第十三話 『崩壊(カタストロフ)』
「坊っちゃん!! あ……ああぁ、坊ッちゃ……ッッ」
目の前で怖い倒れ方でうつ伏せになるカルロスに、リーブスは駆け寄ろうと足を出した。同時に真横で瓦礫が破裂し降り注ぐ。カルロスに気を取られ接近に気付けずにいた機械体が二体、倒れたビルの向こうで猛烈に暴れ始めた。
大量に降り注ぐ土砂の群れ、破片と砂から身を挺して覆いかぶさり主人を守る。
粉塵が舞う街路、塊の降り注ぎが収まる隙をつき、リーブスはゆらりと静かに立ち上がった。
「邪魔なんですよあなた方……さっさと消滅していただけませんか。消えろ……今すぐだ、消えたくないなら消してやる。俺の前から永久に溶けて失せるがいい」
銀髪の執事の瞳が金色に光っていた。焦りのせいで、口調にアサシン時代の名残が混ざる。
静かな、本当に静かなるマグマの怒り。巨大な静の怒りに任せた電磁誘導ナイフが紫電を放ち疾走した。五十を超える全てのナイフが竜巻となって吹き荒れた。それだけの数をイメージで操れる人間は、現状この執事くらいしかいないだろう。
限度を超えたイメージに、リーブスのこめかみの血管がブチブチと音を立てて盛り上がる。固められた電子の群れが膨大な電流となり辺り一面に降り注ぐ。特大の雷の群れが連続して轟いて、竜巻の内側の機械の敵を完全無欠に融かし尽くした。
急いでカルロスを抱きかかえ、仲間を探して走り出す。
先ほどの倒れ方はあらゆる意味で怖すぎた。今すぐに治療が必要だった。水晶使いの少女ならもしかしたら何とかできるかもしれない。どちらにしろ、彼女以外に回復の術が今のところ何も思いつかない。
「坊っちゃん……坊っちゃん! 待っていてください、すぐに治療してもらいますからそれまで我慢しててくださいね……!」
少女の名前を叫びながら姿を探して走り続ける。それを聞きつけたのか、近くに居た他の巨大機械体がリーブスのところに集結する。交差点のビルの陰から、壁を壊しながら破壊者が何体も顔を見せ始めた。
「退いてください。あなた方の相手など、している暇は無いのだとさっきから何度も言っている。退いてください、退いて……退け、退けええええ!!」
紫電を放つナイフの群れをまとわせながら、リーブスは少女を探して速度を上げた。
ピクリともしない腕の中の小さな主人の頭から流れる血が、止まらないまま執事の服を濡らしていた。
◇ ◇ ◇
32ビートが64ビートに変わっていた。
音の繋がりが感じ取れ無いほどの恐ろしいスピード世界の攻防だった。視界全体ではかろうじて霞んで見える、だがその動きを目線で捉えることは常人には既にできない。
人間の認識スピードの限界を余裕で凌駕する世界の、達人を超えた剣戟だった。コールヌイという世界で名を轟かせた人間の攻撃に、アドレナリンが限界を超えたとは云えアベルが一人で捌けていることは、パワーはあれど、スピードに欠けるのが特徴だった昔の彼を知るものが見たら信じられない光景だった。
アベルは既に目で見て捌いていなかった。勘で腕を振り回し、それで見事に全てを打ち落としていた。神業だった。
息が続かなくなって両者とも同時に飛び退る。
肩で息を荒げながら、コールヌイは目の前の青年の実力を見誤っていた事を、事実として悟っていた。
「アベル君……君は、いったい……」
そこまでの力をどうやって手に入れたのか。
普通の訓練のみで、その年齢の者が己れと同等の力を身につける事など不可能だった。何か、おぞましい何らかの手段を取らないと確実に無理なのではないのか。
「どうして、そこまで……」
アベルの決意の重さが悲しかった。そこまで覚悟できるなら、どうして力を合わせようとしないのか。どうして、頼ることをしないのか。
(仲間という言葉を使ったのは、君だったろうに……たとえ、嘘だったとしても)
コールヌイは次第に自分が押され始めていることを感じていた。木の杖で代用した方の足が、既に感覚を失い始めている。
(いくらなんでも強すぎる。なにか、何か理由があるはずだ……!)
どんな理屈があるにせよ、そのために相当な無理をしているはず、ならばどこかにつけいる隙があるはずだ。
「隙なんてあらへんよ」
「!!?」
後ろから声が聞こえた。前方のアベルの姿が掻き消えていた。
短距離ジャンプ!?
(な! 鏡は先ほど割れ……くッ、迂闊!)
