのまま何もしなかったら、怪我をした僕もそのうち動けなくなって食われてしまっていたでしょう。それでも、人間の組織を入れて、繋がるとは思えませんでした。でも、なぜか、心臓も記憶野も壊死することなく繋がりました。奇跡でした。心臓が動き出し、白き人工血液を赤く染めて体の中へ送り出し始めました。奇跡でした。神経組織がシリコンのコードに癒着して、パルスが繋がり接続しました。
でも、そんな奇跡なんて、起こって欲しくなんてありませんでした。
僕は、まだ温もりの残る友達の体を切り裂いて、自分の中に入れたんです。たった一人だけ生き残るために。
僕の中では、アスランの心臓がまだ動いていて、そして記憶を引き継いでいる。そうです僕は、人間ではありません。機械でもありません。機械知性と人間の精神を融合させた精霊体ですらなく。どちらの物とも既に言えない、どちらにも属さないどっちつかずのただのコウモリ、肉と機械の合わさった合成複合体。彼の街の英雄の名と、友人の名と肉をもらったフランケンシュタイン。
僕の名は“シッタールダ=アースラン”。アスラン・セイリュートが名づけてくれた、共に旅する彼の友人であり、彼の身体と名前を切り刻み奪った、罪人です』
長い長い告白が、終わりを遂げた。
静かに、静かに時が吹き過ぎる。
誰も、何一つ言葉を発する事が出来ないままの数瞬が過ぎ……
そしてどこかで悲鳴が上がり、連鎖しだした。
第十六話 『告白 〜シッタールダ=アースラン〜』 了.
第十七話 『告白 〜届渡〜』に続く……