一人に一つという認識が無意識に植え込まれていた。元々の持ち主が幾つ持っていようとおかしくなど何も無いというのに! 全て計算の内だったのか、初めから全てを見越して配置したというのだろうか。突如、深淵を覗くような恐ろしさをコールヌイは感じた。どこまで彼は計算していたというのだろう? いったい、いつからどこまでの計算を……
生まれて初めて最強の男の心に惧れを感じた隙ができた。
「チェックメイトや」
血しぶきが、廊下に舞った。
◇ ◇ ◇
「急げ! 急ぐんだ、みんな早く街壁の外へ!!」
人々を誘導しながらアリアムが叫ぶ。
酒場のエマを通じてリーダーに連絡を取ったアリアムは、全てを話し一時的に街の外に住民全員を避難させることを頼み込み、奔走していた。
リーダーは話を聞くと何も質問せず、ただちに元革命組織の面々に伝書鳩を飛ばすと、急いで地区の住民の避難を始めてくれた。
組織の長として、地域のまとめ役・代表として、ほかの地区の代表からも一目置かれる存在である彼がいてくれなければここまで迅速にはできなかっただろう。
何も聞かずに信じてくれたことが嬉しかった。
彼らの献身と活躍に何一つ報いていない自分が悔しかった。
話をした20分後には、最初の避難が始まった。
まだ復興が始まった矢先だったことも幸いしていた。持ち出す荷物が少なくて済む。だが、それでも人々の不安は拭いきれない。またか!という睨み付けるような視線が、誘導するアリアムの体を大量に貫いていく。
だが気にしてはいられなかった。何事も無く戻れたら批判も怒号もいくらでも受けよう。けれどももし、もしかしてという事態になったとしたら……もし街を守ることができなかったとしたら、今度こそ自分の言うことを聞いてくれる人間は誰一人居なくなるだろう。
そのことを、アリアムは確信できてしまっていた。
(それでも、今は避難してもらうしかない! 後のことを考えている余裕は無えんだ!)
自分がさっきアベルを止められてさえいれば……!
数万人規模の不満を抱えた全市民の迅速なる避難誘導。それは恐ろしく神経をすり減らす作業だった。
間に合うのかすら分からなかった。パニックを抑えるためにも、アリアムは不安を顔に絶対に出せない。出してはいけない。それを守ること、それだけが今の至上命題。しかしそれは、恐ろしい程消耗するやり方だった。それだけでどんどんと大事な何かが擦り減ってゆく。摩耗してゆく。避難が半分過ぎた辺りで、既に彼の精神は凄まじい負担に軋みを上げ始めていた。
「アリアム様!」
振り向いた先に、ライラの信頼の笑顔があった。
「お手伝いします!」
その言葉を聞いた瞬間、アリアムの心に一陣の優しい薫風が吹き過ぎていた。そこにあるのは、込められていたのは、ただただ絶対の信頼だった。じわりとこみ上げる熱を精神力で押し留め、その暖かさに身体を満たす。独りだったら、傾き倒れていたかもしれない。割れた心でささくれた罵声を鳴らしていたかもしれない。それを止めてくれたその小さな響きに、アリアムは心の底から感謝した。どうにかして感謝の気持ちを伝えたかった。何一つ恐れずに屈託なく笑うライラの頭に手を置いて、くしゃくしゃと勢いつけて撫でまくる。
「ひゃああっ!? え、え、なにをしてるんですかアリアム様?!」
おかげで取り戻せた人懐っこい笑顔を少女に見せながら、アリアムは陽気に片目をつむった。
「なんでもないさ。ありがとう、ライラ。君がいてくれて本当に良かった。それじゃ、そっちを頼む。誘導する場所は分かってるよな」
「はい、任せてください!」
男の絞り出すかのようなその台詞の、含めた言葉の真の意味は少女に完全には伝わらなかったろう。だが、それでもライラは頬を染めて笑顔を返し、極上の笑顔のままで示された場所まで駆けてゆく。アリアムに信頼されて嬉しそうに頬を染めていた。
(そうだ、今は落ち込んでる場合じゃねえ。救えなかったあの時の血の色の空を思い出せ。誓いですらねえ。もう誰一人死なせねえと俺は決めた。決めたじゃねえか。その為に俺にできることを全て全力でやってやる。そうさもう、ぜってぇに、一人も死なさねえよ。死なせたりしねえ。誰一人としてな!)
アリアムは垂れ目を見開いて声を張った。
「そこ、親ならちゃんと手を繋いどけ、子供を絶対に放すんじゃねえぞ、急げよ!!」
◇ ◇ ◇
『莫迦な……莫迦な!』
ナニールの浮かび上がった姿の背後に亀裂が走る。空間がピキピキと割れてゆく。
『おのれ……こんなところで、強度が』
空間制御の次元硬度に綻びが生じていた。まだ力が完全に復活できていなかったのだ。
彼とゲフィオーンの電子嵐のぶつかりは、彼自身にはダメージを与えていなかった。だが、制御空間の計算式にズレがわずかに生じていた。
『初めからこれが狙いかゲフィオーン!』
背後の空間崩壊の気配は感じていた。だが拮抗する蒼の風に阻まれて、後ろに対処する隙が無い。
『ようやく気付きましたかナニール。しかし、もう遅いですよ。我らに貴方を消滅させる力はもともとありませんでした。ですが、もう数日間だけ封印することはできる。たった数日。しかし充分な時間です。その間に全ての準備を終わらせます。貴方が次に復活したとき、その時が貴方の最期と知りなさい』
ブラックホールのように、空間に生じた切れ目の中にナニールの精霊体が吸い込まれる。電子体である精霊体といえども物質である以上、おのれの力を超える物理法則からは逃れることはできなかった。
『お……の………れ………ゲフィオ――――――――――ンッッッ!!!』
全ての粒子を吸い込まれ、ナニールは次元断層の先に存在を移行した。ピキピキと聞こえない音を立てて断層が消滅する。プラズマの嵐が止み、融けた溶岩がゆっくりと凝固して、最後に熱と蒸気だけが地底の空洞に静かに残った。
『……』
完全に穴が閉じたのを見届けた後、女性、ゲフィオーンは静かによろけた。数回のみだが青き長髪が明滅する。ジジ……古い蛍光灯が消えかける寸前の音がしていた。
「……あなたが、助けてくれたのですか、青い髪のお嬢さん。心より感謝を。今回ばかりは本当に助かりました。ゲフィオーン……確か、古代神話の女神の名前の一つでしたね」
ナーガのか細い声が聞こえた。物質化を解除できずに倒れたままの青年が、静かに彼女を見上げていた。
『気付かれていたのですか?』
「ええ、途中からでしたけどね。しかし、精霊体のコアが揺さぶられたせいか、ピクリとも体を動かせませんでした、お手伝いできずに申し訳ありません」
どちらにせよ、物質化を解けないままでは、戦力にはならなかったかもしれないが。
『いえ、気に病むことはありません。貴方はまだ未熟なだけ。それでも素質はあると我々は判断した。だから、全てを捨てても助けたのです』
ナーガは真剣な目を女性に向ける。そして、隣に横たわる友人の寝顔にも。
「……あなた方先輩たちには、最大の感謝と敬意を申し上げなければなりませんね」
『はい。だから、貴方には我々の期待に応えてもらわないとなりません』
精霊体同士の視線がまっすぐに絡み合う。時代の違う人格と個性と記憶、だがだからこそお互い大切なものが存在するのだと理解出来る。精霊体になるということは、それまでの全人生を存在ごと置換させるということ。本人の魂の同意無しでは絶対になれないのだ。
「期待?」
『そうです、期待です。ナニールは数日の後にまた甦る。それまでにあの衛星コンピューター、ガイアにたどり着いてもらわなければなりません。そして、封印者の力の解放と圧縮コード解除、使用方法の伝授、輸送方法の確保等、たどり着くための全ての準備。それらを貴方にやってもらわなければならなくなってしまいました。もはや我らに力は無いのです。こちらこそ、本当に申し訳ないと思っています』
「……貴女がたにはもうそれは出来ないと?」
ゲフィオーンは目を伏せる。自分以外の仲間は、既に電子の海に拡散したろう。
『はい、力を使いすぎました。必要なエナジーを残すため、自分たちの存在エネルギーを使いましたので』
「そんな……! やはりボクのせい、なのですね……」
ナーガは女性の表情から、大体の事を察していた。自分などのために、彼らは多分消滅したのだ。
『気に病まないでください。さきほどナニールにも言いましたが、必要なことをしたまでなのです。そう思ってくださるなら、貴方も必要なことをしてください。それで全てうまくいくことでしょう……』
ジジジという音が増えてゆく。青の精霊体の寿命が尽きようとしていた。精霊体にも寿命があることに、ナーガは哀しみとともに感嘆し嘆息する。
『寿命は大宇宙にも存在します。我々は、できることをやり通した。だから悔いはありません。だから貴方が悔やむことはないですし、それは我らを侮辱することなのです。それだけは先輩として許しませんよ』
「……分かりました」
ナーガは敬意と感謝のみ、心に残すよう努めることに全力を傾けることを約束した。たとえどれだけ難しくとも。自分が彼らを侮辱する訳にはいかなかった。
『大丈夫、貴方は我々が認めた青年です。そのことを悔いることは絶対にないのです。だから、全力を尽くしてくださいね。貴方の未来にも、悔いがありませんよう、祈ります。そして、この星の未来にも』
「全力を、尽くしますよ」
ナーガは、この世に生まれたことを初めて全てに感謝した。全ての恨みが溶けて消え、自分が何のために生きるかということを、今度こそ完全に決めていた。決めることができていた。
あの時ファングに言ったこと。生まれついての運命も理由も無い。理由も価値も自ら決めて手にするものだという言葉。それをようやく彼は手にした。
(ファング君に、嘘を言ったことにだけはしないと誓う)
その表情、青年の答えに、ゲフィオーンは嬉しそうに頷いた。
『では、我らの記憶と能力、そしてこの500年間で貯めてきた封印用エナジーを貴方に受け取ってもらいます。かなり苦しいですが、覚悟してくださいね』
何の屈託も無い笑顔を見せて、ゲフィオーンの手のひらがナーガの頭上にかざされた。
「え、今からいきなりですか!? ちょっと待って、まだボクは制御がまるで戻っていなくて体も動かせないままなんですが!」
無様に岩肌に転がったままの格好で、人間で云えば気力も体力も残っていない状態で、ナーガは大量のドーピングをされようとしていた。急に不安になる。無意識に恐怖して体が全力で否定する。生身の心臓も血管も無い体から汗が湧き出る気分がした。精霊体が慄いてまたたいた。
『大丈夫、あなたなら耐えられます』
「ちょっ、ちょっと先輩!? 耐えられますって何ですか!? お願いですから起き上がれるまでもう少しだけ待ってもらえると……!」
『時間が無いので問答無用です』
最後まで笑顔でゲフィオーンは優しそうに囁いた。
「何と言いますかね、こういうことはこう、もっとちゃんとした準備と覚悟をした上で……って、あれ?もしかしてまるで聞いてくれてないのかな? なぜそこで笑顔で迫って来るんですか!? ちょっと、ちょ、ちょちょ待……ぎぃああああぁあああああぁぁぁ!」
溶けかけた洞窟に、先ほどのナニールに拷問を受けていた時を超える悲痛な悲鳴が響き渡った。
ファング君やファーレンフィストたちには絶対に教えられない。後でその場面を振り返って、ナーガは全力でそう誓いを立てたという。
◇ ◇ ◇
「破ぁぁ!!」
鈴のような声で雄たけびを上げ、光の剣を振るってゆく。
初期型の機械体たちが寸断されて一体、また一体と動きを止めた。
蓮姫は、戦闘の始まった30分で、見事に数十体を破壊していた。
蓮姫の周りではアーシアも忍者刀を的確に敵の動力部へと差し込んで、ヒット&ウェイで爆発させて屠ってゆく。
だが、センスはともかく体力の無い姫には長時間の闘いは向いていない。
既にかなり息が上がっていた。まだ破壊した敵は全体の1/3強。
「このままではジリ貧になる」
アーシアは状況を見回し把握した。
敵をすべて倒しきるのは難しい。だが、たどり着いた民を無事に森に入れることには成功したようだ。ならば、
「姫! ここはいったん引きましょう! 民は無事森に入りました!」
森に入れば、あとは仕掛けた無数のトラップが時間を稼いでくれるだろう。
火災対策も万全、敵が火計を仕掛けてきたときには、張り巡らせた噴水と要所に埋めた火薬による爆風で延焼などの心配は無い。
「蓮姫!」
だが、それでも蓮姫は戦いを止めなかった。
「もう少し、もう少しだけ減らしておかなければ、ハァハァ 、今のままではゲリラ的に森に突入されたときに対処が難しいと思うの。お願い、ハァハァ……アーシア。手伝って」
息がかなり上がっている。
「しかし……」
言っている内容はよく分かる。だが、蓮姫の体力は限界に近づいていた。どれだけセンスがあろうとも、数年間のブランクがすぐに埋まるわけは無い。
「いやああああ! まだ、赤ちゃんが、赤ちゃんが馬車に!」
アーシアが否定の態度を取ろうとしたとき、森の入り口から悲痛な叫びが上がった。
臨月が過ぎたばかりの母親のようだった。げっそりと痩せ、服の上からも分かるほどお腹周りの皮が弛んでいた。襲われる直前に赤子を産み、そのまま気を失って倒れていたところを運ばれたらしい。
「アーシア!!」
叫んで蓮姫は馬車に向かって走ってゆく。これでは仕方ない。止めるわけにはいかなかった。
「はい、姫!」
ままよと叫んでアーシアも後に急いで続く。
「無事でいて!」
群がる機械体どもを蹴散らしながら、二人の女性は倒れた馬車にたどり着いた。
「姫、入り口で食い止めます、その間に中の赤子を!」
「お願い!」
連結した巨大な馬車の入り口で、アーシアは機械体を迎え撃つ。蓮姫は刃を仕舞うと倒れた一両の馬車の中に飛び込んだ。赤子は……いた! まだ無事だ!
ぐったりはしていたが、泣いていなかったのが幸いした。機械体に気付かれないままでいられたようだ。左手で抱きかかえる。
「無事に確保したわ! 急いで戻ります、援護をお願い!」
「了解です、姫も急いで!」
だが急いで馬車を出た二人の前で、地面が爆発して盛り上がり、初期型ではない虫型の巨大機械体が一体現れて立ち塞がった。
「そんな、こんなときに!」
「どうして東大陸にほとんど居ない発展型がこんな場所に!」
尻尾が振られる。
「姫! あっ!」
「アーシア―――!!」
蓮姫を庇ったアーシアがまともに食らって空中高く飛ばされた。なんとか受身だけはとったが、背骨を打ちつけ動けない。
「アーシア! ……!?」
今度は蓮姫に巨大虫型が振り向いた。赤子がいては闘えない!
森からも悲鳴が上がる。悲痛な声で誰かが叫ぶ。
「まだですわ!!」
右手だけで攻撃をさばき、ふらつく足を鞭打ってできるだけ静かに動き回った。息が上がる、足がもつれる。腕の中の赤子が重くのしかかる。首がまだ座っていないのだ、これ以上早く動いて揺する訳にはいかなかった。
アーシアを残したまま行きたくはないが、赤子が優先だった。だが、僅かな躊躇が退路を絶った。自分の退路も初期型たちに囲まれて森に逃げ込む隙間が無い。闘える仲間たちの奮闘が遠くに見えた。彼らも姫のところまで援護に行きたいと思っているはずなのに、まるで進めていない。このままでは!
その時だった。
ズズン!!
地面が大きく揺れ、辺り一面に砂煙が上がっていた。
見覚えのある光景、この技は!
煙の中からその人が現れる。肩に担いだアーシアを蓮姫のそばに静かに下ろした。
「援護いたします、蓮姫。姫は赤子を頼みます。アーシア、当身を当てましたが息は闘えるまでに戻りましたか」
「クローノ……」
「クローノさん……!」
クローノは静かに二人に微笑むと、笑みを消し振り返り棍を構えた。
「やってくれたようですね、貴方がた……。覚悟は宜しいですか、一体残らず瓦礫と砂に変えて差し上げますから一体も逃げたりしないで下さいね」
クローノの目の色が変わっていた。大事なものを傷つけられた時のこの青年の怒りには、つける薬は何も無かった。
◇ ◇ ◇
「なによこれ、なによこれえ! 血が、血が止まらないじゃない、止まらないよう……!」
ラーサはパニックになっていた。ケンカしてばかりとはいえ、カルロスは仲間だった。大切な仲間だった。その仲間が、あろうことか死にかけていた。後頭部の傷は最悪の位置だった。ラーサが最初に見たときなど、パックリと開いた傷口から霧吹きのように血が溢れ、流れ続けていた。
「止められないんですか! お願いですから坊っちゃんを助けてくださいラーサ!」
「そんなこと、言ったって……傷はもうできるだけ塞いだの……でも、でも! それでもこのまま全部をふさいじゃうわけにはいかないの、だって中に破片が詰まってて、取らないと腐っちゃうのに……! なのに細かすぎてあたしじゃ、あたしの力じゃ……」
「そんな……坊っちゃん、そんな!!」
なんとか血の溢れは最小限に抑えたが、それでも瓦礫の中だ。戦いの最中で繊細な手術などしていられない。その技術を持った医者もいない。
どうしようも無かった、ジリ貧だった。
「ゴメンなさい、ごめんなさい、ごめんなさいカルロス! あたし、あたし何もしてあげられない……!」
泣きながら傷口のガーゼを抑えてラーサが謝る。
ジワジワと染みてくる赤い色は、全ての不吉を含んで見せ付けていた。
◇ ◇ ◇
「もう少しであらかた避難し終わるぞ、アリアム」
ほぼ全ての街の人間が、門から外に出、数キロ離れた運河のほとりまでたどり着いていた。リーダーに話し終えてまだ一時間しか経っていなかった。修理した運河の船も使ったとはいえ、驚異的な避難記録だった。リーダーのリーダーシップ力の高さに驚嘆の思いを拭えない。味方でいてくれて本当に良かった。
避難してきた市民には、数十人の単位に分かれて待機して待っててもらう。点呼係は元革命組織の人間が分担してやってくれていた。自分で考えて動いてくれる人材がいるだけで本当に助かっている。
その上、王だったと知っても以前の口調を変えないでくれるリーダーたちに、アリアムは心の底から感謝した。だが、今はそれを表している時ではない。
「分かった、助かったぜリーダー! 皆にもサンキュな! じゃあ、あとは自分の家族や知り合いで見当たらない人間がいないか聞いて回ってくれるとありがたい」
「了解だ、みんな、頼むぞ!」
しばらくして、全員避難が完了したとの知らせが入った。誰一人抜けは無かった。完璧な避難だった。
(これで、もし万が一何かあったとしても誰も死なずに済むだろう……。良かった……)
アリアムが安堵した瞬間だった。地響きがし始めた。
地平の先が巨大な機械体や小型の機械体で埋まっていた。それらが溢れだして押し寄せ始める。あちこちで人々の悲鳴が上がる。
「なッ、こんな時に!」
こんな時に襲われたらひとたまりも無い! 急いで武器を構える。
が、なぜかこちらには襲ってこず、大小全ての機械体がイェナの街に向かっていた。先頭の機械体が開け放したままの門をこじ開け入ってゆく。後から後から溢れたように、止まるところをまるで知らない。
「な……これは、一体……ハッ!?」
脳裏にアベルの言葉が浮かんでいた。
街に機械体をおびき寄せ街ごと破壊―――――!
(そんな、……まさかコールヌイ!)
あの最強の男が負けたというのか!?
万が一の為に避難させたとはいえ、彼なら止めてくれると思っていた。信じていた。彼が一対一で負けるところなど想像すらもしなかった。そのありえない妄想が現実になったと知って計り知れない驚愕の思いに包まれる。
ばかな、あのコールヌイがそんな馬鹿な!
いつも無理やりにでも自信に溢れていたはずのアリアムの表情が完全に蒼白に彩られた。
(そんな馬鹿なッッ!!)
その間に、地平に溢れていた数万もの機械体たちが地鳴りとともにほぼ街に入りきる。吸い込まれた壁の中で破壊の限りを尽くす音が止まらない。そして、空のどこか遠くから鋭く高い音が近づいていた。
どこからか、笑みではない、ただの能面を貼り付けた表情をした青年の乾いた笑いがこだました。
血の気が引いた。すべての力を込め絶叫する。
「伏せろおおぉぉぉぉ!!!!!!!」
雲を切り裂いて涙のような銀色が街の中心に突き刺さる。
閃光。
空と大地のネガとポジが完全に入れ替わった。
◇ ◇ ◇
あらかた機械体の排除は終わっていた。今のクローノには、初期型の機械体では脅威にはまるでなり得なかった。復活したアーシアの補佐もあり、短時間で残りの敵を排除する。
「破ぁぁぁ!!」
ドリルのように回転させた長い棍が最後の敵のコアを貫いた。と同時に引き抜いて後退する。開いた穴から無数の火花を放ちながら機械体が崩れ落ち爆発した。
しばらく構えて様子を見た後、起き上がるものが存在しないと判断し、クローノは笑顔で振り向いて声をかけた。
「お久しぶりです、アーシア。と蓮姫。お元気そうで何よりです」
「……あら? いま、もしかして付け足さなかったかしら……?」
蓮姫が引きつった笑顔で言葉を返す。どうもこの青年だけは苦手だった。なぜだろう、なぜだか分からないから余計に苛立ち言葉が尖る。
「アーシア、さっきの怪我は大丈夫ですか!?」
クローノは蓮姫の小首をかしげた声を無視して、ツカツカと膝をついて息をするアーシアの前に歩み寄り怪我の具合を確認する。無意識なのだろう。無意識だと分かるからこそさらに蓮姫はこの青年が嫌いになった。なんだが敵の匂いがするし。
「……大丈夫よ、心配しないで」
アーシアは心配そうな青年に立ち上がり答えていた。本当に大丈夫そうだと分かり、心底安堵の息をつく。背後の蓮姫の半眼の目が痛々しい。
先ほどの赤子は、クローノが闘ってくれていた間に母親の手に無事に戻っていた。泣き崩れる母のお礼に、二人とも大いに安堵していた。それにしても、
「クローノ、また強くなったわね、あなた」
アーシアが呆れたように呟いた。この青年はどこまで成長すれば気が済むのか。
「そうでもありませんよ。少しだけ、アベルのアイテムをいくつか借りてきただけの話です。たとえばこの軽めの靴ですが、大地の磁場に反応して斥力を発生し、素早さを数倍に跳ね上げてくれます。だから破壊力も倍増しますし。全てが実力だけではありません。残念ですが、そこはちゃんと認めないと、子供たちに先生と呼んでもらえなくなってしまいますしね」
「謙虚なのは美徳だけど……相変わらず説明がクドいわねあなた。まあ、いいけど」
そこで、アーシアもため息の後笑顔になってクローノを見つめた。
「ありがとうクローノ。助かったわ。来てくれて、嬉しかった」
「アーシア……」
「……それで、なんの御用だったのかしらクローノさん。助けてくれたことには感謝いたしますわ。でも、もし彼女に格好よいところを見せようとしに来られただけだったとしたら、ちょっといったんイェナに引き返してきてもらえないかしら」
二人の間にちょこんと顔を出した蓮姫が、結構辛らつな物言いで言葉を飛ばす。
「え、いや別にそういうわけではありませんが」
「ひ、姫!なにを? あの、どうしてそんなに苛立っておられるのですか?」
二人の反応に面白くなさそうな顔をして、再度蓮姫は質問した。
「もしかして、もう最終決戦が近かったりするのかしら」
クローノも顔を引き締めて真面目に答えた。
「その通りです。アベルにあなた方を連れて帰るよう頼まれて来たのです。できうる限り、すぐにご支度をしていただけると助かります」
その返事に、アーシアと蓮姫は顔を見合わせて眉をひそめた。
「クローノ、あのね」
「いまはまだ、私たち二人ともがここを離れる訳にはいきませんの。この拠点はようやく人々が集まってきだしたところですし、それも全て、元姫である私を頼ってきてくれた方々のお陰。その人たちを見捨てて異国の地まで闘いに赴くわけにはいきませんわ。ナニールを倒すことが最優先なのは分かっています。しかし先ほどのような襲撃だってまだまだ終わってはいませんし。星を守っても頼ってくれる人を守れなかったのであれば、それは敗北と同じではありませんこと?」
初めて真摯に言葉をつのる。蓮姫は真剣だった。その線だけは譲るわけにはいかなかった。
「それは理解できます。では、でしたらまずは一旦アーシアだけでも」
「それはできないわクローノ!」
「認めるわけにはいきませんわね」
「……そこで二人してダメ出しをハモらないで頂けませんか。こちらだってそれではとても困るのですが」
アーシアを挟んで蓮姫とクローノが軽くムウと睨み合う。
「あの、二人ともどうして初めからケンカ腰でいるのかしら……? 蓮姫まで」
分かってないのは当人だけのようだった。
二人はともに明後日の方角を向きため息をつく。
そのとき突然誰も居ないはずの横転馬車から甲高い赤ん坊の泣き声がこだました。
同時に、既に全部の機械体がスクラップだと思い込んでいた場所から、数体の機械体が起き上がり馬車へと動きはじめていた。完全に破壊しきれなかったものがいたようだった。
破壊された機械体の下の地面を掘り潜み、機会を伺っていたのだろう。
「!? そんな、赤ちゃんはさっきちゃんと」
そういえば、さきほど渡した赤ん坊は、普通に生まれた赤子としたら少しだけ小さい気がしたが……
「まさか、双子だったということなの!?」
「そんな! あの子のお母さんは一言もそんなこと言ってはいませんでしたわ!」
「周りに誰もいない極限状態でたった一人で出産されたのでしょう、本人が双子だと認識できず勘違いしていても不思議はないと思います。可能性は他にもありますが……けれどそんなことより、いまは議論しているよりも助けなくては!」
クローノが走り出す。
だが数歩踏み出した途端いきなり胸を押さえて蹲った。長距離ジャンプの影響だろう。心臓に負担が来るとは聞いていなかったが。
(なにもこんな大事な時に……!)
「クローノ!」
アーシアが駆け寄った。
「し、心配は要りません、すぐに収まると思います。ですがその間あの赤子をお願いします、アーシア!」
「分かったわ」
アーシアが急ぐ。だが、既に敵の一体は馬車の入り口に体を半分入れていた。他の数体も入り口に殺到する。なぜか、その他の数体は地面に顔を近づけていた。部品を補うためだろう、機械がおぞましい共食いを始めていた。
さらに甲高い悲痛な泣き声。
(だめだ……赤ちゃんが、間に合わない!)
絶望に包まれそうになったその時だった。馬車の中に入り込んでいた機械体が、いきなり吹き飛ばされて飛び出して転がった。
「!?」
中に入り込んだ機械体が次々に車体を突き破り投げ出されていた。
「……そんな、どうして!」
アーシアが呆然と呟いたその時だった。車体の中から、機械体を放り投げた存在が姿を見せた。
「う、嘘でしょう!?」
「馬鹿な……なぜ?!」
最後の機械体の開けた穴、その中から歩いて現れたのは、赤ん坊を守るように抱えた小型の小さな機械体だった。
◇ ◇ ◇
「う………終わったんですか…………?」
気がつくと、全ての作業が終わっていたようだ。数分間気絶していたらしい。精神と電子の塊である精霊体である自分がだ。
物質化しているとはいえさすがにこれは恥ずかしかった。穴があったら入りたかった。
『は……い、終わり、まし、た』
ゲフィオーンが途切れ途切れに答えを返す。
彼女を存在させる為のエナジーが完全に切れかけていた。もう時間の問題なのだろう。
「ゲフィオーン、教えてもらえませんか。ボクはこれから、何をすればいいのかを」
自分にさせたいことがあると言ったのは彼女なのだ、詳しく教えてもらわないと困る。
『いえ……全ての情報はあなたの中にダウンロードしてあります、そちらを参照していただければ』
「……分かりました。ところでここは地上から何階分下層になるのか、ご存知ではありませんか。まずは上に戻らないといけないんですが……距離が分からないと、物質化を解いてもすり抜けも転送もできませんし」
なにより、人間であるファーレンフィストも一緒だ。どのようにして地上に戻ればいいのだろう。ここに繋がるエレベーターは、既に完全に溶けて消えていた。ここはもう永劫に人間の来ることのない密室だ。
『それでしたら……』
ゲフィオーンが答えようとしたその時だった。
『フ、ハハハハはハハ』
「な!?」
『そんな、まさか!』
次元の裂け目があった場所がもう一度さっきと同じく縦に割れた。その中からひび割れたかのような壮絶な哄笑が洞窟内に届いてくる。
『そんな、封印が……まさか現在のナニールの力がここまで強かったなんて……』
顔と腕だけをこちらに伸ばし、穴の奥から壮絶な表情のナニールが二人の敵に睨みを効かす。
『我の中には我以外の魂が眠っておるのだよ、我一人を封印しようとしてもそいつが反発して出来ぬのだ。我もいま初めて気付いたのだがな。ただの荷物だと思っていたら、なんと役に立つとは思わなんだぞシェリアークよ、ククククク、ハハハハハ』
そのシェリアークに影響されて変質しているということを、本人は未だ気付いていない。それがこの先どのように影響を与えるのかは分からない。だが、今はまずナニールを退けることだけが優先だった。
『良いだろう、ボクがお相手しようナニール。今度はもうさっきのようにはいかないと思うといい、覚悟してかかってきてくれると嬉しいね』
ナーガは立ち上がり、癖のある髪を片手でかき上げた。その一瞬で物質化を解除して精霊体の戦闘モードに移行する。特徴のある口調、ペースが戻ってきたようだ。
『威勢が良いな、先ほど我に手玉に取られたことまで忘れるとは、良い鳥頭をしておるわ』
『褒め言葉として受け取っておきましょう。ゲフィオーン、今日のところは数日間の封印でいいのでしょう? ならばボクでも事足りる。覚悟してくれないかナニール。お前の腹と同じくらい暗く相応しいその場所に、とっとと蹴倒して戻してあげよう』
『ヒヨッコが、ほざくではないか』
『ジニアスを頼みます』
ナニールの顔の場所、その空間で攻防が始まった。
◇ ◇ ◇
閃光の後に凄まじい地鳴りと爆風が訪れた。数キロ離れただけのこの場所では、本来なら全員死んでいてもおかしくはなかっただろう。
イェナの街の誇りだった頑丈な巨大な壁が、衝撃の大半を内側に閉じ込め守り通してくれていた。代わりに、その壁は殆どが消し飛んで崩れていた。誇りだった壁は、砂漠の光や熱や砂嵐から守ってくれた壁はもう存在しなかった。
全てが収まった後にその光景を見せられた民たちは、心に風穴が開いたように呆然と嘆きの声を上げていた。
全員で近くまで近寄った。初めはゆっくり、そして全力で全員が崩れた壁に駆け寄った。
壁に開いた穴の中を覗き込んだ誰かから悲鳴が上がった。
そこには何もなかった。
自分達が、家族が、先祖が暮らしていた街が消えていた。バラバラになった機械体すらもそこには存在しなかった。
穴がそこに開いていた。直径数キロもの街が消えてなくなるほどの巨大な穴が、真っ黒な光無き口を開けていた。地底に繋がる縦穴だった。どこまでも底の見えない恐ろしく深いその穴は、地獄に繋がるかのように全てを飲み干し存在していた。
「コールヌイ……」
愕然とした顔の王様が、裸の国を抱えて風の中呟いた。
そこに、非難の言葉が贈られた。誰が最初かは分からなかった。ただ、吠えるように広がってゆく。ゆっくりだった。静かに始まり急速に嵐に変わる。
お前のせいだ、お前のせいだ、なぜ国を守らなかった、なぜ街を守らなかった、王ならなぜ全てが消え去ったのにまだのうのうと生きているんだ!
返す言葉が何もなかった。心配そうに見守るライラやリーダー達でさえ、今すぐに助ける言葉をかけることができなかった。
怒号の怨嗟がこだました。
とどまる所を無くしていると思われた。
そして、
その放送が始まった。
『みなさん。僕はファングといいます。聞こえていますか。聞こえていますか。聞こえた方は、お願いです、僕の告白を聞いてください』
それはまだ若い少年の声だった。
少年の声が全世界全ての場所に響き渡った。
第十三話 『崩壊』 了.
第十四話 『告白 〜心声〜』に続く……




